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第16章 殺人鬼は神の思惑を嗤う

【前回のあらすじ】

ビヴリ「あらぁ、お恥ずかしいですわぁ。私の話だなんて……つまらなかったでしょう?」


 バジは、自身が異形であると強く自覚している。


 核を主軸とし、一定量の水分を纏って生きる魔獣・スレイム。

 決まった形を持たない彼らは、しかし、人間の脳髄を食し、その代わりとなることで人体を支配する。


 だが、そんな種としての当たり前さえ許されなかったバジは、人体の中に入ってさえ不定形であり続ける術を得てしまった。


 人間の、死体の細胞を操る能力――――否、技術。


 それはなにも、爪に限った話ではない。労力さえ度外視すれば、極論、身体を自在に伸び縮みさせることさえ可能だ。死体故、酷使すれば壊れてしまうので、そんなことをわざわざしようとは、当のバジも思わないが。



「バジっ! どっちっ⁉」


「右です姉様っ! あそこ…………もう少し、あとちょっとです!」



 それを、アルルもルキも、一週間の内に知っていた。


 だから、二人は微塵も疑わず、バジの案内に従った。


 炎の翼を生やしたアルルに抱えられ、バジは目を凝らして暗闇を見る。指差した方向へ、アルルは全速力で駆けていった。

 眼球は、桿体細胞によって光を受容する。その光を、脳は景色として認識する。

 人体の細胞組成を操るバジには、特定の細胞を増やすことなど造作もない。

 水晶体の大きさなどを操作し、遠くの景色を見ることだって。


 ばさぁっ、と熱風を撒きながら、アルルは闇を裂いて飛ぶ。


「っ……『人罰(ヴィランズ)』、一体なんのつもり――」


「アルル=グル=ボザード」


 焦るアルルの耳に、冷たい声音が刺さってきた。

 象牙色の刃を、【邪血暴虐(ブラムストーカー)】を握り締めたままのルキが、アルルの顔も見ないで言ってくる。


「……なにかなルキ。あんま不穏なことを考えてるなら、ここら辺に捨てていくけど」


「確認だ。お前が『人罰(ヴィランズ)』と呼ぶ転生者、ビヴリ=メサイエリを殺すのは、どうしてもだめなのか?」


「当たり前でしょ」


 鋭く、アルルは断言する。


「殺しなんて、なにも生まない。無意味極まりないよ。話して、ちゃんと話し合って解決する。『人罰(ヴィランズ)』相手でも、神族相手でも。最初からそういう風に創られちゃった魔獣については、っ、話が、別だけど――」


「そう思うか」


「へ? ど、どういう意味?」


「言葉通りだ。大それた含みはない」


「い、言いたいことがあるなら、ちゃんと言ってよルキ。もやもやするじゃ――」


「悠長なことを、言ってる場合かね」


 え、と疑問符を上げる暇さえ、アルルにはなかった。

 バジが叫びを上げようと、口を開けた時には、もう遅い。




 突如前方から飛来した、巨大な光線が。

 アルルの背から生える翼の、片一方を、消し飛ばしたのだ。




「っ⁉」


 がくんっ、とバランスを崩し、一気に高度が落ちていく。

 地面めがけて引っ張られるような、心臓を鷲掴みにされたような不快感が走った。


「っ、ね、姉様ぁっ‼」


「っ、【火天炎上(レーヴァテイン)】――」


 歯噛みしながら、炎を纏う手を掲げるアルルは。

 その瞳に、しかと映した。見て、しまった。

 自分たちへと襲い来る、巨大な光線、その切っ先を――



「っ――――――――」



 じゅっ、と。

 線香花火が消えたような、か細い音がした。

 聞く者は――――誰も、いはしなかった。







「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ…………」


 背後から、ガラガラと瓦礫の崩れる音がする。

 土煙が、辺りを包んでいた。霧にも等しいレベルで視界を塞ぐそれは、鼻や喉にへばりつき、不快な感触を齎してくる。

 目眩がするほどに息苦しく、吹き荒ぶ砂塵が肌に痛いくらいだ。


「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ……」


 周囲に、人影は一つもない。

 崩落した粗末な家屋。

 血と死肉で埋め尽くされた田畑。

 身体の一部が綺麗に削り取られた死体たち。


 村に残っているのは、たったそれだけだ。


 その中に、ただ一人立つ女は。


「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ――――っ、がはっ、ごっほごほごぼっ⁉」


 ビヴリ=メサイエリは。

 神族から渡された武器【信仰宗狂(ルーキフェル)】に身を任せ、身体を直角に曲げて佇んでいた。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 ぐ、と唇を濡らす血を拭う。苦く、嫌な酸味さえ伴うそれを、ビヴリは虚ろな目で睨みつける。

