04
吾輩と富田君はディックを探すために外へと出た。
マンション外に一歩出れば、ひどく落ち着かない気分になる。
吾輩が昨日まで履いていたスニーカーは、とても少女となってしまった吾輩には履くことができなくなってしまっていた。一歩歩くだけですっぽ抜けたのだ。そこで現在吾輩は可愛らしいリボンのあしらわれたデザインのサンダルを履いている。これも富田君が用意してくれたのだ。サイズはなかなかにちょうどいいのだが、ちらりと足元に目を落とすたびに翻る膝丈の白いワンピースの裾と共に、白い足の甲とくるぶしが目に入り、その眩しさは吾輩をこれでもかと不安にさせる。
次にワンピース。足を前に踏み出すたびに、風がスカートの中を足首、ふくらはぎ、太腿、へそと撫で上げるように通り抜け、胸元から出ていくような感覚に襲われる。去年の夏、素っ裸でディックと一緒に扇風機の風を浴びていた時よりもはるかに強い背徳感と心もとなさである。
さらには道行く人々が皆、吾輩を見ているような気分に襲われる。吾輩が男の姿であった時も視線を感じはしたが、それは「なぜゴリラがここに!?」という奇異の視線であり、今受けているようなくすぐったかったり、ねっとりとしたモノではない。吾輩がそわそわとしていると「相川先輩、可愛いのでみんな見てますねえ」などと夏の昼前の太陽の光に目を細めながら富田君がのんきなことを言った。「富田君が可愛いから見ているのだろう」と吾輩は返した。
数か月前の吾輩がこのような会話を聞けば、多くの薄汚い青春を送る阿呆学生たちと同様に、嫉妬の炎に燃え上がるキングコングへと進化して暴れ出すであろう。だが彼女はそう評するにあたって何の問題もない黒髪の乙女であるし、そんな乙女は吾輩の恋人である。よって我々は灰色青春時代を送る学生たちへの思いやりや、迷惑防止条例も無視し「可愛い可愛い」とお互いに乳繰り合いながら、高野川の畔を南にぽてぽてと下っていった。ただでさえアツい夏の京都の街は、我々阿呆カップルのまき散らす神をも畏れぬアツアツぶりにさらに過熱され、その結果急上昇した気温によって、汗と共に吾輩の落ち着かない気分もどこかに流れていったことを記しておく。
さて。
加茂大橋に差し掛かるころになって、ようやく我らがなぜひたすらに蒸し暑い街へと繰り出したのか、ということを思い出した。ディックを探さなければならない。阿呆と嘲笑するなかれ。意中の乙女との睦言は楽しいのである。
我が肉体から大脱走を果たしたちんこという前代未聞の珍事。このような事を真面目に相談できる相手など、吾輩の人生においてそうはいない。吾輩は携帯電話を取り出し、アドレス帳を呼び出した。
「このようなことを相談する相手と言えば……茨木先輩しかいないだろう」
「ですね。茨木先輩はいい加減なお方ですが、優秀な仙人です。きっと力になってくれるでしょう」
吾輩は今出川通を西に歩きながら茨木先輩に電話を掛けた。呼び出し音が鳴る。まずは第一段階クリアである。茨木先輩はいい加減なので携帯電話に電源を入れていないことも多々あるのだ。次に第二関門。先輩が携帯電話を携帯しているかだが――。「ふあい」といい加減な声がした。茨木先輩の声である。
「もしもし、茨木先輩ですか? 吾輩です、相川です」
「む? 相川君なのか? いつものゴリラボイスはどうした?」
吾輩の声がまるで変わっているというのに、この反応。吾輩は快哉した。さすがのいい加減っぷりである。とりあえず手短にディックが吾輩の体から逃げ出したこと、そして吾輩の体に起きた変化を伝える。
「なるほど、よくわかった。うちに来なさい。対策を考えよう」
「ずいぶんとあっさり受け入れるのですね」
「長年、仙人をやっていれば、信じられないような出来事も多々起こる。君の身に起こった出来事は確かに乾坤一擲の阿呆事件だが、いちいち驚いていては身が持たないよ」
と、先輩は電話の向こうでいい加減にため息をついた後、不気味にくつくつ笑ってそう言った。
○
しばらくして。
吾輩はふらふらになっていた。京都人の底意地の悪さを促成栽培する熱気のせいだけではない。富田君の住むワンルームマンションから、烏丸今出川のわずか一キロにも満たない道のり。たったそれだけの距離を歩いただけで吾輩の体力は著しく失われていたのだ。
慣れぬサンダルを履いていたこともあろう。富田君による乙女指導を受けて、ガニ股や極端な大股にならないよう歩き方に気を付けていたせいもあろう。だが何よりも、筋肉が失われたことが大きかった。
「相川先輩、大丈夫ですか?」
富田君が吾輩に声をかける。「大丈夫だ」と吾輩は虚勢と小さくなってしまった胸を張る。
富田君は吾輩の男らしいところが好きだ、と以前言ってくれた。ならば彼女の前ではたとえ姿形は少女となろうとも、男らしくあり続けなければならない。男臭いとまで揶揄された吾輩から男らしさが無くなれば、単に臭いだけの阿呆学生となり果ててしまうではないか。