第17章 殺人鬼は死に狂喜す
【前回のあらすじ】
ビヴリ「ヒトゴロシ……不思議な響き、ですわぁ。顔も知らない隣人のような……」
「は、ぁ……っ⁉」
絞り出すような、悲鳴に近しい声を上げたのは、バジだった。
アルルの薄い服の裾を、ぎゅっと握り締めて離さない。ビヴリの、その尋常ならざる姿に怯えながら、彼女はようやく、それだけを吐き出した。
問いかけられたアルルは、答えられない。
応えられない。
ビヴリの口にした疑問符の意味が、アルルには、まるで分らなかった。
「な、にを…………なにを、言って……?」
「こちらの台詞、ですの。先ほどから……っごぼっ、ごぼほっ……はぁ、はぁ、訳の分からない、こと、ばかりですわ。私は……天命に、従っている、だけですわ……」
「っ、誰…………誰に、そんなことを吹き込まれて――」
「口を慎みなさい、我が『神』を語る似非者が」
一瞬だった。
横目に見ていたルキには、それがカメラのフラッシュに似ていると思えた。瞬き一つ分の間に、眩い光が通り過ぎていく。じゅんっ、と鋭い音が耳奥で残響する。
静かに、音もなく。
アルルの左腕が、ぼとり、と地面に落ちた。
「っ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~⁉」
「姉様っ‼」
「私の従う『神』は……貴方のような、偽物ではありませんわ。愚弄するのも、大概にしていただきたいですわね……」
だらん、とビヴリの腕が下がった。
自分の腕の重さにさえ耐えられないかのように、荒く息をしながら、ビヴリは言う。
「私の役割は、あなた方、無信心者に、苦難を、課すことですわ……。『神』は、数多の試練で、人の信仰を試しますの……雷、破壊、洪水、追放、煉獄の責め苦に地獄の恐怖。私の与える苦難は、全て『神』の思し召し。『神』が賜れた尊き責め苦なのですわ……! 乗り越え、耐え抜き、克己した時にこそ、真の信仰を――」
「っ、意味、分っかんないわよっ! このイカレ女、あたしの、あたしの大事な姉様をよくも――」
「――――がはっ」
びちゃびちゃびちゃっ。
粘り気のある水音が、緩慢に垂れ流される。
開いたままになったビヴリの口から、止め処なく血が流れてきた。赤黒い、明らかに不健康な血が唾液と混じり、粘性を増して地面にこんもりと積もる。
口元も拭わず、寧ろ喜ぶように、ビヴリは笑った。
「ふふ、うふふふふふ…………どうして、でしょうか。ここ数日……体調が、優れませんの…………まともに、立つことも……っふふ、もう、目もあまり見えませんわぁ……あぁ、もう片方、ないのでしたっけ……っふふ、ふふふふふふふふ……」
「っ……それ、たぶん……その、武器の所為……!」
肉の消失した肩口を押さえながら、アルルは言う。
「神族の力を……人間に、使わせるなんて……無茶、なんだよ……! ビヴリ……もう、やめて。このままじゃ、君まで死んじゃうよ……!」
「死ぬ……? 私が、ですの……?」
「そう、だよ……っ。きっと、そういう仕組みだ。その武器は…………神族は、君たち『人罰』を、道具程度にしか、思ってない。用が済んだら、消す腹だったんだよ……! っ、だから――」
「あぁ…………それは、なんて、なんて素敵な苦難なのでしょう……!」
「…………っ‼」
じくじくと痛み、燃えるように熱い肩の切断面。
しかし、そこから流れる血液さえ凍り付くかと思うほど、アルルは背筋に冷たさを感じた。
自分の顔から血の気が引くのが、蒼褪めていくのが、ありありと分かった。
「……なにを、言ってるの……? なんで、どう、して……⁉」
「うふふふふふふふふふあはははははははははははぁっ!」
途端に、バジは目を細めた。
周囲が、一気に明るく照らされていく。昼も斯くやとあらんばかりの光度だ。炎の放つ橙の光など、全て真白く塗り潰されていく。
光源は、ビヴリの凭れかかる十字架だった。
【信仰宗狂】。神族の身体すら消失させる破壊光線の砲台。
アルルめがけ、照準を定めたその先端で、巨大な光球が膨らんでいく。
「あぁ我が『神』よ! 我が永遠の主よっ! ご覧になってくださいっ‼」
