奥様は聖女♡
いい夫婦の日に、幸せ夫婦のお話を書いたことないなーと思って考えました。
タイトル先行型のお話です。よろしくお願いしますー
※暴力・グロ注意※ ←
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ガヤガヤと猥雑な音と饐えた汗の臭いと鞣された革の獣の脂じみた臭い、そして武器や防具から漂う金っ気が入り雑じり、慣れない者はその扉を開けて一歩足を踏み入れただけで動けなくなるのはよくある事だ。
なにしろここは冒険者ギルド。
一攫千金を夢見てダンジョンに潜っては魔物達と戦い、時には用心棒という名の人殺しだって請け負うことを稼業としている人間が集いし場所だ。
今も、このギルドで一番稼いでいるとされる冒険者の二人組が依頼を受けて狩ってきたワーウルフ十体の納品しているところだ。
「ありがとうございます。ワーウルフ二十体。確かに納品をお受け致しました」
納品確認を終えたギルド職員が張りのあるバリトンで感謝の言葉を告げる。
この冒険者ペアの仕事は早くて確実なだけではない。
常に、納品される魔物の状態が最高レベルで素晴らしいのだ。
高価なマジックバッグは冒険者となるならばまず最初に手に入れるべき装備のひとつではあるが、実際にそこに獲物まで入れて帰って来れるほどの容量のあるそれを持つことができる冒険者はそう多くない。
初心者なら、水と食料そして薬の類と魔物避けの香で容量いっぱいになってしまう程度、中級者まで行ってもマジックバッグを買い替える前に扱う武器や防具に金が掛かって結局はマジックバッグを買い替えるまで手が届かないことなどよくあることだ。
それを、彼等はひとより頭ふたつは大きいワーウルフ二十体を納めた上に、他にも射止めた獲物を仕舞っている様子だった。どれだけ大きな物だというのか。
マジックバッグ内では時間が止まるので納品された魔物の質も上がる。
だが、それだけではない。
なにより納品された魔物には傷は常に一つしか付いていないのだ。
斬られた傷も、殴られた痕も、魔法攻撃による火傷の痕も。何ひとつない。
ただ一つだけ、魔物の額にある魔石だけが抜き取られた状態で納品される。
だからギルドへ納品されるそれは、いつだって高評価を受け最高ランクで引き取られた。
「美しい……」
本日の納品分については異国の軍隊に納品される予定だ。最高級の防寒具の一部となる予定の毛皮は、ギルド職員である鑑定人の手の上で、きらきらと銀色に輝いていた。
「おだてても無駄だよ。冒険者に秘匿しているスキルを教えろなんて野暮はやめてくれ」
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ギルド職員の言葉に、すげなく答えたのは女性だった。それも見目だけならかなり麗しい。いや、声も粗雑な口調とは裏腹に硝子細工が震えて響いたような透き通った声音である。ふっくらと艶めく形の良い唇も、多分いまの様に皮肉気に口角が上がった形を刻まねば薔薇の花弁のようだと形容されるだろう。
静かに座っていれば上流階級のお貴族様のようにも見える美しい女性であったが、ただ一つ、違っているところがある。
丁寧に櫛梳ればきっと渓流を流れる清水のように煌めくであろう豊かな水色の髪の間から覗く、星々が散りばめられたような紅い瞳の力強い輝き。それは強者の持つ煌めきだった。
この紅い瞳に見つめられて、委縮しないで居られる者など滅多にいるものではない。委縮せずに見つめ返せる者は、余程の実力者か、もしくは何も分からない愚者だろう。
この女性こそ、街でたった一人のS級冒険者、サミーだ。勇者サミーと街の者は呼んでいるが、本人はそう呼ばれる度に「ばぁか」としか返事をしようとしないので、影でコッソリと噂する時にしか使われなくなった。
勇者サミー。五年前、この街を襲ったスタンピードを、たった一人で凌いだ、余所から流れてきた冒険者だ。
「あっちの山から、魔物の魔力がこの辺りへ集まるのが見えた」
驚きの理由で駆け付けたのだと言ったサミーは、その秘匿スキルを駆使して、地方にたくさんある城塞都市のひとつであるこの街を取り囲むように溢れかえっていた魔物を一夜の内に殲滅してみせたのだ。
すでに壊滅状態となっていた領主軍と傭兵団をなんとか城郭の中へと戻せたものの、冒険者ギルドに所属している冒険者たちや辛うじて動ける兵士たちが城壁を乗り来ようとしてくる魔物たちを何とか押し留めているだけの状態で迎えた夜。真っ暗な中で魔物たちの不気味な声と、焦りの籠った兵士たちの怒声や足音が絶え間なく続く。誰もが震えて愛する者たちと抱き合い、最後の朝となることを覚悟して迎えた、何故か静かな朝。
朝陽を背に、魔物の血を全身に浴びてひとり立つサミーの姿は、むしろ魔王の様ですらあった。
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いや、彼女はソロではない。傍にいつも付いて回っている男がいる。その男も冒険者だ。ただし、あくまでサポート要員であって戦闘には一切関わらない。
スタンピードの時は遥か遠くに置き去りにされたそうで、全てが終わった二日後に街へ辿り着いた。
街の人間から差し入れられた肉を片手に、酒を豪快に呑んでいる相棒を見つけた途端、彼女の名前を呟いて倒れ込んだ男へとサミーは一足飛びで近づくと、その男の頭をぐいっと掴み、強引にそのカサカサになった男の唇へ己のそれを重ね合わせた。そうして、「ほれ、水分」と笑って言ったという逸話が残っている。
男は目を覚ますとサミーから酒瓶を取り上げ、「サミーが食べる物は私が作るんです!」と瓦礫で組んだ即席の竈で煮炊きを始めたという。
料理は得意でも食材となる獲物を得る事が出来なかったそうで、ついでにこの魔物が跋扈するようになった世界で最弱とされる透明スライムに追いかけ回されたそうで全身傷だらけで「全然ごはんが食べれませんでした」と美しい相棒サミーに向かって恨み言を言っていたが、勿論彼女は笑って背中を叩いて「やっぱりお前の作る飯が一番旨いな!」とご満悦で、料理を終えたその男ダリンが簡単に後片付けを済ませて戻ってくる前に、鍋を抱えて完食し、「お替り!」と幸せそうに笑いながら告げた。まだ味見しかしてなかったダリンだったが「まったくもう。サミーってばいつもこうなんだから」とプリプリ怒っては見せていたが笑顔で空になった鍋を取って戻った。マゾなのだろう。
ちなみに。ギルド職員が洩らした「美しい」という呟きは納品された魔物の状態などではなくサミー本人のことなのだが、本人にその気は全く無いので完全スルーされてオシマイだ。重ねて伝えるつもりも職員にはない。
何故ならサミーは人妻だ。二人組の冒険者達は夫婦なのだから。
