予想外
「玲央くん、本当に手伝わなくて大丈夫?」
「大丈夫だから。兄貴のところに行ってくれると、」
玲央が貴美の問い掛けに答えて、言葉を付け足すように言った。しかし、その言葉は直ぐに遮られてしまった。
「怜太くんのほうには私の夫が居るから大丈夫よ。それよりも最初驚いたわ。大丈夫って言っても、退院準備は一人で大変でしょ。そういう時に頼ってくれると嬉しいわ」
貴美は長々と言葉を続けるように話す。玲央は退院直前で病室から荷物の整理を終えたところだった。なぜ、貴美が玲央の病室に居るのか。
それは、昨日に遡る。ちょうど検査だった玲央は自分で歩ける事もあり、検査が終わると、自分の足で病室に戻ろうとした。歩けるといっても、足を怪我をしているせいか、少し歩きづらそうにしていた。
そこで、貴美と偶然鉢合わせしてしまった。今日が退院の日でもあった玲央は貴美に鉢合わせてしまった以上、仕方なく経緯を話した。紫弦の事を伏せて。その後、玲央の退院準備やその他諸々手伝うと言い出し、今の状況に至った。
「はー、分かった。つーか、今更なにを言っても遅いよな」
玲央は諦めて、貴美の言葉に甘える事にした。玲央の言葉遣いは以前と違って、余所余所しさが抜けている。その理由は、事故により玲央の中に【何か】の変化があったからなのだろう。
「この後、一緒に怜太くんのとこに行きましょう」
貴美は言葉を口にする。玲央は一瞬だけ気難しい顔をした。しかし、直ぐに表情が柔らかくなった。
「悪い。俺、行かなきゃいけないところがあるから」
玲央は貴美の言葉を受け入れるかと思いきや断った。行かなければいけないところは《ビクターライフ》だ。血の繋がりのある怜太のところも勿論行ってやりたいという気持ちはあった。それでも玲央にとってはやらなくちゃいけない事があった。
紫弦という男に勝つ為に次の犠牲者を阻止する事。その為には、一刻も早く事務所に向かいたいと玲央の気持ちがそうさせた。
「分かったわ。また来るまで、待ってるわ」
内心がっがりしながら、仕方ないといった言葉で貴美は溜め息混じりに言う。その言葉に玲央は申し訳ないといった気持ちで軽く頭を下げた。
それから、玲央と貴美は一緒に病院の外に出ると、駐車場まで歩いた。玲央の為に貴美はタクシーを手配していた。玲央の怪我はまだ完治していなかった。それに加えて、意外と荷物が多かった。貴美から貰った退院祝いもある。玲央はタクシーを使うことに遠慮はしたが、貴美の押しの言葉に断れなかった。結局、タクシーを使う事になった。
「またね」
貴美は手を振り、タクシーに乗る玲央にそう告げる。玲央は貴美の言葉に軽く頭を下げるだけだった。
そうして、玲央は病院から去っていた。
***
玲央が病院を去ってから、数十分。
ビクターライフという事務所内には涙がぽつんと一人、椅子に座っていた。
(翠さん、まだかな?)
涙は不意に心の中で呟く。どうやら、翠を待っているようだ。
その翠はというと、事務所に居るべきはずが、席を外していた。といっても、先程まで事務所には居たのだ。翠が席を外した理由は涙には分からない。翠にしか分からない【ある事】がひっそりと起こっていた。
唐突に、事務所内の掛け時計の音が涙の耳に聞こえてくる。それ以外はなにも聞こえない。
「翠さん、なにしてるんだろう。戻ってくるって言っても、大分時間が経っている気がするけど……」
涙は独り言を呟く。ふと、事務所内の掛け時計を見上げると、短針が二を指していた。事務所内のブラインドを通して、まだ外が明るいと示す光が差し込んでいる。翠が外に出ていったのは午後一時。あれから、約一時間が経っていた。
いったい、翠はどこに行ったのだろうか。その時だった。
ガチャと事務所の扉が開く音が聞こえてきた。
「翠さん!」
涙は翠が戻ってきたのかと期待をし、大きな声を出した。しかし、その人物は翠では無かった。
「あれ、翠はどこだ?」
扉を開けて入ってきた人物は病院に居る玲央だった。玲央は事務所の中に入ると、辺りを見渡して、目的の人物が居ない事に疑問を浮かべる。
「玲央さん! 退院したんですか?」
涙は玲央の問い掛けに答えず、玲央の姿を見ると驚いていた。
玲央はまだ怪我が完治していないまま退院した。そのせいか、少しばかり歩きにくそうな様子が涙の視線に止まった。
「さっき退院したばかりだが、問題ない」
涙の問い掛けに平気な顔をして答える玲央。
「え、でもまだ完治はしていないですよね。あまり無理せずに、」
「ありがとな。でも、俺には人の命を救うためにやるべき事があるんだ。休んでられねえ」
涙の気遣いの言葉に玲央が遮って言う。玲央の言葉に《命》という言葉が含まれている事に、涙はその言葉の意味を理解していた。命の重みを感じていた。それは共通して《紫弦》絡みの事故で湊人の事があったからだろう。
「そうですね。でも、無理だけはしないでくださいね」
涙は再び玲央を気に掛ける言葉を発した。
「嗚呼」
玲央は相槌を打つだけだ。
「あ、翠さんの事ですが、約一時間前くらいに話の途中で、急いで出ていきました。いったい、どうしたんでしょうか?」
涙がさっきの玲央の言葉を思い出し、口にした。すると、玲央はなにかを考え始めた。
「もしかして、紫弦から予告が、」
唐突に玲央が声を発した。
「え、そんなことは無かったような」
「いや、俺を狙った後だ。紫弦ならなにか仕掛けてくるはずだ」
玲央が話した、その時だった。
突然、事務所の扉が開く音が聞こえた。扉を開けた人物が涙たちに近づいてくる。
「翠さん!」
近づいてくる人物が姿を現すと、再び涙が声を出す。その人物こそ翠だった。
「涙ちゃん、待たせて悪い。さっきの話に戻、レオか。大丈夫なのか?」
翠は涙に一度謝り、話を戻そうとした。しかし、翠の視界に玲央が映り、視線を変えた。
「大丈夫だ。それより、紫弦からなにかあったんだろ。なんて言ってた?」
玲央が答えて言葉を続けると、翠は黙ってしまう。
「い、いや、なにもない」
少し間を置いて、翠は答える。それが如何にも怪しい。
「おい、隠すつもりか? 聞いたぞ。突然、外に飛び出して、一時間も涙ちゃんを待たせるなんてな」
少し動揺を見せる翠に玲央はお見通しのようだ。
「待たせたのは悪いと思ってる。けど、隠すつもりはない」
「じゃあ、なんだよ。紫弦だろ」
「それは、」
「玲央さん! 翠さん!」
玲央が怒鳴りそうになり、言い合いになるのではと感じ、涙が咄嗟に大きな声を出して、二人の名を呼ぶ。
涙の声にハッと我に返る二人は反省するかのように黙ってしまった。
「涙ちゃんにも言ってなかったが、紫弦から俺に次の予告がきた。奴は次、大事を起こそうとしている。あの時を呼び起こすような、」
「それは本当なのか? だとすると、ヤバイな」
「え?」
「それに、紫弦はレオを死んだと思っているようだ」
その言葉に事務所内は時が止まったように静まりかえった。
次話更新は2月10日(日)の予定です。