アタシはまだ、本当の河童を知らない。
大金袋狸那は、元ヤンキー少女である。
中学時代はそれなりに鳴らしていたのだが、高校で逆デビューを決意した。
きっかけは単純明快。
男子に、モテたくなったのだ。
……あれは、中三の春。
片腕だった子分が「ごめんね、姉御。彼氏ができちって。カタギに戻るわ」とか言い出して。
どうせろくでもない男に引っかかったに決まっているわ、とこっそり観察していたら。
彼女の様子はそれはもう、幸せそうで、輝いて見えて。
可愛いなぁ、すごいなぁ、とか、シンプルにそう思って――憧れた。
そう言えば、小さな頃の夢は――綺麗なお嫁さんになる事だった。
子分の激的に変わった姿を見て、狸那は初心を思い出したのだ。
だから、茶髪も黒に戻して、きゃるるん☆とした化粧も勉強して。
髪にカールを当ててみちゃったり、首や腰に巻いていた鎖をペンダントや長ミサンガと替えてみたり。
見た目だけならば、完璧なノーマル女子へと化ける事に成功。
極一般的な女生徒として、燥祓高校に入学した。
……しかしまぁ、人の性根とは急激に変えられるものでもない。
入学式で周囲の男子どもの顔を見渡しても、「あいつはヨユーで勝てそう。あいつは……微妙な勝負になりそうね。何かデカいし、赤いし。まぁ勝てるけど」と……。
正直、男子を恋愛対象ではなく、武勇を競うライバルとしてしか認識できない脳みそは健在だった。
更に――入学早々、ついていない。
厳ついリーゼントの三年生に絡まれてしまった。
男子にモテたいとは思っていたが、不良界隈に戻るつもりはない。
この手の輩はNGだ。
しかし三年生は「俺様はカワコー番長だぜ?」とか意味不明な事を言って中々解放してくれない。
……仕方無い、と狸那が拳を握った、その時。
「おはよーございまス。ちょいちょい、何してんスか。先輩さん」
……色んな意味で頭おかしいんじゃあないの?
そう言いたくなるような緑髪の少年が、割って入って来たのだ。
確か、入学式では同じ列に座っていた頭だ。つまり、クラスメイト。
緑髪の少年はしばらく、番長に対して言葉による説得を試みた。
常に微笑で、敬語を使って、最大限、荒事を回避しようとしている姿勢は感じられた。
しかし、番長の方はあからさまに「下級生がごちゃごちゃうっせぇな」と聞く耳無しな雰囲気で苛立ちを露わにしており……。
結果として、交渉決裂。
もう黙れ、と番長が拳を振り上げると――少年は即座に番長の顎に痛快な張り手を叩き込み、一発でノック・アウト。
「はぁー……血の気が多いってのは、悪い事ばっかじゃあねぇとは思うんだけどな。方向性、だよなー……」
少年は勝ち誇るでもなく、やれやれと辟易とした様子で頭を掻いていた。
不良との荒事は慣れたものだが、その行為に気乗りはしていない。そんな態度。
「……ちょっと、あんた。なに余計な事をしてくれてんのよ」
「あん? 余計な世話だったか?」
「ええ。野郎なんて、金玉袋を蹴り上げりゃあヨユーなのよ」
「……テメェ、すごく恐い事をさらっと言うな……」
少年は股間への攻撃を警戒するように、狸那から少し距離を取った。
「まぁ、余計だったってんなら謝るよ。ごめんな。こう言うのに首を突っ込むのは、家訓っつぅか、もうクセでよ。今回は勘弁してくれ」
少年は恩を着せる素振りもなく、へらへらと笑っていた。
「……………………」
馬鹿みたいだ、と狸那は思う。
普通「助けてもらったって自覚ある?」くらいの事は言ってきそうなものだのに。
少年は「次からは気を付けるよ。俺だって股間を蹴られちゃあ、たまんねぇからな」とだけ言って、手を振りながら踵を返した。
「……待ちなさいよ」
「ん? なに?」
「……一応、助けてもらった形ではあるから、御礼は言っておくわ。ありがとう」
「お。どういたしまして」
「それと、何か、して欲しい事とかはある?」
例え押し付けだったとしても、貸し借りはきっちりしておきたい。
狸那はさっさとこの借りを返すべく、そう訊いた。
「んー……? あー……そうさな……」
狸那の意図は理解できたらしく、少年は顎に手をやって少し考えると、
「じゃあ、今度、何か面白い話を聞かせてくれ」
「はぁ?」
「俺は人の話を聞くのが割と好きなんだよ。特に、面白い話な。でも、急に『面白い話しろ』って無茶振りじゃん?」
だから、今度。
何か良いネタが入ったら、それを教えてくれ。
「……ええ、わかったわ。首を洗って、待っていなさい」
「はは、何か復讐されるみてぇだな」
◆
それから狸那は、あの少年――クラスメイトの更頭龍助に聞かせるための面白ネタを探した。
だが……捗らない。
そもそも、龍助の事を名前くらいしか知らない。
そんな彼が面白がりそうな話だなんて、見当がつく訳も無い。
なので、まずは龍助の情報を探る事にした。
本人に訊くのが一番早いだろうけど。
本人に訊いて「え、そんな頑張ってくれてんの?」とか言われたら、何か腹立たしい。
なので、まずは同じ中学出身の奴を探す事にした。
「うちのクラスのあの緑頭、知ってる?」
そう訊くだけで、結構な情報が得られた。
それなりに有名人だったらしい。
中学の頃からやんちゃをやっている馬鹿。
それと、入学早々に番長に下克上を仕掛け、超新星ヤンキー【河童】と呼ばれるようになったとか。
(……下克上?)
