第274話 『蠱毒・2日目《収穫》』
サクッとまとめるつもりが結構長くなったので分割
ぴちょん、ぴちょんと水滴の滴る音だけが反響する暗く小さな空間。そこに、1つ気配が増えた。
「間一髪……だったね」
小さなホールのようなどん詰まりの穴蔵の中で、黒で統一した衣装に身を包んだ青年が静かに起き上がる。
コキコキと首を鳴らし、窮屈な殻を脱ぎ捨てたかのように体を解し小さくため息を吐くその姿からは深い疲労の色が見て取れる。そして、それ以上の安堵の気配も。
「頭領。お帰りなさいませ」
軽く伸びをする青年の背後に、いつの間にか片膝立ちで控えていた同じく黒づくめの女性が静かな声音で呼び掛ける。
「うん。ただいま」
「単身【カグラ】の居城に侵入するという事で、我等一同御身を案じておりました。蘇生地点から戻られたという事は……」
「あはは。無事帰還!とは行かなかったけど……ちゃんと死ねたよ。結構ギリギリだったけどね」
「それは重畳。して、成果の程は?」
「そうだね……」
そう呟き、青年は答えることなく歩を進める。
背後に控え後に続く女性も、答えを急かすことなく無言で後に続く。
そして、半球状の広間から続く穴蔵の細道を中ほどまで歩いたころ、ようやく青年が口を開く。
「多めに見積って2割……かな。どうも通路の作りを変えられるみたいだからマップはほとんど当てにならないけど、どう言ったトラップとかどう言った敵がいるのか、とかの情報は無駄にはならないと思う」
「通路の変化……ですか。通路が変化する、という事自体も大きな情報ですね」
「だね。知らずに直面したら結構大変だと思うよ。僕1人でもかなり驚いたもん。大人数で行動してた時はもっと大変だろうね」
「という事は……?」
頭領と呼ばれた青年の話を聞き、女性は本題に踏み込む。青年が危険を犯してでも単独で【カグラ】の拠点に乗り込んだのは、とある持ちかけの判断のためでもあったのだ。
「……うん。アレは危険だ。2〜3のギルドが手を組んでどうこうなるものでもなければ、十把一絡げの烏合の衆で圧殺出来るような生易しいものでもない。アレを打倒するには、巨大な連合軍が必要だ」
「…………頭領」
「使者を……いや、僕が直接行こう。僕達【御庭番衆】は【アルガK】の同盟打診に乗る。どうせなら、しっかり代表者である僕が出向いた方が信用を得られそうだからね」
イベント初日から多くのギルドに対【カグラ】を掲げ同盟を持ちかけている【アルガK】。その打診は彼ら【御庭番衆】にも届いていた。
基本的には名も知れていないような中小ギルドに声をかけていた彼らだが、だからといって大規模ギルドにはノータッチという訳ではなかった。
優秀な斥候を多く抱える【御庭番衆】や特殊モンスターという規格外を抱える【ミミランド】など、単独でも十分戦えるようなギルドにもしっかりと同盟の打診を行っていた。
そして、そのひとつが今回も実を結んだようだ。
「ではそのように通達を……」
「ただ、全面的な信用はしないよ。あくまで利用するだけ。だから……何人かは【アルガK】について探らせておいて」
「御意に」
黒づくめの女性が静かに頷くと、フィローは「もうひと頑張り、するかぁ」と再び伸びをしたりなど体を解していく。
「残り3日とちょっと。頑張ろっか」
「はっ!……それと、頭領。最初から言おうか迷っていたのですが……」
「ん?何かな?」
「口調、戻ってないです。正直、変装してない状態でその口調は……キツイです」
「なら最初に言って欲しかったでござるなぁ!?」
◇◇◇◇◇
「あっはは。いやー、上手く逃げられたわね」
「……うん。そうだね」
どこか遠くでござるが叫んでいたのと同時刻。
