第18章 殺人鬼は神と対峙す
【前回のあらすじ】
ルバルド「前回? 僕が少しゴミ掃除をした程度だよ。そうだろう?」
「ル、バル、ド…………? ルバルド、なの……?」
その姿に、いち早く反応したのは、アルルだった。
肘までは再生しつつある腕を半端にぶら下げ、アルルは炎の中で呟く。紅蓮の瞳を見開き、直線状にいる少年を一心に見つめていた。
金色の、茨の冠をつけているかのような髪。
透き通るような白い肌を露わにし、身に纏うのはびっしりと文字の書き込まれた巻物のみ。全身から漏れる光を潰していたローブは、今やない。細身の美少年、そんな形容がしっくりくる肢体を晒して、ルバルドは、呼びかけにも応じず佇んでいた。
目は閉じられ、表情は窺い知れない。
それでも、アルルは声を続けた。続けずには、いられなかった。
「ルバルド、ルバルド=サムリッグ……。なんで、どうして君が……? っ、まさか、あの『人罰』を、ビヴリ=メサイエリを動かしていたのは、君なの? ねぇっ!」
「…………」
「ビヴリのこともそうだし…………それに、じゃあ、この村を襲わせたのも、君なの? 君なのっ⁉ なんで、なんでだよっ⁉ 一体どこに、人間を殺す理由があるのさっ⁉」
「っ、うるっさいんだよっ! この裏切り者っ‼」
ふわぁっ、と、微かにルバルドの纏う巻物が、宙に浮く。
その瞬間――――無数の光の矢が、上空から夕立の如く降り注いだ。
「っ⁉」
「っ、きゃああっ⁉」
爆風が、周囲を包む。じくじくと、眼の奥が掘られているように痛んだ。
アルルとバジを包んでいた炎が、『常翔火龍』が。
跡形もなく消え失せ――――同時に、ばたっ、とバジの身体が倒れた。
「…………っ⁉」
「バジっ⁉ っ、ルバルドぉっ‼ 君は、君はなにを――」
「……いつまで、僕の姉気取りでいるつもりだ。アルル=グル=ボザード」
ぐにゃり、と景色が歪む。
視界が捻れ、平衡感覚との齟齬が露わになる。視認と体感の、明らかなる相違。脳の認識にぶれが生じ、くらぁ、とアルルの身体は傾いた。
ほとんどなにも口にしていないのに、吐き気が酷い。
よじれた景色の中、しかし、ルバルドの表情だけは明瞭に見て取れた。
最早隠すつもりなど微塵もない、止め処なく底のない、深い憎悪の色が。
「っ…………ル、バルド……!」
「かつて、僕はあなたに憧れた。火山を司り、強大な力を持ちながら、なおも優しいあなたが、羨ましかった。眩しく見えた。あなたのようになりたいと、心の底から思ったよ。けど」
あなたは、僕たちを裏切った。
歯軋り混じりに、ルバルドは言う。
一言一言が、呪詛のようにアルルへ沁み込んでいく。
刺すような鋭い視線を送りつつ、ルバルドは、激情を静かに吐き出していく。
「僕たちを、神族を裏切り、見限り、切り捨て、人間を選んだんだ。ちょっと技術を手に入れたら、知恵を手にしたら、手の平を返して僕たちを放逐した。僕たち神族を、貶め傷つけ弄んだ、人間共を…………それを、許せると思うか……?」
「っ、違う、人間はそんなんじゃ――」
「僕は! あなたのことを許せないんだよっ! アルル=グル=ボザードぉっ‼」
ぐじゅうっ。
叫び声を遮るように、ルバルドの首に生暖かいなにかがぶつかった。
緩慢に眼球を動かし、視線がそれを見抜く。赤黒く、鉄臭い。扁平に伸びたそれは、ルバルドの首に巻き付いた【死飼文書】に阻まれ、ぽたぽたと、融け落ちていた。
ルキの【邪血暴虐】から伸びた、薄く鋭い血の刃。
食い止められてもなお、凶器はルバルドの首を裂かんと、蠕動を繰り返している。
「…………なんのつもりかな。ルキ=リビングデイ」
「……奴を、ビヴリ=メサイエリを、どこにやった」
「君の元いた国では、人が死んだら灰になるまで燃やすんだろう? それに、倣っただけさ。恋しいなら、呼吸でもすればいい。骨片くらいなら、吸い込めるかもよ?」