パーティの中で完全に役割分担を分けて担うということは、よくある事ではあるが、戦闘を一手に引き受けるのが妻であるというのは面白いといえば面白い。しかし、この妻自体がもっと面白いであるが故に誰もそこに突っ込む事はなかった。
領主軍だけでなく、この街に所属する冒険者や雇い入れた傭兵団を壊滅状態と追い込んだスタンピードをたった一人で止めた女性に向かってそれを指摘する勇気がある者などいなかった。それが正しい。
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依頼報酬にプラスしてついでに道中の道すがら狩った魔物の買取り分の支払いも受けたので、サミーの前にはかなりの金貨が積み上げられていた。それをダリンが素早く数え確認を終えると、手にしていたマジックバッグへと仕舞っていく。
あのスタンピードの日に、せめてこのバッグを持っていたのがサミーで無ければ、ダリンは飢えや渇きに苦しむこともなかったのだろうが、獲物となる熊を解体して仕舞う所だったので仕方がない。料理はできても解体作業だけは貧血を起こしてしまうので無理なのだ。
二人の方針としてできる方がやる、という事で決まっているので問題はない。
問題はないが問題が起こる原因にはなったので、ダリンもそろそろ自分の食い扶持くらいは何とかできるようにしなくてはいけないと思わなくもなかったのだが、サミーがいなくなったら自分は即死案件かと思うと、それでもいいかと思ってしまう。それがダリンという人間だった。
「換金できたし、今日は久しぶりに大盤振る舞いといこうぜ、ダリン!」
「そうですね。ここに来る前に、肉屋の店先にレッドドラゴンの肉が入荷したと書いてありましたよ。買って帰って、ローストドラゴン作りましょうか」
「いいねぇ。エールも付けてくれ。樽で」
「ハイハイ」
「さすがだ。俺様の夫は世界一だな!」
ガバリと抱き着いてじゃれる姿に、街の住人は最初こそ驚いたものだったが、今となってはこれも日常茶飯事である。すっかり慣れて生ぬるい視線を送るばかりだ。
だが、この時はあまりにもサミーが勢いよくダリンに飛びついてしまったせいで後ろで作業をしていたギルド職員にぶつかってしまった。
「きゃっ」という小さな叫び声と共に、手にしていた依頼書が床に散らばる。どうやら彼女はそれをボードに貼る作業をしていたらしい。
床に散らばった紙を、サミーが「ごめんよ」と謝りながら拾い上げる。真っ赤になってそれを受け取った職員は、何やら早口で説明を始めた。
「あのっ、これ、年に一度は掛けられてる賞金が上がっていきますけど、全然駄目ですね、意味ないです、これ」
そのギルド職員はあわあわしながら前に貼ってあった依頼書を外して、新しく内容が書き換えられたそれを貼り直した。
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賞金首みたいな扱いをされているが別に犯罪者を探す貼り紙という訳ではない。
依頼書と一緒に貼られているが、実際には人探し。尋ね人の張り紙だ。
新しく貼り替えられる度に掛けられた賞金の額が増えていくが、その依頼が達成されることがないどころか、似た人間が間違えられて連れてこられることも偽物が現れることもなかったらしい。そうして十枚目に当たる今回は、ついに大台に乗って金貨一千枚だ。
「その御触れも、そろそろ十年だろ。いい加減諦めればいいのにな」
「あの世から連れてくるには、金貨一千枚でも足りねえって」
「婚約者の王子様だっけ? アイツに殺されちまったんだろ」
「王子とか呼ぶなよ。アイツが血迷ったせいで国も無くなっちまったんだから」
「だよなぁ。お陰でなぁ。国もなくなっちまって」
「でも頭が悪くてデキが悪いと言われた俺らは、こうして高給取りの冒険者になれたって話だ」
「ちげぇねえ!」
傍にいた冒険者が混ぜっ返して笑い話へと続ける。
「そういえばこの依頼書の聖女って、勇しゃ……サミーさんと同じ髪の色なんですねぇ」
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この国には、かつて聖女といわれる特別な存在がいた。
この世界で子供は皆、守り石と呼ばれる小さな石を握って生まれてきていた。
石の色はさまざまでけれども、その色によって就くべき仕事の種類は決まっていた。持って生まれてくる石の種類に、性格や得意な事がある程度左右されるのか、それとも性格や頭の出来によって神より渡される石の種類が変わるのかまでは分からない。だが、その石の導くまま人生を決めれば、まず人生で躓くことはないと言われている。
そんな守り石には一つだけ特別なモノがある。
限りなく透明で大きなそれを持って生まれし者、それが聖女だ。
世界に聖女は一人だけ。その聖女の命が天へと還っていったその日の夜に、新しい聖女が聖女の守り石を持って生まれてくる。
そうして聖女の守り石を持って生まれた者は、教会へと身を寄せ、そこで神へと平和を祈りその一生を捧げて過ごす。
この国の建国時から続けられている決まり事だ。
だが、これまでずっと守られていたそれを、この国の最後の王は破ってしまった。
王族の権威を強める為に、聖女と同じ年に生まれた王子と婚約させたのだ。
教会もそれを受け入れた。聖女の生家と六人いる枢機卿の内のたった一人だけがそれに異を唱えたが、生家は伯爵家という低いという程ではないが高位という程の家格でもなかったし、たった一人の年老いた枢機卿が声を張り上げようとも、王家と教会の大多数、双方からの強い申し出に押し切られてしまったのだ。
勿論、婚約し成人したのちには婚姻を結ぶことになったとしても、あくまで白い結婚となる。
処女性が求められる聖女に子供を産ませることについて、さすがに教会も二の足を踏んだのだ。王家としては権威づけに使いたかっただけなので名目だけの婚姻で構わなかった。
だが、ここで一人、それに不満を溜め込んだ者がいた。
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当の、聖女の婚約者となる王子であった。
この国のただ一人の王子である彼は、常に綺麗な女性を侍らせていた。閨教育という名の下に、浮名を流し色事に嵌った。
白い結婚をする予定の彼は側室を持って血筋を残すことになると確定していた為、婚約者がいるといっても、その相手に配慮する必要を感じなかった。
この国で側室に迎えいれられるのは一度婚姻を結び、出産経験のある貴族の女性のみ。血を繋ぐ為の側室という制度だ。石女では困る。
