おあとがよろしいようで
「……ひょっとしたらと思っていましたが、やはり気付いていたんですね」
「確信はありませんでした。あなたがさっきのような質問をしなければ私もこんなことを聞く気はなかったですよ」
期待通り。
そう言いたげな余裕ある表情で矢倉パパは笑みを浮かべています。
「校長先生の話では、棒銀斎さんは夜の自宅内で借金取りの後頭部を花瓶で殴り殺したそうです。自宅内だったからこそ、その殺人は周囲の家には気付かれなかったんでしょうね」
「そうですねえ」
「でも逆に、自宅内の同居人にははたして気付かれなかったのでしょうか? 夜であれば当時小学生だった息子さん、つまりあなたが家にいたでしょうに」
ずっと疑問だったこと。
自宅で殺人が起きたことを、自分の家族に気付かれないものなのでしょうか。
棒銀斎さんが殺人を犯して、校長が呼び出されて、死体が家の外に運び出されるまで。
その間、ずっと家のなかに死体があったのに、家族が気付かないなんてありえるのでしょうか。
奥さんも子供も旅行に行っていた、なんて可能性もあるので、このあたりはなんとでも説明がつけられそうではありますが。
目の前の矢倉パパの反応をみるに、やはり実際には……。
「あなたは、棒銀斎さんの殺人を知っていましたね」
「そうですよ。先生はやっぱり気付いていましたか」
あっさりと矢倉パパは認めました。
「知っていたもなにも、親父が借金取りを殺したのは、あいつが僕を殴りつけたからです。あの借金取りはどうしようもない粗暴者で、あの日も僕の視線が気に入らないといって暴力をふるってきた。親父はそれにぶち切れてあいつを殺したんですよ」
思ってもみないことを聞かされました。
そんな事情があったとは、さすがに想像できませんでしたよ。
「……そこまでは知りませんでした。なぜそんなことを私に?」
「なぜでしょうね。親父が自分のために人殺しをしたわけじゃないってことだけは、あなたにも知っておいて欲しかったのかもしれません」
父親の名誉のために、ということでしょうか。
殺人を知りつつ今まで黙っていた、ということが犯罪になるかどうかは知識がないので分かりません。
ですが、普通ならば自分から打ち明けようとは思わないでしょう。
もしかしたら矢倉パパも、校長と同じように秘密を抱えることに疲れてしまったということなのかもしれません。
戸惑いつつも、私は言葉を続けました
「これは私の想像ですが、あなたは失踪直前の棒銀斎さんに頼まれていたんじゃないですか? 桜の七不思議を、桜木小学校に広めるようにと」
「それはなぜでしょう。そんなことをする理由は分かっていますか?」
試すような目でこちらを見やる矢倉パパ。
合っているか自信はないものの、私は思うままに答えました。
「……校長へのプレッシャーをかけたかったのでは? 同じ内容の噂が学校の七不思議として残ることで、校長があのメモのことをいつまでも忘れられなくなるように。そうすることで、暗号の答えの公表を遂行させるようにしたんです」
「その通りです。正解ですよ」
きっと校長も、そこまでは知らなかったのでしょう。
棒銀斎さんがそこまでしてくることも、矢倉パパが殺人の事実を知っていたことすらも。
「良かったんですか? 私にこんなあっさりと真相を教えても」
「いいんですよ。それよりも先生、どうやら今の話はうちの娘にはまだしていないようですね」
矢倉パパの言う通り。
今の話は校長と対峙したあの日よりも前に、可能性として思い描いていました。
ですが私は、それを詠梨ちゃんには伝えていなかったのです。
おじいちゃんだけならまだしも、お父さんまでが事件に関わっていたなんてことを知ったら、詠梨ちゃんはさらに傷つくに違いないと思ったから。
「ちゃんと話さなくていいんですか?」
「……どういう意味です?」
よく分からずに首を傾げる私。
矢倉パパは玄関の方を一瞥すると、再びこちらに向き直りました。
「うちの娘は、事実を知ることに人一倍こだわるタチでしょう? 先生は、そんな娘に隠し事をするつもりなのかな、と思いましてね」
そういうことですか。
詠梨ちゃんは、自分にとって辛く不都合であっても、事実を世間に伝える選択をしました。
一方で私はどうなんだ、と矢倉パパは聞いているのです。
それなら、答えは簡単です。
「私は今の話を誰にもしませんよ。世間にも、もちろん詠梨ちゃんにも」
「どうしてですか?」
「私にはあの子のように、事実に対する矜持もこだわりもないですし。それにあの子にはこれ以上辛い事実なんて必要ないですから」
それだけ言うと、私は矢倉パパに背を向けました。
「今日はこのあたりで失礼しますね。貴重なお話、ありがとうございました」
「こちらこそ、今後ともうちの娘をよろしくお願いします」
なにごともなかったかのように、私たちは別れの挨拶を交わしました。
自宅への帰り道の間、私は今日の出来事を振り返ってみて。
もしかしたら詠梨ちゃんにはちゃんと辛い事実と向き合ってもらうほうがいいのかも、だなんてことをちらりと思い浮かべつつも。
それがあの子の幸せのためになるなんて到底思えなくて。
伝える勇気もなくて。
やっぱり今のまま、あの子には父親のことは知らないままでいてもらおうと再度決心したのでした。
事実なんかよりも大切なことは、生徒の笑顔を守ることだから。
これって逃げですかね。
自分でもよく分からなくなってしまいます。
気付いたら、いつのまにか自宅に着いていました。
見上げた空はもうとっくに暗くなっていました。
最近は陽が沈むのが本当に早くなってきている気がします。
冬がもうすぐそこまで来ているのでしょう。
そして詠梨ちゃんにとっては。
これから数日もしないうちに世間に公表されるであろう過去の事件の真相によって、世間という名の厳しい風当たりに遭うことが予想されます。
せめてそのときは。
私もあの子のことを少しでも守ってあげなくてはいけませんね。
外の寒さで体温が奪われるなか、心は幾分と燃えています。
小さな決意とともに、私は玄関の鍵を開けるのでした。
とはいえ最近いろいろあったから、今日くらいはゆっくり眠りたいですね。
了