「恋しい? アホを抜かせ」
ぐ、とルキは一歩踏み込んだ。
血の刃を、ビヴリの血を周囲に展開し、低い姿勢で吶喊を――
「俺の獲物を、勝手に――」
「頭が高いんだよっ! 這い蹲ってろ、人間風情がぁっ!」
音も光も、捉えられない――――あったのは、ほんの僅かな痛みだけ。
神経さえまともに反応できない速度で。
ルキの右脚は、膝から先が消し飛ばされていた。
「っ――――が、ぁああっ⁉」
バランスを崩したルキは、顔面を地面に擦りつけながらその場に倒れる。
次の刹那、ぱりんっ、ぱりんっと小気味よい音が響き、赤黒い破片が降ってきた。鋭いそれらは地面に刺さり、そして瞬時に、消えていく。
まるで、風化していくかのように。
地面も、同じだった。ルキのすぐ眼前で、小さな瓦礫が見る見るその体積を減らしていった。ほんの数秒の内に、瓦礫は砂と化し、あらぬ方向へと流れて消えた。
最前の、森の中での奇怪な現象と、同じだ。
ルバルドの放つ光、その熱量に耐えられないものから順に、崩壊していく。
絶えず、周囲では崩落が続いていた。既にビヴリの攻撃によって壊滅的な損傷を受けていた建物たちが、光に中てられ、耐え切れずに壊れていく。
「……さて」
すぅ、とルバルドはルキに人差し指を向けた。
白魚のように美しいそれに、光が集まっていく。ずず、と衣擦れの音を立てながら、巻き付いた【死飼文書】が少しずつ、蠢いた。
ルバルドの肌が露わになるごとに、光が、より眩しさを増す。
全身を内から焼くような、圧倒的な熱量をも、同時に。
「っ、て、めぇ……!」
「少し待ちなよ。これが、最後の仕上げだ――――『神の裁き』」
押し殺したような、平坦な声の直後。
ルバルドの指先から、巨大な光線が発射された。
ビヴリが『銀餐獄』と呼んでいた、彼女の最大の必殺技。地形さえ変えかねない規模の破壊光線を、ルバルドは、軽々と指先から放ったのだ。
認識した時点で、既に遅い。
光線は文字通り、光の速さで迫ってくる。
走馬燈さえ、過る時間はなかった。
光線は正確無慈悲に、ルキの頭蓋を――
「【火天炎上】――――『劫火焼掌』っ‼」
それは、炎だった。
ルキの目の前で、巨大な火柱が立ち上ったのだ。
あまりの熱量に、白く光り輝いた炎が、眼前で炸裂する。炎熱が歪めた景色が、炎が消えるに伴って元通りに戻っていく。
倒れたルキの正面に、アルルが立っていた。
ただし、左腕だけではない、上半身の左側の大半を、失った状態で。
「……アルル、お前……!」
「はーっ、はーっ、はーっ、はーっ……ル、キ……無、事……ぃっ‼」
思わず、ルキの口からさえ言葉はこぼれた。
アルルの顔は、もう半分もない。目も鼻も唇も、左半分が根こそぎ削り落とされている。傷口はケロイド状に爛れ、焼け出した脳が僅かな隙間からぽたぽた垂れていた。
喉も半ばまで千切れ。
豊満だった胸は、片方しか残っておらず。
脚がぎりぎり、皮一枚で繋がった状態で――――それでも、アルルは立っていた。
絶対に、倒れようとはしなかった。
「っ……余計なことを――」
「死なせない、から…………っ!」
倒れることも。
折れることも。
曲がることもしないで――――アルルは、まるで誓いのように吼えた。
「私の前で……もう、誰一人として、殺させないっ! 死なせないっ‼ 私は…………もう、誰かが死ぬのを見るのは、絶対に、嫌なんだよぉっ‼」
瞬間、傷口から一斉に、弾けるようにして血が噴き出した。
【火天炎上】の能力さえ制御できていないのか、地面に落ちた血は煙を発し、緩やかに大地を焦がしていく。
こぽっ、と沸騰する血の悲鳴に紛れて。
「……なんで、だよ……」
煮え滾るような困惑の声が、アルルの耳朶を叩いた。
「……ルバ、ルド……?」
