それいけ!カナエタロウ <大金(おおかね) 望恭(もちたい?)君の場合
何を想うのか。
何があったのか・・・
唯、宛ても無く彷徨うように足を踏み入れたのは?
人其々に願望はあるだろう。
唯、強欲過ぎては身を亡ぼす。
人にはその人なりの欲に収めておかねばならない。
例え目の前に望外の報酬が積まれていたにしても。
昼下がりだというのに此処に来る客が居るなんて。
純喫茶<願望>
こじんまりしたカウンター席が6つあるだけの珈琲専門店。
木目も消えかけた一枚板で手書きの看板が、この店を表しているようだ。
カウンターに座る30代の青年は、何かに疲れたようにため息を溢す。
呑まずに置かれた珈琲カップソーサーは、既に冷たくなっているというのに。
きちんと整えられた髪とは裏腹に、スーツはやや草臥れて襟元の商社バッチが霞んで観えた。
青に丸のバッチは、一流企業である証。
それなのに目立たなくなるまで擦り切れているようにも観える。
まだ暑さの残る季節だというのに、上着も脱がず物思いに耽っている青年の名が判った。
ボタンがかけられていない上着の隙間から、垂れ下がった名札が見て取れる。
そこには商社バッチから想像できた通り、<丸青商事>の文字と・・・
営業部2課 大金 望恭 と、記されてあった。
外商マンだろうか、昼下がりに珈琲を口に運べる余裕は感じられないのだが。
「はぁ・・・」
青年と呼べる見た目の男から、思い悩むため息が零れた。
カウンターの中でその様子を観るでもなく、週刊誌のクロスワードに興じていた店員が。
「お客さん、店長が帰って来たら怒られちゃいますよ?」
ふと、思い出したように声を掛けて来た。
半袖にピヨピヨ雛のプリントの付いたエプロンを下げているバイトの娘が、呑まない青年に話したのはこれが注文以来初めてだったが。
「飲もうと呑まなかろうと、こっちの勝手だろ?!」
声を荒げた大金に対し、バイトの娘は<ああそうですか>と週刊誌に目を戻す。
「おじさん、ちょっと聞きたいんだけどぉ」
週刊誌からは眼を逸らさずに、バイトの娘が訊いた。
「よくこの店に気が付きましたねぇ?どうして入る気なったのか・・・当ててみようか?」
人懐っこい声で娘は話してくるのだが、週刊誌からは眼を離そうともしない。
「気が付いた?歩いていたらここにあっただけで・・・他意はないが?」
応えた大金に、バイトの娘が指をさしてから。
「悩みがあるんだよね?それも心を奪われちゃうくらい大きいのが・・・さ!」
クロスワードの文句をぶちぶち言うのを辞めて、ずばりと言い切られた。
まるで人の心でも読んでいるかのように・・・だ。
「何を・・・言うのかと思えば。それこそ人の勝手じゃないか?!」
否定はしなかった。
確かに言われた通りだったから。
「君に答える義務なんてないだろう?!人には人の悩みがあるんだよっ!」
声粗く言い返しても動じる事も無く、バイト娘は手を引っ込めて。
「当りぃ~っ」
否定しなかった大金に意味有り気に笑った。
やっと顔を向けたと思ったら、バイトの娘は笑うのを辞めると。
「ねぇねぇおじさん。どんな悩みなの?どんな望みがあるの?」
興味深げにカウンターに乗り出して顔を寄せる。
栗毛の髪と鳶色の眼が印象的な、明るい感じの娘だと思った。
さっきまでは不愛想なバイトだとばかり思っていたのに。
「あっ、その顔は・・・惚れましたね?」
キャパキャパ笑う娘に、毒気を抜かれて思わず視線を逸らせてしまう。
