02.堅く心に決めた決意
「エリーはまるで人が変わったようだ」
兄や両親に何度もそう言われる。
侯爵家の使用人達もエリザベスの変貌に驚きを隠せないようだった。
以前暮らしていた豪華なお屋敷で目覚めてから三日が経過した。
エリザベスもさすがにこの覚めない夢は現実なんだと悟るようになる。
「あの……今更で申し訳ないけど、貴女の名前を教えて下さるかしら……?」
そう言われた侍女は今日も驚きを隠せなかった。
お嬢様がへりくだって申し訳ないと言った……!
お嬢様がいち使用人である私の名前を知りたがっている……?!
以前のエリザベスは、使用人の名前など気にかけた事がなく、いつも権力を振りかざすように威圧的な態度をとっていた。
あのお嬢様が……。階段から転げ落ちて一週間寝込んでいた間に何かあったのだろうか?
もしや、転げ落ちた際に頭を打ってしまったのかもしれない。うん、それしか考えられない。
「シャ、シャーリーと申します。お嬢様」
エリザベスが階段から転げ落ちる際、何もできず側にいたのがシャーリーだった。
目覚めてすぐにお叱りを受けるのだと覚悟していたが、幸いにもエリザベスは覚えていなかったので安心していた。しかし不安は拭えない。
今は人が変わったように穏やかで静かになったが、また何かのきっかけで元の横暴なお嬢様に戻るかも……。
怯えているのを隠すかの様にシャーリーは名乗った。
それをエリザベスはとても申し訳なく思う。
「シャーリー、素敵な名前ね。確か古語では森の白き妖精という意味だったわ。今まで貴女の名前を知ろうともしなかった私の為に良くしてくれて、本当にありがとう」
エリザベスはシャーリーの手を取り、申し訳なさそうに微笑んだ。
シャーリーは驚きを隠せず目を見開いた。
エリザベスの髪は母親譲りの綺麗なシルバーブロンド。瞳は父親譲りのエメラルドのような優しい輝きを放っている。肌は陶器のように白く繊細で、元々顔立ちは整って美しかったが、今は聖女のように慈悲深く神々しい顔つきをしていた。
「そんなっ、私には勿体ないお言葉です!」
慌ててシャーリーはエリザベスの白く細長い華奢な手を振り払ってしまった。
「あっ、すいません……」
「いいのよシャーリー。まだ自由に身体が動かないから色々と迷惑をかけてしまうけど、これからもどうかよろしくお願いね」
はて、はたして頭をぶつけただけで人はこんなにも変貌するのだろうか……?
以前は傲慢さが滲み出ていて、こちらが一歩たじろいでしまいそうな顔つきだったのに、今ではこのお方を守ってさしあげたいと思うような、庇護欲を掻き立てる美しさである。
更に十三歳の若さで古語を嗜む教養を持ち、目下の者に気遣いの言葉をかけれる貴族などはたして何人いるのだろうか。
呆然としながらもエリザベスのお世話をなんとか終わらせてシャーリーは部屋から退出した。
この後はエリザベスの食べ終えた食器を片付けて、洗濯物を洗いに行かなければならない。
余計なことを考えていたら仕事が押して自分の休憩時間がなくなってしまうだろう。
シャーリーは頭を切り替えて厨房へ向かい、急いで食器を洗おうとした。
「あれ……?」
指先のひび割れが酷くいつも洗剤がしみていたが、それを感じなかった。
長年の水仕事でひどく荒れていた手はなぜか全く荒れておらず、むしろ生まれたての赤ちゃんのようにきめ細やかでスベスベとしていた。
「えーーーー?!」
「シャーリーうるさいわね! そんなに元気ならこっちの洗い物もやってちょうだい!」
運悪く侍女長が厨房に居合わせていた。
どうしてなのか、原因を考える暇もなくシャーリーは沢山の洗い物に追われることとなった。
三日間このお屋敷で生活してエリザベスは考える。
アーガイルが何度もおでこやほっぺにキスをしてくれる時の嬉しくも恥ずかしいむず痒さ。お父様とお母様の柔らかく包み込んでくれる抱擁の愛しすぎる温かさ。未だに自由に動けないエリザベスを気遣ってくれて、エリザベスの部屋で家族団欒に食べる食事はなんとこの上なく美味しい事か……。
以前のエリザベスだったらどうって事のない当然の出来事も、今のエリザベスには勿体ない程の幸せと言い表せない程の感謝を感じる事ができた。
何度寝ても覚めても変わらない。ここは幸せな夢の中なのではなく現実だったのだ。
どうしてこうなったのか、考えても分からない。罪深い私に神様は何をさせたいのだろうか。
こんなに幸せな時間を取り戻す事が出来て、それにまたあぐらをかいて過ごしていては間違いなく前と同じ運命を繰り返すだろう。
だとしたら、以前のエリザベスが犯した愚行と罪を決して行わず、家族を幸せにしてあげたい。
そして服役中に知った数年後のこの国の悲惨な窮状。こんな私が誰かを救いたいと言うのもおこがましいが、貧困地域に住み苦しんでいるこの国の人々を救ってあげたい。
エリザベスはそう堅く心に決めたのだった。