ようやく顔を上げたビヴリは。
アルルに向かって、酷く、酷く歪んだ笑みを見せてきた。
落ち窪んだ左眼。げっそりと肉の削れた頬。どろりと変色した舌。
黒く傷んだ血で汚れた、凄絶で誠実な笑顔。
アルルは――――直感した。理解した。そうせざるを得なかった。
――ビヴリ=メサイエリに、話なんか通じない。
――生きている土台が、理屈が、あまりにも違う。
「狂ってる……おかしいよ、君は――」
「祈りは、捧げたのですかぁ?」
ぐしゃぐしゃに歪んだ笑顔が、唇を捻じ曲げて訊いてくる。
返事を待ちもせず、ビヴリは、歌うように叫んだ。
「さようならアルル=グル=ボザード様ぁっ! 私の与えられる、最高の苦難ですわぁ――――【信仰宗狂】第四章最終節っ、『銀餐――」
「どこかで聞いた台詞だが――――茶番は終わったか? ビヴリ=メサイエリ」
「――獄』ぁっ‼」
ぐるんっ、とビヴリが【信仰宗狂】ごと、身体を回転させる。
光球が一層眩く輝いた、その真正面。
ついさっきまでビヴリが背を向けていた場所に――――ルキ=リビングデイが、突っ込んできていた。
手には象牙色の刃を、【邪血暴虐】を強く握り締めて。
ナイフが首を裂こうとした一瞬、それを捉えたように、【信仰宗狂】から光線が射出される。
「っ、ぉおっ‼」
「うふふふふふふふふふふふふふふふあっははははははははははははははぁっ‼」
ナイフを振るう勢いそのままに、ルキはビヴリの真横を転がり抜ける。
あまりに巨大な光線が、その背後を貫いていった。見えないほどの遠くから、爆発音が響いてきた。砂利を噛みながら、ルキは素早く立ち上がる。
アルルとバジを、後ろに置いた形で。
ただ一人、ビヴリと対峙する。
「っ、バカルキっ⁉ い、いつの間に姉様の炎から……⁉」
「ル、キ…………なにを、なにをしてるのっ⁉ 戻って、戻ってよっ! 私は、私は君に――」
「分かんねぇのか? もう、話は終わりだ」
ぽたっ。ぽたっ。
ルキの左腕から、微かに血の雫が垂れていた。服が破け、僅かに覗く腕の肉は綺麗にこそぎ落とされていた。
【信仰宗狂】の一撃が、掠っただけでもそんな威力――――アルルは、訳も分からず首を振っていた。
「っ、違う、違うっ! まだ、まだ話はできる! 通じる! 私が、私がもっとちゃんと話せば――」
「お前は言ったな、アルル。最初から人を喰うように創られている魔獣は、殺すしかないって。…………おんなじだ、俺も、こいつもな」
「おんなじ、って……」
「俺たちは人を殺すようにできてんだよ。だから、直してほしけりゃ殺すしかねぇ」
「……一緒と、一括りにされるのは、頂けませんわぁ……」
ぬらぁ、と緩慢に、ビヴリが振り向く。
顔も、口も、首も、胸も。露出した箇所全てを赤黒い血で濡らした彼女は、壊れた笑顔で嘯いた。
「あぁ『神』よ、そして神を名乗る似非者共。今この時ばかりは、感謝を捧げますわ。己の欲望を満たすために、それだけのために、一〇〇〇人もの無辜の民を手にかけた、最悪の殺人鬼…………そのような不届き者に天誅を、そして、悔悟の機会を与える『神』は、慈悲深いですわぁ……。だから」
消し飛びなさい、殺人鬼。
言いながらビヴリは――――予備動作もなく、【信仰宗狂】から光線を発射した。
†
「あっはは、あはははははははははははははははははははははははははああぁっ‼」
巨大な土煙の柱が立ち、周囲に粉塵が立ち込める。
血反吐を撒き散らし、口の周りを砂塵で汚しながら、ビヴリは哄笑を上げる。【信仰宗狂】から発された光線は、正確にルキの立っていた位置を射抜いていた。熱量に耐え切れなかった土たちが、逃げ場を求めるように爆ぜ飛んだ。
「っ……⁉ ルキ、ルキっ⁉」
「あはははははははははっ! あぁ、あの方の言う通りに、なりましたわねぇ……っふふ、ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ…………所詮、そう、所詮は殺人鬼など、真なる『神』の使徒たるこの私の前では、生きることさえ許されない、罪深き存在――」
「笑うなよ。耳障りだ」
