第一話 異世界転生
気付いた時には女に抱かれていた。
ただの女ではない 今まで見たことのない程の美人だ。
やや茶の交じる金色の髪は艶やかで頬もやや赤らんでいる。
汗もかいていて、呼吸もやや粗い。
ここ数年のルーティンとして毎週木曜日はこういう女にご執心だった。
女は口を開いて何事か発しているようだが、俺の耳には何も届かない。
声が遅れて聞こえてくるのだろうか。
それと全く気が付かなかったのだが女のすぐ隣には男がいて、女にキスをする。
てめえらぶっ殺すぞ?
ああ、人に向かって初めてそんなことを言ってしまった。
…いや、言えなかった というか言ったつもりだったのだが言葉になっていない。
なんだこれは? どうなっている?
俺はしかし更なる異常に焦る事をやめる。
手も足も動かないのだ。
言い方を間違えたか 思った風に動かない。
全身が気怠く、そして強烈な眠気 最後にこいつらに一言言ってやりたいのに…。
リア充マジで爆発しろ。
次に目覚めたときにはベッドのような場所で横になっていた。
一人きりで他には誰もいない。
その点は反射的に落ち着くが、すぐにこの異常な現状を思い出した。
こういう時は5w1hだと前にテレビでみた。
いつ いつ? 知らん
どこで どこだ? 知らん
だれが だれが? …? え?
何を
いや使えねえなこれ。
テレビ死ね。
とにかく、一番気になる事を考えなければ…。
まず体が動かない。起き上がることができない。
首も同じだ。
腕…は動くな、よし。
…問題発生。
腕が というか手が小さい。
小さくて可愛らしく、清らかで 守ってあげたく…じゃない。
これでどうやってしろってんだ!
焦っていると足音が近づいてきて、ドアが開かれた。
「はーいユラちゃーん ママでちゅよー」
あの女が部屋に入ってきた。
めちゃくちゃ可愛いしめちゃくちゃおっぱいが大きい。
女は俺を抱き上げて胸のあたりで俺の体を揺すってくる。
凄い大きい。
…っていうか抱き上げられるときに自分の体が見えたんだが、腕とか手とかそういう事じゃなかった。
全部だ。
俺、赤ちゃんになってるみたいだ。
どうも頭の中がパンクすると泣いてしまう体になってしまったようだ。
泣くと女がやってきて極楽浄土を見せてくれる。
こんなにも近くに天国があったとは知らなかった。
といっても少し考える時間をいただきたい。
今自分の体に異常事態が起こっている。
その事については置いておこう。
いろいろ思い出してきたので置いておける。
こうなる寸前の出来事。
製材機にダイブする経験は人生であっても1回か2回くらいだろう。
その1回 強烈な負の記憶 思い出すと心の凪が治まっていく。
やっぱ挑戦する事に意義があるんだな。…参加する事に…?
いやまああれは事故だったのだが。
とりあえず現状把握だ。
深呼吸を何度かして泣かないように心を落ち着かせる。
今俺がいる場所については見当もつかない。
どこかの家屋の一室 これだけが分かる。
そして体が縮んでいる。
謎の組織に薬を飲まされた記憶はないのでどういった経緯でかは分からない。
そしてあの女の言葉。
日本語…に聞こえた。というか他の言葉は分からないし間違いなく日本語だったのだが、なにか違和感がぬぐえない。
現状分かっている事。
体が縮…赤ちゃんになってしまった。その他の事は何も分からない。
何も分からないという事が分かった。
俺のチンケな人生でこれほどの事態に巡り合う事になるとは思いもしなかった。
しかし、さっきも言った通りダイブの経験が活かされており、取り乱すことは無かった。
やはり挑戦するこ
あの女の温もりを思い出していると、部屋が薄暗くなっている事に気付いた。
時間が経つのが早い。
いや、起きたときが日没前だったのか知らないが。
再び足音が聞こえてくると、ドアを開けたのはやはりあの女だった。
「ユラちゃーん ごはんにしましょーねー」
そう言って部屋に入ってくると、後ろから男が笑顔を覗かせる。
そいえばいたね お前。
考えが少し纏まってきてこの二人を見ると流石に分かってくる。
どんな因果か俺はこの二人の子供として生まれてきたのだと。
そうして頭に浮かぶ言葉。
転生。
あの転生だ やっぱ俺死んだのか?
