02
吾輩は寝覚めがいい。朝起きたばかりで脳がまるで働かない、ということもない。
だが目覚めたばかりの吾輩を取り巻く状況は、そんな吾輩の頭脳をもってしても十分に把握しきることはできなかった。
まず最初に気付いたことは、吾輩がなにやらふんわりとした香りのするベッドに寝かされていたということである。このベッドの持ち主は富田君であろう。決して、鼻をくすぐる香りで判別、などという変態的所業で断定したわけではない。部屋の間取りもインテリアの位置も、昨日吾輩がホイホイと上がり込んだ乙女の部屋と寸分違わなかったからこそ判別がついたのである。違っているところといえば、太陽の光が南向きの窓から差し込んできていること、そして時計の短針が大きく十の位置に傾いていることか。
次に、鼻をくすぐる乙女の香りを受け、股間がむずむずとする感触に襲われたことである。昨夜の状況は夢かはたまた酒に酔った幻覚か、と期待して、いつも通り「おはよう!」と元気に挨拶をしているはずのディックの姿を確認してみた。だが、昨夜倒れたままの姿――ジーンズもボクサーパンツも腰から抜け落ちた――の吾輩の目の前に彼はいなかった。やはりディック――我がちんこはいずこかへと去ってしまったのだ。吾輩の股間にはディックの代わりになにやらぷにっとした感触を持つ――おそらく女性器が付いていた。ここでおそらくとしたのは吾輩はまだ実物を見たことがなかったからである。桃色猥褻作品やインターネット上で画面越しにその外見は見たことはあったが、吾輩が目にしているのは本物か否かという疑問についぞ答えが出ることはなかった。そしてそれは今も同じである。吾輩の目の前には猥褻無修正作品で見たものとは似ても似つかぬぴっちりと閉じた、無毛のぷっくりとした肉の盛り上がりが付いている。ためしに盛り上がりを指でつつくと。それは確かな弾力と共に吾輩の指を押し返した。
第三に、吾輩を体の内部からぎりぎりと攻め上げる熱である。吾輩はこの感覚を知っている。吾輩は小便がしたいのだ。
そう気づくと一気に尿意が股間から体全体に駆け上ってきた。吾輩は転がり込むようにして、手近な扉を開き中へと駆け込む。だがしかし。なんということか。そこはトイレではなかった。水回りは水回りであるが――風呂場へと続く脱衣場だったのだ。
――退転の猶予はない。吾輩は漏らす。断固漏らしてしまう!! 吾輩は脱衣場を突っ切り、そのまま風呂場へと飛び込んだ。昨夜の事件で下着もズボンも履いていなかったことは僥倖と言えよう。風呂場に足を踏み入れると同時に、覚悟を決める間もなく吾輩の体から尿が迸ったからだ。
吾輩はその快感の奔流に身を任せ、太腿を伝うアンモニア臭を放つ暖かい液体を感じながら、吾輩は女性の立小便とはこのようなものだろうか、立ってするたびに太腿を濡らすなど不便ではないか、などと阿呆な事を考えていた。
やがてその快感の奔流もいつしか止まり、乙女の風呂場を吾輩の尿で穢してしまったことを詫びながら後始末をしようとした時、吾輩は今現在着ているTシャツの裾も濡れていることに気が付いた。そこまでの勢いであったか、と苦笑しながらシャツを脱ぐ。その先に広がった光景に吾輩は衝撃を受けた。これが第四の点である。
第四の点として、吾輩の肉体から筋肉と言う筋肉がごっそりなくなっていたことが挙げられる。丸太のようと称された手足は、ビスクドールのように白く脆そうである。吾輩自慢の洗濯板のように腹筋が浮き上がっていた腹はつるりと滑らかであり、はちきれんばかりであった胸筋は消え失せ、代わりにおっぱい――もはや猥褻作品と照らし合わせるまでもない――がほのかな自己主張をしていた。
慌ててアンモニア臭漂う風呂場の後片付けもそこそこに、脱衣場の鏡の前に立ち己が現状を確認する。鏡に映っていたのは、小さな黒髪の少女であった。
肩に届くか届かないかで切りそろえた黒髪。どことなくこけしを思わせる愛らしさ。富田君にそっくりではあるが、彼女よりも随分年下のように見える。もしも彼女に妹がいるならば、このような容姿であろうか。
「なんだこれはっ!!」
思わず口を突いて出た声に自分の耳を疑う。吾輩が聞きなれた自分のバリトンボイスではなく、まるで耳がくすぐったくなるような可愛らしい声だったからだ。しばらく吾輩は鏡とにらめっこをする。鏡の中の小さな乙女は、吾輩があかんべえをすればあかんべえを返し、指で狐を作れば狐を作って返した。
鏡とは正直なものである。世界で一番美しい者は誰かという問いに包み隠さず「白雪姫」と返し、吾輩が覗き込めばいつも吾輩がゴリラである、と返す。この日この時この瞬間に限って、吾輩が小さな乙女であると返すはずもない。
つまり、股間、声、体つき、顔つきその他諸々の変化から鑑みるに、どうやら吾輩は女性となってしまったらしかった。
「ありえるものか!!」
吾輩は怒号した。
脱衣場に響く声はやはり可愛らしかった。