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資料5(クロ草稿)

# 方向音痴


 宇宙探査局、探査部、第2探査課。

 今日も課長の怒号が廊下まで響いていた。

「このおおばかもんがーーーーー!!」

 怒鳴られているのはイワン・ペトロフ、27歳。第2探査課所属、パイロット歴6年。決して新米ではない。むしろ、それなりのキャリアを積んだ中堅だ。

 それなのに。

「いったい、何をどうやったら迷えるんだ! 教えてほしいぐらいだ! そもそも探査船だぞ? 航宙図チャートAIも最新モデル、逆に迷うほうが難しいだろうが!」

 課長、ヴァシリー・ドミトリエフ54歳は、机を叩く寸前のところで何とか踏みとどまり、代わりに両手を天に向けてぶんと振り上げた。長年の激務で削れた白髪頭が、いつもより激しく揺れている。

「なんで迷う?! ほんとに、なんで迷う?! 定期巡回だぞ? 初めて行くルートじゃないんだ! おまえ、昨日今日パイロットになったわけじゃないだろ!!」

「……申し訳ありません」

 イワンは直立不動のまま、ひたすら頭を下げ続けた。背が高いぶん、深々と折り曲げた姿勢がよけいに哀れを誘う。言い訳は、ない。というか、できない。なぜ迷ったのか、本人が一番わかっていないのだから。

 課長は大きくため息をついた。怒鳴り疲れた、という感じの、重い息だ。

「……行け。もう行け」

「はい。失礼します」

 イワンは静かに踵を返した。扉が閉まる直前、背後で「ほんと何なんだ、あいつは……」という呟きが聞こえた気がしたが、振り返らなかった。

---


 船のドックは、局舎の端にある。長い廊下をしょぼくれながら歩いていると、自然と足が遅くなった。

 自分の探査船、〈ペレグリン3〉が見えてくる。こぢんまりとした中型船で、船体のあちこちに細かい傷がある。それでも、イワンにとっては相棒と呼んでいい存在だ。

 その相棒の腹の下に潜り込んで、何やら工具を振り回している人影があった。

「カーチャ」

「おう、イワン」

 エンジニアのカーチャ・ノヴィコワは、狭い作業スペースから器用に這い出してきた。油で黒ずんだ手をウエスで拭いながら、イワンの顔を見て、ちょっと眉を上げる。

「そんなツラしてると、ますます怒られるぞ」

「もう怒られた後だよ」

「だろうな」

 カーチャは笑いながら、隣の作業台に腰を下ろした。工具を並べ直す手を動かしながら、さらっと言う。

「まあ、気にすんなよ」

「気にしてないわけにはいかないよ」

「そりゃそうだけどさ。とりあえず、無事に帰ってこれてよかったじゃないか。あの宙域、ネストと磁気嵐がひどかったんだろ。それで無傷なんだから」

「それは……まあ」

「変な宙域に迷い込んじゃったのは災難だったけどさ。逆に言えば、誰も知らなかった最短ルートを発見できたじゃないか。あのブラックホール、みんな回避ルートが長すぎて頭抱えてたんだぞ。通常3ヶ月のところを、なんだ、一週間以下だって?」

「結果的にはそうだけど」

「結果的には、十分すごいよ」

「でも、ミッションとしては失敗だよ」イワンは作業台の縁を指先でなぞった。「定期巡回って、地味に見えるけど、大事な仕事なんだ。誰かがちゃんとやらないといけない。重力波に巻き込まれる可能性だって、本当はあったわけだし。怒られるのも当然なんだ」

「……おまえ、ほんとに真面目だな」

「真面目なのに、ああなるんだよ」

 それが一番こたえているんだ、とでも言いたげな顔で、イワンはため息をついた。カーチャは一瞬、何か言いかけて、やめた。

「とりあえず、今夜は飲みに行こうぜ。カモメ亭で先にやっててよ。後片付けしてから行くから」

「……うん。そうする」

 イワンが立ち去っていく背中を、カーチャはしばらく黙って見送った。

 それから、船の後部パネルに手を伸ばす。慣れた手つきでカバーを外し、奥に固定された小さな機器を取り出した。追跡記録装置。親指ほどの大きさの、地味な機械。

「難儀な男だねえ」

 誰に言うでもなく、カーチャは苦笑した。


---

「やあ、カーチャ。イワンがまたやらかしたって」

 聞こえてきた声に振り返ると、エリック・ハンセンが立っていた。第1探査課のエースパイロット。顔立ちも成績も整っていて、局内での評判は押しも押されもしない。

「ああ」カーチャは追跡記録装置を手の中で転がした。「今度は最短ルートの発見だよ。あのブラックホール回避ルート。まさかあそこを通れるなんて、誰も思ってなかった」

「なんで定期巡回でそんなとこ辿り着けるんだろうな」

「ほんとそれ」

 エリックはドックに入ってきながら、〈ペレグリン3〉を一瞥した。

「前回はなんだっけ。単純な物資輸送ミッションで、高純度のレア鉱脈を発見したんだっけ?」

「そう」カーチャが頷く。「しかもポジション的に、造船ドックが計画されてる小惑星のすぐ近くで。必要な資源が全部揃ってるって、施工部と資材課が小躍りしてた」

「でも、イワンは怒られたんだろ」

「しゃーないけどな。全然関係ない宙域だったから」

「本来の輸送ミッション、間に合わなかったから俺がフォローに行ったんだよ」

 エリックが苦笑する。その目が、カーチャの手元の追跡記録装置に止まった。一瞬、悔しげに眉をひそめる。それから、やれやれ、とでも言うように両手を軽く広げた。降参、のポーズ。

