暴かれた嘘
クラスの子供たちから事情を聞いた私は、ひとまず一時間目を自習扱いにしてから教室を後にしました。
もちろん、泣きながら出ていった詠梨ちゃんを探すためです。
彼女が始業前の騒動を起こした理由は分かりません。
おそらくは浩二くんが話題にしたという、昔の事件のことがきっかけと思われます。
それにしても詠梨ちゃんはどこに行ってしまったのでしょう。
家に帰宅してしまったのか、はたまたどこかの教室に隠れているのか。
とりあえずは、高いところから校庭を一望すれば見つかるかもしれない。
そう思って屋上に向かってみました。
すると、まさにそこには詠梨ちゃんの姿があったのです。
「――」
「ママの嘘つき! おじいちゃんは寿命で死んだって言ってたじゃない!」
詠梨ちゃんは誰かと電話していました。
校則では児童のスマホ持ち込み禁止なのですが、今は目を瞑ります。
フェンス越しに校庭を見下ろしながら、電話相手に感情をぶつける詠梨ちゃん。
言葉の端々から推測するに、どうやら通話相手はお母さんのようです。
しばらくそっと見守っていると、詠梨ちゃんは通話を終えました。
そのままスマホをポケットにしまいこんで、くるりと振り向いて――屋上の入り口に立っていた私と、目がばっちりと合いました。
「……せんせー。電話の会話、聞こえてた?」
「少しだけ、ね。内容はよく分からなかったけど」
優しく返事しながら、私はゆっくりと近づきます。
詠梨ちゃんはとくに逃げるそぶりなく、ただ気まずさからか目を逸らしました。
「みんな心配してるよ。教室に戻ろ?」
「やだよ。みっともなく暴れちゃったし、きっと変なヤツだと思われてるもん」
弱々しくもはっきりと断られました。
それ以上ぐいぐいと行くべきか迷い、内心おろおろしてしまいます。
こういうときにどう対応したらいいのか分からない私は、きっと教師として未熟なのでしょう。
とはいえずっとこのまま黙っているわけにもいきません。
「昔の事件のこと、みんなから聞いたよ。この町で行方不明事件があったなんて私は知らなかったな」
思い切って、核心に踏み込みました。
この話題のなにかしらが詠梨ちゃんの心を乱したと考えるのが自然でしょう。
その理由を聞きたいと思ったのです。
「……アタシも、知らなかった。失踪事件なんて」
「落語家の人、なんだよね? 『ぼーぎんさい』とかいう……」
「アタシのおじいちゃんなの」
私の言葉を遮って、詠梨ちゃんははっきりとそう言いました。
「その名前を聞いたとき、嘘だって思った。だっておじいちゃんはアタシが生まれる前に寿命で死んだって、パパとママから聞いていたもの」
その声はかすかに震えています。
「でもさっきママに電話して問い詰めたら、白状したわ。おじいちゃんは本当は大きな借金を残したまま、当時まだ十二歳だったパパを捨てて失踪したんだって」
借金苦による失踪。
そうだったのね、と私は小さく呟きました。
そして同時に、今回の騒ぎの原因をようやく理解できた気がしました。
きっと詠梨ちゃんは、今まで両親からも伏せられていた祖父の失踪のことを不意に知ることになってしまい、心がパニックになってしまったのでしょう。
「知りたくなかったよぉ。こんなこと」
詠梨ちゃんは辛そうにしゃがみこみました。
私はゆっくりとその横に並んで座ります。
「おじいちゃんは心優しい人だって聞いてた。プロにはなれなかったけど、落語を通して地域のみんなを笑顔にしてきた立派な人だって聞いてたのに……」
これまで尊敬できる人だと思っていた祖父は、実は借金から逃げるために家族を捨てて雲隠れしていた。
その事実を両親は隠して、自分には死んだことにしていた。
そんな話をいきなり聞かされたら、誰だって動揺するに決まっています。
しかも詠梨ちゃんはまだ小学六年生。
受け止めるにはかなりの時間を要すると思います。
「分かったわ。矢倉さん、今日はいったんおうちに帰りましょう? 少し落ち着くまで休んだ方がいいと思うの」
本当なら一度教室に戻って、本人からみんなに事情を説明すべきでした。
きっとみんな、詠梨ちゃんのことを心配しているに違いありません。
だけれど、今の詠梨ちゃんには心を整理する時間が必要なのではないか。
それと同時に、家族とも話をした方が良いのではないか。
沈み込んだ彼女の丸まった背中を見て、私はそう判断しました。
その後、いったん詠梨ちゃんを保健室に預けつつ、職員室で教頭に事情を話しました。
同時に詠梨ちゃんの家にも連絡を入れると、お母さんがすぐに迎えに来てくれることになったのでした。
保健室に戻って詠梨ちゃんにそのことを伝えます。
彼女は力無く頷きました。
「……ごめんね、せんせー。いろいろと」
それは彼女の口から初めて聞く、謝罪の言葉でした。
普段とは違う殊勝な態度。
相当に落ち込んでいるのでしょう。
「いいの。早く元気を取り戻して、学校に戻ってきてね。待ってるから」
「うん。クラスのみんなにも、アタシのこと、謝っておいてよ。おじいちゃんのこともみんなには話していいから」
「分かった。安心して」
それっきり詠梨ちゃんは保健室の柔らかいベッドに身を埋めて、じっと黙り込みました。
心配ですが、今はそっとしておいたほうがいいのでしょう。
それにクラスの子供たちを自習放置したまま、すでに二時限目になっています。
保健室の先生に後を任せると、私は早足で教室に戻ったのでした。