 脚に、力が入らなかった。

 背を伸ばすことさえ難しい。全身に鉛がのしかかっているかのようだ。自分の吐く息が、明らかに鉄臭いのが分かる。朦朧とする意識は、思考なんてとうの昔に放棄していた。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 ビヴリ=メサイエリに、自身の不調の原因は分からない。


 一週間前と比べて、明らかに体調が悪い。それ自身は、彼女にも分かっていた。

 しかし、原因はと問われると、とんと見当がつかなかった。


 ただただ、今すぐ死んでもおかしくないほどに、苦しく、しんどいだけだ。


 だから。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………っはははっ」


 ビヴリは、じっとりと湿った声で笑った。

 血を口紅代わりにした唇が、鎌の刃の如くひん曲がる。重々しい腰を、軋む音さえ無視して伸ばし、夜空を見据えて笑うのだ。


 残された隻眼には、満天の星も輝く月も、もう、見えていなかった。

 薄ぼんやりとした黄金色が、点々と見えるだけだ。


 霞んだ視界。息さえままならない喉。重たい身体。幾度も繰り返す喀血。



「はははっ、あっははははははははははははははははははははっ! あぁ、あぁあぁあぁぁぁぁぁあああああっ! 素敵、素敵ですわぁ! 私は、私は貴方様に、貴方様に感謝しますわぁっ! あっははははははははははははははぁっ‼」



 破け煤け汚れ裂けて、もう服としての体裁さえ成していない修道服を振り翳し、ビヴリは、笑声を上げ続けた。


 笑う度に、口の端をどろどろとした血が流れていく。


 ぼたぼたと、足元に血の塊が積み上がる。ごぼっ、ごぼっと湧き出てくる血は、ビヴリの喉を犯しながらも絶え間なく吐き出された。



「あっははははははははははははは――――あはぁ……!」



 ごきり、と首が音を立てて捻れた。

 なにも見えていない。聞こえてもいない。臭った訳でもない――――勘だ。


 予感。直感。或いは単なる願望。


 ぼろぼろと、焼き菓子のように崩れていく建物を、茫洋とした輪郭で捉えながら呟く。


「あはははぁ…………あなた方、ですよねぇ? だぁって私、あんな色に光る星なんてぇ、知りませんものぉ……」


 ぐじゅり。


 踏み出した脚の、その中ほど。膝の内側でなにかが潰れる音を、ビヴリは脳で聞いていた。

 いよいよ、正気を失ったように表情を歪め、ビヴリは笑う。笑う。笑う。


 嬉しそうに――――熟れ死にそうに。


「蠅や、鳥じゃあないんですのよぉ…………まさかぁ、撃ち落されてなんかぁ、いませんことよねぇ……? この程度の苦難……あなた方は、易々と乗り越えますよねぇ…………私がまだ、足りていないからぁ……!」