耳のすぐそばで、声が聞こえた。
鉄のように重い瞼を押し開けると、ビヴリのすぐ横に、ルキがいた。
「死――」
「【信仰宗狂】第一章最終節――――『亡海』っ!」
ナイフを突き出そうとするルキの身体が、ぐしゃ、とひしゃげる。
横合いから飛来した【信仰宗狂】の巨体が、ルキの身体を軽々と吹き飛ばしたのだ。防ぐ暇もなく、捻れた腕越しに肋骨がメキメキと悲鳴を上げた。
宙を舞った身体が、瓦礫にぶつかって痛々しく止まる。
「っ……!」
「近づかないで、いただきたいですわぁ……汚らしい、穢らわしい罪人風情が……!」
「っ……や、めて……やめて、やめてよぉっ! もうやめてよっ! ルキも、ビヴリも、二人ともぉっ‼」炎の壁の中、片腕を失い蹲りながら、アルルは気丈に叫ぶ。「なん、なのさ……君たちの、君の言ってることは、何一つ分かんないっ‼ 何だよ、何がしたいんだよ、二人ともぉっ‼」
「……うるせぇぞ、アルル。頭に、響く」
ふらふらと、酩酊しているかのように立ち上がる影。
ルキは、頭からどくどくと血を流し、顔を真っ赤に染めて起き上がった。
「……しぶとい、ですわね。【信仰宗狂】の重さは、一〇〇キロを超えますわ。それをぶつけられてなお無事だなんて…………随分、頑丈、ですわね」
「分からない、だぁ? 当たり前のことを、今さら言うな」
血混じりの視線が、炎に包まれるアルルを射抜く。
ビヴリは、自分が無視されているのだと、そこでようやく気が付いた。ルキの目に、彼女の姿は映っていない。立つことさえ危うい出血量。頭をかち割られてもなお、ルキは力強く、アルルのことを睨んでいた。
「俺たちは、人殺しだ。それ以上でも、それ以下でもない。意味もなにもない。殺したいから殺してるんだ。理由だの動機だの目的だの信条だの、そんなのは後付けだ。どうでもいい。俺たちは、俺は、殺したくて殺したくて仕方ないんだよ……!」
「っ…………」
「そこの女だって、同類だ。神だのなんだの、訳の分かんねぇことを言ってるが、とどのつまりは俺と同じ、ただ、殺したいだけ――」
「っ、【信仰宗狂】第四章第二節――――『売国獄』っ!」
叫んだ瞬間、周囲が眩い光に包まれた。
光源は十字架。身の丈ほどもある巨大な十字架が、神々しい後光を背負って――――ルキめがけて、突進したのだ。
衝突音が響き、瓦礫が勢いよく飛散する。
「っ、ルキっ⁉」
「バカルキっ! ちょ、――」
「口を…………口を、慎みなさいっ! 穢らわしい、穢れた罪人がっ! 私は、私は『神』の、我が『神』の御心のままに――」
「なにを、焦る? ビヴリ=メサイエリ、だったか?」
たんっ、と軽い音がしたかと思うと。
既にルキは、ビヴリの真正面にまで迫っていた。
「――っ⁉」
「言い訳するなよ。所詮、俺とお前は同類だ。殺したくて殺したくて、仕方ないんだろ? でなけりゃ、なにも知らねぇバカなガキ共を、生きたまま解体して殺すかねぇ? それも、何十人もよ」
「っっっ! 【信仰宗狂】第二章第三節『運命』っ‼」
余裕を失くした表情が、必死に血のへばりついた声を張り上げた。
まるで呼び戻されたかのように、【信仰宗狂】の巨体がビヴリめがけて駆けてくる。【邪血暴虐】を振りかぶっていたルキも、咄嗟に横へと身体を逸らし、転がるようにしてビヴリから距離を取った。
ぎゃりりりぃっ、と地面を削りながら、【信仰宗狂】が再び、ビヴリを支える杖と化す。
「だ、まれ……黙れ、黙れ黙れ黙りなさいっ! 私は、あなたなんかとは違いますわっ! 高潔な使命を受け、『神』の使徒として――」
「……ほら、な。話なんか、通じやしねぇ」
地面に手をつきながら、立つこともせずにルキは言った。
疲れたような、力のない声音。まるでなにかを諦めたように、ルキは続ける。
「アルル。お前の言うことは、所詮は理想論だ。分かり合える訳、ねぇだろうが。こんな奴とな。だったら――――殺すしか、もう道はねぇだろ」
「っ…………ル、キ……」
「っふふ、うふふふふふふふふふふふふふふふ……それが、あなた様にできますのぉ?」
ぎごり、と濁った笑みがルキを睨んだ。