――あれはアタシを助けるためにやった喧嘩でしょ?
だのに何故、そんな誤解が広まっているのか。
単純な話。
あの喧嘩の真相を知る三人が誰も、それを語っていないからだ。
狸那は自分が助けられた話なんて広めたくもないし。
番長は「下級生をナンパしてたら割って入られたのでムシャクシャして仕掛けたら撃退されました」だなんて情けない話、広める訳が無い。
そして龍助は――そもそも、喧嘩話を誇るような性分ではない、と。
だから、番長が撃破される瞬間を遠目にでも見た連中から「龍助が番長を撃破した」と言う話だけが拡散され、噂が独り歩きしているのだろう。
「…………何なのよ、あいつ」
男子に助けられた、なんて話……広められたくはないから、助かったけれど。
武勇伝が欲しい訳でもないのに、なんで不良なんてやってんのよ……と、少し、興味がわいた。
そうして、二週間ほどが過ぎ――来る日も来る日も、龍助の情報を探り続けた結果。
「おッス、おはよう」
「ぉ、おはよう……」
龍助に取って、毎朝すれ違うクラスメイト全員と交わす、ただの挨拶。
しかし狸那は、それすらも妙に意識してしまうようになっていた。
(……おかしい……絶対におかしい……!)
龍助について詳しく訊き込む内。
彼が中学時代から臨む喧嘩は、すべてがすべて、人助けや理不尽な輩を成敗すると言う目的があった事が判明した。
最初は「何よ、あいつ。正義の味方志望? 男子ってほんとガキね」と鼻で笑っていたはずだのに。
自分でもよくわからない心境の変化――その、龍助の新しい武勇伝を聞くと「へぇ、やっぱり。そう言う奴よね。ふふ」と、明らかにポジティブな感情が出てくるようになってしまった。
更に、龍助が微笑と共に挨拶をしてくる度に、何だか得をしたような気がする。
気分が上向きになる、と言っても良いだろう。
ただ正面からその笑顔を見て、挨拶を交わしているだけだのに。
(アタシの中で……何かが狂い始めている……!?)
まずい。何かがまずい気がする。
このままだと、顔から火が出そうな何かしらの感情がスタンピードしそうな気配がする。
本能的に己の何かしらの危機を察知した狸那は、早く、一刻も早く龍助に恩を返し、この龍助インフォ収集生活を終わらせねばと思った。
(これは……最終手段、だったのだけれど……!)
仕方無い、と狸那はある場所を目指した。
それは、教室の隅っこ、最後列の席。
「ねぇ、ちょっとあんた。大河さん、だっけ?」
「へ……あ、はい……どうも……」
教室の隅っこ外国人、リヴィエール・大河。
ナチュラル金髪に、眼鏡の奥の碧眼。小柄なくせに、大和の慎みなど知らぬと言った乳。
そして何より……時折、龍助とすごく楽し気に談笑している女。
(こいつを頼るのは……『こいつの方がアタシなんかより龍助の事に詳しい』と認めるのは、何だか負けた気がするから嫌だったのだけど……!)
