殿下が浮気をしたらしい
王立学園のテラス。そこで聞こえてきた会話に、私は自分の耳を疑った。
「昨日、浮気がバレてしまってね」
(! テレンス殿下のお声……!?)
そんな訳ないと思いつつ、声の方を見ると。
紛うことなきこの国の第一王子テレンス・ウェルバ殿下が、ご級友の令息グイド様と話してらっしゃる。
(今なんて!? 浮気? 我が国が誇る、品行方正な王子殿下が?)
はしたないとわかっていつつ、続きを聞かずにいられない。
なおも殿下はお続けになる。
「そしたらもう、僕のレディが怒る、怒る。噛まれるは引っかかれるわ、散々だったよ」
溜息まじりに負傷した手をお見せになっている殿下。
その逞しい両腕には、痛々しくも包帯が巻かれている。
(嘘でしょう?)
殿下のご婚約者シルヴィナ様は、筆頭公爵家のご令嬢。国一番の淑女で、暴れる姿なんて想像もつかない。
他の生徒も同じく信じられなかったのだろう。
目を丸くして、おふたりの会話に聞き耳を立てている。
けれどグイド様が驚きもせずに苦笑してらっしゃるあたり、こういった事態は初めてじゃないのかも知れない。
「ドジだなぁ。そういうのは上手くやらなきゃ。なんでバレたわけ?」
砕けた口調も学園内では許されている。
特にグイド様は、殿下の幼馴染だし。
「──おそらく匂いだと思う。多分今日もまだ、拗ねてる」
殿下も気安く応じられる。
でも内容が酷い!
(ショック。おふたりに憧れてたのに)
誠実だと思っていた貴公子たちの会話に、裏切られた思いで気持ちが沈む。
それなのに。
続く言葉でますます心を抉られた。
「昨日お前が行ったのは……、シルヴィナ嬢の邸宅だよな? じゃあ浮気相手って公爵家の?」
「ああ」
(えっ、えっ、待って! シルヴィナ様のお家で浮気なさったの?)
なら殿下の浮気相手は婚約者のご姉妹か、使用人ということになる。
それが本当なら、シルヴィナ様の立つ瀬がない。
取り乱されても納得の、重大事件だ。
(そういえば以前噂で、テレンス殿下はシルヴィナ様の妹君に気があると聞いた気がする。まさかと笑って終わってたけど、最近また、実しやかに流れ出してた話。もしかして本当に、そんな複雑な関係になってるの?)
私だけでなく、他の生徒たちも言葉もなく互いに顔を見合って呆然とする。
シルヴィナ様の妹君は、正確にはお従妹に当たられる。
公爵閣下が事故で亡くなった弟の遺児を引き取り、シルヴィナ様の妹君として養育されているとか。
その少女は健気で弁えた人柄らしく。
そんな方ならテレンス殿下が目を掛けられても不思議はないけれど……。
(でも不審な点も多いのよね。"シルヴィナ様にきつく当たられて、泣き暮らしている"とも聞くけれど、シルヴィナ様は人格者だし、妹君は見かけるたび豪華なドレスで派手やかに着飾っておられる。とても肩身狭く、辛い境遇にいるとは思えない)
だからこそ多少の噂が流れても、私は懐疑的な気持ちで向き合えた。
ただ生徒の中には本気にしてる者もチラホラいる。なにせ妹君は庇護欲そそる美少女で、取り巻きも多く、声も主語も大きめだ。
私が思案している間にも、テレンス殿下とグイド様の会話は進んでいく。
「で、贈り物作戦か。有効かなぁ」
「効いて欲しい」
「切実そうだな。ま、コレに懲りたら浮気なんて止めるんだな」
(うん、うん。でもその前にまず必要なのは、誠心誠意の謝罪では)
殿下とシルヴィナ様の仲が破綻すると、国が二分される恐れがある。何といっても筆頭公爵家の力は絶大で、王家に匹敵する影響力を持っている。
下手に怒りを買うと、第一王子といえど廃嫡の憂き目に遭ってしまうのでは。
そしたら今度は後継者問題を引き起こし……。
(あわわわ。国の平和は殿下にかかってるわ)
可愛くラッピングされた品を、殿下が取り出している。贈り物だろう。
小さめで不規則な形状、中はお菓子かも知れない。
食べ物で、公爵令嬢の機嫌が直るものなのか。
いや無理なのでは。
いつも卒がないテレンス殿下とは思えない対応策。
緊迫した空気でもって、テラス中が青ざめていると。
「お二方、こんなところで誤解を生む会話をなさらないで」
軽やかなヒールの音とともにスカートを翻し、長い金の髪が通り過ぎた。
(シルヴィナ様──!!)