正室にそれを望めないならば、婚姻前からでも子ができてもいいではないかと、好き放題に未亡人や名誉が欲しい貴族家から差し出された夫人という美しい徒花の間を飛び回り遊び惚けていた彼は、けれどもついに一人の女性に掴まってしまった。
この国の有力侯爵家の二女から、「あなたの、唯一人の妻になりたかった」と泣きつかれたのだった。
その上で、「辺境へ嫁入りする話が出たのです。……唯一にもなれないどころか、あなた様のお傍に居続けることもできなくなった」と続けられた言葉は「だから、最初で最後の、思い出をください」と嫁入り前の身でありながら、彼女の全てを差し出したのだ。
散々遊び惚けておきながら、当然のことながら王子は、純潔を捧げられたことがなかった。当然である。血を貴ぶからこそ、嫁はせめて初夜までは純潔であることを守り切らねばならない。嫁いだ家の血を繋ぐ子を産み、義務を果たしてからならば秘密の恋人を持つことも許された。だが、嫁いでくる前に他家の男の血を受け入れた事があるなど許されることではない。
けれどもその令嬢は、その大切な純潔を王子に捧げて、はらはらと涙を流しながら「うれしい」などと微笑んでみせたのだ。
初めての女性がどのようなものなのかを知らない王子はひとたまりもなかった。
王子の中にあった基準は、美しくとも子を持つ女性たちのみ。若く美しい令嬢との情交自体が初めてだった。
自分だけを知る自分だけが知っている身体にのめり込んだ。
一度だけだった筈の行為が、手放せないと思うほど回数を重ね、思いを募らせていく。
そしてその若く美しい令嬢は毒花だった。それも猛毒を持っていた。
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最初こそ、王命による婚約を破棄することに躊躇し、「お前を側室に迎え入れられるようにする。絶対だ」と宥めていた王子であったが、侯爵家の意向を汲んだ者たちから「この平和な国に聖女の祈りなど必要なのか」「むしろ聖女という職が、形だけなのではないか」「誰がやっても同じかもしれませんな」と吹き込まれ続け、彼女に「貴方様を私だけのものにしたい」と縋られる内に、心が揺れてくる。
何よりも、美しい聖女には触れることすら許されないというのも、色を知ってしまった王子には我慢がならなかったのだろう。妻という形をくれてやることに腹が据えかねるようになった王子は、ついに暴挙に出る。
婚約者であった聖女を、聖女の守り石を盗んだ盗人であり偽物だと発表したのだ。
勿論、石を盗んだのは赤児であった聖女自身ではない。両親が企んだものだとしたのだ。そうして生家である伯爵家を断絶、一族郎党を捕まえ、死罪に処するとした。
聖女については、彼女自身が始めた嘘ではなかったとはいえ、それを知りながらも王家と国へ罪を告白することなく偽物の聖女を演じ続け地位と名誉を甘受したと告発し、同罪であると断じた。
侯爵家から金を積まれて取り込まれた教会の司祭たち一同も「まさか聖女を騙るとは」と恐れ戦くと共に、「王宮の告発を受けて調査したところ、枢機卿も聖女が偽物だと知っていた」のだと告発を始めた。
勿論これは一人だけ聖女が偽物だという告発に異を唱えた枢機卿を追い払い、次席に甘んじていた一派による茶番だ。
だが、民衆はそれを信じた。
偽物の聖女とそれと通じて騙していた枢機卿の処刑を求める声が大きくなったが、なにより本当の聖女であった侯爵家の美しい令嬢が「命を奪うことをしてはいけません。彼等には死ぬまで一生、その罪を神へと償う義務があります」と赦しを与えたというのだ。
彼等は国の北にある、罪人の塔といわれる場所へ幽閉された。聖女もだ。
改まって処刑はされないが、そこに投獄された罪人たちは皆、病死していく。そういう所だ。
情け深い聖女の言葉に感動した民衆はそれを受け入れたが、中には納得し切れていない者も多かったのだろう。
一同が塔へと輸送されていく隊列には、腐った卵や石礫が投げつけられ、御者役を引き受けた役人たちがカンカンになって怒っていた。
それは、王都を出て他の街に立ち寄っても同じ行為は繰り替えされたので、罪人たちは命を惜しんだのか誰もその馬車から降りてこようとはしなかったという。
そして聖女の生家である空き家となっていた伯爵家の邸宅には毎日のように石が投げ込まれ、中に残されていた数々の美術品や調度類は盗まれ荒らされて無残な姿になっていたという。
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そうして、偽物聖女たちを王都から追い出した王子と侯爵令嬢は、ついに悲願を達成することにした。
真なる聖女として侯爵令嬢を立たせ、王子と正式に婚姻を結ぶのだ。
愛で結ばれた本物の夫婦として国を背負い立つために。
教会の大聖堂にて、偽聖女の家族によって盗まれていた聖女の守り石を、不運にも石を盗まれ擦り替えられた本当の聖女たる侯爵令嬢へ返還する儀式が始まった。
聖女教会の新しい枢機卿が差し出した金のトレイへと載せられた、聖女の石を侯爵令嬢が手に取った、その瞬間――。
透明であったその石が、黒く濁った。
突如湧き出た黒い雲があっという間に天から降り注いでいた陽の光を遮り、地面が激しく揺れ、荘厳なる聖女教会の総本部たる棟は無残に崩れ落ちていく。
雷が激しく鳴り響き、不吉な光が幾度もその真っ暗な空を切り裂いた。
そうして人々の悲鳴が上がる中、割れた地面から、真っ黒な獣、魔物たちが這い出てきて、その場にいた聖女を騙った侯爵令嬢とその婚約者であるこの国の王子、
王子可愛さに偽物の聖女を擁立しようと本物の聖女を偽物だとした王や王妃、金に目がくらんで嘘だと知りながら受け入れた聖女教会の新しい枢機卿以下司祭や王宮の関係者等々、その場で偽りの真の聖女の誕生を祝おうと集まっていた民衆もすべて、魔獣の餌食になった。
惨たらしく生きたまま齧られ、五体をバラバラにされて踏み躙られて死んでいたらしい。
そうして。魔獣はその場にいたすべての人の命を奪いつくした後、国中へと散らばっていった。
平和の上に胡坐をかいて、神との約束を忘れ安易に反故にした人間へと、思い知らせるが如くに。
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以来、この国に王家は存在しないし、なんなら既に国と呼べるのかどうかも分からない。
生まれてくる子に守り石が握られていることも無くなってしまった。
自分達の適正な職業も分からなければ、もし新たに聖女が生まれたとしても、それが誰だか分からなくなってしまったのだ。
地方にあった街は懸命にその周囲に城塞を築き上げ、人々の暮らしはなんとか守られてきたに過ぎない。
そして、この事件で枢機卿以下中枢を占めていた指導者層をごっそりと失った筈の聖女教会、それが、この依頼書を出し続けている大本である。
