情報を整理しましょう
矢倉棒銀斎。
かつては公民館などでの小規模公演をメインに、地元に根を張って活動していたアマチュア落語家。
市内の公立高校卒業後、工務店に三年ほど勤務していた。
趣味は野球で、甲子園地区予選に二回出場経験がある。(要出展)
四十二歳を迎えた春に、突如として家族を残し失踪。
警察の調べによると多額の借金を抱えており、それが失踪原因と見られる。
その後の行方は全く不明。もしも生きていれば現在は六十四歳。
以上がウェブ百科事典に記載されていた、詠梨ちゃんのおじいちゃんに関する情報でした。
失踪から二十年以上経った今でもちゃんとネットに個別記事があるあたり、アマチュアの割にそこそこ有名な人だったみたいですね。
ただし失踪事件の詳細は、残念ながらウィキにも載ってないようですが。
そう。そうなんです。
どれだけネットを調べても、失踪事件の詳細は書かれていなかったのです。
当時のネット掲示板から、それらしき事件の記述をなんとか見つけました。
でもそこには落語家の失踪理由に関する憶測が面白おかしく書き込まれているだけで、とくに新しい情報を拾うことはできませんでした。
いわく、借金苦による夜逃げであるとか。
すでに世を儚んで自殺しているとか。
借金のカタに内臓を取られて海の底に沈んでいるとか。
よくもまあ無責任にいろいろと書き込めるものですね。
まあ当時の世間の受け止め方も似たようなものだったのでしょう。
ある意味それがストレートに伝わってきます。
この落語家が生徒の祖父だと知っている私としては複雑ですが。
ちなみに落語家が残した例のメモ書きについては、財産の隠し場所を示す暗号だなどと当時のネット民たちは考えていたようです。
借金を抱える人に隠せるだけの財産があるわけないと思いますけどね。
そしてメモに書かれている「桜の木の下」は、落語家の地元にある桜木小学校を指すのではないかと推測する人たちも多かったようです。
発想は私のクラスの子供たちとあまり変わりませんね。
そんなたわいもないツッコミを脳裏に浮かべているとふと気づきました。
もう深夜二時じゃないですか。
調べものの画面から目を離して、私は大きな欠伸をしました。
早く寝ないと明日の、いや、今日の授業に身が入らなくなってしまいます。
生徒たちの前で欠伸なんてしていたら、何を言われることやら。
なんで私がこんなにやっきになって過去の事件を調べているかって?
たしかに学級新聞作りは白紙に戻りました。
それに生徒の身内の失踪事件に深入りするのが良い事だとも思いません。
でも、このままだとなんだか後味が悪いじゃあないですか。
中途半端に謎が残って、なにも分からないまま終わるだなんて。
担任教師として今の私ができることがあるとすれば。
学校のどこかに死体が埋まっているという疑心暗鬼に囚われた生徒たちをなんとか安心させること。
一番理想的だったのは、過去の事件を調べた結果、失踪事件に死者は出ていないということがはっきりと断言できるようになることでした。
実際、今ネットで調べてみた限りでは失踪者の生死は分かっていませんし、他に死者が出たなんていう情報もありません。
あくまで、失踪者のメモ書きに死体の記述があるというだけなのです。
正直個人的には、実はメモの真相は些細なことなんじゃないかと思っています。
創作落語のネタをメモしていたとか、ただの悪戯書きの類とか。
きっと現実はそんなモノだと思うのです。
それをうまく説明できれば、子供たちが怖がる理由はなくなりますね。
だけれどやっかいなことに、事件発生があまりにも昔すぎてこれ以上詳しくは調べようがないのです。
どうしたものでしょうか。
さて。
ここまでの情報を整理しましょう。
桜の木の下に死体が埋まっている、という七不思議。
なぜ桜が存在しないのにそんな話が広まっているのかは誰も知りません。
そしてどうやらその噂の元ネタになったと思われるのは、実際に過去に市内で起こった失踪事件。
その事件で失踪者が遺したメモ書きこそが、「桜の木の下に死体が埋まっている」という思わせぶりな内容でした。
それを知った六年一組の生徒たちは、「学校の下に失踪者の死体が埋まっている」と解釈してしまっています。
そのせいで戦々恐々となっているわけですね。
いろいろと奇妙でややこしい話ですよ、まったく。
とりあえず考えるべきポイントは、失踪者の残したメモの謎でしょうか。
誰に向けて、なんの目的で書かれたメモなのか。
そして「桜の木」とは、いったいなにを指すのか。
文字通り桜のことなのか、それとも暗号の類なのか。
そんなこと、書いた本人以外に分かるとしたら、本人の性格なんかをよく知っている人物だけではないでしょうか。
少なくとも今の私には、皆目見当もつきませんね。
いよいよもってどうしたらいいか分からなくなってきた私は、夜も更けそうなのでとりあえず寝る事にしました。
あとは明日の私がなんとか考えてくれることでしょう。
そして次の日。
思いもよらぬ方面から、思わぬ情報が手に入ることになるのでした。




