明君か、暗愚かーヒトラーの大戦
歴史は、あの一瞬で変わった。
1939年、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーはポーランド侵攻を命じなかった。
ナチスは国境に軍を展開し、プロパガンダを用意していた。だが、開戦数日前、ヒトラーは静かにその命令を撤回した。
「時機尚早だ」と。
この決断により、第二次世界大戦は回避された。
国際社会は安堵しつつも、猜疑の眼差しを捨てきれなかった。
ドイツが軍備を保持し、国家主義を捨てていないのは明白だったからだ。
だが、ドイツは変わったように見えた。
軍需産業は高速鉄道、通信網、民間航空へ転用され、再建されたドイツ経済は欧州を席巻した。
ドイツ製の自動車、カメラ、薬品、工業機械が市場を埋め、失業率はゼロに近づいた。
ユダヤ人問題も「共生の道」として処理された。
社会から排除はされたが、国外退去と専門分野への限定登用で、迫害の悲劇は起きなかった。
科学者や技術者は国家プロジェクトに協力し、アインシュタインすら「ドイツに残るべきだった」と回想したという。
欧州諸国は口では非難しながら、内心ではこう思っていた。
――やはり、ドイツは必要だ。経済も、秩序も、技術も。
そして、1943年。
フランス系ポーランドのラドムで暴動が起きた。ドイツ系住民が襲撃され、保護名目でドイツが越境出兵。
連合諸国はこれを「侵略」と断じ、経済制裁を発動。
ドイツ国内では「また裏切られた」と憤る声が広がり、反英・反米のプロパガンダがテレビを埋め尽くした。
ヒトラーは、平然と語った。
「我々は、ただ家族を守ろうとしただけだ。彼らは我々の誠意を笑った」
開戦は、不可避となった。
1944年、ドイツ軍は中欧諸国を掌握しつつ進撃を開始。
だが、今度の戦争は短くはなかった。
連合国はすでに核兵器を保有していた。制空権は取れず、補給線は断たれ、ベルリンは焼け野原と化した。
それでもヒトラーは撤退を認めなかった。
少年兵が地下鉄駅で戦い、大学教授が装甲列車を動かし、ユダヤ人技師が祖国を守るため兵器開発に従事した。
誰もが「なぜここまで」と思いながら、誰も止められなかった。
ヒトラーは、冷静なままだった。
発狂するでも、隠れるでもなく、国民の前に立ち続けた。
「我々は、世界の憎悪と戦っている。それは、真理への嫉妬に他ならない」
――これは本当に明君なのか。
それとも、愚か者が国家を静かに殺しただけなのか。
そして1945年3月、第二次欧州大戦は終結した。
ベルリンは占領され、ヒトラーは消息を絶つ。
後に、連合国の一部ではこう評価された。
「彼は戦争を止めた。ただ、始めないという形で」
「彼は人を殺さなかった。ただ、殺される理由を作らせなかった」
「彼は明君だった。ただし、平和の意味を知らなかった」
人々は今も問い続けている。
ヒトラーは――明君だったのか、それともただの、冷たい狂人だったのか。