「なんで……なんで、姉さんは……そう、なんだよ……?」
「っ……!」
「なんで……なんで、なんで――――どうして、なんだよぉっ⁉」
ルバルドの端正な顔が、怒りの色に染まり歪んだ。
同時に、【死飼文書】が一斉にほどけ、真っ白な肌が露わになる。光は凝縮された球となり、次々と上空めがけて発射された。
小さな太陽の如く、空で輝くそれらは。
合図もなしに――――巨大な光線を、四方八方めちゃくちゃに放ち始めた。
「っ⁉ ル、バルド……っ、君は、なにを――」
「うるさいんだよぉっ! ふざけるな、ふざけるなふざけるな、ふざけるなぁっ‼」
地団駄を踏み荒らし、ルバルドは髪を振り乱して叫んだ。
血走った目からは、虹色に輝く雫を流し。
喉が裂けんばかりの声で、咆哮を吐いた。
「そんなに、そんなになってまでか⁉ 自分が死にそうでもなお! 人間なんかを守るのかっ⁉ なんだよそれっ⁉ 意味が分からない理解ができないっ‼ 姉さんに、人間がなにをしたっ⁉ 僕たちを捨てた人間が、姉さんになにをしてくれたんだよっ⁉」
「ルバルドっ‼ もうやめて、これ以上は――」
「知るかそんなことっ‼」
ちりちりと、地面は焦げ、焼けて無くなり、失われていく。
光線の当たった箇所は、建物も地形も抉り取られた。
ルバルドの発する光が、あらゆる物質を風化させていった。
――【死飼文書】は、絶対の防御兵装にして、僕の力を抑え込むための枷だ。
――こうでもしないと僕は、歩いているだけで万物を滅ぼしかねないからね。
ルバルドが自ら語った脅威が――――正に、現実になろうとしていた。
「っ、やめてってばぁっ! ルバルドっ! 君は……本気で、【神有界】を壊すつもりなのっ⁉ そんなことをしたら――」
「知らないっ! アルル姉さんなんかもう知らないっ!」
耳を塞ぎ、目を固く瞑り、ルバルドは狂乱する。
村も山も大地も湖も、見える見えないも近い遠いも、区別なく無差別に。
破壊して破壊して破壊して――――破壊する。
「姉さんが、姉さんが創らされたこんな世界なんか、もう知らないよっ! どうでもいい、人間も神族も知ったことかっ! 壊れちゃえっ! 僕たち以外に姉さんが守りたいものがある、そんな世界なんて――――全部、壊れっちゃえばいいんだよぉっ‼」
がたたぁっ、とけたたましい音が響いた。
地面に伏していた巨大な十字架【信仰宗狂】が、一気にルバルドの頭上へと跳び上がったのだ。
ルバルドの発する光が、次々と吸い込まれていく。
十字架自体が煌々と輝く発光体となり――――その先端が、アルルとルバルドの中間、なにもない地面に向けられた。
大地自体を壊して、世界を壊して。
後先なんてなにも考えない、最悪の破壊行為だった。
「やめ、やめてルバルドっ! 分かったからっ! 私、もうやめるよっ! 人間を守るの、もう止めにするから、だから――」
「そうやって今だって、人間を守りたがってるじゃんかよぉおおおおおっ‼」
慟哭。悲鳴。叫喚。激昂。
がりがりと頭を掻き毟り、身体を大きく揺らしながら、ルバルドは吼えた。
「全っ部、壊してやるっ‼ 【信仰宗狂】――――『失落天――――」
「……んだよ。こんなことになっちゃ、今しかチャンスがねぇじゃねぇかよ」
ざくぅっ
「あ……が…………っ⁉」
肉を裂くようなその音が、脳内に直接響くように聞こえた。
痛くは、ない。しかし苦しかった。全身の血管を、残らず堰き止められたような圧迫感。
がくがくと、痙攣に近い動きをする眼が、視線をふと下に落とす。
片方しかなくなった、乳房を貫くようにして。
背中から、寸分違わず心臓に狙いを定めて。
アルルは――――胸から飛び出した、赤黒い血の刃を見た。
†
「……最初から、効く確信はあった」
振り向くことが、できなかった。