ほんの少し前まで激戦が繰り広げられていた【巨城ネフィリム】の一室。そこの空気は、少し、ピリついていた。
カリ。
「最初の1体に加えて……4体かな?結構頑張ったわね、あのパチモン」
「9体だよ。最初の1体含めて全壊が4体。半壊が3体の行動不能が2体。残りの2体も稼働可能とはいえ多少の損傷があるから……無傷の個体はいないね」
カリ、カリ。
「うんにゃ。まぁ仕方ないんじゃない?いくらステータスを一部模倣したって行動パターンが機械的なら読み切られるのも仕方ないわよ。その上であちらさんも関節狙いとか同士討ちとか搦手満載だったんだから」
カリ、カリ、カリ。
「だからだよ。体表を硬くして防具も装備してサクラちゃんの能力を一部模倣して、それで満足してた。甘かったんだ」
カリ、カリ、カリ、カリ。
「装甲で覆えない関節部の強度を突き詰めなかった。どかせないなら動けなくして迂回するってくらい想定すべきだった。半自動化に伴う行動ルーチンの詰めが甘かった。新しい事が出来るって浮かれて、中途半端で妥協してた。これは僕の敗北だよ」
カリカリカリカリカリカリ……。
「ほらメイ、爪噛むの辞めなさいって。ストレス溜まると爪噛む癖治ってなかったのね」
さすがに見かねたのか、リーシャはハイライトの消えた瞳で虚空を見つめながらカリカリと爪を噛んでいるメイの頭をぐしゃぐしゃと乱雑に撫で回す。
「あばあばあばば。え?僕やっちゃってた?完全に無意識だったよ……。最近やってなかったから治ったと思ったんだけどなぁ」
「最近はこっちでのものづくりでストレス発散出来てたからひっさしぶりに見たわねその癖。まぁいいわ、それよりメイ、例のアレちょうだい」
「あ、そうだね。えっと……はい、これ」
ようやく意識が帰還したメイを急かし、リーシャは1本の矢を受け取る。それは、鏃が赤く柄の部分や羽の部分が黒であることを除けば何の変哲もないただの矢。
それを受け取ったリーシャは赤黒の矢を弓に番え、何もいない壁目掛けて引き絞る。
「あーらよっと」
そして、軽い掛け声と共に矢を放つ。射られた矢はそのままぐんぐん空を駆け、壁にぶつかる。
「虚構よ満ちて事実となれ。【事実の矢】」
直前に、姿を消した。
◇◇◇◇◇
「のぐわっ!?」
「頭領?どうされまし……敵襲ですか!?」
突如として悲鳴を上げた頭領の肩に深々と矢が突き刺さっているのを視認し、女性は即座に臨戦態勢に移り周囲の気配を探る。
だが、それは徒労に終わる。なにせ、この場に敵などいないのだから。
「……いや、違うでござるな。……………………なるほど、あの時でござるか。また厄介な……」
「どう言うことでしょう……?」
矢が刺さったことに驚きつつも冷静に考察を重ねる頭領の様子を見て臨戦態勢は解いた女性だが、その頭上には疑問符が浮かんでいる。
「単純な話でござる。拙者は既に射られていたが、どんな矢に射られたかは決まっていなかった。だから『射られた』という事実だけが宙ぶらりんの虚構としてそこにあった。それが決定して実像を得ただけでござる」
(拙者の『逆唱』と似て非なる現実改編能力でござるな。その割には使った時に何かしら代償を払っていた気配はなかったでござるが……)
「えっと、つまり……?」
似て非なる能力を持つ彼にとっては直感的に分かることでも、その能力を持たない彼女にはいまいち分かりにくいのだろう。
「簡単に言えば『過去に射られていたけど反映が遅れていた』ということでござる」
「なるほど……つまり頭領、ヘマしてたんですね?」
「言い方ァ!でこざる!」
(しかし、なぜ今……?逃げられたから嫌がらせ……にしては威力も低ければデバフも無く大した痛手でもない……。それこそ戦闘中にでも発動すれば大きな隙が作れたはずでござるが……。今それを起動した理由は……)
