アレウゾロ国王夫妻の初夜押し問答
稚拙な文ではありますが、どうかよろしくお願いします。
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豪華な寝台に向き合って座るふたりの男女。二人は今日結婚したばかりで、これから初夜を迎えるはずなのだが、そこには甘い時間という雰囲気は一切なく、なんなら今からブリザードが吹きそうなほど冷ややかだった。
ふたりのうちの一人は美しい少女。
菫色のつやつやとした腰まである髪、濃紺から藍へ変化する鮮やかな少し吊り上がり気味の瞳。桜色の柔らかそうな小さな唇。陶磁器のように白い肌。精巧に人に似せて作られたビスクドールかと思わせるほど彼女は美しい。
彼女の名前はマリアベル。
ベネロイア王国の第三王女でアレウゾロ帝国との同盟強化のために皇帝ゼイフィリオ・フォン・アレウゾロへ一ヶ月前に嫁いできたばかりだった。
「俺がここにいるのは自分の意志ではない。宰相に言われたから仕方なく、だ。」
少女より先に口を開いた男もまた美しかった。少女の方を不機嫌そうに見つめている瞳は蜂蜜のような金色、寝台の上にある長い三つ編みは鮮やかな赤一色だった。薄い唇は固く結ばれ、長い足を寝台に無造作に広げる様子は乱雑さの中に彼の気品を伺わせる。
この無愛想な美丈夫がゼイフィリオ・フォン・アレウゾロ。
アレウゾロ帝国の才能溢れる若き皇帝であり、マリアベルの夫であった。
「先刻も言ったが、俺はお前を抱く気などない。同じことをなんども言わせるな。」
結婚式前に初めてゼイフィリオと顔合わせをした際にマリアベルが言われた言葉がそれだ。公衆の面前で言われなかっただけまだマシかもしれないが、その言葉は初めて足を踏み入れた土地へ輿入れしてきたばかりの少女には無神経すぎる一言だった。
マリアベルはすぐにでも泣きだしそうな悲しげな笑みを浮かべていたが、心の中では般若面を浮かべて12回ほど脳内でゼイフィリオをぶん殴っていた。このマリアベル、見た目ほどおしとやかな淑女では無いのだ。
そんなマリアベルの目下の目標は王妃としてそこそこ幸せに暮らすことからゼイフィリオに自分を抱かせることに即シフトチェンジした。彼が拒む理由などどうでもいい。なんとしてもだ。
もちろん子供を産み、ベネロイアとアレウゾロの両国の同盟を確実にするためだ断じて女としてのプライドを傷つけられたとかそういう訳じゃない。断じて、違う!!私にぞっこんメロメロにさせて顎で使ってやろうなんて考えてないんだからね!!
「もちろん、分かっております。陛下のご命令ですもの、従わないわけにはなりません。」
ゼイフィリオは予想外に謙虚なマリアベルの言葉に数度瞬きをした。彼としてはマリアベルが甘やかされて育った傲慢な女だろうと思っていたので意外な一言だったのだ。
「分かったなら、いい。では退室させてもらおう。」
ゼイフィリオはそう言って寝台をおりて扉へと向かう、がそれは何かに服の裾を引っ張られたことにより阻まれた。彼が振り返るとそこには白くて細い手を伸ばし彼の服を掴むマリアベルがいた。
彼女の頬には朝露のように輝く涙がひとつふたつ伝っている。そのあまりに悲しげな様子にゼイフィリオの冷たい心をチクリと刺した。彼はバツが悪そうな顔をして涙をほろほろと流す美しい少女をじっと見つめた。
「陛下、私を抱かなくともかまいません。けれど、どうか退室だけはしないでください。私の名誉のために。初夜に王に抱かれなかった王妃の行く末を知らないわけではないでしょう?」
マリアベルの必死な懇願を聞いて彼は最近よく聞く話を思い出した。キドバ王国という西方の国が小国から姫を迎えた。王妃は若く美しい娘だったが、王子は恋人がいるからと理由をつけて初夜を迎えないだけでなく彼女を恋人とともに嘲るばかりだった。王子の恋人とメイドによる執拗な虐め。王子の冷遇。それに気づいても誰も彼女を助けなかった。彼女は自分の境遇に耐えられなくなり、自ら命を絶った。
そう、それだけで終わればたんなる美しい姫におこった理不尽な悲劇だった。マリアベルが発した言葉はそのままの意味を持つだろう。哀れな私をどうか不遇な目に合わせないでください、と。
姫を嫁がせた小国は真相を知るともちろん怒り狂った。報復として戦争を仕掛けようという案がいくつも挙がったが、キドバ王国は小国より遥かに大きい国だったので結果は火を見るより明らかであり彼らは諦めるしかなかった。
キドバ王国に憎しみを持ちながらも、何も出来ず悲しみにくれるだけの小国にある国が力を貸した。大国というわけではないが圧倒的な軍事力を持つその国が小国に協力したおかげでキドバ王国はあっさりと滅んでしまった。
そう、ある国とは察しの通りベネロイアだ。ほんの2、3年ほど前の出来事である。キドバ王国を併合、亡くなった姫の国を属国に加えたベネロイアはさらに勢力を増して帝国も無視できなくなってきた頃に申し込まれた同盟。その強化のためのマリアベルとの結婚だ。