ガチガチと、歯を打ち鳴らす音が半端な脳にうるさい。背筋がぞくぞくと冷え、やがてそれが全身へ伝播していく。呼吸が絶え絶えになり、全身は止める術なく震え続ける。ほぼ片方になった脚で立つのさえ辛く、膝が、やがてがくりと折れた。
「俺が【邪血暴虐】で攻撃しようとすると、お前は、必ず防御した。最初に殺そうとした時も、堀の水で殺そうとした時も、この一週間も、ずっとだ。血が足りていないと、そう分かっていても、防御していた」
背後からの声は、淡々と紡がれる。
感情のない、ただの機械みたいな声が、アルルの感じる悪寒をさらに強くしていた。
「それは、もう理屈じゃあない。本能なんだ。確かにお前には、ただのナイフは通じない。【邪血暴虐】だって、刃そのものは通らない。だが――――血の刃なら、話は別だ」
ずるぅ……っ、と胸から刃が消える。
背中から、じゅるんっ、と嫌な音を立てて、血の刃が抜き取られた。
一番の得物を、【邪血暴虐】を、真っ赤に染まったそれを構えながら――――ルキは、無表情でアルルの身体を見下ろした。
「お前だって、それは分かってたんだ。呪符だのなんだの、理屈をつけて誤魔化そうともな。【邪血暴虐】が、お前を殺し得る武器だって…………バレバレ、なんだよ。俺が今まで、何千人殺してきたと思ってる……?」
「っ……ル、キぃ……!」
どさっ、とアルルの身体が地面に倒れる。
血で赤く染められた視界が、しかし、いやに暗かった。
最前までの明るさが、一気に鳴りを潜めている。夕暮れ時の、仄かな暗さを取り戻しているのだ。幾重にも致命傷を負っているのに、アルルは不思議と、そんなことが気にかかった。
「…………は、はは、はははは……」
力の抜けた笑い声が、微かに耳朶を叩く。
強引に眼球を動かし、視線を前へ向ける。【死飼文書】を全身に巻き付け直したルバルドが、がくりと肩を落とし、硬直した顔で笑っていた。
傍らには、ボロボロになった【信仰宗狂】が、ごみのように転がっている。
「……ほら、見なよ、姉さん…………これが、これが人間なんだよっ‼」
しかし、一瞬にしてその表情は崩れる。
泣き笑いに、怒り、他にもぐちゃぐちゃとした感情のごった煮が、訳の分からない表情を作り出す。大袈裟な舞台役者みたいに、手足も身体も全部動かして、ルバルドは叫んだ。
叫ばずには、いられないように。
「姉さんがどれだけ守ったって、どれだけ愛したって、そんなの関係ないんだっ! 人間は…………そうさ、人間は、僕たち神族なんて、なんとも思っちゃいないんだっ! 人間の癖にっ! 下等で劣悪な人間如きがっ! 増長して我儘になって、僕たちを捨てた人間なんか…………分かった、だろうっ⁉ やっぱり、僕たちが正しかった! 姉さんは、間違ってたんだっ! だから、だから人間なんかに、殺されるんだよっ‼」
「…………バ……ド……」
「ははっ、あはははははははははははははっ! ざまあみろ、ざまあみろだよっ! 姉さんっ! あなたは間違ってたっ! 人間は、守るべきでも愛すべきでもないっ! だってそうだろっ⁉ その所為で姉さんは傷ついたっ! 僕たち神族に恨まれ、糾弾され弾劾され、力の大半を奪われて追放されて、挙句の果てに愛した人間なんかに殺されて――――なんなんだよ、なんなんだよ姉さんっ⁉ それこそなんの意味があったっ⁉ 姉さんのその行動に、その感情に、一体なんの意味が――」
「うるせぇぞ露出狂」
ずんっ、と重い音がした。
例えるなら、地響きか、或いは地鳴り。もっと言えば、そう――――火山の鳴動。
噴火する直前の、火山の鼓動だ。
倒れ伏したまま、アルルは目を剥いた。
ルバルドは、悲壮な表情のまま、刹那、固まった。
ルキだけが、苛立ちを隠すこともなく、荒い溜息を吐いていた。
赤を食らい尽くした、象牙色の刃を振るって。
沸々と煮え滾った血の刃が――――ルバルドの左腕を、根元から切断していた。
