忍び寄る罠に
※玲央は涙を[ウル]と呼んでいますが、涙は[るい]と読みます。
「紫弦さんはどうやって、ここに眠っている怜太さんを狙うんですか?」
『え?』
涙の疑問に玲央と翠は声を揃えた。
今現在、怜太は入院している。外出が出来るならば、狙うことは出来るのかもしれない。だが、怜太は目を覚ましていない。それならば、病室に出向かえなければならなくなる。涙は紫弦が狙うには無理があるだろうと考えた。
「紫弦なら手段を使ってやりかねない。狙われるのは当然だ」
翠は言った。今までを振り返り、紫弦の卑劣なやり方なら狙うことは可能だと考えた。
「ちょっと待て。湊人さんの時を考えれば、俺の兄貴を狙うのは嘘かもしれない」
玲央は思い出すように言った。
「だとすると、他に誰か狙われるっていう事か」
それっきり、玲央と翠は黙ってしまった。紫弦の本当の狙いを誰なのかを考え始めた。
「あの、玲央さん。翠さん」
二人の様子に涙は声を掛けた。だが、二人は答えない。
「あ! もしかすると……。悪い、ちょっと席を外す」
不意になにかを思い出したように玲央が声を発し、病室を出ていってしまった。
「おい、レオ。待て!」
玲央の反応に翠はハッと目を見開いて玲央を呼び止めるが、遅かった。
「悪い、涙ちゃん。必ず戻ってくるからここで待っていてくれ」
「はい、」
涙は返事をした。その返事を聞くまでもなく、翠は玲央を追いかけるように病室を後にしたのだった。
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独り病室に残された涙。思わず眠っている怜太を見やる。怜太をずっと見続けていると、悲しい気持ちになった。それはきっと、湊人の事があったからだろう。怜太の姿が優しい湊人の姿と一瞬重なってしまったのだ。
けれど、悲しみから目を覚まそうと、我に返った。今目の前に居るのは湊人ではなく怜太だと再確認する。
「怜太さん、玲央さんが待っていますよ。なので、私も目を覚ますの待っています」
届いているのかも分からないが、怜太に届いているだろうと信じた。
「もし、玲央さんの身に何かあったら守りますから、なので、必ず、」
涙は再び怜太に声を掛けた。だが、自分が発している言葉になにかが押し寄せてきた。それをグッと堪えて、飲み込んだ。
そして、扉を静かに開けて、病室を後にした。涙はその時、翠が言っていた言葉を既に忘れてしまっていたのだった。
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「おい、レオ待て」
翠は大きな声で玲央を呼び止めようとする。しかし、少し前にいた怜央はその呼び声に反応もせずただ前を歩く。
「おい、待てって言ってるだろ」
徐々に翠は駆け足になり、後ろから玲央の肩を掴んだ。
「なんだよ、翠。涙ちゃんと一緒に待ってろよ」
玲央は後ろを振り返った。
「それは出来ない」
玲央の言葉に否定する翠に玲央は顔を強ばらせた。
「は? 涙ちゃんに何かあったらどうすんだよ。それに兄貴にもしもの事があったら、」
翠の否定の言葉に怜央は眉間に皺を寄せたが、涙の事を心配し更には兄の怜太の事も気にかかり、言葉に詰まる。次第に萎れたような表情になった。
「怜太さんの所に涙ちゃんを待たせているから大丈夫だ。あの場所はなにも起きないはずだ」
その言葉を信用していいのかは分からない。ただ玲央にとっては《なにも起きない》と言われ、少し気持ちが楽になっていた。
それからは、玲央は翠が居ることを気にもせず、ある場所に向かった。翠はそんな玲央の様子に気遣い、何も言わず玲央の後を追うようについていった。
数分後、気づけば病院の外に出ていた。ふと立ち止まった玲央。すると、ポケットから携帯を取り出した。連絡先を開き、ある人に電話を掛けた。
「もしもし、玲央です。はい、はい」
玲央はそんな余所余所しい言葉で電話の相手と話し始めた。
翠は玲央が誰と話しているのか、検討もつかなかった。ただ終わるのを待った。
「何かあったら、言ってください。はい、ありがとうございます」