渦中のご令嬢の登場に、周りは一斉に息を呑む。もしや今から修羅場展開?
しかし平然と悠然と、シルヴィナ様が微笑んだ。
「あと、殿下の"レディ"はダイエット中と伺ってましてよ?」
「っつ、そうだけども!」
どういうこと?
殿下のレディって、シルヴィナ様のことじゃないの?
浮気相手のわけないし。
疑問符飛び交うテラスの中央で、殿下はじめ美男美女が揃う。
相変わらず優美な公爵令嬢は、とても噛んだり引っ搔いたりなんて大立ち回りはしそうに見えない。
さっと立ったグイド様が椅子を引き、シルヴィナ様が軽くお礼を言われて席に着くと。
頭を抱えた殿下が、シルヴィナ様に苦悩を投げた。
「おやつで機嫌を取らないと、今朝なんて踏みつけにされたんだ。いつもなら喉を鳴らして寄ってくるのに」
(ん?)
「まあ。でも仕方ありませんわね。うちの子をあれだけ撫で倒されていては、匂いも毛もさんざんつけてのご帰宅でしたでしょうから」
クスクスと和やかに、シルヴィナ様が笑う。
(もしかして)
グイド様が殿下に言った。
「猫はわかるからな。まあ良かったじゃないか。お前んちの猫、ヨソの猫にやきもち焼くぐらい、お前にゾッコンってわけだ」
(猫ぉ?)
「うちなんて俺のヒエラルキー低すぎで、家族には懐いてるのに俺には塩だよ」
グイド様が大げさに溜息をつく横で。
一斉に。
テラスで聞き耳立ててた全生徒が、安堵の息を吐きだした。
"殿下のレディ"とは、殿下の飼い猫で。
腹を立てて暴れたのは殿下の猫。
そして殿下の浮気相手は、公爵家の猫だと判った。
(そっかぁ。猫は浮気に敏感だものね。鼻が良いから、別の猫を愛でたらすぐバレちゃう)
我が伯爵家の飼い猫も、気難しい性質だからすごく理解る。
(でも、だから、つまり)
テレンス殿下は足繁くシルヴィナ様のお家に遊びに行くぐらい、婚約は良好ということで。
(あああああ、良かったぁぁぁぁぁ)
今日も殿下とシルヴィナ様が麗しい。一緒に談笑してるお姿は、眩しい通り越して神々しい。
我が国は明日も平穏で、私も男性不審にならずに済んだとホッとした。
後日、グイド様から猫の扱い方を請われる関係になるとは想像もせずに。
*
*
*
「皆に聞かせる話は、あんな感じで良かったかな? シルヴィナ」
「はい。お手数をお掛けいたしました、テレンス殿下。グイド様にもご協力有難うございます」
「何の。未来の妃殿下のお役に立てたなら、俺も幸甚です」
「ふふっ、未来の宰相閣下にお味方いただけて、わたくしも心強うございます」
放課後の生徒会室では、昼のテラスで集った三人が、再び顔を合わせていた。
「だけど大変ですね、シルヴィナ嬢。妹君におかしな噂ばかり流されて」
現宰相を務める侯爵家の嫡男、グイドが言う。
「ええ。今回は特に腸が煮えくり返りそうになりましたわ。テレンス殿下が公爵邸を訪れるたび浮気をしているだなんて、根も葉もない嘘を流し始めて」
バキ、とシルヴィナの手の中で扇子が悲鳴をあげた。
「だから先回りして、殿下の浮気相手は猫だと周知したわけですね」
グイドがしたり顔で頷く。
「はい。思わせぶりにその浮気相手とは自分だ、と広めたかったあの娘にとってはアテが外れたことでしょう」
余計な波紋を広げないために。
各貴族家に流れ出る前に。
学園での噂は学園内で上書きしておく。
単に否定してもインパクトが弱いし、疑いが残る。なので説得力ある話題にすり替えると、早速、動物好きが触れ回っていた。
