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頭山

 次の日の昼休み。


 私は昼食を摂ろうとして、いつものごとく詠梨ちゃんに捕まっていました。

 昨日借りていた落語名作選の感想を求められたのです。


 「問題です。『長屋の花見』のオチはなんだったでしょーか?」

 「ええと、『酒柱が立ちました』ってオチだったよね」

 「正解。どうやらちゃんと読んでくれたみたいねぇ」


 どちらかというと、私がちゃんと真面目に読んだかどうかを確認しているという方が正しいかもしれません。

 あまり信用されてないみたいですね。


 こっちはこんなにも詠梨ちゃんの力になろうと思っているのに。

 先生は悲しいですよ。


 「じゃあ次の問題。『頭山』のオチは?」

 「『男は自分の頭上の池に身を投げて自殺した』んだよね。先生はこの噺、結構好きだなあ」

 「ええ、マジで言ってんのぉ? もものぎせんせーって趣味悪いね」


 正直な感想を言っただけなのに、詠梨ちゃんにドン引かれてしまいました。

 ショックですねえ。


 でも実際、「頭山」は結構有名な落語ですし、人気もある噺だと思いますよ。


 「頭山」の主人公は、ある日サクランボの種をごくんと飲み込んだことで、頭の上から立派な桜の木が生えてきてしまいます。

 それを放置しているうちにいつしか桜目当てで花見客が大勢押し寄せ、主人公の頭の上で宴会を始めてしまうのです。


 昼も夜もどんちゃん騒ぎで終いにはゴミを捨てていく花見客たちに怒った主人公は、頭から桜の木を引き抜いて捨ててしまいます。

 しかし頭上には、桜を引き抜いた跡の穴が残っていました。

 ある日雨が降ってその穴に水が溜まったことで、主人公の頭の上には今度は池が出来てしまうのです。


 いつしか池にはいつのまにか魚の群れが住み着くようになって。

 そうなると今度は魚目当てに昼も夜も釣り人が押し寄せるようになって。

 しまいには屋形船で宴会を開く連中まで集まってくるようになって。


 あまりの騒がしさに眠ることすらできなくなった主人公は、ついには病んでしまって自分の頭の上の池に身を投げて死んでしまいます。


 それが、傑作落語「頭山」のあらすじ。


 最初から最後まで、文章のうえでしか成立しえない不条理な物語。

 自分の頭上の池に飛び込む、という映像化も想像も困難なオチ。


 それを話術のみで観客に聞かせて楽しませる落語家のスキルには、本当に頭が下がりますね。


 「ところで、せんせー」


 詠梨ちゃんがこちらの目を覗き込んできました。


 「桜に関する落語のなかでは、アタシはこの『頭山』が一番暗号に関係してそうに思うんだけど」

 「……なんでそう思うのかな?」

 「この噺のオチが自殺になってるからよ。もしおじいちゃんが……その、死ぬつもりでメモを残したんだとしたら、『頭山』に引っ掛けた暗号を作った可能性もあるでしょぉ?」


 自殺。

 借金から逃げた失踪者の末路としては、決して突飛とも言えません。

 実際、事件当時の世間では自殺説も多く出回ったようですし。

 あまり考えたくはないですが、詠梨ちゃんはその可能性から逃げるつもりはないみたいですね。


 「パパから聞いたんだけど、おじいちゃんが失踪した時に警察はメモを手掛かりにして、市内中の桜の周りを捜索したんだって」

 「ああ、先生もそれ聞いたよ」


 中庭の整備業者のおじさんたちがそんなことを言ってましたね。

 なにも見つからなかったみたいですけれど。


 「でももし、メモに書かれていた桜が『頭山』のオチを指してたとしたら?」

 「……どうなるの?」

 「おじいちゃんは、池に飛び込んで死んじゃったのかもしれないわ」


 曇った真顔でそんなことを言う詠梨ちゃん。

 でもそれは考えすぎではないでしょうか。


 まず桜というワードだけで頭山と結びつけるのは、まだ早計です。

 他にも桜に関する落語はたくさんあるのですから。


 それにメッセージとしても少し意味不明です。

 ただ自分が入水自殺するというだけの内容のメモを、わざわざ分かりにくくして残す理由が見つかりません。


 おまけに。


 「もしも池に飛び込んで死んだとしたら、死体はすぐに浮いてきちゃうはずだから、とっくの昔に見つかってると思うよ。だから身投げはしてないと思うな」


 そう伝えると、詠梨ちゃんはちょっぴり安堵したような顔になりました。


 今日まで死体発見のニュースがない以上は、水場への飛び込みはないと考えたいところです。

 入水自殺だとしたら、今頃は水死体が発見されていることでしょう。


 水死体の肺なんかには腐敗ガスが溜まって、強い浮力が発生するそうです。

 ガスの力はかなり強く、他人の死体をドラム缶に詰めて水底に沈めたとしてもいずれは水面に浮いてくるのだと聞いたことがあります。


 うう、なんだか想像してしまって気分が悪くなりましたよ。

 想像してしまって。


 他人の死体を。

 水底に沈める。

 そんな想像。


 あれ?


 「……どうしたの、もものぎせんせー?」


 詠梨ちゃんが怪訝そうにこちらを伺い見てきました。

 きっと私の顔色があまり良くなかったのかもしれません。


 この時、私は想像していました。


 失踪の理由。

 世間では自殺かもしれないという噂がかつて流れていて。

 詠梨ちゃんもその可能性を懸念していて。


 だけれど今この瞬間の私は。

 その全く逆の可能性を、脳裏に思い描いていたのです。


 「ねえ、矢倉さん」

 「なによ、せんせー」

 「実はね、少し調べてみてほしいことがあるんだけど」


 一つの思いつきからどんどんと積み上がっていく、推理とも呼べない妄想。

 証拠もなければ、筋が通っているかも分からない推察。


 そこでいくつかの調べものを、詠梨ちゃんにお願いすることにしたのです。

 いろいろと考えてみるうえで、まだまだ不足している情報の収集を。


 「へえ、どういうつもりか知らないけど、このアタシをパシリに使おうってワケね。新米くそざこよわよわせんせーのくせにぃ」

 「でも矢倉さん、そういうの好きでしょ? ジャーナリストっぽくて」


 少し挑戦的にそう言うと。


 「やってあげるわよぉ。アタシの取材力を見てなさい。せんせー」


 やる気に溢れた笑顔を浮かべる詠梨ちゃん。


 その様子を見ながら私は頼もしさと同時に、一抹の不安を感じていました。

 この先、このままこの子を関わらせても大丈夫なのかと。


 なぜなら、私の一連の思いつきが正しければ。

 ことの真相は彼女にとって、とても受け入れがたいものになってしまうはずなのですから。


 願わくば、この推測が外れていますように。

 そう思いながら数日の間、私は詠梨ちゃんからの調査報告を待つことになったのでした。


 そして、いくつかの日は流れて。


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