下心令嬢は婚約者から仕事を押し付けられたい
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「何もできないんだから何もするな」
そう、ディオンが大きな爆弾を投下したのは随分と前のことだった。
それから時が経ち、ラフォーレ男爵家のリゼットとベルティエ男爵家のディオンは婚約した。
リゼットは彼の前では何もしないフリをしていた。それでも父から「ラフォーレ家の人間は役に立つ存在でありなさい」と言われて育ったのだ。
そんなわけでリゼットは令嬢らしからぬ知識──算術、経済学や兵法を習っていた。
そんなリゼットはこの状況を何とかしたいと日に日に思うようになった。
ある時、ディオンが仕事の愚痴を言っていた。ディオンが少しばかりディオンの父・ベルティエ男爵から渡された仕事、それは算術が必要なものだった。
リゼットはディオンの持っている書類を盗み見ると、自分でもできるのではないかと感じた。ディオンの役に立てるかもしれない。そう希望が胸に湧いた。
リゼットは意を決して、それを告げてみると明らかに断りを入れようとディオンの肩に力が入った。
「リゼット、君には無理だよ。何もしなくていい」
「でもそれなら私も算術を少しばかり心得ておりますわ。試しに計算させてくださらないかしら」
ディオンは手に持った書類を宙に投げると、吐き捨てるように言った。
「女がちょっとかじったくらいの知識でできるものじゃないんだ。それなら今日は調子が悪いと父に告げて期限を延ばしてもらったほうがいい。君も帰ってくれ」
ディオンの背中を見送るリゼットはそれ以上ディオンに声をかけることは出来なかった。
ディオンの姿が見えなくなると、ため息をついた。
リゼットはソファから下りて、仕方なく散らばった書類を拾い上げる。
リゼットはそれから一時間ほど、時間を費やしてその書類に書き込みをする。
(ディオン様にちょっとした仕返しですわ)
最後に書類をきちんと束ねて、ディオンの執事に手渡した。
「ディオンさまが置いていった書類ですわ」
「ご丁寧にありがとうございます」
これはリゼットの予想とは違う着火剤になってしまった。
* * *
リゼットは上機嫌でベルティエ男爵家にやってきた。『この前、リゼットが書いてくれた計算が役に立ったよ』と褒めてくれるかもしれない。もしかすると今までの偉そうな発言を謝ってくれるかもと期待する。
応接室にやってきたディオンは頬を上気させ怒っている。
ディオンはソファにも座らずに立ったまま、リゼットを見下ろした。
リゼットがソファから下りて挨拶する時間も取らせず、ディオンはリゼットの言葉を遮った。
「君は私を馬鹿にしているのだろう!」
リゼットは頭を少し傾けた。
(怒ってるわ。やはり改心の道はなし。私に仕事をくださればいいのに)
そのまま閉口していると、ディオンが続けた。
なんでも、リゼットが書いた計算をディオンの執事が仕事が終わったと勘違いしてベルティエ男爵に出してしまったというのだ。
まぁ、リゼットの思惑通りだった。
ディオンがやったとばかり思った男爵はディオンを執務室へ呼び、労をねぎらった。
ディオンは出来なかった仕事をリゼットにやってもらったことになったのだ。
リゼットが自分の知識をひけらかしているとディオンは非難した。
いや、非難じゃないか。事実だから。
リゼットがいくら否定しても平行線のまま。
するとディオンは何かに思いついたのか、自室から書類を抱えて戻ってきた。
「そんなに仕事がしたいのなら、やってみろ。後でできないなんて泣きついてくるんだろうけどな」
ディオンはそのまま部屋を出ていった。
(やったわ。ディオン様を困らせている仕事はどんなものかしら)
リゼットは目を瞬かせながら時計を確認する。
現在、午前十一時──。
「まずは分類してどの程度の仕事があるか把握してから取り組まないとだわ」
一時間ほどで書類の束を3つの山に分けた。
一、『ベルティエ男爵家の特産品について』
二、『ベルティエ男爵家の次のお茶会の招待客のリストの確認』
三、『ベルティエ男爵家が交流する貴族の優先順位』
最後の書類はディオンの判断を男爵が見たいのだろう。
一の特産品については、まずリストアップし現状を説明するのに、補足資料を見ながらまとめる。
二と三は関連があるのでまとめて考える。
まずは隣の領地について、それから交流がある貴族の爵位と歴史を照らし合わせる。