微笑ましいニュースとして、明日には浸透していることだろう。
「今回の件、ついに父も従妹を見限ったようです」
シルヴィナが扇子の残骸を、冷めた目でくずかごに落とす。
「婚約関係に波風を立て、婚約者交代を狙う行き過ぎた行い、さすがに目に余ると。従妹は近々、他国に嫁がされるはず。これでわたくしは不毛な噂から解放され、あの娘が殿下に付き纏うこともなくなりますわ」
「うん。きみの従妹はこれまでも随分好き放題をしていたからね。きみの名誉を何度も傷つけて。これ以上は僕が自ら制裁を加えてしまうところだったよ」
「あら」
公爵は姪に同情し、可愛がっていた。
シルヴィナの"いもうと"にするほど溺愛している少女に手出ししては、王子としても心象を損ねる。未来の義父を慮り、テレンスは我慢していた。
だがいよいよ決着がついたらしい。
これからは新しいことに目を向けて進むことが出来る。
テレンスが楽しそうに目を細めた。
「ところでグイド。テラスにいた姿勢の良いご令嬢。彼女がきみの意中の相手だね」
「……ッ」
「僕たちの話をしっかり聞きながら、顔色ひとつ変えずに、でも最後の溜め息は愛らしかったね」
「本当に。わたくしも通りざま様子を窺いましたが、伯爵家のご令嬢としてしっかりとした教育も受けてらっしゃるご様子。グイド様にお似合いだと感じました。グイド様の恋、全力で応援しますわよ」
「茶化さないでくれ、テレンス。シルヴィナ嬢も、俺のことは良いですから、殿下と愛を育んでくださいよ」
「わたくしたちの問題は解決しましたもの。次はグイド様の番ですわ」
「そうだよ。グイドの愛猫は、彼女の家猫の仔だっけ? 出入り業者を通じて手に入れたとか。回りくどい話題作りをしてないで、さっさと告白して来なよ」
「ま。グイド様に素っ気ない仔猫のルーツって」
「ね。呆れちゃうだろ。普段あれだけ行動派なくせに奥手でさ」
「~~! 生暖かい目を向けないでくれ! わかった! 次こそ彼女に声掛けるから!」
生徒会室の三人が四人になるのは、そう遠くない未来の話──。
お読みいただき有り難うございました!
「ヨソの猫を撫でて帰ると、自宅猫が怒る(可愛いねぇ)」という話を書きたいがためだけに起こしたお話なので、あちこち設定ゆるくて視点もマチマチですが、そこは見え隠れする猫を楽しんでください(笑)
ネタバレになるのでタグに「猫」と書けないジレンマ。
それはそうと主人公、名前出てないです。今回はラテン語からの名づけなので、今後名前を付ける時が来れば忘れないよう後書きしておかなくては。メモメモφ(•ᴗ•๑)
■主人公。「私」。伯爵令嬢。猫を飼っている。
■テレンス・ウェルバ。「僕」。第一王子。飼い猫を"レディ"と呼んでいる。
■シルヴィナ。「わたくし」。公爵令嬢。テレンスの婚約者。"いもうと"として、従妹が同居中。
■グイド。「俺」。侯爵令息。宰相の息子。猫を飼っている(主人公の家猫の仔らしい。猫はグイドに塩対応)
ジャンルはちょっと迷い中です。「恋愛」だと弱いけど、「ヒューマン」ほどではないし、「ファンタジー」色も薄い。「その他」ジャンルもちょっと……。うーん、悩む。
シルヴィナ様、扇子を折った挙句捨てちゃうの? という感じですが、たぶんその扇子、従妹に真似されたとか何か因縁がある背景。
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