ラフな半袖から零れる少女らしい瑞々しい素肌だけは、ちらちらと目にしていたが。
「あらら・・・そんなに気になりますぅ?JKの躰ってのに?」
またもキャパキャパ哂うバイトに、いい加減嫌気が差して。
「客を揶揄うにも程があるぞ!」
怒るついでに、エプロンとTシャツの隙間から覗く谷間を目に停めるのも忘れなかった。
「あららぁ~っ、ホンッとに目が早いんですねぇ?!」
ニタニタ笑うバイトの娘に、そう突っ込まれれば居場所がない。
気まずくなって勘定を済ませて退散しようと考えたが。
「駄目ですってぇ、ちゃんと飲み干していかないとぉ」
パタパタ手を振られて押し留められてしまう。
不思議なことに、バイトの娘がそう言うと腰が上がらなくなっていた。
「じゃあぁ~、望みってモノを話してくれたらタダにしちゃいますよ?」
舌足らずな声でバイトの娘が望んで来た。
自分の悩みを打ち明けたら珈琲代をチャラにすると。
僅かワンコインが惜しい訳じゃなかったが、この娘にそう言われると断れない気がしてきた。
「本当に話すだけで良いんだな?」
「勿論っ!嘘は言えないホトトギス!」
意味不明な受け答えをされたが、大金はこんな娘に喋っても構わないかと考える。
「俺はこう見えても社内じゃ優秀な成績を収めてるんだ。
それなのに給料は増えないし、付き合いばかりが増えるんだ。
上司のおもりや、関連会社の付き合いに駆り出されてヨイショばかりさせられる。
出費の割に損ばかりさせられて、ちっとも蓄えられないんだ。
もう会社を辞めようか、どこかに拾って貰えないかと悩んでいるんだ。
いっそ、どうにかして大金を手に出来やしないかと望んでいるんだよ」
一気にそれだけ話すと、冷めた珈琲を口に含んだ。
「に・・・にげぇなコレ」
思わず吹き出しそうになる程のの苦さと渋み。
「冷めちゃったからねぇ、ウチの珈琲は冷める前に飲まないと」
何かを考えてるバイトの娘が青年へ教えると。
「それじゃぁ、オジサンの望みって言うのは?」
目を光らせて問い直して来た。
「そうだな、手っ取り早く大金持ちになりたいって事だな」
秘密の喫茶<願望>で話してしまった。自分の願望を。
秘めていれば望みで終わったのに、珈琲を口にして喋ってしまったのだ。
「ホーント、オジサンは欲深いんだよね?
そんな願望を<カナエ>たいの?」
大金に知られないよう鳶色の瞳が光った。カウンターに着いている紅いボタンに指を添えて。
「ああ、<カナエ>られるモノなら<カナエ>たいな」
「ご来店おめでとうございますー!」
いきなりバイトの娘がボタンを押した・・・・と、同時になにか得体のしれない者が。
「呼ばれて飛び出てジャジャJA・・・PON!っと」
キンキラ金のラメ入りスーツを着た初老の着け髭男がカウンターから現れた。
「あのぉ。いつも思うんですけどタロウさん。
このボタンを押す意味ってあるんですか?」
バイトの娘が現れ出た変態親爺に訊いている。
「さっちゃん、それがお約束ってモノだよ」
「はぁ・・・よぉーっく了解!」
さっと敬礼するバイトの娘。
「なっ?!なんだよお前は?」
大金はタロウに驚き・・・モトイ、呆れていた。
「ふふんっ!驚いたか小市民。我こそは・・・」
「勿体ぶらずにさっさと名乗れ!」
突っ込まれたタロウが肩を落とす。
「まぁまぁ店長・・・じゃなかったタロウさん。ここはアタシに任せて!」
さっちゃんがエプロンの中から印籠を取り出し。
「ひかえぃっ!この紋処が眼に入らぬかぁ!
