二つの前兆
「それで、次はあの場所だよな?」
「そうだな」
不意に玲央が向かいに座る翠に問い掛けると、翠は相槌を打つ。
涙、玲央、翠が事故現場から移動して十数分。三人は軽い食事を摂る為にファーストフード店に来ていた。というのもタイミングが悪く、ちょうど涙のお腹が鳴ってしまった。その後、玲央が食べに行こうと提案した。その提案に翠は賛成した。涙も賛成はしたが、自分のお腹が鳴ったことに恥ずかしさを感じた。
「やっぱり、あの時と、」
「最悪だな」
玲央と翠は話を続けている。涙はその話を耳にしながら、黙々と食べている。
「どうすっかな。手当り次第に調べて阻止するしかないな」
「いや、止めとけ。下手に動くと奴にバレる」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
話に行き詰まったのか、二人とも喋らなくなってしまった。その様子に涙は二人をチラッと見やる。
「あの、」
涙はタイミングを見計らって、二人に声を掛けようとした。その時だった。
「そういえば、御前の柚葉ちゃんは大丈夫か?」
不意に玲央は翠に問い掛けた。
「あ、今のところは大丈夫だ」
玲央の問い掛けに翠は動揺を見せたが、それも一瞬の事でいつもの冷静さを見せた。
「俺の兄貴みたいにまた狙ってこないとは限らないから気を付けろよ」
「勘違いするな。あれは、狙われていたのはレオだ。油断してた人物に言われなくても柚葉は大丈夫だ」
「は? 確かに俺が狙われていたが、あれは彼奴が悪い!」
「レオ、往生際が悪いぞ」
二人は次第にヒートアップし、言い争いになる、その直後だった。
「あ、あの!」
不意に涙が周りにも聞こえるような大きさで声を張り上げた。
『ん?』
涙の声に二人は声を揃える。話に夢中だった玲央と翠は涙のほうを振り向く。
「あ、えーと、その、」
涙は言い争いになりかけていた二人にさっきみたいに気付いてもらえないではと思っていた。思っていない二人の反応に戸惑いを見せた。涙は視線を合わせづらく目線をキョロキョロさせた。そこで辺りのお客さんがちらほらこちらを向いていることに気づく。涙の大きな声に何事かと視線を向けていたのだ。涙は恥ずかしさと申し訳なさに顔を俯かせた。
「あ、そういえば、涙ちゃんはまだ柚葉ちゃんに会っていなかったよな。この機会に会ってみたらどうだ?」
「え?」
玲央の言葉に涙は驚いて、思わず声が出てしまった。涙が初めて耳にする《柚葉》という名前。その人物はさっきの話と以前の事からきっと翠さんの妹だろうと推測した。
「ちょっと待て。狙われてから、彼奴に知られないようにと遠い場所に居させている。もし、近くにいて、また何かあったらと思うと、」
玲央の提案に翠は戸惑う。それもそうだ。言葉通り、一回狙われているのだ。妹が大事なのは言うまでもない。玲央は眉間に皺を寄せる。
「今、会わせてみろなんて言ってないだろ。落ち着いたら会わせてみるのも悪くない」
玲央の言葉に翠はホッと胸を撫で下ろした。
「あの、」
唐突に涙は口を開き、再び二人に向かって声を掛けた。
「どうした?」
玲央が問い掛ける。
「ここで、あの件について話していても大丈夫なんですか? あの人がどこかで聞いている可能性があると思うんですが……」
涙は見知らぬ名前も気にはなっていたが、他の人たちも居る中で紫弦が関係している事を話していたことが気になっていた。しかし、涙の言葉を聞いた二人は平然としている。
「そこのところは大丈夫だから気にするな。な?」
「そうだ。彼奴はここまで監視するような奴ではないし、周りも気にしていない」
二人はそれぞれ言って涙を安心させる。それでも涙は納得いかないような表情をしている。
「だーかーら、俺たちがなんとかするから大丈夫だって言ってるだろ」
涙の様子に玲央が再び安心させようとする。そして、食べかけのバーガーに手をつけ貪るように食う。次の瞬間、その手が止まった。玲央は手で頭を抑えた。その顔は何かに耐えるような表情を浮かべていた。