その名も、『真なる聖女教会』
地方に派遣されていたことで運よく生き残った聖女教会の司祭たちや今でも聖女の存在を信じている者たちが集まり運営しているという。
「てめぇらが見殺しにした聖女様を、積み上げた金貨で探そうっていうのがね。らしいっちゃらしいよな」
「まぁなぁ。あいつ等が探してますってポーズを取らないのも拙いんだろうな」
「もう死んでると思ってるからこそ、金貨積み上げてんのかもよ?」
「払うつもりは最初からねぇってか! そりゃ酷えな」
「奴等が真なる聖女教会とか名乗るのもなぁ。恥知らずっつーか。厚顔無恥ってぇのはそいつ等のことを差す言葉だな」
「ちげぇねえ。神様、罰を与えるんならそいつ等だけにしてくれりゃいいのにな」
「神でなくても構わねぇから、誰かあいつ等を罰してくんねえかな」
「なるほどな。じゃあ、俺様が貰っておいてやることにするか」
不穏な言葉に、周囲がギョッとして振り向く。
「おいおい。確かに髪の色はソックリだろうけどよ。瞳の色も全然ちがうじゃねーか」
「いや、それよりなにより。本物の聖女様はおしとやかで静かな御方だって」
話を振った男も、周囲で囃し立てた者たちも、面白がりの自分達の英雄が暴挙に及ばないように止めに入って、つい言葉が過ぎたと自分の口を押える。
その視線が集まった先では、サミーが悪い顔をして笑っていた。
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柔らかなチュールベールに顔を隠した少女……いや、すでに大人の色香をそこはかとなく感じるその人は、丁寧に櫛けずられた美しい髪を見せつけるように右肩へと掛けるように前へ流し、立っていた。
着ている服は柔らかな素材で、ゆったりとしていて身体の線がでない。
だが、痩せすぎている訳でも太っている訳でもなく、すらりとして見えた。
「おぉ! その美しい水色の髪。遠目でしか拝謁したことはありませんが、正しく聖女様の御色です」
感涙に噎びながら、聖女教会の司祭以下聖職者一同は声を張り上げてその足元へとひれ伏した。
平和だった頃の王都に建っていた聖女教会本部とは比べ得るもないが、それでも魔獣が跋扈する世界へとなったこの地において、大理石で出来た見上げたくなるほど背の高い塔を擁した『真なる聖女教会』本部前へと乗り付けた馬車から降りてきた二人は、歓迎をもって迎え入れられたらしい。
先触れを出しておいたことにより、この教会に所属する司祭たちが一同揃って、教会の前に立ち、彼等を待ち受けていた。
「瓦解した元聖女教会大聖堂跡地に残されていた聖女様の守り石は、色が変わってしまわれようとも崩れ去りはしませんでした。その一点を以て、我ら聖女教会一同、聖女様のご生存を信じてお待ち申し上げておりました」
中央に立った黒い司祭平服の上に金ピカの刺繍が施されたストールを身に着けた男が感激も顕わにふたりを迎え出た。
「よくぞ御無事で」「お帰りなさいませ、聖女様」
後ろに控えていた司祭たちも涙ながらに歓迎の言葉を口にするが、ベールを外そうともせず女性は軽く会釈をしてそれを受ける。言葉は返さない。
「聖女様は、私が見つけた時にはお声を失くされておりました。お顔も……女性にはお辛い事でしょう。あの日、起きた事はそれだけ聖女様にとってお辛いことだったようです」
聖女様を発見したと連れてきた冒険者が目を伏せながら説明を加える。
その言葉に聖職者一同は衝撃を受けた。
「だから、あれほど探しても見つけられなかったのか」「ご自分からは姿を現す気にならなくても当然」「お労しい」
ざわざわと、心を痛めた様子で囁かれる言葉はどれもようやく帰還を果たした聖女への労りに満ちていた。
「お帰りをお待ちしておりました、聖女様。長旅でお疲れでしょう。どうぞ、中に入ってお寛ぎください」
後ろから、彼等真なる聖女教会の代表者らしい一際煌びやかな衣装を身に纏った枢機卿が慈愛を籠めた表情で前へと進み出ると、聖女を教会の中へと迎え入れた。
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「……さて。それでお前等は、幾らでこの仕事を引き受けるつもりなんだ?」
分厚い扉が閉められて、聖女教会の関係者と聖女、そして連れてきた冒険者のみとなった時、突然代表者である枢機卿を名乗った男の声音が変わった。口調もかなり荒っぽくなっている。
「勿論、金貨一千枚です。依頼書にそう書いて冒険者ギルドへ依頼を出したのは、あなた方聖女教会ではありませんか。神のしもべたる聖職者が嘘の依頼を何年にも渡って出すなど……ありえませんよね?」
にっこりと澱みなく回答したのは、ダリンだった。
但し今の彼は、いつものようにヨレヨレの服など着ていない。白銀の髪も綺麗に撫でつけられていて、洒落たジャケットを着ている。穏やかな口調と相俟って、まるで上流階級の人間のようだ。
「そういうなよ。詐欺師同士、腹の探り合いすんのも面倒臭ぇってもんだろ。お互いに上手くやろうぜ、兄弟。偽モノ聖女に力なんざなくとも、幾らでも誤魔化せるさ。ただ黙って偶像として祈りの対象になってくれるだけでも金が引っ張り易くなる。集まりが悪くなったら夜逃げすりゃあいいんだしな」
身も蓋もない言い様である。
先ほど、教会の前で十年越しの悲願となる聖女の帰還を涙ながらに喜んだ聖職者の仮面はすでに剥ぎ取ることにしたのか、素の男の表情は下衆そのものだった。
綺麗に撫でつけられた白髪頭の下にある顔の形は何も変わっていない。つい先ほどまでは元王族といわれても納得するような所作に言動をしていた。けれども、今の彼はどう贔屓目に見てもどこかの破落戸のようだ。
「そんなことよりよぅ。教えてくれ、その髪の色はどうやって染めた? コッチでも偽聖女サマを仕立てようとしたんだが、どうやってもそんな風に光ってるような水色にならねぇんだ」
カツカツとわざとらしい程の足音を立てて聖女へと近づくと、その美しい水色の髪をひと房手に取って、検分するように目の高さまで持ち上げてひらひらと毛先を揺らした。
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「へぇ? まるで聖女様に会って、本物の髪を見たことがあるみたいな事をいうんだねぇ。それに、本物の聖女は生きていないと確信を持ってるようだ。聖女はあの日、北の塔へ監禁されていた。そして、二日後に国外追放という名の島流しの刑を受ける筈だったんだろぅ? その前に、国が無くなっちまったけどな」
自分の髪を取り返すことなく、ベールを被ったまま聖女がついに口を開いた。
