01.幸せな夢
エリザベス・レポワージュ、享年二十四歳。
王都から程遠い人里離れた辺境の地にて亡くなる。
死因は戦地で人を癒し続けて自身の魔力が枯渇してしまった為。
エリザベスが今世で命を救った人数、千と二十三人。傷や病を癒した人数、五千と八百四人。未然に病気を防いだ人数、三千と百七十三人。
亡くなったのは計ぴったり一万人になった時だった。
聖女と呼ばれるに等しい力と働きをしたにも拘わらず、聖女とは呼ばれなかった人生。
それは自身が以前犯した大罪によって付けられた首輪によるものが大きいだろう。
かつて人を殺めた際に極刑と裁かれたが、エリザベスの持つ治癒能力により減刑され付けられた罪人の証である首輪だ。
それは一生涯かけて服役をさせる強制的な呪印を施した縛りでもあり、善行をしても決して感謝などされず、報われることのない囚人としての扱いを受けるのが当たり前という戒めでもあった。
悲しい事にその罪の証が外れる事もなくエリザベスは生涯を終え、土に還る事となる――――
はずだった。
眩しい光を瞼に感じて、エリザベスはゆっくりと目を開ける。
そして目の前に見えたのは豪華な模様が描かれた天井だった。
「懐かしい……」
そう口にした瞬間、横から声が飛んでくる。
「お嬢様お目覚めになられたのですね……!!」
お嬢様……?
エリザベスにもそう呼ばれていた頃があった。しかし罪人の首輪をはめられた時からは、エリザベスはエリザベスという名ですら無くなり、番号で呼ばれる日々だった。
自分の事ではないと思いながらも、声の主である方へ目を向ける。
…………?!!
そこにはかつてエリザベスに仕えていた侍女の姿があった。
何故彼女が……?! ここは何処?!
私は数ヶ月前からルイヴィサージュ王国の国境にある戦地に訪れていた。そして今にも崩れ落ちそうな掘っ建て小屋で兵士の治療をしていたはずなんだけれど……。
寝起きで朦朧とした頭だったがありえない状況に驚き、エリザベスは身体を起こして辺りを見回した。
煌びやかなシャンデリアに豪華な調度品、この広い部屋にあるものは何もかもが懐かしかった。エリザベスはかつて過ごしていた侯爵家のお屋敷、自身の部屋の中にいたのである。
治療中、体内の魔力が枯渇しそうになっていたまでは記憶にあるが、もしやその後倒れてしまったのだろうか。
と言うことは、ここは夢の中……なのかな。
「……お嬢様如何なさいましたか?」
キョロキョロしていたエリザベスを不思議に思ったのか、侍女は声をかけた。しかしその声は少し怯えたように上ずっている。
罪人であるエリザベスに怯えているのかと思ったが、首元を触れば首輪が無いことに驚いた。
やはりここは夢の中なのだ。目の前の侍女は、昔の傲慢でいばり散らしていた私に対して怖がっているのね。
「いえ、何でもないわ。それよりお父様とお母様はいらっしゃるかしら」
夢の中でもいいから一目会いたい……。
私がある殺人を犯して極刑になった際、両親だけはずっと私の味方だった。
もちろん自身の治癒能力を国が利用する為に減刑されたと思うが、侯爵家である両親の訴えも大きかったと思う。そのお陰で命までは奪われずに無期懲役として罪を償う人生を得られた。
しかし三年前、風の噂でお母様が亡くなり、お父様は病に倒れてしまったと聞いた。そして半年前にはその父親も亡くなってしまったと知らされる。
私が罪を犯したせいで生家から縁を切られる事となってしまった。心配と迷惑ばかりをかけて永遠に会えなくなってしまった両親。
一度でいいから育ててくれた感謝と共に不幸にしてしまった事を謝りたい……とずっと願っていた。
「旦那様と奥様はお出かけされているので夕方には戻られます。アーガイル様にはお伝えしたのですぐ来られるかと思いますが」
「え……何で……」
アーガイルとは私の一つ年上の兄の名だ。
私の罪を証言した本人であり、家を守るため即座に侯爵家から私を追放した人でもある。
一言で言えば兄は私を毛嫌いし、恨んでいるはずだが……。
エリザベスは最後に見たアーガイルの氷のように冷たい眼差しを思い出して身震いした。
全ては私のせいだけど、お兄様に会うのが怖い。
震える身体を自身の両手で包み込み、俯いた瞬間にバタンと扉が開く音がした。
「エリー!! 目が覚めたのか!」
アーガイルはそう言ってエリザベスの元まで駆け寄ると、まるで壊れ物を触るかのように優しく抱きしめた。
「お、お兄様……?!」
わけが分からない。私のこと怒っていないの……?
一瞬戸惑ったが、よおく見ればアーガイルの体は逞しいものの、まだ成長期の幼さが残っていた。
そっか、この夢は私が兄に愛されていた頃のものなのね。
でも、お兄様の優しい香りや抱きしめてくれる腕の温かさは、やけに現実味を帯びている気がした。
アーガイルは驚いたエリザベスの声を聞いて抱きしめていた腕をほどき、エリザベスの戸惑った顔を見てクスリと笑いながらおでこにキスをした。
「ああ、すまない。あまりにも心配してたから強く抱きしめてしまったかな。体は大丈夫かい? エリーは一週間も寝込んでいたんだよ」
そう言ってエリザベスの冷たい手を包み込んで、アーガイルは心配そうな顔を向ける。
「…………」
「……エリー?」
エリザベスの目元から一粒の雫がこぼれ落ちた後、ダムが崩壊したかのようにそれは次々に流れ落ちた。
「お……お兄様っ……ひっく。ごめんなさい……っ、私、おにいしゃまが……大すきですわ……!」
アーガイルとの仲が険悪になったのが十六の歳。そして罪人となってから五年間は、アーガイルに優しくされていた頃を度々思い出しては、自身の犯した罪を悔やみ続けていた。
ああ、ああ、ああ……
なんて幸せな夢なんだろうか……!!
「大丈夫だよ。もう怖くない。僕もエリーが大好きだよ」
怖い夢でも見ていたのだろう。そう思い、アーガイルはそっとエリザベスの頬をハンカチで拭く。
そして、もう泣かないでの意味を込めてエリザベスの目元に優しくキスを落とした。
エリザベスはそのやけにリアルな感触にも気づかず、あまりにも幸せな感情に飲み込まれてしまったのだった。