資料7(パープレ草稿)
宇宙探査局、探査部、第2探査課。
「このおおばかもんがーーーーー!」
金属と樹脂でできた執務室の壁がビリビリ震えた気がした。
課長の怒号が、ホロスクリーンの表示を揺らす。
「いったい、何をどうやったら迷えるんだ、教えてほしいぐらいだ! そもそも探査船だぞ?! 航宙図チャートAIも最新モデル、逆に迷うほうが難しいだろうが!」
デスクに投影された航路記録は、きれいな弧線を描くはずの定期巡回ルートから、信じられないほど外れてぐにゃぐにゃしている。
「ほんと、なんで? なんで迷う?! どこでどう曲がったら、こうなるんだ?!」
課長はホロスクリーンを指さして、ほとんど悲鳴のような声を上げる。
「定期巡回だぞ? 初めて行くルートじゃないんだ! 毎月行ってるコースだ!」
「昨日今日パイロットになったわけじゃないだろ!!」
「……すみませんでした……」
ひたすら謝り続けるイワン。
がっしりした体格に似合わない、情けなく丸まった背中。
何度も頭を下げすぎて、短い前髪がぺたんと額に張りついている。
怒りと呆れミックスの課長は、こめかみを押さえながら、深いため息を吐いた。
「お前なあ……ほんと……なんなんだよ……」
その「なんなんだよ」は、半分は怒り、半分は心底の困惑だった。
「……次はないと思え。いや、何回目かもう数えてないが、とにかくだ。
いいか、イワン。迷うな。頼むから迷うな。定期巡回で新航路とかいらんの。フツーに回ってこい」
「……はい……気をつけます……」
しょぼくれながら船のドックに向かうイワン。
背後で、課長がまた「胃が……」とつぶやく声が聞こえた気がした。
***
第2探査課専用ドック。
巨大なシャッターの向こうに、自分の船〈カモメ2号〉が静かに浮かんでいる。
船腹にマグネットブーツで張り付いて、パネルを開けている整備士の姿があった。
自分の船を点検してくれているエンジニア、カーチャだ。
「おー、死にかけパイロット、ご帰還」
からかうような声とともに、作業灯の光の向こうから顔が覗く。
「死にかけてねえよ……ほんとすみませんでした……」
「謝る相手はうちじゃなくて、さっきの雷おやじだろ」
カーチャは笑いながら、工具をパネル内に差し込んでトルクを確認する。
オイルの匂いと、冷却材の金属っぽい匂いが混ざった、ドック独特の空気。
「まあ、気にすんなよ」
カーチャはパネルをぱたんと閉じ、マグネットブーツのロックを外して軽やかに床へ降り立つ。
「無事に帰ってこれてよかったじゃん。変な宙域に迷い込んじゃったのは災難だったけどさ、逆に、最短ルート発見できたじゃん?」
にやりと笑いながら、手元の端末をイワンに見せる。
そこには、既存ルートの三ヶ月コースと、イワンが通ってきた「一週間コース」が重ねて表示されている。見れば見るほどおかしい。
「課長もさ、立場的に褒めるわけにはいかないけど、内心は『でかした!』って思ってるよ。じゃなきゃ上からの呼び出しであんなにドヤれないよ」
イワンは苦笑する余裕もなく、視線を落とした。
「でも、ミッションとしては失敗だよ」
イワンの声は小さい。
「定期巡回だって、大事な仕事だからさ。
結果的に発見だったけど、さ」
握った拳が、ついと震える。
「重力波に巻き込まれる可能性だってあったわけだしさ。
ブラックホールのネストとか、普通近づかないだろ。あれ、ほんとにたまたま抜けられただけだ。怒られるのも当然なんだ」
しょぼくれるイワン。
その肩を、カーチャが軽く小突く。
「まあまあ。生きて帰ってきて、そのうえ最短ルートまで見つけたんだ。
あたしのメンテは完璧って証明にもなったしね」
ニッと笑うカーチャに、イワンも少しだけ口元を緩める。
「とりあえず、飲みに行こうぜ」
カーチャは工具を腰のホルダーに放り込みながら言う。
「いつものカモメ亭で先にやっててよ。後片付けしてから行くよ。
どうせ今日は説教延長はないだろ、課長も胃が限界の顔してたし」
「……うん。じゃあ、席取っとく」
イワンは、少しだけ救われたような顔でうなずき、ドックを後にする。
イワンが立ち去ってから、カーチャはふうっと長い息を吐いた。
さっきまでの明るい笑顔とは違う、複雑な表情で苦笑する。
船の後部に回り込み、外装の小さなカバーを外す。
中から、手のひらサイズの黒いユニット――追跡記録装置を取り出す。