何に負けた気がするのかはわからない。
こいつが龍助と楽し気に談笑しているのを見る度に謎のイライラに襲われたりもした。
しかし、背に腹の代打は務まらない。
「アタシは狸那ってんだけど」
「は、はぁ……リヴィエールです……その、な、何か……御用、でしょうか……?」
「……何よ。妙に元気が無いじゃあない?」
以前、龍助と談笑していた時は、狸那とは距離があったので話の内容までは聞こえなかったが……もっと、ハキハキと喋っていたはずだが。
「す、すみません……朝は弱くて……妖怪みたいで、嫌ではないんですけど……」
「ふぅん……そう言う事」
道理で。昼休みぐらいからは龍助とべったりのくせに、朝はこうして、さほど接していないのか。
朝が弱いリヴィエールを気遣い、朝は龍助の方からそっとしている、と言う事だろう。
「……ねぇ、ちょっと頬っぺつねって良い?」
「ひぇ……な、何でですか……!?」
「アタシにも何だかわからないけれど、ムカつくからよ」
「ぇぇ……? まぁ、その……痛くしないのであれば……どうぞ……」
「……………………」
「ぁう」
リヴィエールの頬は、むにむにむっちりと、妙に柔らかかった。
赤ん坊の耳たぶを触っている気分だ。
……狸那は自分の頬も触ってみて、その感触の差に舌打ち。
「……なおの事、何かムカついたわ……」
「…………!?」
わ、私は一体、どうするのが正解なんですか……!? とリヴィエールも困惑を隠せない。
「まぁ、良いわ。ちょっと訊きたい事があるんだけど」
「は、はい……何でしょうか」
「りゅ、……りゅう……その……」
何故だろう。「龍助」の名を口にする事すら、何だか憚られる。
……恥ずかしい? 何故だかはわからないが。
仕方が無いので、ここは、彼の通り名で呼ぼう。
「【河童】の好きな事、についてよ」
龍助は、その緑色の頭から河童と言う通り名が付いている。
そして、このリヴィエールと言う女は龍助と談笑している……つまり、龍助が面白がる事、彼が好む話題を知っていると言う事。
だから、訊きに来た。最終手段として。
一方、リヴィエールは……きょとん。
「な、何よ……」
「河童の事……知りたいんですか……!?」
「ぅ、そ、そうよ。何か、悪い?」
「悪くなんて、ありません……!」
ガタン、と音を立てて、リヴィエールが立ち上がった。
本当は勢い良く立ちたかったんだろうが、朝は弱いと言っていただけあり、余り勢いは無かったが。
「それでは……河童の話を……始めましょう……!」
◆
「……あんた今、そのスケッチブック、どこから取り出したの?」
「そんな細かい事は……お気になさらず……」
ぱらり、とスケブの表紙がめくられる。
すると、
「何、そのカッチョ良い生き物」
「河童……です……」
翡翠色のリザードマンが大見得を切っているイラストが。
(……成程ね。河童と、龍助の龍をかけたイメージイラストって感じ?)
確かに、龍助のカッチョ良さがよく表現されているわ……と狸那は頷く。
「して、御要望は河童の好きな『物』ではなく、好きな『事』でしたね。では、ここは……お尻の話をしましょう……!」
「!?」
好きな物、であればキュウリの話なんですが……日本神話から紐解いていく必要がありちょっと長くなりますので、そちらはまぁ、後ほど機会があれば。
などとつぶやきリヴィエールがスケッチブックをめくると……!
何と、大胆な切れ込みの入った水着のお姉さんの臀部ににじりよる河童のイラストが!!
「ほあああああああああ!!」
「ひょえぇ……!? い、いきなり何を……!?」
狸那は河童(龍助)が自分以外の女性の臀部に迫るイラストに軽く発狂。
リヴィエールのスケブを叩き落とした。
「ハァ……! ハァ……! あ、あんた……正気……? 誰が性癖なんて突っ込んだ所まで聞かせろって言ったのよ……!!」
「確かに……河童とお尻の話となると……下品なお話が多いです……」
「そうよ、そんな話を広めるなんて、まともじゃあないわ……!」
リヴィエールは「そうですね……」と肯定しながら、スケッチブックを拾うと――狸那へ向けて、構え直した!
「ッ……続けるつもり……!?」
「はい……だって、私は思うんです……良い所も悪い所も知ってもらって……その上で認めてもらってこそ、価値があると……!」
「……!」
良きにしろ、偏見は偏見でしかない。
それは、本質には届き得ないものだ。
深く知りたいのであれば、清濁を問わぬ多面的な知識を得る必要がある。
その理屈は、狸那にも理解できた。
「……本気って訳ね……あんたは本気で、アタシに河童の事を教えたいって、そう言う事ね……!」
「はい……!」
眼鏡の奥の碧眼には、一点の曇りも無い……!
(こいつには……いいえ、この子には……誠実さがある!)
であれば、こちらも真摯に向き合うのが道理だ。
正攻法で挑む者を斜めから迎え撃つだなんて、狸那のヤンキーソウルが許さない。
リヴィエールの隣の席に腰を下ろして、狸那はキッと切り替える。
「スケブを叩いたりして悪かったわね……もう金輪際、そんな事はしないわ……すべて、聞かせてもらうから……!」
これは、戦いだ!
正面衝突、真剣勝負!
狸那とリヴィエールの視線が、熱くぶつかり合う!