「っ、ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!?!?!???!?!?!?!」
悲鳴と共に、赤い赤い血が噴き出――――さなかった。
鉄臭さの代わりに、肉の焼ける臭いがした。食欲をそそるようなものでは、断じてない。胃の粘膜にへばりついて、吐き気を誘発するようなえぐい臭い。
ルバルドの左腕は、切り落とされた肉塊は、もう、ない。
刃が触れた瞬間にはもう、炎にまかれて、灰も残らず焼け失せた。
傷口も、痛々しい火傷で覆われ、血管一つ一つを潰していた。剥き出しになった神経だけが、なおも漂う粉塵に噛まれ、じくじくとしつこく痛む。
「ガキみたいな理屈を朗々と……聞いていて恥ずかしくなる」
「がっ、あぁっ! る、ルキ=リビングデイっ! 貴様……なんの、つもりだぁっ⁉」
「別に。最初からこうするつもりだった」
周囲に膨大な熱を孕んだ血を展開し、ルキは、しかし涼しげに答える。
「お前には、【邪血暴虐】が効くかどうか、分からなかったからな。だが以前、アルルの血を【邪血暴虐】に食わせた時、威力はバカみたいに跳ね上がった。神族を殺すなら、同じ神族の血が適当と思ったんだが――――どうやら、大当たりだったな」
本当はもう少し、試したいこともあったんだが。
お前が暴走するもんだから、いきなり本命を試すしかなくなったじゃねぇか。クソが。
忌々しげに呟き、ルキは地面に血反吐を吐き捨てる。
「っ、何故だ、何故だぁっ⁉ 何故、何故僕を、この僕を殺す必要があるっ⁉」
「殺したいから」
ルキは。
ルキは――ルキ=リビングデイは――十時鴇次は。
いつも、どこででも、どの世界にいても変わらない動機を、簡潔に答えた。
「アルルも殺したいし、それに群れるお前らだって殺したいんだ。獲物同士が勝手に食い合うな。獲物が俺の獲物を取るな。抗うのはいいが模倣はするな。お前らを殺すのは俺なんだから」
「っ…………っけ分かんねぇんだよこの狂人がぁっ‼」
瞬間、ルバルドの顔が酷く歪んだ。
歯が欠けんばかりに食い縛られ、眉間に皺が深々と刻まれる。目つきは射殺せそうなほどに強く、鋭く、そしてなによりも――――視線そのものが、痛々しく尖っていた。
【死飼文書】が、ルバルドの身体を離れ、大きく広がる。
ドーム状にルバルドを覆うと、周囲の光度が一気に下がった。半面、巻物で覆われた球の中は、ルバルドの姿が眩んで見えないほどに、光が集中している。
憤怒。激昂。怒髪天。
明らかたる怒りの発露を見て――――ルキは、べろりと口の端を舐めた。
「っ、来ぉいっ! 【信仰宗狂】っ‼」
呼びかけに応じるように、打ち捨てられていた巨大な十字架が、光の元へと浮かび上がる。
それはまるで砲塔の如く、ルキに狙いを定めていた。
「人間が……人間が、人間が、人間如きがぁっ! 神に逆らったその罪、思い知れっ‼ 骨も残すと思うなぁっ‼」
「ひははっ――――殺す」
衝突は、一瞬の内に訪れる。
ルバルドは【信仰宗狂】の先端から、極大の光線を放ち。
ルキは、アルルの血でできた巨大な刃を、光線にぶつける。
火花は、散らない。規模はもう、その程度で済むものではない。
二つの凶器が重なった瞬間――――世界は、爆発でも起きたかのように、揺れた。
†
「ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっ‼」
ルキは、柄にもなく叫んでいた。
命のかかった、本気の鍔迫り合い。
片や光線。片や火山の火力を持つ血の刃。
その勝負において、圧倒的な不利に立たされたのは――――ルキの方だった。
「ぐぅううううううううううううううううううううあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ‼」
