09.シャーリーの想い
中盤で虫の描写が出てきます。苦手な方はご注意下さい。
「この容器には霧の魔石が入っているから、ここを押して殺虫剤を葉っぱ全体にかけておくれ。花の蕾にかけると色が変色するからそこだけは避けるように、こうやって吹きかけて」
「はい」
「葉っぱの裏に虫が付いていたらこのハケで取ること」
「はい」
「よし、じゃあこの列は頼んだよ、お嬢ちゃん」
「はいっ!」
パームさんに一通り作業を教えてもらった後、エリザベスは目の前の苗が何処までも生い茂っている様子を確認した。
うん、果てしない。
腕まくりをして気合を入れる。
「お嬢様、日に焼けるので腕まくりはおやめください」
「……はい」
さっきまでずっと「嘆かわしや、嘆かわしや……」とエリザベスの格好を見てブツブツ唱えていたシャーリーは、ダニエルの「日焼け対策としてはいいんじゃないか?」の一言によってやっと落ち着いたのだ。
この格好、そんなに変だろうか……?
パームさんや他の女性も似たような格好だけれど、その姿を見ても変だとは思わなかった。
むしろ歌を歌いながら笑顔で働く様子はカッコいいとさえ思ってしまう。
よし、じゃあ私も……!
気合を入れて霧吹きの容器を持ったエリザベスだが、まだ花をつける前の緑の蕾を探すのに手間取ってしまう。パームさん達のように流れるような作業はとてもじゃないが出来なかった。
その様子を少し離れた場所から眺めていたシャーリーとダニエル。
「いきなり手伝いたいって飛び出した時は冗談かと思ったけど、真剣に仕事してるよな……」
「お嬢様は根が真面目だからね」
「噂ってのは当てにならないなぁ」
「噂?」
「エリザベス嬢がわがままで横暴だって」
「ああ……」
シャーリーは言うかどうか迷ったけれど、真剣に作業をするエリザベスの姿を見て言葉を続けた。
「二週間前のお嬢様は確かにそうだったかも」
「ん? 二週間前?」
「そう。お嬢様はわがままで横暴で、侍女達はみんなお嬢様の担当になるのだけは嫌だって。私は押し付けられて嫌々お嬢様の担当になったの」
「…………嘘だろ?」
「くすっ、本当よ。でも二週間前、お嬢様の中で何があったのかは分からないけど、急に性格が変わられてしまったの」
ダニエルはシャーリーの話を聞いて鵜呑みにはできなかった。人の性格はすぐに変わるはずが無い。エリザベスとは今日初めて出会ったが、わがままで横暴な姿など微塵も想像出来なかった。
ダニエルの疑うような眼差しに気づいたシャーリーは、信じてくれなくても構わないと言うように話を続ける。
「私も最初は疑ったわ。いくら階段から落ちて頭を打ったからってここまで性格は変わらないって。またすぐに以前のわがままなお嬢様に戻るんじゃないかってビクビクしてた」
ダニエルは階段から落ちたと聞いてヒヤッとしたが、先程エリザベスに名前を間違えられた事、目の前のたどたどしい手つきで一生懸命に頑張っている姿と合わせて、彼女は普段からおっちょこちょいなんだろうな……と、少し微笑ましく思った。
「でもね、お嬢様は最近いつも私の名前を呼んでくれるの」
「……名前を呼ぶなんて普通だろ?」
「違うの。いち使用人として呼んでいるんじゃなくて、私の目を見て笑顔でシャーリーって。……まるで家族のように呼んでくれるのよ」
そう話すシャーリーの顔は少し涙ぐんでいた。
ダニエルはシャーリーの生まれが孤児院だって事を知っているので、その潤んだ瞳の真意を汲み取った。
「私がお嬢様の為に何かをすると、必ず毎回「シャーリー、ありがとう」って、笑顔で言ってくれ……て……」
ポロっと一粒こぼれたのが分かって、シャーリーはダニエルに見られない様に顔をそらした。ダニエルはそれに気付かない振りをする。
「っ……とにかく、お嬢様にそう言われる度に、私はいつ昔のお嬢様に戻ったら……ってビクビク考えるのが馬鹿馬鹿しくなったの。お嬢様にお仕えするこの仕事が楽しくなっちゃったのよ!」
シャーリーはエリザベスを眺めて笑顔で言った。
「ふぅ〜〜ん」
ニヤニヤしながらダニエルは言った。
シャーリーとダニエルは十八歳と同い年だった。元々騎士団の食堂で元気に働いていたシャーリーと、その食堂では大食らいと有名なダニエルは、年も同じせいかすぐに仲良くなった。
