もったいないけれど
その日の六年一組の教室はずっと、どんよりとした空気が漂っていました。
四時間目からようやくまともに始まった授業のときも。
お昼休みのときも、帰りの会のときも。
表向きだけみれば、子供たちは互いに笑ったりはしゃいだりと普段と変わらない様子まで戻っているように見えます。
ただ、どことなく無理をしているようなぎこちなさは隠せていませんでした。
そして放課後。
先週までは机を並べ替えて和気あいあいと新聞作りに励んでいた子供たち。
その姿は、今日の教室内にはありませんでした。
◇◇◇
午後六時ごろ。
私は早退した詠梨ちゃんの様子を見に、お家を訪問しました。
もしもまだ落ち込んでいるようだったら、励ましてあげたかったのです。
社会人としてはあるまじきことにノーアポ、すなわち事前連絡なし。
そんな初歩的なミスに気付いたのは、すでにインターホンを押した直後。
親御さんに対して失礼にもほどがあります。
夕御飯の準備等もあるでしょうに、詠梨ちゃんのお母さんは突然の来客である私を温かく家に招き入れてくれました。
むしろ来てくれて嬉しいと、ありがたいお言葉まで頂戴しました。
そうして私は詠梨ちゃんの部屋に案内されたのです。
朝にあんなことがあった日の夜。
いつもとは違う、生徒の部屋での一対一。
やっぱり気まずくなるんだろうか、と思いきや。
「え? わざわざなにしに来たの? せんせー」
詠梨ちゃんはスマホを片手にベッドに寝ころんでいました。
「矢倉さんが心配で来たんだよ。もっと歓迎しようよ?」
「もおぉ、今ランクマッチがいいとこだったのにさぁ。空気読んでよ、せんせー」
きっとネット対戦型のゲームでもしていたのでしょう。
意外と元気そうじゃないですか。
私が部屋に入っても、起き上がろうともしないふてぶてしさ。
態度も口調もいつもの調子です。
少し安心した私は、今日のクラスの様子をすべて詠梨ちゃんに伝えました。
かつての事件を知った子供たちが桜の木の七不思議を急に恐れだしたこと。
桜木小学校の下には、かつて失踪した男の人の死体が今も埋まっているのではないかと言い出したこと。
そして、学級新聞で七不思議を扱うことを辞めると言い出したこと。
詠梨ちゃんは黙って聞いていました。
最後まで私が話し終えると、詠梨ちゃんはスマホをベッドに放り投げました。
この時、部屋に招かれてからはじめて、私たち二人の目が合いました。
「ママから聞いたわ。アタシのおじいちゃんは今もまだ見つかっていないの。生きているのか死んでいるのかも分からないみたい。だから学校に死体が埋まっていたっておかしくないのかもしれないわね」
複雑そうな表情で考え込む詠梨ちゃん。
クラスのみんなにとって、失踪した人は赤の他人。
だけれど詠梨ちゃんにとっては、その人は実のおじいちゃん。
同じ話を想像してみても、怖さより悲しさの方が先に来ているようでした。
「矢倉さん。新聞の方は、いいの?」
「みんなが決めたことなら、別にいいよ。アタシももうこれ以上、七不思議のことを調べる気にはなれないから」
力のない、投げやりな返事。
これまでずっとクラス一体となって盛り上がっていた七不思議の新聞づくり。
その中心にいた詠梨ちゃんがこれほどまでやる気を失っているとは。
クラスのみんなもこれ以上の深入りを怖がっていますし、このままでは記事のお蔵入りは決定的なように思われました。
そこに思い至ったとき、私はぼんやりと思ったのです。
もったいないよなあ、と。
思い返せば、七不思議をネタにした学級新聞を作ると最初に聞いたとき、私は心底しょうもないなあと感じたものです。
だけれど生徒たちが楽しそうに校内調査をしたり、わいわいと記事編集に励んでいるのを日々横目で見ているうちに。
私はいつしか心の中でみんなを応援するようになっていました。
教師人生ではじめて受け持つクラスだからというのもあるかもしれません。
だから。
みんなの学級新聞づくりがこんな終わり方を迎えるのは、とても残念で。
みんなの活動をリードしてきた詠梨ちゃんがこんな形で折れてしまうのは、とても寂しい気分になってしまって。
それでも。
私にはどうすることもできなくて。
こうして、最初は盛り上がっていた六年一組の学級新聞作りは、頓挫してしまったのでした。