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ヘルメン  作者: 吉田定理
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「ヘルメン」と藤井が言った。

「なんだよそれ」と俺は尋ねた。

「字のごとくだ。ヘルメン・イズ・ヘルメン」

「メルヘンだろ」

「ちげーよ。ヘルメンだっての」

 藤井はやたらと不満そうに眉根を寄せた。

「地獄の男か?」

「なに言ってんの?」

「いや、英語だろ。ヘルのメンで」

「えっ、ああ。だったら地獄の男たちじゃねーの?」

 どうでもいいところで細かい男だ。本が高さをそろえて整然と並べられている本棚を見て、俺は呆れた。

「イケメンは一人でもイケメンって言うだろ?」

「あれっ。言われてみればそうだな。最初に間違えたの誰だよ」

「知らねーよ」

「俺ですらそんな文法間違えねえぞ」

「っていうかイケマンじゃなんかダサいだろ」

「ダサいというより、なんかエロいな」

「まあ否定はしないけどな」

 俺はこのとき、大学からの友人であり、創作仲間であった藤井の「ヘルメン」という言葉の意味を理解していなかった。「ヘルメン」は、いつの間にか始まって終わった『一文字変えるとエロくなる言葉探し』という、実にくだらない、どうでもよい遊びに取って代わられてしまっていた。これ以降、藤井は少なくとも俺との会話の中で「ヘルメン」という言葉を使うことはなかった。また、後になってこのときのやり取りが二人の間で再び話題に上がることもなかった。かろうじて再度話題に上がったのは、俺たちの努力の成果物である、一文字変えるとエロくなる言葉だけだった。

 つまりこれが生前の藤井が口にした、最初で最後の「ヘルメン」であった。



 藤井と俺の出会いは三年前、大学入学時に遡る。たまたま同じ学部、学科に居合わせ、たまたま新入生オリエンテーションで同じグループに入れられた。

 そのときの藤井は黒縁メガネをかけた冴えない男だった。身長は男子の平均程度で、体格は少しぽっちゃり。髪は中途半端な長さで、服装は地味なシャツとジーンズ。女子とイチャイチャした経験などなさそうで、これからもイチャイチャすることはなさそうなヤツだった。

 オリエンテーションは五人一グループで大学敷地内のチェックポイントを回ってスタンプを集めるという企画だったが、俺と藤井の二人は、イベントに積極的に参加するよりも適当に参加している振りをするだけのほうが性分だった。だから先輩の手書きの地図とにらめっこしながらチェックポイント探しをするのは前衛三人に任せて、俺と藤井は甲斐性もなく三人のあとを付いていった。

 ただただ一時間も無為に歩かされるのは精神的に辛いので、俺たちはぽつぽつと会話をした。

「趣味は?」

 名前、出身を聞いた後、藤井はお見合いみたいにそんなふうに質問してきた。

「ギター弾いたりとか、まあ音楽かな」

 俺はまだギターを買って数年であり、簡単な曲の弾き語りができる程度だった。

「マジ? ギター弾けるのかあ。いいなあ。じゃあ音楽系サークル入るつもり?」

「いや、完全に趣味っていうか。バントやったりとかは興味ないんだ。一人で楽しめればいい」

 本当は興味があった。だけど技術的に無理だと思っていた。それにネットで購入した新品八千円のギターじゃ笑いものになるのが落ちだ。ギラギラしたステージの上で派手にギターをかき鳴らす連中とは、きっと馬が合わない。無論、駅前などで路上演奏する度胸もない。

 だが藤井が俺に羨望のまなざしを向けていたので、ボロが出ないうちに話題を変えることにした。

「えっと、藤井くんの趣味は?」

「ゲームなんだけど、最近やったのはフェアリークエストⅩとか、マジカルファンタジーⅢとか。それからアルカディア外伝って知ってる? あれ傑作だから絶対やるべき」

「あー、聞いたことないけど、フェアリークエストなら昔やった」

 海外のゲームなどにも手を伸ばすほどのゲーム好きらしかった。しばらくゲームの話題で盛り上がったあと、俺の趣味の話に戻ってきて、

「実はさ、俺、大学入ったら何か始めたいと思ってたんだ。ギターってやっぱ高いの? ド素人が何年くらいで弾けるようになる?」

「世界で一番簡単な楽器って言うし、一ヶ月も練習すればそれなりに弾けると思うぞ。値段も他の楽器に比べれば安いし」

「そうなの? でも俺、あんまし器用じゃないんだけど」

「そんなに難しくない。怖いのは何も始めないこと、だからな」

「え、どういうこと?」

 バスケの神様、マイケルジョーダンの名言の一つだ。

「びびってるくらいなら当たって砕けろ、ってことだよ」

 結局俺はギターについて素人に毛が生えた程度の知識をありったけ吐き出すことになった。好きなバンドについて話し始めると、傾向が似ていて話が合った。藤井はこのときから、すでに音楽、特に曲を作ることに強い関心を持っていた。こいつの音楽の才能を開花させるために必要だったのは、ひとえにきっかけだったのだ。

 藤井とは同じ講義に出たり、昼飯を食べたり、何かと一緒に過ごすことが多くなった。

 俺のアパートに遊びに来たとき、藤井はギターを弾くようにせがんだ。俺はしぶしぶ手に取り、「今日は調子が悪いな」とか言いながら普段どおりの大して上手くもない演奏をした。だけど藤井は目を輝かせて興奮し、翌週には俺と同じモデルの色違いを買ったと報告してきた。

 嫌な気はしなかった。むしろモチベーションが上がって前より真面目にギターを練習するようになった。講義と講義の間に時間が空いているとき、藤井は大学から近い俺の部屋によく来た。ゲーム機を持参して置いておくようにもなった。暇なとき俺たちはゲームをしたり、弾けるようになった曲を弾いてみせたりした。

 このときはまだ抜かれることはないだろうと思っていた。ギターも作曲も俺のほうがずっと早く始めたのだ。俺はいつまでも藤井の先生でいられると思っていた。

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