クリスマスを前に
「例えばクリスマスが近いとして、周囲の気配がくっそ鬱陶しくなり始め、あちらこちらでカップリングが成立されていく理不尽さに苛々を隠し切れないのだけど、どうしたものだろう」
あたしの部屋で中央を占有する姉が胡坐を掻いて何をのたまうかと思いきや。
「いや、お姉ちゃん。あのさ、それ、例えじゃないでしょ。そろそろクリスマスだし、お姉ちゃんの周囲では恋人の数がうなぎのぼりで、なのにお姉ちゃんは一人ってことに苛々してるんでしょ? どうしようもないよ、自業自得だよ」
姉はふわりと上を向いたかと思いきや常の無表情で首を捻る。
「例えば妹が辛辣で、お姉ちゃんの心は既にぼろ雑巾よと伝えたい時、どんな言葉が正解なんだろう」
「伝わってる、伝わってるよ。例える必要性なんてミジンコもないくらいに伝わってるから。っていうか、ほとんど嘘でしょ。お姉ちゃん、私の言葉で傷付いたりしないでしょ」
視線を合わせてきた姉は何を言うのかと思いきや、
「じゃあ、話を戻すとして――」
「どこにっ! 何も解決してないままにどこへ戻ろうっていうのよ、もう。お姉ちゃんのそういうところが未だ独り身の原因なんだよ」
腰を据えたベッドをばしんばしんと叩けば、わざとらしいくらいに分かりやすく瞬きを三度繰り返す。
何だ、その露骨な反応は。
「あ」
「なに。今度はどうしたの」
「例えば生まれてからずっと一緒に過ごしている血の繋がった妹がいたのなら、私のことを丸きり分かってくれていて、クリスマスを控えた今現在、私がどれほどの懊悩、或いは憤怒を赫々とさせているのか、それを理解してくれるかもしれない」
「なっがい! 長いよ! しかも例えじゃないし! 私っていう妹の存在をさも叶わぬ夢みたいに語らないでよ!」
「え?」
「どこに疑問符が必要なの! もう! んもう!」
ベッドをばしんばしんと叩いて姉への苛々を発散させる。
舞い立つ埃が肌にくっ付きそうなのは、きっと体温の上昇に伴う発汗が原因に違いない。
はふうっと息を吐き、感情の昂ぶりを鎮める。
駄目だ、この人とは諦観の念を携えて接しないと。
「あのさあ、お姉ちゃん。クリスマスがどうとか言ってるけど、そもそものところ、ほんとは恋人なんて欲しくないでしょ?」
姉はとんび座りのままに首をかくんと横に傾ける。
「誤魔化そうとしたって……って、してるのかは定かじゃないけど、分かるよ。妹だもん。お姉ちゃんは一人大好きなんだよね。友達いないし、誰かと一緒のとこなんて見たことないし、もうほんと、想像を絶するくらいの孤独主義なんだから」
あたしの言葉でも姉の表情は変わりさえしない。
誰の言葉だって姉の表情すら変えられないんだ。そんな人がクリスマスを前に浮き足立つ周囲くらいで揺らぐはずない。
あたしの姉は、お姉ちゃんは、針の上でさえ澄ました顔で立っていられる。
そんくらいに強い人なんだ。
「例えばクリスマスを一人で過ごすのに慣れた人が誰かと一緒に過ごすことになったら、そこから幸せを見出せたりするのかな」
「いや、だから、そりゃ人それぞれだろうけど、お姉ちゃんは無理だよ。それこそ例え話で、お姉ちゃんは誰かと一緒に過ごすことになっても変わらないし、そもそも率先して一人になろうとするはずだから」
「例えば、そんな風にいつも一人だからこそ今年に限って周囲の浮き足立ちが際立って見えてしまい、侘しさを覚えたりはしないのかな」
「……………………」
ベッドから腰を落として床に両膝を付き、じいっと姉の顔を覗き込む。
淡白さを極めたような無表情、真っ黒の瞳は揺らぎもせずにあたしの顔を映している。そこに侘しさなんてものは微塵も見えない。
でも、だからこそ気になる。
何で今日に限って、こんなにも例え話を多用して問い掛けてくるんだろう。
今日の姉には何らかの主張、或いは伝えたいこと、察してもらいたいことがある?
「ねえ、お姉ちゃん。何か伝えたいなら、もっとすっぱりと言ってよ。例えば、とか、普段はそんな枕詞なんて使わないじゃん。回りくどいにしても極地に過ぎるよ」
じいっと覗き込んでいると姉の瞳がゆらりと上を向く。
「例えばしんしんと降る雪のせいで異常に寒かったりしたら――」
「いや、寒いよ。寒いから。今日は特別に寒いよ、そりゃ雪だって積もってるんだから」
「例えば暖房は乾燥するから嫌いだとして――」
「知ってる、いや、知ってるから。お姉ちゃんが乾燥嫌いで真冬なのに頑なに暖房もストーブも使わない派なのは知ってるから」
「例えば――」
「ああ、もう、例えなくていいから! っていうか最初っから一貫して頑なに例えられてないから! 何をどうしたいのか、結論を述べて!」
ついぞ迫ってくる眠さに耐え切れず声を荒げれば、姉は浮遊させていた瞳を収束させ、はっきりくっきりと真正面からあたしを見据えた。
何ぞや。
姉の口が開く。
「一緒に寝よっか」
あっけらかんとした物言いに、もちろんあたしの目が泳いだ。
妹が私をどのように理解しているのかは知らない。
なにぶん、私は普段からあらゆる人と一定の距離を保っている。妹も例外でなく、いや、妹だけは特別に距離を開いている。
何故か?
近くなれば、それだけ私に対して慣れるからだ。妹に慣れられては困る。
何故か?
寝る支度を済ませて私の部屋に移動し、寒々とした部屋に妹が慄然としているのを知りながら、一緒に横になる。
ベッドの中で妹の小さな体を抱く。
まだ中学生になったばかりの妹の体はとても柔らかく、尚且つ体温が高い。触れる肌はぽかぽかしていて、そこに生じていない慣れが波状効果をもたらす。
ぎゅっと抱きしめ、頬を寄せ合うと、妹の体はぐんぐんと温度を上げていく。
まるで赤熱化していくような変化は電気が点いていれば一目瞭然だったろう。きっと今、妹の肌は真っ赤で、顔なんて林檎のようになっている。もしかしたら頭の天辺や肩の辺りから湯気さえ昇っているかもしれない。
これこそが、慣れていない故の醍醐味だ。
慣れられて平然とされては困る。
この温もりこそが至高であり、幸いなのだ。
「……うう。あっつい」
耳元に妹のか細い声が届く。
悪戯さを発揮させ、私は囁く。
「あなたは私の湯たんぽ、そして加湿器」
暖かく、それでいて乾燥がない。
妹は理想の湯たんぽであり、加湿器でもある。
何しろ、体だけではなく心まで暖かく、そして潤してくれるのだから。
「おやすみ、妹よ」
「……はいはい、おやすみ、お姉ちゃん」
寒々しいクリスマスを前にして、私はぐっすりと眠れる。
妹の歯噛みする音さえ心地良く感じながら。
うう、私だってそろそろ彼氏が欲しいんだぞ、あなたの言葉に結構本気で傷付いていたりするんだぞ、という思いすら忘れて。