二つ目のリストの確認だけなら、上から順に確認し、下からもう一度確認すればいい。
「でも、それだけじゃつまらないわよね」
リゼットは知る限りの知識で交流関係の頭を作る。
これと照らし合わせながらリストの招待客を確認する。
リストにはないが、リゼットの書いた交流図にはまだ名前が残っている。
「優先順位をそれぞれつけて、招待候補として備考欄に補足しましょう」
リゼットはディオンの代わりに仕事ができるのが嬉しかった。
(これからずっと私に仕事を回してくれればいいのにな)
リゼットは夕方にはベルティエ男爵家から帰宅した。
* * *
次は珍しくディオンの方から誘いがあった。リゼットはようやく少しでも役に立てたことを褒めてくれるだろうと、胸を弾ませながらベルティエ男爵家に言った。
応接室に通されるなり、ディオンが急いでやってきた。
リゼットはようディオンから「そんなにやりたいなら、仕事を好きなだけやればいい」と仕事を押し付けられることを期待して明るい顔になった。
うん、大間違いだった。
「リゼット、君は散々私の心を踏みにじった。この屈辱は耐え難いものだ。よって婚約を破棄する」
リゼットは驚愕した。
これからディオンの仕事をあれも、これもできると思っていた。
『ディオン様のお使いですわ』なんていいながらも、堂々とベルティエ男爵家の書庫に入ろうと思っていたのに、残念。
廊下を歩く誰かの足音が大きくなる。
誰かが近づいてくると分かった頃にはベルティエ男爵が顔を出した。
「この馬鹿息子、お前は廃嫡だ」
「おお、お父様何を仰るのですか? 私が廃嫡なんてたちの悪い冗談ですよね?」
ディオンは震える声を出しながら男爵に近づく。
「仕事もろくにできないと思ったら、代わりにやってくれたリゼット嬢を非難し、自分で出来なかった部分を聞こうとしなかった。こんな成長の見込めない息子にはがっかりしている」
「お父様」
「それにだな、お前が家のお金を勝手に使い込みあろうことかリゼット嬢ではない者に宝飾を送り続けているだろう。私は本当に驚いたよ。こんな息子は外には出せん」
ディオンの顔がさっと青ざめた。
(あらら、ディオンは私と修羅場かと思ったら、もっと大変なことになったわ)
リゼットは少し他人事のように呑気に考えていると、急に男爵がこちらを向いた。
「リゼット嬢、この件については大変申し訳なかった」
リゼットが口を開くも、男爵の背中を掴んで会話の邪魔をしてくるディオン。
「お父様、話を聞いてください!」
「ディオン、お前の行くところはこれから決める。部屋で待っていなさい」
喚くディオンを両脇から使用人が腕を取った。
ディオンはそのままひきづられるように廊下に出ていく。
「お父様、どうか、話を聞いてください」
ディオンがいなくなるのを確認すると男爵はリゼットの方に向き直った。
「ディオンは使い込んだ金額分の対価として、強制労働に送ろうと思う」
あぁ、多分ディオンは一生戻ってこられないんだろうなと、リゼットは思った。
「はい⋯⋯」
それにしても、リゼットは思わぬ出来事で婚約者を失った。ディオンのことはどちらでもよかったのだが、婚約を破棄されると女性側は途端に次の縁談が難しくなる。
リゼットはその事を既に考え始めていた。
書類仕事に関しては、厳しい家だったのでその日の課題を終えないと寝れなかったし、他の令嬢より勉強はさせられた。
マナーの授業も苦手だったけど、目に涙をためながら努力した。
それでも苦手だったのが、令息との歓談。
情報として貴族の名前や関係は覚えたが、流行や学園事情については疎い部分も多い。
興味深い様子で話し続けるのは、リゼットにとって、あまりやりたくないことだった。
(図々しいかもしれないけど、男爵様に誰かご紹介をお願いした方がいいかもしれないわね)
リゼットは顔を上げると、男爵と目が合った。
「実は、ディオンには兄がいてな、アルベールというのだ。歳は三つ上」
お互いが良ければ気を見計らって縁談を始めるという提案だった。
「リゼット嬢、本音をいうと君をこの男爵家に迎えたいのだよ。君の書いてくれた仕事は素晴らしかった」
ディオンと話すのの百分の一くらいしか男爵と話したことがなかったのに、よっぽど理解を示してくれる男爵に好意を感じた。
(ディオン様より酷くなければ、私はここにいたいなぁ)
その後、リゼットはその話を両親へ持ち帰り、ディオンの兄と会うことにした。