その声の美しさに、その場にいた聖女教会の人間たちの口元がにんまりと下衆っぽい笑みを形取った。
「なんだ。やっぱりお仲間なんじゃねぇか。喋れるんだな、あんた」
どうやら、今になってこの目の前に立つ聖女を名乗る人間が若い女性、それもかなり男の劣情をそそる蠱惑的な体形であることに気が付いたようだ。
緩やかで体形がわかりにくい衣装を身に着けているとはいえ、だからこそ動けば身体に纏わりつく。肩幅程度まで足が広げられた事で、自然に腰元から生まれたドレープが、ボリュームのある胸のラインを強調し、ほっそりとしつつも張りのある太腿や引き締まった足首まで、鮮やかに陰影を刻んでいる。
名ばかり聖職者である男達による劣情の籠った視線を一身に集めているにも関わらず、その女性は堂々と質問を重ねた。
「何故、お前らはさっきから聖女は死んでいると確信している?」
ベールの裾から見えるのは、紅を引かずとも朱い形のいい唇だけだ。
その唇に鋭く糾弾された男は、愉快そうに手を彼女の髪から離すと、両手を挙げて笑い出した。
「はっはっは。いいな。いいぜ。目端の利く奴が、俺は好きだ。そうさ、だって俺は! そうだ、俺が! 本物の聖女を、王城の地下深くにある、地下迷宮へ連れて行ったんだ。北の塔になんぞ、連れてってねぇ! ハーッハッハ! どうだ、驚いたか。俺はな、王宮の地下牢の看守だった男だ」
突然の告白に、ダリンの顔色が悪くなった。
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「お上品な聖女様が牢獄へ繋がれるってんで、処刑される前に皆で一回くらい味見してやろうと思ったんだが、体形は棒切れみたいだし無表情で泣き続けるしでよぉ。萎えちまって誰もおっ立たなくてよぅ。憂さ晴らしに毎日殴ってたんだよ。けどよ。アイツ、殴っても殴っても、鼻血が噴き出ても歯が折れても一瞬で治っちまうんだ。骨を砕き、子宮を踏み抜き、血反吐を吐かせてやった。何度もだ! けど、マジ聖女ってぇのは凄いんだぜ。一瞬で治っていく姿を何度も目にして、俺は、俺達は全員、アイツが本物の聖女だってことだけは骨身に染みるほど信じたさ!! 神の存在を感じたね!」
自分の告白に興奮してきたのだろうか。まるで酔いしれるかのように、司祭を名乗っていた男の瞳に狂気の輝きが宿る。狂おしいほどの熱情を感じさせる熱い言葉で、聖女を甚振り尽くした興奮を恍惚として話し続けている。
「っ。狂ってやがる」
ダリンの呟きは嫌悪感で一杯だった。
けれどもその言葉を告げられた枢機卿は、嬉しそうにその瞳で弧を描いた。
「聖女様の奇跡を誰よりも信じてるんだ。真の聖女教会の信者として、俺は誰よりも相応しいだろう?」
ニタリと粘着くような笑みを浮かべる。
「狂信者め……」
ダリンが吐き捨てるように言った言葉は、けれども言われた男を喜ばせた。
「そうだ! 俺達は皆、聖女様の御力の凄さを信じている! 疑いを挟む余地もねえよ! そうして、その御力をちびーっとばかり俺達の金儲けのタネに使わせて貰いたいだけのチンケな小悪党さぁ!」
最高のジョークを言ったとばかりに楽しそうに男が笑う。
既に男は自分を枢機卿らしくみせることすら止めたようだ。
自ら小悪党を名乗り嗤い転げる姿は、いっそ清々しい。
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「へぇ、聖女ってぇのは凄いんだねぇ? けどさ。そんな風に一瞬で怪我が治るお化けみたいな存在がそんなに簡単に死ぬかねぇ。それに石は残ったままだったんだろ?」
ツカツカと足音を立てながら、女はホールの中央に恭しく安置されている石へと近付いていく。
それを止めることなく、枢機卿の仮面を脱ぎ捨てた自称小悪党、その名をハンスは滔々と、自分達だけが知っているその大いなる今は亡き国の秘密を口にする。
「そりゃあ、お前等が王宮地下迷宮を知らないから言えるんだ。あそこに希望なんかありゃしねぇよ。一体何人の、国に都合の悪い人間があの迷宮に閉じ込められて死んだと思う? 大体、水も喰う物もない場所に閉じ込められて生きて居られる訳がねぇだろ。それができたなら、それこそ人間じゃねえ」
「国にとって不都合だと判断された者たちは皆、そこに放り込まれて二度と帰って来ることはなかった。偉大なる剣聖と謳われた騎士も、崇高なる知識を持った賢者も。魔術を極めし大魔術師も。この国ができた時にはあった、王宮地下迷宮で死んだ。みぃんなだ! 皆、その閉じられた扉から大して奥まで行くことなく、おっ死んで、骨になっちまうんだ。ちいさな穴から、ある日骨だけが返される。まぁあの日、王城自体が潰れちまったから、聖女の骨がどうなったのかなんて分かんねぇがな」
「ふぅん?」
つー、と。女は気のない様子で綺麗に整えられ色を塗った爪を、石の置いてある台に滑らせていく。
その姿が異様なほど煽情的にハンスの目に映った。
「それで、これは? 握り石なら、持ち主が死んだらとっくに割れて砂になっているんじゃないの?」
「へへっ。それっぽいだろ? 王都の、たぶん聖女教会があった筈の場所に転がってたのを拾ったんだ。本物じゃねえよ」
「へぇ? 偽物なのね。そう」
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そう言った女が、その黒い石を、摘まみ上げた。
光が、渦巻く。
囂々と吹きすさぶ風巻き起こり、女の煌めく水色の髪を、顔を隠した黒いヴェールを、だぶついたローブを巻き上げる。
風は激しく強く。まだ新しい真なる聖女教会の建物を、あっという間に瓦礫としてしまった。
這い蹲ってその突然の嵐から身を守ることに成功した男たちは皆、呆然とした様子で、視線の先に立つ女の姿を見上げた。
そこには、想像した以上に美しい女性が立っていた。
儚さなどみじんも感じさせない力強いフォルム。しなやかな筋肉に包まれた肢体は引き締まり、先ほどまで身に纏っていた聖職者風のローブなどより今着ている冒険者らしい服装がしっくりくる。
誰よりも目を引く美しい女性だった。
けれどもその均整の取れたスタイルよりも整い引き締まった顔つきよりも、ヴェールを失い露わになったその力強い瞳から、視線を逸らせない。
その瞳は、金灰色の星が輝く美しい紅の色をしていた。
「な、なんでぇ。ほ、本物の聖女さまかと思ったのに。なんだよ、やっぱアンタも偽物なんだな? いや、それとも……新しい、聖女さまか?」
ブツブツと呟くハンスに、サニーは笑顔で近づいた。
そうして、握った拳を高く振り上げる。
女性らしいほっそりとした指に無骨な金属の塊が光っていた。それが、ものすごくゆっくりと自分に向けられる様を、ハンスは不思議な面持ちで見つめた。
バキィィィィ!!!!!!!