こちらにおわすのは、畏れ多くも・・・」
「黄門とか云うんじゃねぇだろうな?」
突っ込まれたさっちゃんも固まる。
「ひそひそひそ・・・・」
タロウとさっちゃんがカウンターの中でひそひそ話を始める。
「もう、どうでもいいわ・・・帰るから」
呆れ果てた大金が立ち去ろうとするのを。
「あいや暫く!タロウさんに願いを叶えて貰うんでしょ?!」
慌ててさっちゃんが呼び止める。
きらきら輝く鳶色の瞳で呼び止められて、叶えて貰うのワードに脚を停めた。
「どうやってだよ?どうやりゃ大金持ちになれるんだ?」
だんだん欲望が本性を剥き出しにしてくる。自分の中にある欲求というものが。
不満を抱いて働かざるを得ない現状に、嫌気が差しているのは否定しない。
それを覆せるのならば・・・それが出来るには・・・
「俺に大金を掴ませてくれるってんのなら、話は聞くぜ?」
立ち止まった青年が、二人に手を突きつける。
「そう?!じゃあ、先ずは。お客さんのお名前を訊かなきゃね?」
話に乗って来た大金に微笑みながら名前を伺って来るさっちゃん。
その手にはなにやらアンケート用紙みたいな物と、ボールペンが握られている。
「はい、では・・・先ずはお名前と、それから<願望>を教えてくださいねぇ~」
急に業務口調になるさっちゃん。
「えっ?!あ、はい。
自分は大金 望恭28歳会社員です・・・」
「ふむふむ。大金望恭さん・・・っと。あ、年齢はいいです」
ペンを奔らせていくさっちゃんに、目を落とす大金君。
「で、肝心の<願望>ですが。どのように記しましょうか?」
「あ、だから。大金持ちになりたいと。会社なんて辞めれるくらいの」
黒い願望をさっちゃんに言ってしまった。
大金君の言葉通りに用紙に書き込むさっちゃん。
「それで・・・宜しいのですね?他に何かございますか?」
その他欄にペンを添えて、最後の質問にかかるさっちゃん。
それが、大金君の分かれ道だとは思いもしない・・・欲望に支配された頭では。
「いや、金さえ手に出来れば。後はどうだっていいんだ」
その他欄に<金さえ手に出来れば>と、書き込んでからにっこり笑うさっちゃん。
「はい!これにて誓約書は出来上がりました。お疲れさまでしたぁ!」
営業スマイルで大金君に微笑むと。
「タロウさん、こう言う要件らしいですよぉ!」
用紙を金ぴかおじさんに手渡す。
「ふむふむ・・・大金を・・・手にしたいと?」
用紙を観ながら大金君に質す変態おじさん。
「そう!俺は会社なんて嫌になったんだ。金さえ手に出来れば務めなくて良いんだから!」
黒い欲望に染まった大金君は、タロウの前で言い切ってしまった。
「宜しい・・・その<願望>。カナエタロウ!」
ズバッと言い切った!変態オジサンが!!
「あはは・・・何言ってんだよおっさん?」
小馬鹿にされたと大金君は腹を立てるのだが。
「大金を手にしたいと願っただろう?叶えさせてやるといったのだよ」
タロウはニヤリと口を歪めて大金君に言い切る。
「大金さえ手に出来ればいいのだろう?簡単な事だ」
簡単・・・だと?!
「私の言う通りにすれば、大金を手に出来るが?やってみるかね?」
なんだか怪し過ぎるが、タロウは大金君に自信たっぷりに言い切っている。
「どうやって?強盗とかに手を染めさせる気か?」
少し疑ってかかるが、タロウから返って来たのは。
「いんやぁ、このメールと手紙を差し出すだけで良い。
そうすれば一両日以内に大金が手に出来る・・・ほぼ間違いなく」
金ぴかおじさんは、手元のブラウン管式モニターを観て哂う。
そこに映っていたのは・・・
「大金君とか言ったね。君の務める会社名を教えて貰いたい。
いや、確認の為だけさ。他に他意は無い・・・にひ」
何かがあるのは見え見え。他意があるのは丸解かり。
だが、大金君はストレートに訊いたタロウに答えてしまった。
「ああ、<丸青商事>っていうんだが。それがなにか?」
「カナエタロウ!」
大声でタロウが叫ぶ。歪な口元は大当たりだと教えている。
「これで間違いなく君に大金が渡る。後は自分で願望を遂げたら良い」