「それでは……」
ぱらり、とスケブがめくられた。
すると、河童が水着のお姉さんのお尻の谷間に全力で顔をうずめていた。
「ほぁああああああぁぁ、ぁぁぁぁぁぁぁ……!!」
思わずスケブにグーパンを叩き込みそうになる狸那だったが、ギリギリで堪える。
もうスケブを叩き落としたりはしないと誓った。
約束は守る子なのだ。偉い。
「河童と言えば、【尻子玉】と言うものに聞き覚えはありませんか?」
「な、無いわよ、そんなもん……!」
「尻子玉とは、端的に言うと――架空の臓器です」
「か、架空……?」
「はい。実在はしない五臓六腑の六臓目かはたまた七腑目か。人体生理学がまだ未熟な時代に、肛門あたりにあると考えられていた臓器なんです」
「へ、へぇ……?」
それが、龍助とどう関係すると?
「河童は、それを抜き取ったり、食べたりする事が好きなんです」
「………………………………」
………………………………。
「………………………………ど、どゆこと……?」
「どう言う事と言われましても……そう言われているので。まぁ、オカルティシズム――五感では感じられないもの。魂と同質の、物理的ではなく概念的な存在だと考えていただければ」
「??????」
狸那の頭の上で「?」がパレードする。
「ほら、『腑抜け』と言う罵倒の言葉があるでしょう?」
「え、ええ、腰抜けとか、臆病者をなじる言葉よね?」
「はい。古くから、臓腑は『人の気合や魂に関わる重要な器官だ』と考えられていたのです。なので、臓腑が抜けると、臆病者になってしまう。臓腑は勇気や活力の源なんです。肝がすわっているだとか、気概を表す言葉には臓器の名が使われている事が多いのもこれに由来します」
「そうだったんだ……」
語源をよく知らずに、玉を潰して転がる相手に「腑抜け野郎」と吐き捨てていたっけ。
「尻子玉はその象徴。人の活力の要。良質なエネルギーソースなんです」
「つまり……えぇと……本当はそんなものは存在しないけれど……河童は……こう……イメージと言うか、気の持ちよう的なあれで、それを愛好している訳?」
「ふむ……まぁ、そう言う考え方もできますね」
つまり――龍助は、「お尻にある架空の臓器を食べたつもりでいると、元気モリモリになれるんぜ!」と言う……特殊なイメージプレイのために、女性のお尻に顔をうずめてハッスルする事が好き……!?
「ど、ド変態の所業……!!」
「まぁ、河童ってそう言う逸話が多いですし」
「…………!?」
狸那が知らないだけで、龍助にはそんなエピソードがわんさかあると……?
「あ、あんた……何でそんな事まで知って……ま、まさか実際にやらせた訳じゃあ……!?」
「実際にやらせるって……無理に決まっていますよ、そんなの」
「そ、そうよね……そりゃあ、そうだわ……」
何に焦ってんのよアタシは……と狸那は深く溜息。
「……ぁ、ありがとう。その……一応、参考にさせてもらうわ……」
「え、まだまだ色々と、お話したい事があるのですが……」
「……今度、聞かせてちょうだい」
「あ、はい。わかりました。では、次の機会に」
◆
「おッス、おはよー……っと、ん?」
「…………………………」
「どうしたんだよ、テメェ。何か顔が難しくなってんぞ?」
いつもなら、おはようと挨拶を返してくれる狸那が無言でうつむいている。
その様子に「体調不良か?」と龍助は心配の表情。
「ぉ……し……」
「……ん? どうした? どっか苦しいのか?」
――龍助は、お尻に関する非常に特殊なプレイに関心がある。
つまり、お尻のそう言う話なら、興味を持ち、面白がってくれる事は間違い無いだろう。
なので、狸那は色々と調べた。
ネット検索は履歴がアレなので、兄の部屋からそう言う本や映像ソフトを拝借した。
「おい、熱があるんじゃあないか? 顔がすっげぇ真っ赤だぞ……ブランドもののリンゴみてぇだ」
「ぅ……」
思い返すだけでも「ほあああ」と叫びそうになる。
鑑賞中、吐血しそうなくらいにほあああした。
それでも最後までしっかりと見た。
なので、原稿用紙数枚程度の鑑賞感想文は書ける程度の知識もついた。
あとはその感想文を会話調に校正して、龍助に聞かせるだけ。
それで、龍助への借りは無しにできるはずだ。
「お、し……お、お、お、ぉおお……」
「何だって?」
「………………………………」
「………………………………」
しばらくの沈黙の後――狸那は、思い切ったようにガタンと立ち上がった。
そして、紅潮と涙目のまま、龍助の目を真っ直ぐに睨み付けて、
「お――覚えてなさいよぉぉぉぉぉおおおお!!」
「え!? 何が!?」
こうして狸那は全力で逃走。
恩返しはまだしばらく、先になりそうだ。