 緩やかに、【信仰宗狂(ルーキフェル)】の矛先を、視線の向こうへ据える。

 先端の光球が、見る見る内に大きくなる。ぼんやりとそれを見るビヴリは、ますます掠れていく視界を眺め、満足げに頷いた。


「今一度ぉ……確かめましょう、私が……あなた方の信仰を…………っ!」


 言った直後、無造作に光線は放たれる。

 凄まじい熱量を有し、触れるものを全て消失させる破壊光線。

 凶悪極まりないそれが、誰もいない虚空めがけて――――否。




「【火天炎上(レーヴァテイン)】――――『常翔火龍(レイキャネース)』っ‼」




 なにもなかった筈の場所に、巨大な火の玉が出現した。

 いや、それは火の球なんて生易しいものではない。炎の塊、小規模な火山そのものだった。


 全身を焼く、痛みを伴う熱風を浴びながら、ビヴリはぶるりと背筋を震わせる。

 煌々と揺らめくそれを、にたぁ、と笑みながら。




「……あは、あははぁ……! 待って、待ってましたのよぉ……本当に待って――」




「~~~~~~~~っ、あっっっっっっっっっっつ――――――――――――いっ‼」




「……はいぃ?」


 かくん、と壊れた人形みたいに、ビヴリの首が傾げられた。

 炎は、少しずつ勢いを弱めていく。ちょろちょろと、小さくなっていく炎塊の向こうに、橙に照らされる影が見えてきた。


「わ、ご、ごめんねバジ。で、でもほら、落ちたらさすがに不味かったし――」


「死ぬがど思いまじだよぉおおおおおおおお姉様のバガぁあああああああああっ‼」


 ぼやけた視界に、影は三つ見えた。


 中でも、一際小さな影が一つ、甲高い声でキンキン怒鳴っている。目を凝らしてもその姿は明瞭にならないが、怒っていることくらいは容易に分かった。


「あたし……あたし、暑いの、苦手って、言って、言ってるの、にぃ……!」


「ごめんごめんって。だ、だってさ、あんな高さから落っこちたら、私やバジはともかくルキが」


「バカルキなんかどうだっていいでしょうもぉおおおおおおおおおおおおおお姉様はいつもいっつもバカルキのことばっかりぃいいいいいいいいいいいっ‼」


「ご、ごめんごめん! ごめんってばぁ!」


「おいアルル。そこのガキ、うるさいから喉でも開いとくか?」


「君まで加わんないでよもうっ! こっちはこっちで手一杯なのっ!」


「うわぁあああああああああああああああああああああんまたバカルキの方行ったぁああああああああああああああああああああああ姉様のバカぁあああああああああああああああああああああああああああああああっ‼」


「お、落ち着いてってばバジ! 今はそんなことしてる場合じゃ――」






「…………茶番は、終わりですのぉ……?」





 堪え切れず、こめかみが動くのを抑えながらビヴリは言った。


 三人の視線が、一斉にビヴリへと向く。警戒、畏怖、忌避を乗せた視線が、じくじくと突き立てられるのが分かった。


 同時に、ぞくり、と下半身が熱くなる衝動を覚える。

 一つだけ、あまりにも異質な視線を感じたのだ。

 ぞくぞくと、内臓を丹念に撫でられているかのような恍惚感。こびりついた口の端の血さえ、甘美な苺の味に思えた。


「…………そこに、いますのねぇ……『火山神』アルル=グル=ボザード様。それにぃ……ルキ=リビングデイ様」


「……ビヴリ=メサイエリ」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………ひはっ」


 無言の睨み合い――――束の間の沈黙を破ったのは、ルキだった。

 得物を握り締め、臨戦態勢を整えていたルキが、足を一歩踏み出す。

 じゃりっ、と砂埃の舞う道を、ルキは颯爽と駆けて――




「待ちなさいっ! ルキ=リビングデイっ‼」




 轟っ、と炎熱がルキの肌を焼いた。

 目の前を、腕のように形を成した炎が塞ぐ。蠢く炎は壁となり、二人の間を遮った。

 ちりちりと、髪が、肌が焦げていく。


「……アルル」


「言った筈だよ、ルキ。君も言ったんだ。君に、人は殺させない。私が全身全霊をもって阻む」


「…………」


「……君も、武器を下ろしてくれないかな? ビヴリ=メサイエリ」


 焼けるような熱気を吸い、アルルは和らいだ声音で言う。

 手を広げ、全てを受け入れんばかりのポーズを取って。


 一週間前とは、明らかに異なる風貌に。潰れた眼球に。こけた頬に。唇がひくひく動くのを必死に堪えて。


 こっそりと、後ろにバジが隠れようとしているのにも構わずに、アルルは、ゆっくりと語りかけた。


「っ……正直、君のやったことは、許し、難いよ。ちょっと、酷いんじゃないかな。村を、こんな風にしちゃって…………」


 歯軋りが微かに響く。


 炎に照らされて、惨状は一層明瞭となる。家という家は、建物という建物は、全て瓦礫に還され、見る影もない。腹を抉られた死体が、首から上だけがなくなった死体が、腹に巨大な穴をこさえられた死体が、死体が、死体が、転がっている。無造作に。ゴミのように。


 村の規模に比して、明らかに死体が少ない。

 大半は、残らず消滅したのだろう。光の持つ熱量が、細胞の一片さえ残すことなく。


「……私は、人間が好きだから。だから、こんなことをする奴を、簡単には許せない…………けど、けど君も、君だって、人間なんだよね。ビヴリ=メサイエリ」


 か細い溜息が、糸のように漏れた。

 ビヴリはじっと、微動だにせず、アルルの話を聴いている。


「話を、しようよ。すぐは無理でも、でもきっと、分かり合えると思うんだ」


 ゆっくりと。いっそ緩慢に。

 ビヴリの唇が、動き出した。


「おんなじ人間なのに、おんなじように生きてるのに。なのに一方的に殺しちゃうなんて、そんなの、酷いよ。酷過ぎる。なんの意味もないことだよ。だから、ね? ビヴリ。君も、人殺しなんかやめて、私と――」


「あの」


 紡がれた言葉は。


 しかし、アルルが望むようなものとは、あまりにも程遠かった。





「『ヒトゴロシ』とは、どういう意味ですの? 私、そんなことは知りませんわ」


【次回予告】

ルキ「諦めろ。カミサマが思ってるほど、俺たちみたいな輩は話を聴きゃしねぇ」

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