【邪血暴虐】を握る手に、力を込める――――その度に、ルキは顔を顰めて叫ぶ。
腕の皮は、見る見る内に焼かれ、剥がれ、肉が剥き出しになっていく。
露出した肉さえ、瞬く間に焼け焦げていく。自分の肉が焼けていく臭いに、ルキは思わず吐きそうになった。
火山の火力を持った、巨大な血の刃。
そんなものを、ただの人間であるルキが容易に扱える筈がない。吹き荒ぶ熱風に焼かれ、一秒も経たない間に、ルキはいくつもの致命傷を負っていた。
腕だけではない。全身を襲う重度の火傷。
眼球の水分は瞬時に失われ、ほとんど見えていない。
口から入る熱が臓器を焼き、胃も肺も、ほぼ使い物にならない。
ほんの数秒で、ルキは、自分の繰り出した炎によって死ぬ。
そのことを、ルキは誰よりもよく分かっていた。
「ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっ‼」
なのに、止まらない。
今さら、もう止められない。
なによりルキは、目の前の存在を殺したかった。
人間を遙かに超える力を持つ存在――――神を。
自分の獲物を横取りした、ふてぶてしい神を――――殺したい。
殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。
生来の本能が、殺人衝動が、痛みも死の恐怖も、全てを塗り潰し凌駕する。
「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――」
「しっ……かり、して、よ…………この、ばか、ルキ、めぇ……っ!」
「………………あ、ぁ……?」
吹き荒ぶ爆風が、和らいだ。
不安定だった片足立ちも、踏み締める力を取り戻している。
焼け爛れ、痛みしか感覚のない脚に、温かく柔らかな、なにかがいる。
「アル、ル……?」
「っ、死なせ、ない、から……!」
アルルは、寸断されたルキの左脚に、しがみついていた。
半ばまで欠けたその身体が、ルキの脚代わりとなり、地面と強く接し合う。
「君のことを……死なせたりは、しない……!」
「あたしは、あんたなんか死ねばいいと思ってるんだけどね」
背後から声が聞こえ――――次の瞬間、目に眩い光が映った。
腕の火傷も、次々と癒えていく。傷んだ肉が剥落し、新しい肉と皮が生えてくる。自ら切り落とした小指も、骨から徐々に伸びてきた。
こんな治癒を行える存在を、ルキは、一人しか知らない。
「バジ……お前」
「でも、姉様が望むなら、ムカつくあんたでも助けてやるわ。だから、さっさとそいつを――――姉様の敵を、ぶっ倒しなさいっ! このバカルキがっ‼」
「……っ、言われなくても、だぁっ‼」
力づくに笑いながら、ルキは凶器を握る手に力を込めた。
欠けた脚で踏ん張り、焼けた腕を振るい、切れた唇で笑う。
アルルが支え、バジが治し、そして、ルキが切る――――三身一体と化した三人は、火力を弱めはしなかった。
何秒、何分、いやもしかしたらほんの一瞬かもしれない。
ずっ、と。
鳴り止まぬ轟音の中、刃が、前へと進んだ。
切れた、のだ。
無限とも思える破壊のエネルギーを、ルキの血の刃が。
「殺せる――」
確信と共に呟いて。
弓の如く口の端を吊り上げ、凶悪な笑みを呈して。
「逝け」
静かに、呟くように、ルキは叫ぶ。
歓喜の言葉を。充足の言葉を。悦楽の言葉を。
――――刹那。
ずりゅぅっ、と肉を断つ感触がして――――ルキは、【邪血暴虐】を振り下ろした。
その瞬間。
「ぇ……ゎ、あぁぁっ⁉」
耐え切れなくなった地面そのものが、融け落ちて崩れる。
村を呑み込む蟻地獄のように、大穴が穿たれて――――ルキたちは為す術もなく、その奥へ落ちていった。
【次回予告】
次回、ラストバトル決着…………?