前世…で、最後に見た記憶を思い出す。
俺は俺を見ていた。
聞いた事だけはあるが、幽体離脱的な事をしていたのだろうか。
その時の俺の体の酷い事のなんの。
いつ見たって目をそむけたくなるような醜悪さだったが、あれはそういうのとはちょっとレベルが違うからな。
医者でなくても難なく判断できる。俺は死んでいたと。
まあ、死んで後悔のあるような人生は送っていなかったし、それに死ぬのは面倒という言葉も知っている。
意外とあっさりとしていたんだから逆にラッキーだったのかもしれない。
おっと、こちらの世界に来て早速ポジティブ発揮しちゃってるよオレ。
俺はこちらをのぞき込んでくる男の顔を見てみた。
かなりの美青年である。
短くそろえられた茶髪に柔和な印象を感じるその目。
顔のどこをとってもとにかく優れている。
もうまじむかつく。
あ、でもこいつは俺の父親で、その遺伝子を俺は受け継いでいる…はず。
って事は‼ あれか⁉ モテモテ人生か⁉ ハーレムか⁉
どうも、親ガチャ成功したみたいです。
こいつとか言ってごめんな。
鏡ってのはいつだって俺の敵だったけど、これからは仲良くなれそうだ。
そのうち見かけるだろうし、楽しみにしていよう。
ホクホクとした気分で女の方に視線をやると上着を捲って、下着っぽいものも上にずらしていた。
そりゃそうだ。
赤ちゃんのごはんって言ったらこういう事だもんな。
へへ…興奮を気取られないように…なんか…あれ? 興奮じゃないな。
女が俺を優しく持ち上げる。
そして俺は胸の膨らみの中で一番神聖な場所へ口を付ける。
これは、あれか。人生初の食事なのか。
もう感動というか、ほんとに感激だ。エロとかそういった慢心が去っていく。
俺は無我夢中に食事した。
人生で初めての食事は大体のやつが母乳か何かのミルクだろう。
さすがに出産・授乳でセットなだけはある。
マッ〇もセットで買った方がお得だからな。
それと横で見ているお前、少しニヤけてんのちゃんと見てるからな。
赤ん坊というのは1日の大半を寝て過ごしている。
自我が無いのだからそれが節理というものなのかもしれない。
俺の場合は35歳のおっさんが入ってる赤ん坊だけれども、その法則から大きく逸れる事は出来ない。
立てもしないどころか起き上がる事さえも出来ないので、横になって頭だけを動かしている。
起きているときはあの二人がたまにちょっかいを出してくるのでそれなりな態度できちんと相手してやっている。
どう高く見積もっても30歳は超えていないあの2人。
精神的には俺の方が年上なので、そっぽを向くのは大人げないと思ったからだ。
俺は一人っ子で、いい相手が居なかったこともあって、育児について何も知らない。
殴ってはいけない、とか高いところから落としてはいけない、とかくらいなら分かるものだが
そのあたりでこの二人は抜かりない。
体験して分かったのだが、例えば抱っこ一つにしても、一歩間違えれば多分だが首が折れる。
勿論そうならないように抱っこされるから問題は無いが、慣れるまではその瞬間の度に死を意識した。
人類大丈夫か?
考えたい事が山のようにあるので人の気配がしたときはなるべく寝ているふりをしていた。
しかし、ふりでは済まずそのまま寝落ちている事が多かった。
つまり1日の大半を寝て過ごしている と。
全世界のヒモ男を軽く凌駕する爛れっぷり。
俺はこのために転生してきたのかもしれない。
山のようにある考えたい事 というのは勿論この世界の事や転生についてだ。
まずここはどこなのか。
俺が元居た世界かそうで無いか、でまず考えてみたのだがこれについては元の世界ではないと考えている。
理由はこの家は電気が通っていない それどころか水道すらも通ってなかったからだ。
この二人が訳あって人里遠く離れたところで暮らしている って訳でもなければ、これがこの世界のフツウである可能性がある。
まあこの両親のどちらかが魔法でも使ってくれたら話は早かったのだが、今のところそんな兆候は無い。
魔法なんかがあるのならぜひ使ってみたい。
異世界転生ってだけで全日本男子どもの夢を叶えてしまっているのだから、その上で地位に名誉にいい女と、楽しく暮らしたいものだ。
異世界かどうかは確定ではないのだが。
転生については、殆どなんの仮説も立てる事が出来なかった。
あっちの世界で最後に体験したあれ。
ゲームで自分のアバターを操作するときみたいに自分を見ていた。
夢などではないと、なんとなくだが思っている。
やはり俺はあの時に死んで、魂かなんかが別の体に移ったと。
神なりなんなりが説明してくれたら早かったのだが叶いそうもない。
両親について、父親は家にいない時間が多く、母親は殆ど家の中で過ごしている。