未だ蹲ったままのルキは、顔も上げずにビヴリの声を聴いていた。
「あなた様の、そのナイフ……どうやら、血を操る特殊なもののよう。魔獣の牙でも、加工して造ったんですの? 健気だとは思いますわ、けど…………今は、武器である血がないようですわねぇ。一週間も、なにも、殺せていないから」
「…………」
「うふ、うふふふふふふふふふ。尤も、血があったところで、あなた様の刃は私の【信仰宗狂】を、打ち破ることなどできませんわ。額に流れるその穢れた血を、無駄にしたければぶつけてみればいいのではぁ?」
「それができりゃ、苦労はしねぇよ」
荒い息を吐き、疲れたようにルキは言った。
口の端に血を滲ませ、なおも俯き地面を見つめながら続ける。
「【邪血暴虐】は貪欲でな…………肌に這う血に宛がえば、傷口から際限なく血を持ってっちまう。乾いた血は嫌だと抜かす。刺せば瞬時に、全ての血を食らい尽くす。……自分の血じゃ、武器にはならねぇんだよ」
「あら、ならもう――――あなた様に、打つ手はありませんわねぇ」
言うと、ビヴリはゆっくりと、【信仰宗狂】の先端をルキへ向ける。
眩い、太陽の如く神々しい光が、禍々しい球を作っていく。眼球だけを動かし、視線だけでそれを見たルキは、
「……あぁ、残念だ」
と溜息交じりにこぼした。
「本当は、こんな筈じゃなかったんだがな……」
「っふふ、うふふふふふ。今さら、もうなにもかも遅いですわぁ。一週間前のあの時、与えられなかった苦痛を、苦難を、今、差し上げますわ。せめて、せめて最期は、最期くらいは、『神』に祈りを捧げなさい大罪人――」
「だが、まぁいいか」
ぐ、と。
ルキの顔が、不意に持ち上がる。
「……⁉ あなた、なんで――」
ビヴリが驚愕に顔を歪め、唇を噛む。
ルキは――――にやりと、シニカルに微笑んでいたのだ。
これから命を刈られる、そんな立場にあるまじき、余裕すら感じられる笑顔――。
「っ、【信仰宗狂】第四章最終せ――」
「――――狩れ、【邪血暴虐】」
その瞬間、ビヴリの身体中、あらゆる部位が一斉に裂けた。
「!!!!?!?!?!??!?!!?!?!??!??!!!?!??!!?!?!」
声も出せず、ビヴリは、眼前の光景に目を見開いた。
片方の、しいかもぼやけた視界でもよく分かってしまう、赤。赤。赤。
鮮血。
粘つく鉄の臭いが、一気に鼻腔を犯し尽くす。
頭が、眉間が、こめかみが、瞼が、頬が、鼻が、唇が、舌が、喉元が、首筋が、うなじが、鎖骨が、乳房が、腋が、二の腕が、肘が、手首が、手の平が、人差し指が、中指が、薬指が、小指が、親指が、爪が、腹が、背中が、臍が、脚の付け根が、陰部が、陰核が、膣道が、子宮が、臀部が、太腿が、膝が、膝の裏が、脹脛が、足首が、踝が、踵が、土踏まずが、爪先が、足の指が。
示し合わせたように裂き開き、雨のように血を噴き散らした。
「がっ……な、にが……あぁああああああっ⁉」
「…………ルキ……君、まさか――」
痛みにのた打ち回り、破けた喉から空気を漏らしつつ叫ぶビヴリ。
瞬く間に全身を血で染めた惨状に――――アルルだけは、まるで違う意味で戦慄していた。
後ろに隠れていたバジさえ、知りようがない。
かつて、アルルはルキの攻撃を受けたことがある。本気の、純度一〇〇パーセントの殺意。その際、ルキが用いたのは、巨大な水の剣だった。
【邪血暴虐】の支配下にある血を、ふんだんに混ぜ込んだ堀の水全て。
そんなでたらめを目にし、実際に身に食らったアルルだからこそ――――ルキがなにをしたのか、分かってしまった。
「が、はぁっ⁉ なにを、なにをなにをなにをなにを! なにをしたのですかぁっ⁉ ルキ=リビングデイぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ‼」
「喚くなよ、簡単なことだ」
血を振り乱し、絶え間なく苦痛に叫ぶビヴリの元へ、ルキは悠然と近づいていく。
唇が、まるで裂けたように吊り上がる。微かに濡れる象牙色の刃を煌めかせ、ルキは言葉を続けた。
「血を霧状のサイズにまで小さくした。その極小の血の刃で、お前の全身を切り刻んだ。それだけだ」