「ッ!ミナ!」
そこまで思考をめぐらせ、フィローは慌てて矢を引き抜きへし折る。それだけで耐久値を完全に失った矢は淡い光となって解け消える。
矢がやけに脆い。その感触を『今は不要なもの』として押し流し、この最悪の事態の対処を急ぐ。
「そんなに慌ててどうされました?」
「拙者の予想が正しければ、我らの拠点が【カグラ】に特定されたでござる」
◇◇◇◇◇
「お、手応えあり。さっすがメイお手製の矢。よく耐えてくれたわ」
「うん。こっちでも確認出来たよ。リスポーンしてからそう時間は経ってないはずだから、十中八九この場所があの侵入者の拠点だね」
「矢の場所を常に紐付けされたプレイヤーのマップに表示してくれる『指針の矢』……さすが、リクエスト通りの性能だわ」
「ふふん。そりゃぁここで完璧に答えられなきゃ僕じゃないからね!」
「耐久性もバッチリでパーフェクトよ。虚構が埋まるまで1時間くらいあったのに平然と耐えたわね」
「そりゃあもうね。ガッチガチに頑丈に作ってあるよ。なにせあれ1本作るのにロックゴーレムの素材が3体分は必要なんだもん」
「つまり?」
「お手頃!」
リーシャが少し前に侵入者に放った【 】。
その能力はフィローが予想した通り『事前に矢を番えずに放ち中ったという事実だけを植え付け、後からどの矢を射ったかを確定させる』というある種の現実改編能力。
フィローの持つ『逆唱』との違いは、過去に遡らず発動した瞬間からの事象を改編するという点。
当然、そんな強力な能力に代償がない訳が無い。
その代償はシステム的には1つだが、実質的には3つ。
ひとつ。矢を中てる時に全て感覚で放たなければならない。
これは普通の矢でも同じだと思われるかもしれないが、【 】を放つ時には『そこに存在しない矢』を射らなければならないのだ。
指先の感覚や視覚でしている微調整が全く行えず、また中ったかどうかすら確認出来ないのだ。つまりは弓使いとしてのとても高い技量を求められる。
ふたつ。虚構を埋めるために放たれた矢は放たれた地点が虚構から離れれば離れるほど耐久値を損耗させる。
これがシステム的な代償である。虚構が着弾した時間と現在の座標。このふたつの値が虚構を満たすための【事実の矢】が放たれた瞬間の値から離れれば離れるほど加速度的に損耗率は上昇する。
今回の例でいえば、時間的ズレは約1時間。座標的ズレもかなり大きく、その損耗率は一般的な高品質フルアーマー3個分に相当する。
当然、放つ矢の耐久値が代償となる損耗率以下の場合矢は届かず消滅し、虚構も消え失せる。
みっつ。【 】は同時にひとつしか存在出来ない。
これは、代償と言うよりは制限に近い。1人のプレイヤーが2発も3発も同時に虚構を発生させることは出来ないのだ。
総じて、【 】とは『高耐久の矢なんて言う奇抜なものを持っていれば当たったかも定かではない相手に時間差で攻撃出来るかもしれない』というスキルなのだ。
そして、ヒャッハーはそれを使いこなしている。
事実、隠遁隠密潜伏が得意な忍びの集団である【御庭番衆】の本拠地を突き止めているのだから。
「さーて、今回のお仕事終わりっ!カレットちゃんとリクルスくんが帰ってくる規定の時間まではまだちょっとあるからそれまで」
「僕は工房でミミックゴーレムの改良を……」
「言うと思った。だから私はそれまでメイの工房で暇つぶししながら時間になったら強制連行する仕事に就くとするわ」
「わぁいリーちゃんさっすがー」
◇◇◇◇◇
こうして、2日目の朝が終わる。
その後白龍姫が盛大に自爆し、鬼が岩山を去り、時が過ぎ去った。
【カグラ】が集結し、対【カグラ】を掲げる連合が正式に発足し、その他猛者が動き出す昼が来る。