玲央はそう言って、電話を切った。思いのほか、電話は数十秒で終わった。連絡を終えた玲央は直ぐに病院の中へと戻った。翠も後を追うように病院の中へ。
その時、涙とすれ違いになっている事にも気付かなかった。
「どこに電話をしたんだ?」
二人は歩き出すと、玲央に問い掛けた翠はどこか思わしくない表情をした。
「貴美叔母さんにだ。あいつの言っていた事が嘘なら兄貴じゃなく、まだ狙われていない身内の可能性があるだろ。だったらと思ってな」
玲央は説明するように言った。
「あー、その事か。実は、」
玲央の言葉に納得し、何か言おうとした時だった。
「涙ちゃん!」
「え?」
突然、玲央が大きな声を出した。その声に翠は反応して声を出してしまう。
病院の中ということもあってか、近くに居る人達は玲央の声に反応し、玲央を怪しく見た。見た目がチャラチャラとした目立つ格好だけに怪しさの目は鋭かった。
「今さっき、病院に戻る前に涙ちゃんを見たんだ」
「怜太さんの病室に待ってもらっているからそんなはずはない」
玲央と翠は周りからの視線に気にも止めず、話を続ける。
「本当に待つと思うか? 兄貴の事、後は頼む」
玲央はそう言い残し、病院の外へと飛び出した。
「おい!」
玲央の行動に大きな声を出す翠だったが、その声は玲央に届かなかった。翠は玲央の無責任な行動に呆れ返った。ふと周りを見ると、気にしていなかった鋭い視線が目に入った。その視線にハッと目を見開いて驚いた。そして、鋭い視線を向ける人々に頭を軽く下げた。すると、なにも無かったような空気に戻った。
翠は早足で、怜太の病室へと向かったのだった。
***
涙の姿を見かけたのを思い出し、病院から離れていく玲央。玲央は歩を進めると、とぼとぼと歩いている涙の姿を見つけた。
「涙ちゃん!」
玲央は涙の後ろ姿に大きな声で呼び掛ける。しかし、涙は気付かない。涙が居る場所まで走っていく。
「涙ちゃん!」
玲央は再び声を掛ける。
「玲央さん!」
玲央の呼び掛けにやっと気付いた涙は驚く。
「翠から待ってろって言われたんじゃないのか? どこに行こうと、」
玲央は翠の言っていたことを思い出して、涙がここにいる理由を聞こうとした。
「あ、そうでした。それより私、」
不意に口を開いた涙は玲央の言葉を最後まで聞かずに自分の考えを話そうとする。その時だった。
「は? 紫弦じゃねえか。まさか、なにか起こそうとしてるんじゃ、」
不意にマナモードに設定された自分の携帯のバイブレーションに気付いた玲央。その電話は【非通知】だったのにも関わらず、誰か分かっているかのように電話に出た。
『よ、レオか? 御前の兄貴はどうなった? 既にあの世か? ハハハ』
突然、玲央の耳に届いた聞き覚えのある篭った低い声。その声の主は紫弦だった。紫弦は玲央を挑発するような言い方をし、嘲笑っている。
「紫弦。てめえ、なんのつもりだ!」
紫弦の声を聞いて、玲央は噛み付くように怒鳴った。
『あ? その様子じゃ既に、』
玲央の言葉に紫弦は何かを察したのか確かめるように言葉にする。
「俺の兄貴はまだ生きている! 勝手に殺すんじゃね!」
玲央が紫弦の言葉を遮り、怒鳴り散らすように叫ぶ。相変わらず紫弦に対して荒々しく声を上げている。それもそうだろう。玲央にとっては残虐なやり方に怒りがこみ上がっていた。
『嗚呼、そうかよ。それは非常に残念だな。まあ、今回の狙いは御前の兄じゃねえ事くらい分かるだろ』
玲央の怒鳴り声に慣れているのか、紫弦は思ってもいない事を口にする。
「それはどういう意味だ!」
玲央は紫弦の言葉に再び怒鳴った。さっきの涙の言葉で予想出来ていたのにも関わらず、紫弦本人から聞かせられた今、衝撃を受けた。
『馬鹿か? 簡単に教えるわけねえだろ。そうだな、右を向け』
「は? てめえ、なんでそこに。クソが!」
紫弦の言葉通り、玲央が右を向いた。すると、そこには道路を挟んだ向かいの歩道に紫弦が立っていた。 玲央は怒りで周りの状況が視界に入っていなかった。そのまま、紫弦に近づこうと一歩踏み出す。その瞬間、真横まで車が来ていた。
「危ない!」
涙の大きな声が響いた。
※次話は本日(12月30日)二話分更新しております。