ウミガメのスープ
二十年以上経った今も、意図が読み解かれていないメッセージ。
警察にも、身近な家族にも、落語知識を持つ同業者にも未だ解読されていない文章。
だから私なんかが推理できるわけがない。
そもそもあのメモが暗号である保証もない。
なんなら失踪事件とはなんら無関係である可能性すらある。
だったら考えるだけ無駄なんじゃないの?
そんな想いがずっとあったから、これまで私はあまり真剣にメモの持つ意味を考えようとはしてきませんでした。
推理というのは前提を間違えれば破綻します。
決め打ちや思い込みが混じると失敗するものです。
だから本来なら、事実を一つずつ丁寧に積み上げて論理的に検証していく作業が必要になるべきなのです。
先入観をもってメモを暗号と決めてかかると、かえって真相から遠ざかる可能性すらあります。
そもそもメモが本当に暗号だったとして、現状誰かがそれを解いたという情報は今のところ私は知りません。
ですが例えば暗号が財宝の隠し場所のようなものだったとして、それを解いた誰かさんは「解けました」と名乗り出るでしょうか?
きっと財宝を自分のものにしつつ、そのことを公表したりはしない気がします。
つまり、未だに誰も暗号を解いていないという前提すら怪しいわけです。
だとすると、暗号の難易度は高いという考えも思い込みかもしれません。
今回はあまりに昔の事件ということもあり、正確な情報を不足なく入手することは不可能に近いと思われます。
つまり色んな可能性を踏まえながらまともに推理することは、少なくとも私なんかには無理でしょう。
そう思っていたから。
正直これまで、心の中では最初から諦めていました。
だけれど、詠梨ちゃんの力になりたいと決めた今。
改めてこの問題に取り組むと決めた私は、いったん考え方を切り替えてみることにしたのです。
探偵みたいにロジックを積み重ねる正攻法の推理ができないなら。
素人みたいに思いついた推理を当てずっぽうで検証していくしかありません。
だって私は、素人なんですから。
ある可能性を直感頼りで採用したり排除したり。
仮定に仮定を重ねて、真相らしきストーリーを作ってみたり。
それはさながら水平思考推理クイズ、「ウミガメのスープ」のように。
固定概念から離れて飛躍したアイデアをもとに推理してみることで、辿り着ける真相がひょっとしたらあるかもしれません。
そういうスタンスで改めて考えてみたときに、ふと思い至りました。
もしかしたらあの暗号は。
まっとうに解かれる事を想定されていないのではないか、と。
あるいは解くうえでかなりのこじつけを伴う、意図的な悪問なのだとしたら。
的外れかもしれない、ただの思いつき。
そもそも解かせる気のない暗号だとしたら、なんのためにそんなメモに残したのでしょうか。
例えば。
出題者の癖や内輪ネタなどの限定的な知識を要し、本当にメッセージを伝えたい相手だけが解くことのできる、楽屋落ちの暗号なのだとしたら。
もしくは。
暗号の解き方がかなり強引なこじつけだったと仮定して。
作成者から解法を教えてもらった人物だけが、暗号を解くことができるとか?
そこまで考えてみて。
一瞬、なにかが頭の中に閃きそうになりました。
ここ最近で見聞きした情報が、脳内を駆け巡ったのです。
借金を抱えて失踪した落語家と、残された暗号のこと。
桜の木の七不思議のこと。
中庭の管理業者の人たちから教えてもらった、失踪当時のこと。
一通り読んだ落語名作選。
そして、解かせる気のない暗号。
このあたりの情報から、なんだか一つのストーリーがまとまりそうな……。
いや、結局はなにも閃かなかったんですけれども。
考えがまとまらずに雲散霧消したんですけれども。
ううむ、なんだったんでしょうか。今のは。
凄くもやもやしてきましたよ。
もしかしてまだ、情報が足りていないのでしょうかね。
あるいはなにかを忘れているとか?
まあ推理未満の思いつきですから、あまり詰めすぎるのもどうかという気もしますが。
他に良い感じの推理の当てがあるわけでもないですし。
しばらくこの思いつきに乗っかって考えてみようかと思います。




