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大切なことは


 「この子が今話していた棒銀斎さんのお孫さん、矢倉詠梨ちゃんです」


 そう。

 突如現れた人影は、詠梨ちゃんでした。


 実は詠梨ちゃんは今の今までずっと中庭の大樹に登って、葉の茂みのなかに身を潜めていたのです。

 私と校長の対決シーンを隠れて見ていたいとかなんとか言って。


 寒いだけから馬鹿な考えはやめるように説得したのですが。

 彼女がどうしてもそうしたいと強く希望したのでとりあえず好きにさせました。


 校長をわざわざ中庭に呼び出したのも、もとはと言えば詠梨ちゃんがそうしろと提案したのです。


 「なんなんだこの子は! 放課後になぜ学校に残っているんだ! まさか、私たちの会話を聞くために……?」

 「そうよ! せんせーたちの話はしっかりと聞かせてもらったんだからっ!」


 勢いよくそう宣言した詠梨ちゃん。

 考えが追い付かない校長は、困惑の表情でこちらを見てきました。


 「佐々木先生、これはどういう……」

 「いや、あの子がどうしてもああしたいって言うものですから」


 校長からすれば、自分の過去の罪を知る人間がいきなり増えたわけで。

 それはもう不都合極まりないことでしょう。


 ですが。


 「まあ、出てくるタイミングとしてはちょうど良かったと思いますよ」


 こちらにとことこと近づいてくる詠梨ちゃんを横目に、私は改めて校長に向き直りました。


 「昔の事件の真相を公にすべきかどうか、矢倉さんに決めてもらうのはどうでしょうか?」

 「な、なんだと……!?」

 「なにしろ矢倉さんのおじいさんが起こした事件ですから。そこは身内であるこの子の判断に任せたいと私は思うんです」


 私の言葉に詠梨ちゃんも小さく頷きました。


 もともとこの子には、私の想像する事件の顛末を全て伝えてありました。

 いろんなパターンの可能性を。


 その中には残されたご家族にとってショッキングな内容も含まれていて。

 そのどれかが正解かもしれないことを、詠梨ちゃんはあらかじめ覚悟したうえでこの場に身を隠していたのです。


 彼女曰く、自分自身の目と耳で校長の見解を確かめるために。


 「き、君が矢倉の娘さんか」


 校長は詠梨ちゃんの方を向くと、すがるような声を上げました。


 「ここまでの話を聞いていたなら、分かるだろう? 君のおじいさんは人を殺してしまったんだ。世間がそのことを知ったらどうなると思う? 事件に関わった私だけじゃない。残された家族である君の父さんも、孫である君も、世間からの無責任な非難の声を浴びせられるに決まっているんだ!」


 詠梨ちゃんは黙って聞いていました。


 校長の言っていることはきっと当たっているのでしょう。

 この事件が明るみになれば、マスコミやSNSが面白がるに決まっています。

 そうなれば、詠梨ちゃんの家族全体が世間から奇異の目で見られることは想像に難くありません。


 「君の人生にも関わることだ。頼むから、真相を公開しようなどと言わないでくれないか。秘密のままにしておけば、誰も損をしないんだ」


 校長の懇願に、しかし詠梨ちゃんは黙ったまま。


 どうすべきか、迷っているのでしょうか。

 どんな選択をしても、私はそれを尊重するつもりです。


 はたして。


 「おじいちゃんが人を殺したかもしれないって、昨日はじめてもものぎせんせーに聞いたの」


 ようやく詠梨ちゃんが口を開きました。


 「そんなことあるわけないって思った。信じたくなかったよ。でもせんせーの推測を聞いているうちに、否定できないかもって思ったの」

 「……? 君はなにを言って……?」


 詠梨ちゃんがなにを言おうとしているのか、校長は訝しんでいます。


 「だからそのことを、パパとママにも話したの。怒られるかと思ったけど、二人とも黙って聞いてくれたよ。それでね、もし事件の真相を知ることができたら、そのときにどうするかはアタシが決めていいって、二人とも言ってくれたんだ」


 そう言って詠梨ちゃんは、校長を見上げました。

 迷いを振り払ったような目で。


 「だから、ここに来る前から、どうしたいかは決めてたの」


 その声に込められた、小さな覚悟。

 その先の予想がついたのか、校長はがっくりとうな垂れました。


 「アタシの人生に関わるって、校長せんせーはさっき言ったよね? アタシにとって大切なことは、事実を曲げないこと。これを破ってしまったら、きっとアタシの夢はずっと届かなくなっちゃう気がするから……どんなに嫌な真実でも、アタシは世間に公表すべきだと思う」


 どたん、と校長が尻もちをつきました。

 地面に落ちていた枯れ葉がぱりっと割れる音が辺りに静かに響きます。


 いつのまにか、もう夕陽も暮れていました。


 「……そうか、それが君の答えか。なら仕方ないな」


 諦めを覚えた表情のまま、校長は目を伏せました。


 「ごめんなさい、校長せんせー。まさか口封じにアタシたちを殺したりしないよね?」

 「まさか。学校の大切な生徒と教師をこの私が傷つけるはずがない」

 「そう、ならいいけど。なんだか潔い感じでちょっと意外だったからびっくり」


 詠梨ちゃんの言葉に、校長は苦笑で返します。

 たしかに私も、校長の態度には少し拍子抜けでした。


 思えば校長は、こちらが推測を話している最中にもあまり激しく反論しませんでした。

 私の想像は論理的には穴だらけだったと思うのですが、校長が粗を突いてくることは少なかったように思います。


 それにこちらが女性教員と小学生である以上、暴力による抵抗に遭う危険性もありました。

 こちらとしてはその対策もいくつか考えてきていたのですが。

 詠梨ちゃんの言うように、校長からはある種の潔さが感じられます。


 「……きっと私は、秘密を抱えて生きることに疲れていたんだろうな。学校の評判を守るためにも、この秘密がバレるわけにはいかなかった。だが心のどこかで、誰かが私に引導を渡してくれることを望んでいたのかもしれない」


 そういって校長は一度立ち上がると、詠梨ちゃんを見下ろしました。


 「こうなっては仕方ない。いつかこうなる気がしていた。私はもうどうなっても構わない気分だ。でも君はこれから大変だぞ」

 「そうかもね。でも、これでまた警察が動いてくれるかもしれないわ。そしたらもしかしたら、現代的な捜査でおじいちゃんを見つけてくれるかもね。もし会えたら土下座させてやるんだから」


 その言葉に、校長は思わず吹き出しました。


 「会えたらいいな。私もアイツには、言ってやりたいことが山ほどある」

 「そうね。まずはちゃんと生きていてくれればいいけど」


 二人は池の水面を見つめながら、そんなことを言い合いました


 こうして、私たちのゆるゆる解決編は静かに終わりを迎えたのです。


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