述懐
「佐々木先生がさきほど言っていたとおり。あの日の夜、私は矢倉の家に急に呼び出されたんだ。駆けつけた先には死体があった。借金取りと喧嘩になって後頭部を花瓶で殴ったとアイツは言っていた。そして、死体を隠すのを手伝えと私に言ってきたんだ」
普段とは違う荒い言葉遣いではあるものの、思いのほかすらすらと淀みなく事件当時の状況を述懐する校長。
それは長年秘密にしてきたことへの鬱憤を解放しているようでもありました。
「私は昔から矢倉の言うことに逆らうことができなかった。アイツは自分勝手で粗暴なやつだったから。あの日も私はアイツに従わされて、死体をこの学校まで運んできたんだ」
「わざわざこの学校を選んだのは、棒銀斎さんだったんですか?」
「そう。矢倉は私を呼び出した時点で、死体の隠し場所を学校の池にすると決めていた。殺し自体は不慮のものだったらしいが、アイツのなかにはすでに計画が出来上がっていたんだ。佐々木先生は、それがなにか見当が付いているかい?」
計画。
おそらくは、あのメモのことでしょう。
解かせる気が最初からないと私が推測した、強引な解釈を必要とする暗号。
そんなものをわざわざ用意した意図はなんなのでしょうか。
思いつくものとしては……。
「棒銀斎さんは死体の隠し場所をわざわざ暗号で残しました。もしかすると何年か経ってからのタイミングで、校長先生に死体を発見させるつもりだったんじゃないでしょうか? ある程度ほとぼりが冷めたころに、校長先生が暗号のメモを解いたと名乗り出るように、棒銀斎さんから指示をされていたのでは?」
「……正解だ。本当になんでもお見通しだな」
あのようなメモを残した理由はなんだったのか。
そこがこの事件のなかでもかなり難題なポイントでした。
要は簡単な暗号を作って不特定の誰かにさっさと解かれてしまうと不都合があると棒銀斎さんは考えたのでしょう。
そこで、落語のエピソードと桜木小学校の桜の歴史という二つの内輪ネタの知識を必要とする半ば強引な楽屋落ちの暗号を用意したのです。
この学校の桜に関する知識なんて世間一般の人はまず知らないので、メモの意図を読み取ることはまず不可能ですからね。
あるいはそれを知っていたとしても、そこから頭山と結びつけられる人なんてこの世に何人いるでしょうか。
かくして、解かせる気のない暗号が生まれました。
あとはその答えを世間に公開するタイミングを、校長に託すことにしたのでしょう。
「矢倉は死体を隠したあと、そのまま失踪を図ると言い出した。隠居するちょうどいい機会だと言ってな。裏社会の人間を手にかけたとなってはいずれ自分が殺したこともバレて報復されるとアイツは予測していた。そこでアイツが用意していたのが、あのメモだったんだ」
忌々しそうな顔で、校長は溜息を吐きました。
「死体を池に隠すのは、失踪の時間稼ぎのつもりだったらしい。二、三年経ったら暗号が解けたことにして死体を公にしろとアイツは私に指図した。当時の私は大変なことに巻き込まれたと思ってパニックになっていたから、ひとまずアイツの言うことを聞いてただ頷くしかできなかった」
「でも結局校長先生は、死体を世間に公表していませんよね?」
私が尋ねると、校長は「当然だろう」と返事しました。
「矢倉がどこぞに失踪してから私も一人冷静になって考えた。するとそもそも死体の存在を公表する理由なんて私にはなかったんだ。学校の評判に関わるし、そもそも警察が調べればなにかのきっかけで私が死体遺棄に加担したことがバレてしまうかもしれないじゃないか。そう考えたら、とてもじゃないが表沙汰にはできなかった」
「まあそうですよね」
「結局最初から最後まで、矢倉には巻き込まれっぱなしだ。アイツのせいで私は毎晩罪悪感に襲われてる。死体に重りをくくりつけて池に沈めたときの感触が嫌でも蘇る。それにことあるごとに、いつあの日のことがバレるかと考えてしまっているんだ」
そこまで言うと、校長は私の顔色を伺いながら頭を下げました。
「佐々木先生、どうかこのことは秘密にしてもらえないか」
「秘密、ですか」
ここまで素直に話してくれたと思ったら、どうやら私の口止めをするつもりだったようです。
「このことがバレれば、私は過去の罪に問われるかもしれない。それは仕方ないと思うし、これまでの二十年余りの日々のなかで覚悟していたことでもある。だがこの件は学校の評判にも関わるんだよ。世間からは気味悪がられるだろうし、通っている生徒たちにも不快な気持ちをさせてしまうだろう」
「たしかにそうですけど」
「それだけじゃない。矢倉の孫が佐々木先生のクラスにいるだろう? その子が真相を知ったら一体どうなる?」
詠梨ちゃんが真相を知ったら。
失踪したと世間で思われているおじいちゃんが、実は人殺しの逃亡犯だと知ってしまったとしたら。
「きっとその子は心に深い傷を負うはずだ! 祖父が殺人犯だったなんて知った日には立ち直れなくなるかもしれない! 違うかね!?」
「そ、それは……」
「今さら昔の事件の真相なんて暴いても、誰も得しないんだ! 佐々木先生が黙ってくれるだけで、学校の生徒たちも、矢倉の孫も、みんな今まで通りに生活ができるんだよ!」
力説。
罪を棚上げしているとはいえ、校長の言葉には説得力がありました。
正直私にも、こんな真相を世間に晒す必要はないと思う気持ちはあります。
「分かってくれるかな。佐々木先生」
「ええと、そうですね。まあ一理あるかなとは思いますよ」
「そうだろう? だったら……」
「……ですが」
校長の言葉を制止して、私はかぶりを振りました。
「事実を世間に公開するか、決めるのは私じゃありませんよ」
その私の言葉を待っていたかのように。
私たちの立っていた中庭の池、その畔にある大樹の上から。
ひとつの小さい人影が、大きな音を立てて落ちてきました。
突然のことに、校長は足をもつれさせ危うく転倒しかけて。
そして人影の正体をみとめて、今度は大きく目を見開きました。
「き、君は!? ま、まさか!」




