05.記憶にございませんわ
現在エリザベスは十三歳。そして十二歳でレオナルド殿下と婚約したのは間違いない。
絶対に間違いないはずなのに――――
「えっ、去年のルイヴィサージュ祭ですか? 中止になったじゃないですか。それがどうかされましたか?」
移動中の馬車の中、侍女のシャーリーは大きく首を傾げた。
「あ……うん、そうよね。いや、何でもないの。気にしないで頂戴……」
エリザベスは混乱しながらも、家を出る前にアーガイルから聞いた事実をもう一度確認した。
セオドア・ルイヴィサージュ国王陛下の生誕と国の繁栄を祝う記念式典。通称ルイヴィサージュ祭。毎年、国を挙げて祝う大きなお祭りなのだが、去年は中止になったという。
理由は我が国の国境にあるマーガリア領と隣接する小国、ラジェール王国との小競り合いが激化した為だ。一昨年の暮れから一年間、戦争が勃発してしまったらしい。
当初は小国だと侮っていた事が仇となり、戦争には勝利したものの結果的に被害はかなり大きかったようだ。ルイヴィサージュ祭は戦争真っ只中の時期だった為、急遽去年は見送ることになったという。
エリザベスはそれを聞いて開いた口が塞がらなかった。
何故なら、エリザベスとレオナルド殿下の婚約を大々的に発表したのが、去年のルイヴィサージュ祭の式典での事だったからだ。
もちろん、つつがなく式典は終わり、その後正式にエリザベスとレオナルド殿下は婚約を結んだ。
今までルイヴィサージュ祭が中止になった事など一度もないはずだし、ラジェール王国と戦争になった記憶など一切無かった。
今現在、エリザベスがレオナルド殿下と婚約していないというのなら、原因はきっと戦争が起きたせいだろう。
レオナルド殿下の婚約者候補はエリザベス以外にも数名いた。それをルイヴィサージュ祭に合わせて、国王陛下や王妃様、大臣達の判断で選ばれていたのだ。
お祭りが中止になったとしたなら、婚約者の選定が無くなったのも頷ける。
しかし、何故歴史は変わってしまったのか……?
「はぁ……、訳がわからないわ」
エリザベスは無意識に大きな溜息をついてしまった。
「「…………」」
現在、レポワージュ領にある街中まで馬車を走らせている。御者の隣には護衛騎士が一人。車内にはエリザベスとシャーリーの他にもう一人の護衛騎士が乗っていた。
エリザベスの溜息が車内の空気を凍てつかせ、動揺したシャーリーと護衛騎士は目が合った。
護衛騎士(おい、どうなってんだよこの状況は。楽しいお出かけじゃなかったのか?)
シャーリー(私だって分からないわよ! お嬢様は最近、とーーーーっても繊細なの。むさ苦しいあんたがいるのが原因かもしれないわ!)
護衛騎士(なっ、むさ苦しいって何だよ! それにレポワージュ家のお嬢様が繊細なわけ無いだろ。それより、この空気をどうにかしてくれ)
シャーリー(は? あんた何様なの?! 最近のお嬢様を知らないくせに! あーやだやだ、今すぐ御者台にいる護衛の人と変わってよ!)
二人は声を出さず、口の動きと身振り手振りだけで意思疎通をしていたが、怒りで大きく開いていたシャーリーの口の中に、いきなり甘い何かが入ってきた。
「「あ……!」」
いつのまにか二人のやりとりを見ていたエリザベスが、シャーリーの口に甘い砂糖菓子を放り込んだのだ。
「うふふ。楽しそうね。二人で何をしているの?」
シャーリーと護衛騎士は昔からの知り合いだったらしく、馬車に乗る前も同じようにじゃれ合っていたので、エリザベスはその関係を微笑ましく思っていた。
やりとりを見られていた事に恥ずかしくなったシャーリーは、砂糖菓子が入った口を手で隠すようにしてモゴモゴと話す。
「えっと……、むさ苦しい男が車内にいるのは、お嬢様も嫌かなぁと思いまして……その……」
「まぁ、そんな事はないわ。えーっと……ダナンさん……でしたよね?」
エリザベスは自信なさげに護衛騎士の方へ顔を向けた。
「あ、俺? いや、私ですか? ……ダニエルと申します」
「やだわ、私ったら。ごめんなさい……」
思いっきり名前を間違えていた事にエリザベスは恥ずかしくなる。
一方、謝られたダニエルは心底驚いていた。
ダニエルは第二騎士団に所属している騎士で、今日は急遽レポワージュ侯爵からの依頼により護衛の任務で派遣されていた。
レポワージュ侯爵家の一人娘はわがままで横暴だと噂を耳にしていたので、今日はどうなる事かと思ったが、実際はどうだろう。
わがままで傲慢な片鱗は一切見えず、むしろ謙虚に謝られたではないか……。
更に、こういった上流貴族の護衛は何度か経験した事があるが、名前を覚えようとしてくれた人はエリザベスが初めてだったのだ。
「ええと……じゃあ、改めてダニエルさん。今日はいきなりお仕事を増やしてしまって申し訳ないのだけれど、よろしくお願い致します。ダニエルさんのように逞しい方が護衛してくれるのは心強いですわ」
エリザベスのほころぶような笑顔を見て、ダニエルの心臓に雷が落ちた。
「あ……。はい」
ダニエルは動揺して、ろくに返事も返せなかった。そして目の前のエリザベスの背景には何故かキラキラと花が咲いているように見える。この現象は一体何なのだろうか。
そんなダニエルの気持などつゆ知らず、エリザベスは惚けている彼の手を取って砂糖菓子を一つ手渡した。
「……?!!」
「良かったらどうぞ。甘くて美味しいですよ」
「えっ、あっ、はい! いただきます!!」
真っ赤な顔をしたダニエルは、貰った砂糖菓子を勢いよく口に突っ込む。
「あ、甘っ……ゴホッ、ゴホッ!!」
「だ、大丈夫ですか?! シャーリーお水はある?」
「いえ、(ダニエルに飲ませる水は)ありません」
「あれ、確か水筒があったはずじゃあ……」
「ゴホッ、…………!!」
「あ、お嬢様、ダニエルの背中をさすったら逆効果になりますから、お止め下さい」
「え?」
「ゲホッ、ゲホッッ!!」
…………
変わってしまった歴史の謎は分からないけれど、エリザベスはひとまずお出かけに集中する事にした。