桜嵐
「もものぎせんせー。これを読んでぇ」
四時限目終了のチャイム。
いつものように中庭で昼食を摂ろうと思っていると、詠梨ちゃんが数冊の本を持ってやってきました。
「ええと、なんの本かな」
「落語の本よ」
詠梨ちゃんは当然のように答えました。
彼女の持ってきた本は、単行本よりもやや大き目なものが五冊。
それぞれにはいたるところに付箋が貼り付けられているようです。
「この付箋はなに? そこを読めってことかな?」
「読んでみれば分かるわよぉ」
ふむ。そこまで言うならとりあえず読みましょうか。
私はまず付箋の貼ってあるページを全て確認しました。
ほうほう、どうやらこれらの本はそれぞれいくつかの有名な落語を集めた、いわば名作選とでもいうべきものみたいですね。
そして付箋はそれぞれ、とある落語が始まるページに貼られた栞になっていることが分かります。
花見酒。
長屋の花見。
頭山。
花見の仇討。
鼻捻じ。
その他、いろいろな落語のピックアップ。
ぼんやりとあらすじを聞いたことあるものから、全く知らないものまで。
それにしてもこのラインナップ、もしかして。
「これって、もしかして桜が出てくる落語を集めたってこと?」
「そーゆーことぉ。さっすがせんせー」
そう言うと詠梨ちゃんは、にこっと笑顔をよこしました。
「でも、なんでこの本を私に?」
「はぁ? 分からないのぉ? 所詮は新米よわよわせんせー」
そう言うと詠梨ちゃんは、哀れなものを見るような視線をよこしました。
極端なアメとムチですね。
「きっとおじいちゃんの残したメモはなにかの暗号なのよ。だとしたら、落語家らしく落語にちなんだネタを仕込んだ可能性があると思うのよねぇ」
「え? まだあの七不思議を追うつもりなの?」
たしか学級新聞は七不思議ネタをボツにして、別のテーマを探す方向で進んでいるはずですけれど。
それに詠梨ちゃん自身も一度は諦めたはずではなかったでしょうか。
「七不思議に関しては正直どうでもいいの。今の私は、おじいちゃんの残したメモの謎を解く方に興味があるってわけ」
「あれ? メモって結局は七不思議のことじゃないの?」
「ほんとーに頭よわよわなのねぇ。メモは七不思議の元ネタになっただけ。メモが本当に伝えたかったことは、七不思議とは無関係でしょぉ?」
まあそれは分かっていますけども。
「おじいちゃんがなんで失踪したのかが知りたいの。メモになんらかのメッセージが込められているなら、失踪の理由も分かるかもしれないでしょぉ」
「ねえ、矢倉さん。いくらなんでも自分の身内の失踪事件を今さら掘り起こすなんて、あまり先生はおススメできないんだけど……」
不謹慎とまでは思いませんが、あまりいい結果になる気がしません。
「こっちだって遊びのつもりでやってるわけじゃないもん。アタシが事件のことを知ってからパパとママは最近いつも申し訳なさそうにしてるのよ。二人が悪いわけじゃないのに。こうなったらアタシが事実を明らかにしてやるんだから」
それは控えめに言って、かなり困難な道のりになりそうですよ。
正直そう思いましたが、詠梨ちゃんの真剣な顔を前にしてはとても口にできませんでした。
「矢倉さんのご両親は、メモのことでなにか気付いたこととかないのかな?」
「聞いてみたけど、心当たりがまるでないみたいなのよねぇ。多分家族に向けたメッセージってわけじゃないと思うわ」
そうなんですか。
世間に知られてないだけで、実はすでに家族内で解読済みの可能性も少しは考えていたのですが。
どうやらそうではなかったようですね。
そして家族に解読できないということは、遺言の類ではなさそうです。
となると、誰に宛てたメッセージなんでしょうか。
「きっと同業者だけに分かるようにした暗号なんだと思うの。いわゆる楽屋落ちってヤツよ」
楽屋落ち。
たしか落語の寄席なんかで、観客には伝わらない身内ネタの冗談を仕込むことだったと思います。
ちなみに地味に「桜の木」と「楽屋落ち」で韻が踏めますね。
だからどうしたというわけでもないのですけれど。
もし落語の知識がないと解けない暗号なんだとしたら、それもある意味では楽屋落ちといえるかもしれません。
落語家ならそういう趣向の暗号を用意するのもありえそうな気はしますね。
「だからせんせーも、ちゃんと落語の知識を知っとかないとぉ」
「なんで私が暗号解読を手伝う前提なの?」
「当然でしょぉ。新聞記事はもう出さないけど、それでもアタシはこの件についてもっと知りたいのよ。アタシのなかのジャーナリズムのために」
なんかすごく格好いいこと言ってる空気感出してますね。
私が手伝わなきゃいけない理由には微塵も触れていないんですけれど。
まあ私には断る理由もありませんが。
「要するに矢倉さんは、自分が納得できる答えが欲しいんだね」
「そう。真実を知ることが幸せかどうかは分からないけど、それでも自分なりに考えてみたいと今は思ってるの」
「自分なりに考えるなら、私の手伝いはいるのかなあ」
「うるっさいわねぇ。いいからまずはこの本を読んでよぉ。んで、なにか閃いたらアタシに報告してね。それじゃ」
無理やり落語名作選を押し付けられたかと思うと、詠梨ちゃんはそのまますたすたとどこかへ行ってしまいました。
本当に生意気な子ですねえ。
一人残された私。
今日は憩いの中庭でランチという気分でもなくなってきましたよ。
とりあえずは、託された本でも読んでみましょうか。