「その前は、ビーコン消失して行方不明になってた民間船の発見だ。乗組員も乗客も全員無事、っていう」

「あーそれか。あと別の件もあったろ、似たようなの」

「そう。民間船の非常脱出シャトルが大量に消えちゃった事件。宇宙ゴミの集積場を見つけちゃってさ、きれーに無傷で滞留してんの。全部イワンが見つけた」

「大手柄ばっかりだよ、どれも」

 エリックは腕を組んだ。

「ジェラしても無理ないだろ、これだけ続いたら。なんなんだよ、アイツ。今回の最短ルートなんてさ、あの宙域、ネストと磁気嵐で最悪の悪名高いエリアで、まさか通れるなんて誰も思ってねえよ。なのにあんな器用にくねくね抜けて、最短ルート発見。通常3ヶ月のところを一週間以下。どうなってんだよ。本当に、どうなってんだ」

 言葉の端に、純粋な羨望がにじんでいた。探査パイロットなら誰だって、いつか大発見をしてみたい。それがエリートである自分より、方向音痴で怒られっぱなしのイワンに何度も何度も転がり込んでくるというのは。

 カーチャが肩をすくめた。

「まあ、イワンにはイワンの言い分があるのさ。普通にミッションをこなしたい、ってさ」

「……わかる」エリックは言った。「けど悔しい」

「わかるよ、わかる」

 カーチャは手の中の追跡記録装置に目を落とした。

「でもさ。わかってて、言えないあたしも、それなりにジレンマなんだぜ。イワンに黙って、こんなのつけたりしてさ」小さな機器を軽く持ち上げて見せる。「上層部からの命令とはいえ、後ろめたいよ。イワンの安全を守るためでもあるんだけど……ほんとに、まったくどうなってんだかな。まだ解析されないらしいよ、あいつのログ」

「航路分析課が発狂しそうになってるって聞いた」

「それ言ったら、造船部のAI開発課も相当だぜ。イワンの"迷子"がどうしても演算できないらしくて、主任が三回胃薬飲んでた」

「……宇宙で迷子ってな」

「冗談かと思うよな、普通」

「しかも、迷った先で高確率にお宝見つけるとか」

 ふたりは顔を見合わせた。

「「ほんとなんなの、あいつ!?」」


---

 同じ頃、第2探査課の課長室。

 ヴァシリー・ドミトリエフは、机の上の書類の山を眺めながら、胸元をゆっくりとさすっていた。引き出しを開け、胃薬を一錠取り出して、水もなしに飲み込む。長年の習慣だ。

「ほんと何なのアイツ」

 声に出さないとやっていられない。

「1回なら偶然でいい。2回でも、まあ、幸運ってことにできる。だが……」

 3回、4回、5回。

 本来のミッションをことごとく「方向音痴」という前代未聞の理由でロストし、迷いに迷いまくった果てに大発見。それも毎回、誰かの人生を変えるような規模の。

 試しに最初から探査ミッションを与えてみたら、普通に失敗して帰ってきた。ダミー任務を与えたら、成果ゼロだった。航路分析課はお手上げ状態。何故か畑違いの医療センター、メンタルヘルス科が「まあ……方向音痴じゃないですかねえ」と半ば投げやりに発した言葉が、いまのところもっとも正解に近いという状況だった。

 ヴァシリーは天井を仰いだ。

「フツーに仕事してほしい」

 それだけだ。本当にそれだけなのだ。怒鳴るのも疲れたし、フォローに走り回るのも疲れた。他組織から妙な問い合わせが来るたびに煙幕を張るのも疲れた。

 でも、イワン本人はもっと消耗しているのだろう、ということも、54年分の人生経験がちゃんと教えてくれる。あいつは、ただ普通にやりたいだけなんだ。それが一番よくわかっているのは、何度も怒鳴りながら、何度も顔を見てきた自分かもしれない。

 もう一度、胃薬の瓶を手に取る。

「まったく」


---

 カモメ亭のカウンター席で、イワンはグラスを両手で包んでいた。飲んでいるのかどうかよくわからない飲み方だ。

「なんなの、俺って」

 誰に言うでもなく、呟く。

 扉が開いて、カーチャとエリックが連れ立って入ってきた。

「よう」「遅れた」

 両側から挟むようにカウンターに腰を下ろして、ふたりは揃ってグラスを頼んだ。

「まあまあ、くよくよすんなって」とカーチャ。

「地道にがんばってれば、そのうち報われるよ」とエリックが続けた。自分で言っておいて、少し複雑な顔をしたが、イワンは気づかなかった。

「エリックはすごいよな」

 イワンはグラスの中を見つめながら言った。「優秀で、ミッション成功率はほぼ100パーセントで。ちゃんと努力した分が返ってくる。カーチャだって、毎回の整備でみんなの役に立ててる。それに比べて、俺って何なの。何の役に立ってんだろ、って」

 カーチャとエリックは、一瞬だけ目を合わせた。

 それぞれのグラスに口をつける。

 ふたりの胸の中で、まったく同じ言葉が渦を巻いていた。

 ——ほんと、なんなのコイツ!?

 カウンターの向こうでは、カモメ亭のマスターが黙ってグラスを磨いている。第2探査課の課長室では、ヴァシリーが三錠目の胃薬を飲もうかどうか迷っている。

 イワンだけが、何も知らないまま、グラスを傾けた。




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