ここまで知っているゼイフィリオはマリアベルの言葉がそのままの意味で取れないことを即座に理解した。マリアベルが言ったのは要はこうだ。「私を軽んじるな。さもなければアレウゾロとの戦争も辞さないぞ。」
儚げな見た目によらずこの女は気が強く、狡猾な部分がありそうだ。先程悲しげに涙を流したところもゼイフィリオが彼女を哀れに思わせるための演技だったに違いあるまい。やはり女という生き物は信じられない。ゼイフィリオはそう考えると、金の瞳を細めて彼女をキツく睨んだ。
「お前は俺を脅すつもりか?」
先ほどまで涙を浮かべて悲しげだった表情は一転し、挑戦的な色を湛えた2対の瞳が彼を見つめた。そしてくすりと笑った。
「まさか、そんな。陛下にそんなことできる訳ありません。私だって命が惜しいですもの。ですが、陛下が退室なさるのはなりません。それに陛下が私と初夜を共にしなかったと知られて困るのは私だけでは無いはずです。」
確かにそうだ。ゼイフィリオにとってこの結婚が形だけだったと知られた場合、ベネロイアからの猛抗議を受けることが考えられる。最悪の場合戦争も考えられる。それはなんとしても避けたい。それに圧倒的な美しさを持つ少女と結婚したおかげで、ゼイフィリオとの結婚を望む女の大半が彼を諦めた。もし彼女らがこのことを知れば、愛人や側姫の座を狙う女たちのせいで彼の安寧は再び無くなるだろう。明らかに嫌そうな表情を浮かべたゼイフィリオは一つ大きなため息をついた。
「分かった。退室をするのはやめてここに留まろう。だが、どうするんだ?部屋に寝台はひとつしかないぞ。まさか俺に椅子に座って寝ろなんて言わないよな?」
「もちろんです、陛下。陛下は寝台に横になってください。私が椅子で寝ますから。」
マリアベルは寝台から降りようとしたが、それをゼイフィリオが強い口調で呼び止めた。
「駄目だ。女を椅子で寝かせて自分は寝台で寝れる訳ないだろう。お前が寝台で寝ろ。」
「いえ、大丈夫です。陛下のような方をそのようなところで寝かせるわけにはいけません。私は椅子で寝るのには慣れてますから。そちらで寝かせて貰います。」
「俺はそこまで気が使えないわけじゃない。そもそも同じ部屋に椅子で寝てるやつがいて、自分は悠々と寝れる訳ないだろ!」
「ですが、陛下。」
マリアベルの1歩も引く気のない様子をみてゼイフィリオは焦れてつい言ってしまった。この一言が今後彼の苦悩の主な要因になってしまうのに。
「わかった、ではお前も寝台で寝ればいい!!二人寝ても余りある程の大きさなはずだ。それで文句はあるまい?」
ゼイフィリオが語調を強めて言った言葉にマリアベルは驚いた様子を見せたが、内心は小躍りしそうなほど喜んでいた。まさかこれ程簡単に引っかかるとは。予想以上に彼を籠絡する道のりは簡単そうだとマリアベルはほくそ笑んだ。
「それなら、分かりました。」
「不要に俺に近づくなよ。」
二人は広く大きな寝台の上にお互いに背を向けて横たわった。お互いの胸に様々な想いを抱いて。女は自身のプライドのために男を自分に夢中にさせると決意した。男は見た目のわりに小賢しそうなこの女の思い通りにことが進まないようにと再度胸に刻んだ。
二人の本当の意味での初夜はまだまだ先になるのだった。
背中に感じる他人の気配とぬくもりに目が覚めたゼイフィリオはその原因を探るために振り返った。背を向けて眠ったはずだったが、寝返りを打ったせいかゼイフィリオに身を寄せるようにしてすよすよとマリアベルが眠っていた。
暗闇で満ちた寝室に差し込む月の光に照らされたマリアベルの顔は彼が初めて彼女の顔を見たときと変わらずに美しかった。女嫌いである彼が思わず心を奪われてしまいそうになるほどに。
「俺はこんな女に絆されたりなどしない。父上のようにはならない。絶対にな...。」
ゼイフィリオはは一人そうつぶやくと、眠るマリアベルに背を向けて再び目を閉じた。
ゼイフィリオが完全に寝入ったのを確かめたマリアベルは狸寝入りをやめて寝台から起き上がると、彼の寝顔をじっと見つめた。不愛想で自分を妻として受け入れる気など毛頭ないという態度を一貫して持っているこの男の印象は初めて会ったときから最悪だった。しかし今日彼は自分を女性だからと寝台に眠るようにと譲らなかった。それは優しさとは少し違うような気がしたが彼女は純粋に嬉しく思った。そしていつかは分からなくとも自分がこの男を恋い慕うようになると感じた。
「私に絆されるのも、そう悪いもんではありませんよ。仮にもあなたの妻ですから。あなたの不利になるようなことはしません。」
マリアベルは眠っているゼイフィリオにささやくように告げた。そして再び寝台に横たわるとゼイフィリオの背中に寄り添うようにして目を閉じた。
「おやすみなさい、私の王様。」