「はっ、ガッ」
実際には猛烈な勢いでナックルダスターで武装された拳がハンスの左頬にめり込んだ。
ガクガクと、ハンスの身体が勝手に痙攣する。
目の前が反転し、目に映るモノが歪んで見える。
「は? へあっ、ガッ?!」
ガツン。
今度は、先ほど殴られた頬とは反対側の頬が、殴りつけられた。
その勢いで、ハンスの身体は頭から、床のみとなった聖堂へとへばりついた。
床へ伸びたハンスの腰の上をサミーは足で踏みつけて動けないようにして、その頭とは言わず胸とは言わず、出鱈目に力任せにガツンガツンと何往復も、何度も何度も殴る。
折れた歯が唇の外へと飛んでいき、鼻血が噴き出る。
肺を殴りつけられた時は息が詰まり、心臓を殴られた時は、死んだと思った。
胃の腑に拳がめり込んだ時は中に入っていた昼食のステーキが胃液で溶けかけた状態で喉奥で詰まり窒息しかけた。
咽る間もなく顎を殴られ、咀嚼もしないのに吐しゃ物になり掛けたそれは、苦い胃液のみをハンスの口に残してまた胃へと戻っていった。
「っぐ、えぇぇぇ」
■
目に火花が何度も飛んで、飛んで。
全身が撥ねる。
その瞬間、腰を上から押さえていた足がグリッと厭な音を立ててハンスの身体から外れた。お陰で動けないように加えられていた圧力は消えたが、内臓を直接捏ね捻り上げられたような不快感に、全身の毛穴から厭な汗が噴き出る気がした。
「カハッ。グェッグッゴフ……ハァ、ハァ」
両肘をついて、口から溢れ出した吐しゃ物に辛うじて顔を突っ込むような自体を阻止した。
眩む視界に目を閉じたまま、気道を確保するべく、とにかく口の中に残ったものを懸命に吐き出した。
その後頭部を、容赦のないサミーの足が踏みつける。
びちゃっと粘度のある厭な音を立て、饐えた臭いが鼻の中に直接入ってきて、ハンスはついに泣き叫んだ。
「な、なん……なんれっ。やめっ、やめひぇっ」
前歯が無くなっている為、そこから空気が漏れて言葉を上手く紡ぐことができなくなっていた。
ハンスのこれまでの半生において、これほどまでに一方的な暴力に曝されたのは、初めての経験だ。
しかも一撃一撃が、重い。
急所を的確に抉ってくる拳と踵。
骨ではなく関節を。軟骨を潰してくる。
骨が折れた訳でもないのに、ハンスの全身ありとあらゆる部位へ力がまったく入らない。立ち上がろう、せめて顔だけでも上げようと力を籠める度に、手や足を滑らせ続けたハンスは何度も自らの吐しゃ物へ顔を突っ込む。
「もう。いつの間にそんな無粋な武器なんか着けるようになったんだい」
「無粋なんていうなよ。トム爺渾身の作だぞ。今回の為に誂えて貰ったんだ」
街の武器屋の主人は、あの街で最も冒険者たちから信頼されている武具職人であるが、料理屋の包丁研ぎも引き受ける気のいい親爺だ。
当然だが、あのスタンピードから街を救った英雄サミーに心酔していて、「何でも言ってくれ!」と豪気な事を言っているのだが、これまで「生活用のナイフの手入れしか頼まれたことがねぇ」と肩を落としていた。
初めて武器を頼まれたという事を今頃は酒場で自慢していることだろう。
「貴女は、素手の方がお強いでしょうに」
ダリンが、呆れた顔をして近付いてきた。
「素手で殴ったら一発で終わっちゃうじゃない。ちょっと位、私怨を晴らしたっていいでしょう?」
「それを、素手で触るんですか?」
「……あ」
自らの汚物にまみれた男を見下ろすサミーの顔には、シマッタと書いてあるようだった。
■
「はぁ。前の貴女はこんな風な考えなしではなかったんですけどねぇ」
溜息を吐きながらダリンが左手を翳して小さく何かを呟くと、キラキラとした光の粒が生まれ出でハンスの顔を照らす。
ハンスの顔の、光の粒が当たったその場所だけが清浄になっていた。
「どうぞ? こんな男の顔に貴女の美しい手で触れるなどという幸せを与えるのも業腹ではあるのですが、早く済ませて帰りましょうよ」
最後の一文が本音だろうという、やさぐれた視線を向けながら、サミーはまだ床の上で痙攣しているハンスの顔を殴るべく近付いた。
確かに先ほどまで汚物に塗れていたハンスの右側だけ綺麗になっていたが、それ以外はまだ汚物塗れのままで、殴り易いように首元を引き上げる気にもなれない。
「おい、どうせならもうちょっと広く清浄しろよ」
サミーが不満を漏らすと、ダリンはしれっとした顔でゆっくりと横に振った。
「疲れるんですよ、これ。私も、もう歳なんで」
確かに、ダリンは白髪だった。いや、銀色というべき髪色をしていた。その髪を綺麗に撫でつけた顔は皺ひとつないどころか、大理石の如き蕩ける内なる輝きを持った円やかな肌をしていた。その切れ長の瞳は少しだけ目尻が垂れて優し気な雰囲気を生んでいる。多分、これが無かったら薄い銀灰色の瞳はその視線を冷酷なものに、薄い唇はもっと酷薄そうに映っただろう。
だが、あの街の人間は誰もがダリンを強い女房の尻に敷かれた気のいい気弱な夫だと思っている。そしてそれは間違っていなかった。
ダリンはサミーをまるで姫か女神かの様に大切にしていたのだから。ただ、取り扱いは雑である。大切に雑に扱う。そうでもしないとちっともダリンの意見など受け入れようとしないのがサミーという妻なのだから。
だから、疲れるといいながらも、ダリンは両手をハンスに翳した。
「ありがとよ! だから好きだぜ、ダリン♡」
ハイハイ、という様に、手をひらひらとさせたダリンがその場でへたり込む。
疲れるというのは言い訳ではなく単なる事実なのだ。ダリンはもう口を開くことも面倒臭いほど疲れ切っていた。
■
「ほんじゃ、ま。終わりにしますか」
わざとらしく、ナックルダスターを外した手をグルグルと廻したサミーが、床に頽れたままのハンスの首元を持ち上げる。
「なんなん……なんなんらよ、ほまへ。らんの恨みがあっへ」
滂沱というに相応しい涙を流しながら、歯の抜けたハンスがサミーに問い掛ける。
せっかくダリンが綺麗にしてくれたのに、とサミーの不快度が少し上がる。
増えたのは少しだけ。誤差の範囲だ。
元々サミーは、ハンスに対して不快だという以外の思いを持っていないのだから。
見せつけるように、ハンスの目の前に拳を突きつける。
けれどもその拳は金属製の武器を外した元の綺麗ですんなりとした女性らしい拳でしかない。
この拳で殴られたとしても、防具であり武器であるそれを外した今、怪我をするのはむしろサミーではないか。ハンスの脳裏にそんな呑気なことが浮かんだ。
ハンスは思わずまだ動いた片頬で嗤う。
「へっ。は、ははっ。」
発作的に浮かんだ嗤いだった。嗤う度に歯の抜けた歯茎から出た血が、口元から溢れていく。肌を伝う生ぬるい血の感触と、力の入らない関節が壊された腕や手が笑いで揺れる間の抜けた感覚と。
オカシイのは、この暴力女か、その暴力に一方的に痛めつけられているハンスの方か。
嗤いの理由は幾らでも思いついたが、そのどれが本当の理由なのか、ハンスには結論を出すことはできなかった。
「ぶああぁぁぁぁか。お前には恨みしかねーっ、つーのっ!」
思考が行きつく前に、振り上げられたサミーの拳が、ハンスの左頬にめり込んだからだ。
「うぎゃああああぁぁぁ!!!!!!」
ハンスはゴロゴロと床を転がっていき、瓦礫にぶつかって止まると、そこで蹲った。
身体を振るわせて、痛みに泣き出す。