「っ、あり得ないぃいいいいいいいいいいいっ! あり得ない、あり得ないあり得ないあり得ないそうでしょうっ⁉ だってあなたは、この一週間なにも殺していないっ! 血の補充はできていないっ! なのに、なのにぃっ⁉」
「あぁ、だから、残念だ」
言いながら、ルキは空いた左手を、開いて見せた。
左手。
小指だけが綺麗に、根元から切断されて欠けている、左手を。
未だ鮮血を噴き出し続けるそれに、ビヴリは、言葉を失った。
「…………っ⁉」
「自分を切れば【邪血暴虐】に血を吸い尽くされる――――だから、【邪血暴虐】が気付かないほどの速度で、自分を切り落とせばいい。……こんな捨て身をする羽目になるとはな。まぁ、後でバジにでも治してもらうさ。あと、言い忘れていたが――」
――俺、殺りたいことには我儘なんだよ。
その言葉に、アルルは思わず頷いていた。
殺したいと思ったら、ルキはいつもそうだった。巨大なスレイムの集合体を相手にした時も、アルルを殺すためについてくる時も、いつだっていつだって。
殺したいと思えば、そうせずにはいられない殺人鬼。
人殺しが根底に組み込まれた、直しようのない殺人鬼。
「っ――――【信仰宗狂】っ! 『銀餐――」
「お前との時間は、もう終わりだ」
言って。
ルキは、ビヴリの裂けた乳房の中間に、深々と、象牙色の刃を突き立てた。
「………………………………なん、で」
心臓の真上を抉られ、傷口からじゅるじゅると、血を吸われる音が聞こえる。
どくん、どくんと、凶器の鼓動が聞こえてくる。美味そうに、嬉しそうに、血を吸い尽くす音が、ビヴリの頭蓋に木霊する。
痛みさえ朦朧と、感じ取れなくなってきたのに、何故か。
何故だかビヴリの唇は、なおも、言葉を紡ごうと動いた。
「なん、で……わたく、し、を…………殺す、の、で……?」
「俺が殺したいと、そう思ったからだ。他に理由はねぇ。なんなら、なにかテキトーにこじつけるか? お前と、同じように」
「…………」
答えはなかった。
がたんっ、と音を立てて、【信仰宗狂】の巨体が落ちる。立つことさえまま鳴らなくなった身体が、重たげに前へと傾く。
その瞬間、ルキは、ビヴリの顔を見た。
安堵したような、なにかを達成したかのような、満足気な顔。
この上なく安らかな表情のまま――――ビヴリは、ルキのことを突き飛ばした。
枯れ木のように細い腕が、最期に残った力いっぱい。
ルキの身体を、刺さるナイフごと押し退ける。
「っ、てめぇなにを――」
「渡しませんわ」
ビヴリはそう言って、その笑顔をルキへと向けた。
悍ましいほどに爽やかな、幸せに満ち足りた笑顔を――
「私の、ものですわ。この身を苛む苦痛と苦難は、私だけに与えられた『神』の――」
「ご苦労様、ビヴリ=メサイエリ。もう邪魔だから、退場していいよ――――『神の光』」
音もなかった。光も、見えないほどの刹那だった。
瞬きをした、次の視界に映ったのは。
胴体に大きな風穴を穿たれた、ビヴリ=メサイエリの姿だった。
「……っ⁉」
「あれ? あぁ、久々過ぎて出力をミスっちゃったな。ごめんごめん、今片付けるからさ。――――『神の裁き』」
どこからともなく聞こえてくる声――――瞬間、眩しい光が周囲を包んだ。
目が潰れんばかりの、あまりに暴力的な光。
反射的に、ルキは目を瞑った。
瞼をも透過し、眼球を刺し貫いてくる光量。不気味なほどに音はなく、眼前で静かに爆弾が破裂したような、びりびりと身体が震えるのだけは感じられた。
真っ白な暗闇をこじ開けて、目を開ける。
眩んだ視界は、しかしいやに明るくて、まるで真っ昼間のようで。
ちかちかと、定まらない焦点が普段の機能を取り戻して。
そして、そこに。
「やぁ。ルキ=リビングデイ。そして…………久し振りだね、『火山神』アルル=グル=ボザード」
ついさっきまで、ビヴリの立っていたその位置に。
肉も血も服もなにもなく、焦げ跡だけが残るその地面に、悠然と。
『光明神』ルバルド=サムリッグが、光り輝きながら立っていた。
【次回予告】
次章、いよいよラストバトル!