二年前、お給金が良いからとの理由でレポワージュ家の使用人として働く事となり、シャーリーは食堂を去っていった。
食堂で元気に働いていたシャーリーが、奉公先で良くしてもらっているのかどうかずっと気がかりだったので、ダニエルはホッと一安心する。
「何なの……。人が真剣に話したのに気持ち悪い顔して」
「気持ち悪いって、失礼だな!」
ダニエルが声をあげたら、目の前にパームさんがやって来た。
「あらぁ、二人とも元気そうね?」
その満面の笑みに嫌な予感を覚える。
「ボーッと突っ立ってても暇だろう? 手伝ってもいいんだよ?」
「いえ、私はお嬢様が汗をかいたら拭かなければなりませんし、喉が渇いたら紅茶を出して差し上げなければならないので忙しいのです」
パームさんの迫力ある笑顔にも負けず、微動だにしない笑顔でシャーリーはつらつらと答える。
「そうかい? じゃあそこのゴッツイ坊やはどうだい?」
「ゴッツイ坊や?! ……いや、俺の仕事は、エリザベス嬢の警護なんで……」
パームさんの凄みのある目力に、ダニエルはしどろもどろに答えた。
「つかぬ事をお聞きしますが、警護と言っても、この辺りに変な輩は出るのでしょうか?」
ニンマリと不動の笑顔を保ったまま、シャーリーはパームさんに尋ねる。
「いいや、この辺で変な輩が出たなんて一度も聞いた事がないねぇ……」
パームさんの有無を言わさないような笑顔がダニエルに迫ってきた。
「……!! おいっ、シャーリー! この野郎!」
ダニエルは虫取りのブラシを渡され、ズルズルと引きずられるように連れていかれた。
それを「うぷぷぷ」と笑いながらシャーリーは見送る。
「お嬢ちゃんが手こずってるから、ゴッツイ坊やは一緒に手伝っておやり」
そう言って「葉の裏に付いている虫をこうやって取るのよ」と、ダニエルに手本を見せた後パームさんは自身の作業に戻って行った。
虫……。このちっちゃい虫達はアブラ虫だろうか。
葉っぱの裏にはびっしりと虫がくっ付いていた。
「――――!!!」
ダニエルは喉の奥まで出かかっていた悲鳴を必死に堪える。
ダニエルがブラシを持って停止している事に気付いたエリザベスは不思議に思い近づいた。
「ダニエルさん、どうなさいましたか?」
「――ヒッ!? エリザベス嬢……」
あまりにも動揺していたダニエルは、エリザベスの気配に気付かなかった。
それは警護する立場の騎士として失格だった。更にエリザベスを手伝う事になったが、手伝える自信が無いダニエルは余計に声を小さくして話し出す。
「すいません……、エリザベス嬢。お恥ずかしい話なんですが……私はどうも、この小ちゃい虫が集合している様子が、何というか……苦手で……」
ダニエルは身長も高くガタイもしっかりしていた。燃えるように赤い髪と瞳に、整った顔立ちの目元はキリッとしている。それが彼の屈強なイメージを更に引き立てていた。
大きな熊が出てきても勇敢に立ち向かって行きそうな男が虫が苦手だと頭を抱え、今にも消え入りそうな声でボソボソと呟くのだ。
「フッ! フフフフッ」
エリザベスはその余りのギャップに笑いを堪えきれず噴き出してしまった。思いっきり笑われたダニエルは余計に小さくなっていく。
「ククク……っ、ごめんなさい……」
目尻に溜めた涙を拭きながら、エリザベスは謝った。
ダニエルは自身を恥じる思いだったが、エリザベスの笑顔が決して人を馬鹿にしたようなものでは無いと感じた。
「では、私が虫を取るわね。ダニエルさんはこの霧吹きで殺虫剤を撒いてもらえるかしら」
「……エリザベス嬢は虫が平気なのですか?」
エリザベスの優しい笑顔にダニエルの顔の熱が少し上がりつつも、侯爵家の御令嬢が虫に触れられるのかと心配になった。
「虫には……慣れているわ」
「え?」
ダニエルはエリザベスのボソッと言った一言が聞こえなかった。
「いいえ、何でもないわ。とにかく平気だから、交換しましょう」
そう笑顔で言って、お互いの持っている霧吹きとブラシを交換した。
服役していた頃に居た治療施設の建物には虫がしょっ中出ていたので、エリザベスは慣れていたのだった。
ダニエルは持っている作業道具を交換する際、エリザベスの手に触れてしまった事に動揺してしまう。胸がギュッと締め付けられた。
この気持ちは、何だろう……。