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ちょっとだけ昔のことを思い出して


 あれは私がこの学校に赴任してきて、はじめて六年一組のみんなと顔を合わせた日のことでした。


 私は自己紹介のために、黒板に自分の名前を大きく書いたのです。


 『佐々木百秒』


 この自己紹介が、私の教師人生にとって最初の試練の始まりでした。

 子供たちが、私の名前に妙に反応したのです。


 「私の名前は、ささきもものぎです。よろしくね、みんな」

 「もものぎってなに?」

 「変な名前ー!」

 「っていうかもものぎって読まないだろ。『ひゃくびょう』じゃね?」


 どうやら子供たちは、百秒と書いて「もものぎ」と読むのが理解できなかったようなのです。

 普通に考えたら、「ひゃくびょう」って読みますよね。


 実際のところ、これまでの人生で初対面の人にはよく勘違いされてきました。

 苗字は普通なのに、名前は変だねとよく言われてきましたよ。


 そんなわけで。

 当初クラスのみんなは面白がって私の事をわざと「ひゃくびょうせんせー」と呼んでいました。

 まあ悪意からではなかったと思います。

 だけれど自分の名前がわりかしコンプレックスだった私としては、そう呼ばれるたびに内心少し傷ついていました。


 普通に佐々木せんせーと呼んでほしいと注意しても、子供たちはより一層面白がるだけでした。

 しょうもないことかもしれませんが、私にとってはこれが嫌だったのです。


 ところが。

 ただ一人、私のことを正しい名前で呼んでくれる生徒がいたのです。

 その子こそ誰あろう、詠梨ちゃんでした。


 「新米くそざこよわよわ教師のもものぎせんせー」


 詠梨ちゃんは私のことをそう呼びました。

 余計かつ無礼な形容詞が付いていますが、私にとってはそんなことは些細な事でした。


 ちゃんと生徒に名前を呼んでもらえることの方が何倍も嬉しかったのです。


 そうすると次第に周囲の子供たちもそれに追随しはじめました。

 着任してから二週間も経たないうちに、私のことをだんだんと「もものぎせんせー」と呼んでくれる生徒が多数派になっていったのです。


 なんという影響力。

 この時初めて私は、この矢倉詠梨という生徒がこのクラスの中心人物なんだなと理解しました。


 そして最終的には誰も私のことを「ひゃくびょうせんせー」とは呼ばなくなりました。

 今では他クラスの先生たちすら、私のことをもものぎ先生と呼ぶ始末。

 そこは普通に佐々木先生で良くないですかね。


 そんなわけで、詠梨ちゃんのおかげで私は子供たちからちゃんとした名前で呼んでもらえるようになりました。

 だいぶ気が楽になったのを今でも覚えています。


 一度、彼女には聞いてみたことがあります。

 なんで私のことをちゃんとした名前で呼んでくれたのかと。

 周囲と違うことをして、仲間外れになるのが怖かったりしないのかと。


 すると詠梨ちゃんはそっけなく答えました。


 「名前を正しく呼ぶなんて、当たり前のことでしょぉ。事実を曲げるなんて、アタシ嫌いだから」

 「……事実を?」


 事実うんぬんは飛躍しすぎではないかとキョトンとする私。

 すると彼女は少し照れくさそうに笑いました。


 「アタシの将来の夢は新聞記者なの。いろんなところを飛び回って、自分で調べたことを記事にして、みんなに読んでもらいたいの」

 「そ、そうなんだね。素敵な夢だと思うな」


 そうでしょそうでしょ、と彼女は嬉しそうに頷きました。


 「だから私は出来るだけ事実を正しく相手に伝えるような人間でありたいと常日頃から思ってるってだけなの。だから名前だってわざわざ間違った読み方なんてしないし、もものぎせんせーが一人前になるまでは新米くそざこよわよわ教師って呼び続けるってワケ」


 なんだか小学生離れした矜持を持ち合わせた子なんだな、とこの時の私は妙に感心したのを覚えています。

 名前をちゃんと正しく呼ぶことと事実を正しく伝えることがイコールなのかはよく分かりませんでしたが、彼女の中では筋が通っているのでしょう。


 小学六年生にして、すでにはっきりと進みたい人生を明確に意識している子供。

 夢を叶えるために、なりたい理想の自分という芯を常に持った子供。


 はじめて自分の担当するクラスを持ったばかりの私には、なんだか物凄い眩しさと逞しさを感じさせる生徒でした。

 私なんかより、よっぽど先を見て生きているように思えました。


 そしてそんな詠梨ちゃんの矜持のおかげで、私に対する生徒たちの名前いじりは止んだことになります。

 結果論ではありますが、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 いや、その感情の正体は尊敬だったのかもしれません。


 この日以来です。

 私が詠梨ちゃんのことを一目置くようになったのは。


 そして時は現在に戻って。

 想い出を振り返ることで明確になってきた、私自身の気持ち。


 ――今こそ、あの子の役に立ちたい。


 きっと今、詠梨ちゃんは戸惑っているのでしょう。

 実の祖父の失踪という事実が急に降って沸いたことも。

 率先して進めてきた七不思議調査が立ち消えとなったことも。


 そんな気持ちを、彼女は新しい謎解きに挑むことで晴らそうとしているのかもしれません。


 本当だったら、昔の事件のことなんて忘れてしまうのが一番精神衛生的にはいいのでしょう。

 だけれど詠梨ちゃんが真相の追求を望むなら。

 私も微力ながら、協力したいと強く思うのです。


 しょうがありませんね。

 どうやらここは私も一丁、気合いを入れなおして取り組む必要がありそうです。


 可愛い生徒のためですからね。


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