* * *
「リゼット嬢、アルベールと申します」
ディオンからは想像ができないほど物腰が柔らかく優しそうな顔をしている青年だった。
男爵からは「良くも悪くも仕事に関して、アルベールは普通だ」と聞いていた。だが、男爵から説明されるアルベールの人となりに、男爵のアルベールに対する愛情を感じた。
(アルベール様は素晴らしい人ですわ)
アルベールはリゼットをありのまま受け入れてくれた。仕事ぶりも褒めてくれるし、歯の浮くようなことは言わない。
だが、本心はちゃんと伝えてくれる。
そんな青年だった。
(仕事も分けてくれる上に、いつも褒めてくださるんですから)
リゼットとアルベールはタイミングを見計らって、婚約した。
しばらくすると結婚した。
そんなある日、アルベールが「お母様の屋敷の取り仕切りの一部をリゼットに引き継いでもいいのではないか」と打診した。
アルベールの母は新たなティールームの経営をしたがっていたので、快諾した。
リゼットはとても嬉しかった。
ついでに書庫室の鍵をもらった時、リゼットは嬉しさのあまり握りしめたまま、一夜を明かしたのだった。
「私は仕事ができる人ではありません。だからリゼットに協力してほしい」
アルベールは男爵から一部の仕事を任されると、必ずリゼットに報告し仕事を分けた。
そして仕事でも社交場でも常にリゼットを隣に呼んだ。
仕事の意見も社交場の挨拶も積極的にやってほしいとアルベールから言われていたが、リゼットはアルベールを立てたかった。
こんなふうに言ってくれるアルベールに感謝の気持ちを伝えたい。
リゼットはずっとそう思っていた。
アルベールは自分が請け負った仕事についてもリゼットに意見を聞くし、男爵にも聞いた。
アルベールは自分の意見と他の意見を擦り合わせていく。そうやってすべてを巻き込んで、取り込んでいくのだ。
リゼットはアルベールが仕事をできないとは少しも思っていなかった。
むしろこんなに柔軟にやっていけることは稀有な存在だと思っている。
だからこそリゼットはアルベールを支えたいと思っているのだ。
それでも一つだけ、リゼットは気になっていた。
これは⋯⋯白い結婚というものなのだろうか。世継ぎはいらないのかもしれないが、それ以前にアルベールからそういった話もない。
熱い視線も、触れ合いもなかった。
リゼットはアルベールのことが好きだったし、すべてを受け入れる気持ちで過ごしていた。
リゼットは少し考えた。
(そうだ、直接聞いてみましょう)
* * *
ある夜、廊下でアルベールの声がした気がして、リゼットは部屋を出た。
アルベールの部屋の扉が少し開いており、誰かと話していた。
「だから、これはリゼットには絶対に言えないことなんだ」
絶対と言われれば是が非でも聴きたくなる。ドアの近くの壁に張り付いて息を潜めるリゼット。
(なんのことかしら? 私には絶対に言えないことなんて)
アルベールの執事の声がする。
「アルベール様の性格はリゼット様もよくお知りになっております。正直に打ち明けたらどうです?」
リゼットは不安なのか心臓の音がうるさく聞こえた。
「彼女に一夜を共にしないかとでも聞くのかい?」
(一夜を共にって、同じベットで身体で愛を伝えるってことよね!? きゃーアルベール様ってば大胆ですの。って私は盗み聞きしていたんだったわ。心臓が保たないわ。こんな話直接なんて絶対できない。うん、急いで戻りましょう)
リゼットは踵を返そうとしたが、足がもつれる。
「ふぎゃっ」
悲しいリゼットの声が廊下に小さく響いた。
アルベールとアルベールの執事か慌てて部屋から出てきた。
廊下に転んだリゼットは慌てて身体を起こした。燃え上がりそうなほど顔が熱く感じる。
でも鏡を見ているかのように同じくらい顔が赤いアルベール。
「リ、リゼット⋯⋯今の聞いていたのかい?」
「はい⋯⋯」
「なんだお二人とも解決ですね。さ、部屋に入って入って」
「!?」
あれよという間にアルベールと同じ部屋に押し込まれたリゼット。
ぎこちない動きでベッドに正座するリゼット。
カチコチに固まったアルベールが時間をかけて、ようやくリゼットの隣にたどり着いた。
「リゼット、一夜を共にしませんか?」
「はい」
その晩、リゼットの変な声が聞こえてきた。その後、二人の笑い声が聞こえてきたのだった。
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