痛くて、痛くて、痛くて、痛くて。ハンスは自分が涙を流していることも分からず泣き続けた。
その様子をサミーはつまらなそうに一瞥すると、ずんずんと歩いて行っては瓦礫の影で隠れていた男たちを一人ずつ探して殴って廻る。
「ぎゃあ」「うげぇっ」「ごふぅ」
大股でずんずん近付いては、捕まえて、一発殴り、去っていく。
それを延々と繰り返していく。偶に足で散々踏みつけ蹴り飛ばしてから殴られる者もいたが、基本的に一発サミーに殴られると、男たちは誰もが蹲って泣き出してしまうのだった。
中には自殺しようとし出す者もいたが、それに気が付いた他の男に泣きながら抱き着かれて止めるように説得されるという、サミーからすれば大いなる茶番が繰り広げられていく。
瓦礫となった真なる聖女教会本部は、男たちの野太い泣き声が夜遅くまで響き渡った。
■
立ち上がる事も出来ず、だらしなく床に身を横たえたまま、ふがふがと涙を流しながら訴えるハンスの前に、気の進まない顔をしたサミーが立っている。
いつまでも動こうとしないサミーを、ダリンが「さぁ」と促した。
ぷぅと頬を膨らませて顔を背けていたサミーは、けれどもいつまでも笑顔のままサミーを促し続けたままのダリンに、諦めてハンスに向けて手を翳した。
サミーの手から生まれた明るい光の粒が、ハンスを包み込む。
深い後悔に沈んでいたハンスの顔が、興奮で紅潮する。
「おぉ……神の奇跡が。本当に、本当に申し訳ございませんでした。私達が冒した罪の重さに、今更ながら打ちのめされる気持ちです。聖女様の御力を疑った事などこれまで一度たりともございませんでしたが、これからはその素晴らしき御力について広く広めていくことを誓います」
後ろに並んだ司祭司教たちが揃って跪いて頭を下げる。
その姿勢は懐かしい聖女教会で教えられる聖女に対する敬意を捧げる儀式でのポーズだった。
「いいよ。アンタ達はアンタ達の好きに生きるといいさ。ただし、真だかなんだか知らないけれど、聖女教会を名乗るのはナシだ。聖女を金儲けに使う事だけは許さないから」
ハンスが聖女の力を疑わなかった始まり自体がサミーとしては不愉快なものでしかなかったのだが、それをここで突きつけては話が終わらなくなる。
そう思って流そうと思ったのに、ハンスがそれに反論した。
「ですが! 人々は今こそ聖女様の庇護を必要としております。魔獣が跋扈する土地を化した国でギリギリの生活を繋いでいる庶民には信仰が必要です。それが偽物ではなく、本物の聖女様を戴く本物の宗教なれば」
「うるせぇ。その本物を捨て、偽物を戴くことを選んだのはお前等だ」
「ですが! 庶民のほとんどはそれを知らなかったのです。王権により発布された事に疑いを持つことは難しい。嘘を嘘だと見抜く力は、ただ生きていくことを謳歌している庶民にとって必須ではない」
「だから赦せ、と?」
「……それは、聖女様のお心におすがりしたく」
「誰かの犠牲を知ろうともせず、その上に胡坐を掻いて快適に過ごしていた時代に戻りたいと言われて、お前は了承すんのか? その崇高なる犠牲を負ってくれる馬鹿が、次の聖女に選ばれるといいな」
「……」
「積極的に選択したのではなかろうとも、消極的であろうとも本物である聖女が、どれだけの犠牲を強いられていたのか理解することもなく、この国に住んでいる物たちは皆、甘受してきた。それが罪ではないと言うのなら、それこそ俺様にとっては守る価値などない相手でしかない」
「!!!」
言葉にされてみれば、どれだけ自分達が無情なことを聖女に押し付けて来たのかが分かる。
誰かを愛し、愛され、その人との間に子を持ち、成長を見守る。
女性なら当然であろう幸せは一切赦されない。
誰かと触れ合うことも、なにも。
そうして神のすぐ近くに立つ者としての力を人の身に宿し、それを己の為でなく国とそこに住む人々の為にのみ使ってきた歴代の聖女たち。
彼女たちは、古の昔からこの地で信仰されてきた古い神を、その身に宿してきた神子の流れを汲む者たちだ。
本人には血を残す事は許されず、その兄弟姉妹たちにより受け継がれていく為に、いつしかその血は薄まり、知識の継承も廃れてしまった。そうして、ただ『この国のどこかに生まれる聖女』という特別な存在だけが残った。
■
「なぜ、自分以外の誰かが自分の犠牲になることを当然だと? 裏切られたその力の持ち主が、自分を虐げた意識もなく虐げ続け挙句切り捨てた相手の為に再び犠牲になってくれると思うか? お前なら、それをするのか?」
「そ……それが聖女という者なのではありませんか? その為に、神から委ねられた御力でしょう」
「残念だったな。国の為に使う力はもう持ってねーよ」
サミーはひらひらと手のひらを振ってみせる。
そうして、鮮やかに笑って、ダリンの肩を引き寄せて、その薄くて形のいい唇に自分のそれを重ねた。
たっぷりと舌を絡めとり零れる唾液を音を立てて吸い上げる。
そうして、ゆっくりと顔を離した。
真っ赤になったダリンの頬を愛し気に指で撫でると、惚けた様子のハンス達を振り返った。
「俺様の伴侶だ。人生の最後まで、俺様が守るのはコイツの命と、その周辺とかなんか気が向いた相手とかだな」
住人は誰も気が付いていないが、あのスタンピードに襲われていた街は、ダリンの生まれ故郷である。直系といえる者はもう誰も住んでいないが、血の薄い繋がりを持つ者はまだ幾家族かが、あの街で暮らしていた。
「この国を覆い尽くせるような結界はもう作れないし、作れたとしても俺様にはそれをするつもりはない。俺様を殺せば、どこかで新しい聖女が生まれるかもしれないが……この国にはもう守り石を持って生まれる子はいなくなってしまった。ちゃあんと聖女サマが生まれる保証もねぇけどなー」
「けれど! 貴女様はお生まれになった!! 新しい、我らが聖女様が」
ハンスは、あの王宮地下迷宮に聖女を連れて行った。
間違いない。あの迷宮を脱出できた者は誰もいなかった。そして何より、ハンスの知っている聖女と目の前に立つ聖女は別人だ。
同じなのは神秘的な陽を受けて輝く清流のような水色の髪だけ。
棒切れのようだった手足も、貧相な体つきも、なにより死んだように沈んだ目の前に立つ人すら目に入っていないような茫洋とした銀灰色の瞳。
ハンスの知る聖女は、そのような人であった。哀れな小人。女でも大人でもない。
人の理からズレた場所に立つ者。
対して、今、ハンスの目の前に立つ女性の、なんと力強く、命の炎の強さを感じさせることか。
メリハリのある魅力的な曲線を描くボディ。その動きはしなやかで、ただそこにいるだけで人目を惹きつける。
なにより煌めく星が浮かぶ瞳の色は深い赤だ。全てを燃やし尽くすような熱を感じさせる。視線を感じるだけで身体の奥から熱が生まれていく気がする。
あの聖女にはまったく浮かばなかった劣情という熱だ。
つまりは、どこをどうとっても、別人だ。
「……フッ。ホント節穴な、お前等。いいぜ、いつでも殺しにこいや。今度はちゃんと殺してやんよ」
もう此処には、サミーがしたいことも伝えたい言葉もない。
呆然とした顔で見送る男たちを残して、サミーはダリンとふたり旅立った。
■
「なぁに不景気な顔してんだよぅ」
「……何も、理解しようとしない、通じない受け取ろうとしない人間を守ろうと貴女を説得しようとしていた過去の自分が、厭で自己嫌悪に陥っているだけです。お気になさらないで下さい」
