クライブ 2
寄宿学校には十三歳から十八歳までの貴族の子弟が集まっていた。入学して五年目、最上級生になった僕は昨年に続き学年総代に指名され、つまりそれは学校総代を務めることでもあった。
同じ年に入学し、一年目、二年目に学年総代を任されたヴィンセントは、卒業生からの指名を受け、今年は寮長を「押し付けられた」
「名誉なことじゃないか。謹んで拝命したまえよ」
「そーゆー面倒そうなのはお前に譲るよ」
「僕は自分のことだけで手がいっぱいだ」
「いやいや、お前ならやれるって」
「それを言うなら君の方こそだろう」
新入生の指導に手を焼いているのか、消灯前に愚痴をこぼしにくるのが彼の日課になりつつあった。僕は机に向かい、彼はベッドに寝そべっている。背を向けるかたちになっていた僕は、ペンを置いて椅子ごと振り返った。
「君が真面目に勉学に励んでいれば、今も君が総代だった」
「できていれば、だろ。現実はこれだ。意味のないもしもの話なんかするなよ」
真面目な話のつもりだったのに、ヴィンセントは一笑に付す。仰向けになったまま、読んでいる新聞から目を離そうともしない。彼が新聞を読んでいる姿などめったにお目にかかれない。よほど興味深い記事でも書かれているのだろうか。
見つめていると、視線に気づいたのか、目線だけを投げてよこした。
「ゴシップ紙だよ。一端に上級生面して新入生をパシリにしていた二年がいたから、没収した」
にやりと笑う。没収品は寮監に渡す決まりだったと思うが、これではどちらがわるい上級生だかわからない。
「教会の大司教さまと客の不義密通。隠し子疑惑まで煽ってやがる。あからさまに保守派だな、この新聞社」
「先入観はよくない」
「事実無根とまではいわねーけど、隠し子とかありえないだろ。つか、他人の恋愛事情に首突っ込むとかどんだけ暇なんだよ。ほっとけ、つーの」
最後の一言が一際苦々しげなのは、最近町食堂の店員に振られたことが発覚し、散々からかわれているからだろう。
「そもそも保守派連中は極端なんだよ。客を人の姿をした獣、とか言って嫌っているだろう。貴族の血筋じゃなけりゃまともな人間扱いしねーし。あいつらの方がよっぽど人でなしだ」
確かに、保守派の考え方は血統を重んじる。それ故に国を思う気持ちも強いのだろうが、一部とはいえ過激な発言が目立つのも事実だった。
「……ペールゼンとこの坊ちゃん、おれになんて言ったと思う?」
ペールゼン伯爵は有名な保守派だ。その次男が同じ学年なのだが、ヴィンセントにとっては数少ない「うまく付き合えない相手」だ。といっても、入学当初から、向こうが勝手に敵視しているだけなのだが。
運動不足の白い顔を思い出しながら、僕は無言で先を促した。ヴィンセントは新聞を顔の上に載せて表情を隠した。
「これ以上血が汚れなくてよかったな、だと」
笑うように顎が上がった。僕は絶句した。
「おれは母親を恥じたことなんかないけどさ、親父が貴族ってだけでペールゼンなんかに少しでも仲間意識持たれているのかと思うとぞっとするね。おれが誰とどんな関係になろうが関係ないだろ、って言ってやったら、血族を維持するのが我々の義務だとぬかしやがった。どこかの令嬢たぶらかして、血の汚れを少しでも薄めるように努力するのがおれの義務なんだと」
とりまきに囲まれ、あざ笑うペールゼンの姿は容易に思い浮かべることができた。もちろんこれは親切な忠告などではない。自分が庶子であることを隠しも恥もしていないヴィンセントへの攻撃として、もっとも効果的な手段を選んだのだろう。彼が愛した者を「汚れ」と貶めた。
ペールゼンのように考える者は保守派の中でもごく一部で、狂信的な部分が周囲からも浮いていた。積極的に関わろうとする者は少ないが、前国王に重用されて築き上げた地位もあり、逆らう者も少ない。
「まあ、あいつと関わるのもあと一年だ。そう思えば我慢できる」
ふ、と新聞を吹き飛ばすような大きな息を吐いて、ヴィンセントは体を起こした。
「卒業したら、おれはさっさと旅にでも出るから、お前はあいつを宮廷でのさばらせないように頑張ってくれ」
まったく真剣みのない激励に、僕はあきれると同時に少しほっとした。ヴィンセントの柔軟さが羨ましいと思う。調子にのってますます羽目を外すだろうから、本人には言えないが。
「君は出仕しないのか」
「親父も了承済みだ。何年かは国の外に出る。運命の女を探す必要もあるしな」
