答え合わせ
放課後の中庭は、十一月ともなるとかなり気温が下がっていました。
澄んだ大池の水面が冷気を放ち、それを見ているだけでも体温を奪ってくるような錯覚に陥りそうです。
夕陽の光が反射して、池はまるで紅く染まっているかのよう。
ここに紅葉でも落ちていればさぞ風流だったでしょう。
ですがあいにくとこの庭の木々には、秋というのに青々とした葉っぱしか見当たりませんでした。
常緑樹っていうのでしょうか。私は理科が苦手なので以下略。
そういえば最近はここでお昼ご飯の弁当を食べる機会もずいぶん減ったなあ、とふと気付きます。
以前に中庭の整備業者の人たちとお話をしたとき以来でしょうか。
やはり冬も近いこの季節は、教室内で食事を摂りたいものです。
「佐々木先生」
「……え、あ、はい」
校長が私の名前を呼びました。
学校だとほとんどの人が下の名前で呼ぶから一瞬反応が遅れてしまいます。
「こんな寒い場所にわざわざ連れてきた理由を、教えてもらえますかな?」
池の水面に映る自分自身を見ながら、校長は腕を組んでこちらの言葉を待っています。
「きっかけは、棒銀斎さんの残したメモの意味を考えていた時でした」
「『桜の木の下には死体が埋まっている』ですね。七不思議の元ネタにもなっている……」
校長がメモの中身をおさらいしました。
やはりというか、当然この人はメモの存在を知っています。
以前職員室で「桜の七不思議はいつ頃から発生したのか」という話題になったとき、校長はお茶を濁したような返事をしていました。
その時はあまり気にしていませんでしたが、後になって、失踪事件の経緯を知った後に思い返した時に、その不自然さに私は気付いたのです。
あのメモの事を知っていたなら、それを教えてくれればよかったのに。
桜の七不思議の由来は昔の事件が元になっているんだよ、って。
そう気付いてからでした。
人に話したくない、なんらかの情報を校長は握っているのではないか。
そんなふうに私は校長のことを怪しいと踏んでいたのです。
要するに最初からこの人を事件の関係者と決めつけてたわけですね。
そしてバイアスがかかった状態で真相を推測していったわけです。
推理方法としてはダメダメですが、結果としてここまで辿り着きましたよ。
「矢倉さんが言い出したんです。あのメモは落語をベースにした暗号に違いないと。そしてあの子は、落語噺の一つである『頭山』がカギになっているんじゃないかと推測しました」
「ほう、『頭山』は桜が登場するうえに、最後には主人公が自殺する噺。桜も死体も両方出てくるという意味ではたしかにメモと関係ありそうに見えますな。そうなると矢倉棒銀斎は自殺を仄めかすためにメモを遺したわけですか?」
校長はそういってこちらの反応を伺ってきました。
「矢倉さんはそう考えたようです。でも私は最初それを聞いたときに一度は否定しました。もし棒銀斎さんが自殺を図っていて、それを暗示するような遺言としてあのメモを遺したのであれば、今頃彼の死体はすでに見つかっていると思ったからです」
厳密には、詠梨ちゃんは頭山にちなんで「入水自殺」だと考えていました。
これが樹海での首つり自殺なんかだと、落語を元ネタにした感じが薄れるからですね。
「ほう、それでは『頭山』はメモとは無関係だと?」
「そうは言っていません。むしろ関係大ありだと思ってますよ」
校長の言葉に対して、私は首を横に振りました。
ここから先は推測に推測を重ねた、妄想レベルの領域。
それだけに、続きを話すのがためらわれました。
ですがここまでの校長の反応からみるに、大きく外れてはいないはず。
答え合わせの時間の始まりです。
「まず最初にメモに込められた意味ですけど……あれは『場所』を伝えるために書かれたものだと思うんです」
「……つまり?」
「あのメモは『頭山』の落語噺を踏まえて書かれたもの。具体的には、『元々桜があった場所に今存在している池』こそが、このメモの指し示す場所なんじゃないでしょうか」
そこまで言ってから、私は校長の後ろを指差しました。
その先には、中庭の大部分を占める大きな池。
「この中庭をいつも手入れしてくださっている業者の人たちに先日聞いてみたんです。そしたら教えてくれましたよ。その池があった場所には、以前にはとっても立派な桜の木があったそうです。校長先生がここの生徒だった頃にはまだ桜はあったそうですから、もちろんご存知でしたよね?」
硬直する校長。
そう。
この前お会いした整備業者の人たちから聞いた話。
この学校にもかつては桜が存在した、ということ。
ただ、その時はまだ桜のあった場所までは興味を持てませんでした。
その情報が重要になるとは全然思ってもいなかったから。
だけれどその後、詠梨ちゃんがメモと頭山の関連性を指摘したあの時に、私の中である直感が降りてきました。
もしかしたら中庭の池こそが、かつて桜があった場所なんじゃないかって。
桜を撤去した跡地に作られた池。
それはやや強引ではありますが、頭山のエピソードと一致します。
だから思い切って業者の事務所を調べて電話してみたのです。
そうしたらあっさりと事実を教えてくれました。
「あのメモはこの学校の中庭の池を指し示していた可能性があります。もしそうだとしたら、そのことに気付けるのは『頭山』の内容を知っていて、なおかつ池の場所に昔は桜が存在していたことを知っている、そんな人物だけです」
なかなか限定的な条件だなあ、と自分で言いながら思ってしまいます。
最初思いついた時は、誰に向けた暗号なんだと頭を捻ったものでした。
だけれど見方を変えてみれば、ある思惑が見えてきます。
「なんでそんな回りくどくて誰が解けるかも分からないメモを?」
「そうですね。解かせる気がなかったんじゃないかって私は思ってます」
校長のもっともな問いに、私はざっくりと答えました。
解かせる気のない暗号。
あのメモの内容を見て、この池に辿り着くなんてことは控えめに言ってかなり無理があると思います。
頭山と関係がある、とヒントが添えられていたとしても解答は困難ですし、答えを聞かされても多くの人は納得できないでしょう。
言い換えれば、答えを知っている人だけが正解できる類の悪問クイズ。
まさに楽屋落ち。
そして、そうであることに意味があるのだとしたら。
「つまりこういうことです。あのメモはわざと解けない難易度になっていたんですよ。おそらくは、出題者から答えを知らされている人だけが、自分の好きなタイミングで、正解を世間に公表することができるようにするために」
校長は黙って私の言葉に耳を傾けていました。
おそらく続く私の言葉も、すでに予想していたのでしょう。
顔がかすかに青ざめはじめていました。
「校長先生」
追い打ちをかけるように、私は一歩前に出ました。
「……私の推測なんですけど、校長先生は失踪前の棒銀斎さんから聞いていたんじゃないですか? あのメモの指し示す答えを」
校長はしばらくなにも答えませんでした。