そういって、御者席の端で膝を抱えるようにして落ち込むダリンを、サミーは笑い飛ばした。
「いいじゃん。結局は俺様の意志を受け入れて、ついでに身も心も受け入れてくれたんじゃねーか。俺様、それで十分よ?」
「っ。言い方!」
まったく貴女という方は、とすっかり背筋を伸ばして喧々とお小言を飛ばしてくるダリンを、サミーは愛しそうな瞳で見つめた。
「なっ。そ、そんな目で見たって、ごま、誤魔化されたりしませんからね!」
誰かを殴り、その心に巣食う何かを払う度に、サミーの瞳は元の銀灰色から赤いそれへと変貌していく。
体つきも変わってしまった。今の彼女は昔と違い、朝晩に、盃一杯の神酒を捧げられるだけの聖女ではない。
肉を頬張り、エールを浴びるように呑み、甘い菓子を好む。
そんな生活を続けた今では、もうほとんど昔の面影を見つけることもできない。
それと共に、何故か言動が粗雑なそれになっていくのだ。
その粗雑な態度と口調は、サミーがわざとそうしているのだと思っていた頃を思い出す度にダリンの胸は切なくなる。
その切なさが、かつての、人ではなく聖女であった頃のサミーが懐かしいからなのか、本来人として成長したならばこうして育っていたのかもしれないと思うからなのかは、ダリンにも分からなかった。
人に裏切られなければ。魔獣の心の闇を払うような事をしなくて済めば、こんな風にはならなかったと思ったこともあった気がする。
けれども、サミーの変化をサミー自身が笑って受け入れているというのに、ダリンだけが答えの見つからない問いに拘り続ける愚かさに気が付いてからは、気にすることを止めたのだ。
■
「いいじゃん、誤魔化されちまえよ。ダリンだって嫌いじゃないじゃねーか。肉体言語は最高のコミュニケーショ、もがっ」
ダリンが最後まで言わせまいと、慌てて両手でサミーの口を押さえる。
その、口元へ押し付けられたダリンの手のひらを、サミーはにやりと笑って舌を伸ばして舐めた。
じゅるりと音を立てて吸い立て、舌を伸ばしてダリンの指の間へと、捩るようにして侵入してくる。
生き物のように蠢くサミーの赤い舌は、先ほどの突然の口付けよりもずっと、ダリンの熱を掻き立てた。慌てて手を引っ込める。
「ふふっ。ダリンが聴衆の目がある処でする方が燃える性質でなくて良かったぜ」
舐めている最中に、その対象を取り上げられたサミーの赤い瞳が妖しく光る。取り残された自分の舌で己の唇を舐めながら、その赤い瞳を愛しい夫へと向けた。
「あ、貴女って人はっ。あっ。やめっ、やめて。やめてくださいぃ」
すれ違う者など誰もいない街道。
魔獣が跋扈するようになってからは昼ならともかく陽が暮れようとしている時間帯を過ぎてからそこを呑気に旅する者などいなくなった。
その街道に、細い男の悲鳴が響き渡った。
■
「街への道は反対側では?」
御者台に座るサミーが、昨夜の余韻にニヤニヤしている所へ、荷台から出てきたダリンが声を掛けた。
すっかり陽が出ている街道を馬車はガタガタと音を立てて来た道とは違う方向へと曲がる所だった。
サミーはダリンの問い掛けには答えず、わざとらしい卑下た笑いを形作ると、「なぁ、また若返ったんじゃないか? いつか私がショタコン疑惑を受けることになるのかもな。本当は、ダリンの方がずーーーっと強烈なロリコンだってのになぁ」と揶揄う。
その言葉に、またかという顔をしたダリンは心の底から嫌そうにそっぽを向いて狭い御者台で、できるだけ離れようと身体を縮め込ませ顔を背けて座る。どうやらサミーが飽きて止めるのを待つことにしたようだ。
それを横目に、サミーは調子に乗って高らかに声を張り上げる。
「ああん。美味しく生気を吸われまくってしまった妻は夫の若さの糧となり、哀れひとり老いていくぅ~。美味しく頂かれてしまうのだわん」
「なっ。一方的に食べられたのは私でしょう?! むしろ、私が被害者です」
思わず言い返したダリンを、サミーがニヤニヤと迎え撃った。
「へぇ。私が、どう夫を食べたのか、詳しく教えて下さるんで?」
ぷいっと再び黙り込んだダリンの首筋や耳までが赤く染まっているのを見つけたサミーは、それ以上揶揄うのは止める事にした。
プルプル震えながら視線を懸命に逸らしたままでいようと努める夫が可愛らしすぎて困る。
サミーは、こんな風に、自分の事を大切にしてくれる特別な誰かを持てるとは、思わなかった。
その人と、こんなにも近くで触れ合えるようになる未来がやってくるとも。
だから、本当は少しだけあの名前も顔もあやふやになってしまった王子とその恋人の令嬢に感謝していた。
先祖たちが綿々と繋いできた神との契約を守り、神の妻としての神子であることを自分が壊してしまった事は申し訳ないと思わないでもないし、なんならあの世で神から罰を受けてもいいし、神の妻となる事で国を守ってきた諸先輩方に懺悔する心づもりもある。
けれども、もうサミーには、ダリンを手放せない。
あの日真っ暗な迷宮を、魔獣をぶん殴りながら誰かに呼ばれる声に導かれて進んでいった先で、後ろから襲ってきた魔獣の爪を、サミーを庇って背中で受けたダリン枢機卿に守られた時に、そう決めたのだ。
――その時まで、聖女の力で自分以外を治せるとは知らなかったし、ただ怪我を治しただけでなく相手が若返ってしまうとは夢にも思わなかったが。
ついでに言えば、呼ばれていった先で会った神から、ダリンが眷属になっていることを教えられた時はぶっ飛んだ。サミーの力の十分の一にも満たないけれど同系列の力を得たらしい。
神からは、この国に渦巻く闇を払い力を蓄え、いつかまた新しくお前が守りたくなった時に守りたいものを集めた国を作ればいいと言われたが、そんな面倒臭いことは御免だ。
サミーは、ダリンを、ダリンの血を引く者たちの幸せも一緒に守って生きていくと決めたのだから。
■
「そろそろさ、違う場所に行ってみるっつーのもありかなーって」
拗ねてしまった夫に無視され続けることが辛くなってきたサミーが降参だとばかりに、これで機嫌を直してこちらを向いてくれればいいなと、ダリンから振られていた話に今更答えを出す。
国としての機能が無くなった今、あの街に入ってくる情報は限られる。
他にも、生き残った教会の下衆野郎どもが聖女の名前で金儲けをしているかもしれない。
愛しいダリンの血を引く、可愛い子達にももっとたくさん会えるかもしれない。
そのことに、サミーはようやく思い至ったのだ。
「世直し旅ですか? いいですね、聖女みたいじゃないですか」
「ちげーし。これは、金儲けの旅なの! 勝手に使われた金を取り戻すみたいな?」
何故か半ギレ状態で言い返してくるサミーの顔を見れば、朝日を浴びるその首筋が、少しだけ赤くなっていた。
今回、ちゃっかりとサミーは真なる聖女教会の貯め込んだ財宝たちを、ごっそり馬車に積み込んできた。吹き飛ばされることのない床下へ貯め込まれていたそれらをサミーは驚異の嗅覚で探り当て、当然の顔をして馬車へと運び込んだのだ。
教会関係者はそれを止めることなく見送った。
だからまぁ、これ以上の財を求める筈もないのだ。
そっぽを向いたままのサミーの愛しい顔を、ダリンは見つめた。
――眩しい。今は、ダリンだけの聖女だ。
「いいですね。それでこそ、私のサミー。私の奥様です」