男が働き、女が家を守る って事だろうか。
二人の会話を聞いた感じだと、父親は猟師か何かなのだろう。
熊がどうとかウサギが何とか言ってるのが聞こえた事がある。
狩りで食い扶持を確保して生活を維持するってのは相当難しいだろう。
つまり、かなり腕の立つ猟師の父を持ったようだ。
しばらくしたら狩りの仕事の手伝いとか、職そのものを継げとかになるのだろうか。
俺は運動は苦手だし嫌いだ。
得意な事は息を潜めて生きてく事。
つまり猟師などという職業には…あれ、なんか向いているのかもしれない。
1歳になった。
なぜ分かるのかというと、この2人にそう言われたからだ。
ただし習慣が無いのか、1歳児に何か与えても仕方ないと思っているのか、プレゼント的なものは特になかった。
しかし…誕生日おめでとう。
この言葉には少し感動してしまった。
久しく言われる事のなかった、無条件の祝福。
それに限らず、ありがとう とかポジティブな感じの言葉すらコンビニの店員から言われる事しかなかったのだから。
なんだか気分が高揚してなかなか寝付けなかった。
誕生日から少し経った頃、俺は魔法の特訓をしていた。
いろいろ考えた結果、とにかく暇だしとりあえずやってみるか という緩い動機で始めてみた。
あの2人からは魔法という言葉すら聞いた事は無いが、転生=魔法 みたいな感覚が俺の中にあった為、あるかどうかも分からないが魔法が使えるかもしれない、という一点にすべてを賭けて、思いつく限りの動きや言葉を繰り出していた。
あの二人に見られたら確実に狂ってると思われるだろうから周囲の状況については注意深く確認しているのだが。
成果については、全く無い。
まあ、暇つぶしだ。
最近はハイハイができるようになり、ベッドの全域が行動範囲となり、立つ以外の事が大体出来るようになった。
それとハイハイが出来るようになった頃から、睡魔の襲い方に変化があった。
今まで体感で17、18時間眠っていたところが12時間くらいでも大丈夫になったのだ。
女がハイハイに気付いた時には、大層喜んで男と二人で踊るように喜んでいた。
そして眠るとき以外家で放し飼いになってからは家を散策しつつ、狭い家の中で自室に籠って魔法の特訓をしている。
何の成果も得られないままにしかし魔法の特訓は続けていた。
思い返すと、ここまで長く何かが続いた経験は少ない事に気付いた。
仕事、喫煙、自慰このくらいだろうか。
全てこの体になってからできなくなってしまった事だ。
仕事など二度としたくないが、あとの二つはまた今すぐにでもやってみたい。
今日も特訓が終わり、夕食の頃にリビングへ向かうと、男の方はまだ家にいなかった。
すると家の外から音がした 恐らく男が庭で何かしているのだろう。
思えば俺は家の外に出た事も、見た事も無い事に気付いた。
ソファへ棚へとよじ登り、窓の外を見た俺は目に入ってきた光景に息を飲んだ。
夕暮れ沈む森の中 赤く染まった木や水面は燃えるように美しく、赤く染まっていた
風に揺れる草花 森のざわめき
自然を美しいと思ったのは初めてだった
この体ではもちろん前の体でも自然に対してこんな風に思う事は無かった
微かな記憶の中で山や森 といったものを体験した事はあったがそのときとはまるで違う心境
何故こんなにも美しいと思うのだろうか
どれだけこの景色を見ていただろうか 10秒か、10分か…
本当に綺麗で、美しく、心奪われた
俺は、この風景を見たこの気持ちをいつか忘れてしまうかもしれない
うまく表現する事も出来ない
でも俺はこの風景を見て初めて感動というものを経験したと思う 前の俺では感動しなかったかもしれない
もしかしたら前の俺と今の俺は何かが違うのかもしれない
前の俺が悪かったとかそういう事を言いたい訳ではない
ただこの風景を見て揺れるこの気持ちを、情景を忘れてはいけないような気がした
「………すごい…」
「え?ユラ!そんなところでなにしてるの!」
母親が大きな声を出しながら慌ててこちらに駆け寄ってくる。
外にいた父親にも声が聞こえたのだろう、歩いて窓に寄って来た。
家の外、庭には何かで囲いを作って真ん中に木の枝のようなものを集めているものがある。
焚火の準備をしていたのだろう、そこに向けて手を翳す女。
女、誰だ? 知らない人間だ。父親の友人…弓っぽいものが背中から覗いている。狩りの仲間か?
それともお母様に言いつけた方が良いやつなのだろうか。
女の翳された手からは暗くなった外の世界を明るく照らし出す光が生まれた。
同時に焚火に火が付き、周囲を明るく照らした。
確定。この世界には、魔法がある。
「きたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」