どこまで本気かわからない口調。エリーゼは違ったし、とぼやく姿は本気で落ち込んでいるようにも見える。
「いいな」
ぽつりとこぼれた言葉は、半ば無意識だった。
怪訝そうな瞳が向いた。何故、とその視線を疑問に思って、そしてやっと失言だったと気づく。僕は慌てた。こんな、まるで、子供のような羨望は――――恥ずかしすぎる。
「お前には幼馴染のかわいい婚約者がいるじゃないか」
「そこじゃない。そもそも、ロザリーは婚約者じゃない」
「似たようなものだろう」
決めつける調子に苦笑が漏れた。するとヴィンセントが、改まった様子でこちらに向き直った。
「あれだけ頻繁に手紙を遣り取りして、贈り物をし合って、休みのたびにどっさり土産を買い込んでいるのに、違うのか?」
「家族みたいなものだよ」
「ポートレート見せびらかして、本人はもっとかわいい、ってのろけていたじゃねーか」
「事実だ。ロザリーはかわいい」
第一見せびらかしてなどいない。手紙に同封されていた小さな肖像画を目ざとく見つけて取り上げた挙句、寮の回覧網で回したのは目の前のこの男だ。
「クッキー、うまかったよな」
「お菓子作りが趣味なんだ。お菓子のレパートリーだけなら、うちの料理人より多い」
そういえば日持ちする焼き菓子を届けてくれたこともあった。例によって寮中に回す破目になったが。
「お前がいつも使っているハンカチ……」
「この刺繍かい? ロザリーはバラが好きなんだ」
誕生日に贈られたハンカチには、僕のイニシャルと赤いバラが刺繍されていた。次の休みに何故バラにしたのか聞くと、「クライブがはじめてくれた花だったから」と笑っていた。覚えていてくれたことが嬉しかった。
「なのに、恋人じゃないのか?」
ヴィンセントがますます胡乱げに僕を見ていた。
恋人? 婚約者、といわれるより、もっと違和感が強くなる。
「ちがう」
ロザリーと一緒に過ごす時間は楽しい。互いの家に泊まることもあったから、ともに生活する様子も容易に想像できる。僕だって、そんな将来が全くないと言い切るわけではない。だが、恋人同士の甘い睦言をロザリーと交わす、となると、これはもう、はっきり断言できる。無理だ。ありえない。
「ロザリーは妹みたいなものだよ」
兄様、と呼んで慕ってくれる彼女がかわいい。大切にしたい、という思いはあるけれど、彼女が社交界へ出て、そこで誰かと巡り合い、愛し合うというのならば、心から祝福できる。少し寂しいけれど。
きっと花嫁姿もきれいだろう。白いベールに、つやのある栗毛と若草色の瞳が栄えるに違いない。
つい気の早い想像をしてしまった僕の前では、ヴィンセントが「そんなもんか? いや、それなら……」とぼそぼそつぶやいている。
「なあクライブ」
意を決したように、ヴィンセントがベッドから降りて立ち上がった。正面に立ち、まっすぐに僕を見る。碧い瞳がきらめいた。
「紹介してくれ」
「断る」
思った以上に僕の声は冷たく響いた。ヴィンセントが、膝をついて僕のシャツの裾をつかんだ。
「なんでだよ! お前の婚約者じゃないならいいじゃないか!!」
「だめだ」
「かわいくて、料理上手で、器用で、お前のかわいがり方から予想するに、気立てもいい。完璧じゃねーか! きっとおれの運命の人だ」
「君じゃだめだ」
「なんで!!」
非難のこもった叫びに合わせて、僕はヴィンセントの腕を振り払った。シャツが皺だらけだ。
なんで、だと?
「十五人」
「…………?」
「僕が知っているだけで、十五人だ」
「なにが?」
本気で不思議そうな顔に、やっぱりだめだ、と思う。こんな男を、ロザリーに近づけるわけにはいかない。
「君の恋人」
「なっ……!」
「実際はもっと、だろう?」
「ぐ…………でも、いつも、一人だ」
同時に複数と交際したことはないという。そんなのは当たり前だ。
「君みたいなふしだらな男が、ロザリーの視界に入ることは許せない」
「ふ……っ!? そんなことに許可がいるのか!? お前、休み中に遊びに行きたいって言っても断るのは、まさかそのせいだったのか!?」
僕は笑った。よくできました。
息をのんだヴィンセントは、そのあとも泣いたり怒ったり脅したりしていたけれど、僕は取り合わなかった。消灯時間になると、捨て台詞を残して彼は部屋を後にした。
「お前、兄っつーか父親みたいだな」
そうだ。ロザリーは僕の大切な家族だ。