「……難儀な男だねえ」
掌の上の装置を見つめて、意味ありげにため息をつく。
***
そこへ、ブーツの音がドックに響いた。
「やあ、カーチャ。イワンがまたやらかしたって」
エリートパイロット、エリックが訪れる。
第1探査課の白いフライトスーツは、どこか眩しい。
「ああ、今度は最短ルートの発見だよ」
カーチャは肩をすくめる。
「あのブラックホールを回避できるなんて奇跡だ。
あそこ、航路図では“行くな”って赤太字ついてるとこだよ?」
エリックはホロ表示された宙域図に目をやり、口笛を吹いた。
「なんで定期巡回でそんなとこ辿り着けるんだろうな」
その声には、半分呆れ、半分本気の疑問が混じっている。
カーチャも、端末を見ながら首をひねる。
「前回はなんだっけ、単純な物資輸送ミッションで、高純度のレア鉱脈を発見したんだっけ?」
「うん。それもさ――」
エリックは苦笑交じりに続ける。
「しかもポジション的に、造船ドックが計画されてる小惑星のすぐ近くでさ。
必要な資源が全部揃ってて、施工部とか資材課が小躍りしてた。『予算が浮いた!』ってさ」
「でも、イワンは怒られたんだろ。しゃーないけどさ」
「全然関係ない宙域だからなあ」
エリックは肩を竦める。
「本来の輸送ミッション、間に合わなくて、俺がフォローに行ったんだよ。
“お前、第1のくせに便利屋か”って管制に言われた」
ふたりで苦笑が漏れる。
エリックの視線が、カーチャの持つ追跡記録装置に落ちる。
その目が、一瞬だけ悔しそうに細くなった。
そして、あーあ、と降参するように両手を広げた。
「その前は、ビーコン消失して行方不明になってた民間船の発見。
乗組員も乗客も全員無事、っていう奇跡の生還」
「……あー、それか」
カーチャの記憶にも、ニュース速報のホロがよみがえる。
「ん? 他にもあったろ、それ」
「そう」
エリックは指を折りながら思い出す。
「別の民間船の、非常脱出シャトルが大量に消えちゃった事件。
宇宙ゴミの集積場を見つけちゃってさ、きれーに無傷で滞留してんの。
“回収不能”って諦められてたやつが、ぜんぶそろってた。大手柄だよ、どれも」
カーチャは口角を上げる。
「おやおや、第1のパイロットさんがジェラシーかい?」
探査局の第1探査課は未知の宙域を探査するエリート部署。
第2探査課は開発中の宙域の巡回ミッションメインの便利屋部署。
その第2のパイロット、イワンが次々に大発見を成している。
「ジェラっても無理ないだろ」
エリックは苦い笑いを浮かべた。
「なんなんだよ、アイツ。
今回の最短ルートなんてさ、あの宙域、ネストと磁気嵐で最悪でさ、まさか通れるなんて誰も思ってねえよ」
ホロ上に立体表示された宙域は、ブラックホールの巣と、磁気嵐の帯が何層にも重なっていた。
「なのに、あんな器用にくねくね抜けて、最短ルート!
通常なら3ヶ月かかるところを、いいとこ一週間だぜ。どうなってんだよ」
エリックは頭をかきむしる。
「ジェラシーくらいするわ。
探査パイロットなら、誰だっていつか“大発見”ってやつをしてみたいさ」
カーチャが肩をすくめる。
「まあ、イワンにはイワンの言い分があるのさ」
「普通にミッションをこなしたい、ってさ」
エリックは、すぐに「わかる」とうなずく。
「わかる。わかるけど、悔しい」
「まあまあ、わかるよ、わかるさ」
カーチャは苦笑しながらも、手の中の追跡記録装置を見やる。
「でもさ、わかってて、言えないあたしもそれなりにジレンマなんだぜ」
指先で装置を軽く弾く。
「イワンに黙って、こんなのつけたりしてさ。上層部からの命令とはいえ、後ろめたいよね。イワンの安全を守るためでもあるんだけどさ」
ふっと、真顔になる。
「ホントに、まったくどうなってんだかな。まだ解析されないらしいよ」
「航路分析課が発狂しそうになってる」
エリックがため息まじりに言う。
「“確率論を返せ!”って叫んでたって噂だぞ。
全部データ突っ込んでも、再現性ゼロなんだとさ」
「それいったら、造船部のAI開発課も相当だぜ」
カーチャも苦い笑みを浮かべる。
「イワンの“迷子”がどうしても演算できないらしい。
チャートAIが、“意味不明な航路です”ってキレたってさ」
「宇宙で迷子とか」
エリックは空を仰ぐ。
「冗談かと思うよね、宇宙で方向音痴」
「しかも、迷った先で、高確率にお宝見つけるとかさ」