叫んだタロウは、プリンターに印字させる。
数秒後出て来たB5用紙を大金君に差し出し。
「この通りにメールと手紙を差し出すんだ。あなたの経営者に」
そこには、内部資料と法的処置について印されていた。
「あ・・・これは?!」
用紙に書かれてあったのは。
「脅迫状じゃないか?!」
内部告発を仄めかした文章に、大金君は蒼褪める。
「如何にも。だが、内部告発をした者は殆どが会社を辞めざるを得ない。
早めの退職金と思えば良いじゃないのかね?」
そこに記されてあるのは、それ相応の金額とも言えた。
大金には違いないのだが、なにやら現実味が有り過ぎて物足らない気になる。
「会社を正せて、職を失うのだから。正義に違いない」
「おおっ!さすがタロウさんっ、素敵です!」
タロウとさっちゃんは勝手に盛り上がっている。
確かに金ぴかおじさんの言う通りだろう。
こうやって会社がアコギに儲けているのに、自分達には給与を上げてもくれないのだから。
今務めている仲間達には、会社そのものが良くなれば待遇も改善される筈だから・・・でも。
「そうか・・・それもいいかもな」
心の奥で、大金君は違う欲望を持ってしまった。
「どうせ会社を辞めるのなら・・・もっと大金を掴みたい」
欲が欲を呼んだのだろう。
大金君はタロウの文章を変えることを企んだ。
「よーし、この話のったぜ!ありがとうな!」
B5用紙を鷲掴みにして、さっそく会社に戻る気になった。
邪な瞳になって・・・
「いえいえ!頑張ってね大金君」
さっちゃんが手を振り送り出してくれたのも知らずに、大金君の頭の中は。
「金だ金!もうすぐ会社から分捕ってやれるぜ!」
自分の欲求に忠実な大金君は、不相応な報酬を目論んでしまった。
それから・・・約一月後。
相変わらず週刊誌のクロスワードに興じているバイトのさっちゃんが居た。
客足の途絶えた<願望>の中で。
「今日も暇ですねぇ・・・タロウさん?」
手持ちぶたさのバイトのさっちゃんがクロスワードに飽きたのか、週刊誌を閉じてカウンター下に寝そべる初老の店長に話しかける。
「暇なのは世界が平和だという証なのだよ、早紀ちゃん」
「そうですかぁ?それならいいんですけどぉ?」
週刊誌を投げ出したさっちゃんが、タロウをカウンター越しに見下ろして。
「じゃぁ~あ、平和な世界にしてくれるタロウさんにぃ、アタシの願望を叶えて貰おうかなぁ?」
にひひっと笑い掛けた。
「残念だがなさっちゃん、それは出来ない相談なんだよ。
一人一回が規定なんだから、この<願望>が叶えられるのは・・・さ」
ぼそりと初老のタロウが応えて、キーボードを片付ける。
「けちんぼですねぇ、一人一回だけなんて。
願望なんていくらでも湧いて出るものなのに・・・」
肘をついてタロウを見下ろすさっちゃんは、口を尖らせながらもタロウに微笑んでいる。
「そう、願望は数えたらきりがないし、その都度代わるものだよ。
一つを叶えたらまたその次・・・欲は願望じゃないよ?」
「へぇータロウさんでも、立派な事を言う時もあるんですねぇ?」
「でも・・・は、余計」
誰も来ない純喫茶<願望>で、今日もカナエタロウは待っている。
誰かが悩み戸惑いながら、ドアを開くのを・・・
バイトの早紀が読んでいた週刊誌の一面トップの記事には、
「「<丸青商事>に巨額脱税と禁止薬物販売の嫌疑」」と大見出しが躍っていた。
その横には丸く抜かれた所に写真付きで紹介された別の記事が「大金容疑者逮捕、巨額脅迫罪と横領罪で送検」の文字が大きく掲載されていた・・・
人は大金を目の前にして欲望を肥す時、足元を掬われる。
身の丈以上の金は、望むべからず・・・掴むべからず。
金は天下の廻り物。
カナエタロウ・シリーズ化しました!
前作を知らない方は是非。
この世界のどこかにある街で。
どこかの片隅にあるという、「なんでも望みを叶えてくれる」喫茶店があるらしいのです。
あなた知らない喫茶店に足を踏み入れてみますか?
それだけの勇気があるのなら・・・
純喫茶<願望>・・・あったらどうしよう?