「玲央さん?」
涙は玲央の名を呼んで様子を伺う。
「あー、悪い悪い。なにかあったら、俺たちが責任を負うから。涙ちゃんは気にするな」
玲央は平然を装うように気を取り直す。
「は、はい」
そんな二人の会話を無言で聞いていた翠は玲央の様子に何か察したのだろうか、難しい顔をしていた。
それが何かの前兆とも知らずに、時間は過ぎていったのだった。
***
『お兄ちゃんに会いに行ってもいいの?』
「寧ろ来てくれ。会わせたい人がいるんだ。それに柚葉に大事な話もしとかなきゃいけない」
『大事な話? もしかして、彼女がいて結婚するとか?』
「そんなんじゃない。とにかくまた連絡する」
不意に聞こえてくる電話越しの相手と会話をする翠の声が事務所内に響き渡った。その相手とはちょうど翠が口にした名前、翠の妹の柚葉だった。柚葉は可愛らしい声をしているが、翠とどのくらい年が離れているのだろうか。きっと、そんなに離れていないだろう。だとすると、成人しているに違いない。
翠は妹の柚葉に久しぶりの連絡をすると、直ぐにからかわれた。柚葉の言葉を無視するように自分から電話を切った。柚葉に呆れていた。
「だから、連絡したくなかったんだよな」
翠の口から呟きが漏れる。
「柚葉ちゃんか?」
電話の内容を聞いていた玲央が確かめるように問い掛けた。
「レオ、居たのか」
玲央の存在に気が付くと、翠は言葉を発した。実をいうと、玲央はさっきまで外出していた。玲央の兄、怜太がいる病院に今まで居たのだ。自分の身に起こったあの事故から、なるべく兄の見舞いに行こうと玲央の中で決めているそうだ。そんな決心があったからか、玲央の表情がほんの僅かだけ緩くなっているような気がした。
「もう少し落ち着いたらで良いっていったよな? 柚葉ちゃんにまた何かあってもいいのか?」
翠の行動に難しい顔をする。だが、最初は柚葉の事を口にしたのは玲央だ。その玲央が言うには気が変わったのだろうか。
「そんな事は分かっている。だが、このままでは、」
翠がなにかを言いかけた時だった。突如、電話が鳴り出した。
その場にいた二人は反応した。着信音は翠の携帯からだった。翠は確認すると、玲央のほうへ振り向き、目で合図を送る。それを分かっていたかのように玲央は表情を変えた。
「紫弦か? 御前、何を企んでるんだ?」
翠は電話に出ると、確かめるように電話の向こうに問い掛けた。すると、電話越しに不気味な笑いとともに聞き覚えのある低い声が聞こえてきた。
『ハハハ。眼鏡、オレが何を企んでいるかは分かるはずだ』
電話越しの相手は二人の予想していた人物、紫弦だった。紫弦は翠の問い掛けに答える。
「何も企んでいない。人の命を弄ぶような人間だったな」
『ご名答。よく分かってるじゃねえか』
翠が紫弦の言葉に答えるように言うと、紫弦は得意げに言う。
『そんな事はどうでもいい。今から三時間後にとある場所で起こる。止めてみせろ』
少しの間を置いて、紫弦は突然ある言葉を告げる。
「おい、待、」
あまりにも突然過ぎて不意をつかれたように唖然する翠だったが、ハッと我に返り紫弦を呼び止めようとするも遅かった。電話は既に切られてしまっていた。
「レオはここで涙ちゃんが来るのを待っていてくれ」
翠は電話が切られていることが分かると、直ぐ様自分のデスクへ。デスクに置かれている《何か》と鞄を急いで手に持って事務所内の出入口へと駆け出す。
「おい、説明してくれよ」
玲央が翠の行動に驚き、呼び止めようとする。
「レオはここで涙ちゃんが来るのを待っていてくれ。涙ちゃんが来たら連絡をくれ」
翠はそれだけ言葉を残して事務所を出ていってしまった。事務所に居る玲央は素早い翠に呆気にとられ、いつの間にか一人取り残された。
何かの前触れを表すかのように出来事が着々と迫っていた。
次話更新は3月24日の予定です。