ふたりで、同時に叫ぶ。
「「ほんとなんなの、あいつ!?」」
***
同じころ、第2探査課の課長室。
冒頭でイワンを怒鳴りつけていた人物――中年で、薄くなりつつある頭髪をさする手が、いかにも疲れている。
「ほんと何なのアイツ」
課長は胸元をさすりながら、胃薬を一錠、口に放り込む。
透明パックの残量がかなり心許ない。
「1回なら偶然ですむ。2回でも幸運、なんとかこじつけられる」
ホログラムの報告書が宙に浮いている。
〈レア鉱脈発見〉〈行方不明船救助〉〈脱出シャトル大量発見〉〈新規最短航路〉――どれも横に「予定ミッション:未達成」と赤く点滅している。
「3回、4回、と発見を繰り返す。しかも本来ミッションをありえない理由“方向音痴”でロストして、迷いまくりの結果としての大発見」
課長は椅子にもたれ、天井を仰ぐ。
「それなら最初から探査ミッションを課してみれば……」
虚空に向かって呟く。
「フツーに失敗して戻ってくる。
きっちり予定ルート通って、“特に何も”なし。ダミー任務を与えても成果ゼロ」
机の端に積まれた書類には、「イワン搭乗ミッション調整報告」「他課からの苦情一覧」といった物騒なタイトルが並んでいる。
航路分析課はお手上げ状態。
あらゆるパターン解析を試した後、「もうオカルトでいいんじゃないですかね」と、禁句に手を伸ばし始めている。
なぜか畑違いの医療センター、メンタルヘルス科が、定例会議の雑談でポロッとこぼした一言がある。
「方向音痴じゃないですかねえ」
その投げやりな一言が、いまのところもっとも正解に近いらしい、というあたりが、なおのこと頭痛のタネだ。
「フツーに仕事してほしい」
課長は切実にぼやく。
「フツーに行って、フツーに回って、フツーに帰ってきてくれ。
宇宙の神様、お願いだから、うちの部下を“普通”にしてくれ……」
胃のあたりをさすりながら、また胃薬に手を伸ばした。
***
その頃。
「カモメ亭」のネオンサインが、宙港の片隅で柔らかく瞬いている。
安い酒と、油多めのフライが売りの、探査局ご用達の飲み屋だ。
隅のテーブルで、イワンがグラスを空けてはため息をついていた。
「なんなの、俺って」
手元のハイボールはもう氷しか残っていない。
テーブルに投影されたニュースホロには、今日のイワンの「発見」が、さらっと一行で流れている。
〈第2探査課、定期巡回中に新規短距離ルート候補を発見〉
パイロット名は伏せられている。それが、妙に堪えた。
ドアが開く音。
連れ立って現れるカーチャとエリック。
「いたいた。暗い顔の迷子発見」
「まあまあ、くよくよすんなって」
カーチャが、どさっとイワンの隣に腰を下ろす。
エリックは対面に座り、店員に指で合図する。
「ここの唐揚げと、ポテトと、あと腹に溜まるやつ適当に。ビール三つな」
注文を終えてから、エリックはイワンに向き直る。
「地道にがんばってればさ、そのうち、報われるよ」
その言葉は慰めの常套句のはずなのに、妙な説得力がある。
成功率ほぼ100%の男が言うと、重みが違う。
「エリックはすごいよな」
イワンがぽつりと言う。
「優秀で、ミッション成功率100に近い。
新星域の初踏破だって何回もやってる」
「仕事だからな」
エリックは肩をすくめるが、否定はしない。
「カーチャもミッションの役に立ててる。
船の整備も、AIのチューニングも、いつも完璧だ」
「そりゃあたしのほうが先輩だしね」
カーチャはわざと偉そうに胸を張る。
「それに比べて、俺って何なの」
イワンの声に、どうしようもない自嘲がにじむ。
「任された仕事は、ちゃんとやりたいのに。
やることやって、普通に帰ってきたいだけなのに。
なんで、いつも……」
言葉が続かない。
テーブルの上のコースターを、指先でぐるぐる回す。
少し離れたカウンター席では、第2探査課の課長がひっそりと一人酒をやっていた。
グラスを口に運びながら、チラリとイワンたちのテーブルに目をやる。
(ほんと、なんなのアイツ)
カーチャ、エリック、課長、全員が、内心で同じことを思っていた。
「ほんと、なんなのコイツ!?」
誰も口には出さない。
ただそれぞれの立場で、グラスを傾ける。
カウンターの上のテレビが、音を消したままニュースを流している。
〈第2探査課、またもや偶然の大発見〉のテロップが、静かにスクロールしていた。
(終)




