第15章 殺人鬼は天秤を夢想す
【前回のあらすじ】
バジ「姉さまがバカルキにお風呂覗かれて暴走しました」
アルル「ごめんってばぁ! もう許してよぉっ‼」
ルキ「また殺せなかったんだよなぁ……」
アルル「ルキはなに露骨にがっかりしてんのかなぁっ⁉」
「……………………チィッ……」
人一人が腰かけても微動だにしない、太く丈夫な枝の上。
地上から数メートルも上がったところに聳えるそれに、ルキは腰かけていた。
巨木の幹に背中を預け、片目を開けたり閉じたりしている。
瞼の裏でも、枝葉に月明かりを阻まれた森でも、暗闇に相違はない。
声だけはいやによく響く、そんな風に思える虚空めがけて、ルキは舌打ちを放った。
「……ったく……苦手なんだよ、こういうのは……」
苦々しげに呟きながら――――ルキは、頭の中に天秤を思い浮かべていた。
古式ゆかしい両皿天秤。分銅の代わりに乗せられているのは、二つの提案だった。
最前、『光明神』ルバルド=サムリッグから為された、一方的な『交渉』。
ルバルドと組んで、アルルを殺すか。
それとも、アルルについてルバルドを拒むか。
利益と危険性を秤にかけた、二者択一の思考だった。
「…………」
懐から、【邪血暴虐】を澱みなく取り出す。
暗闇でロクに見えなくても、長年扱っている得物のこと、触れるまでもなく分かってしまう。
危なげなく柄を摑むと、飾り紐をいじりながら物思いに耽る。
――――前提として、ルキの中に、アルルを殺さないという選択肢はない。
そもそも、アルルのことを殺したくて、彼女に同行しているのだ。
実際、この一週間で何回もアルルを殺そうとした。
その悉くが、失敗したが。
だが、しかし。
「…………なん、だよ……違和感……? 違う、齟齬か……?」
ガリガリと、空いた手で頭を引っ掻く。
悩むこと自体、バカバカしい筈だ。
それを分かっていてなお、ルキは未だに決め切れないでいた。
天秤は、どちらに傾くこともなく、水平を保ち続ける。
なにが分からないのかすら――――既に、分からなくなっていた。
「…………チッ、苛立たしい――」
「ルキ? どうしたの? そんな場所で……さっきから、舌打ちばっかり」
周囲が、ぼんやりと明るくなった。
下から、橙の明かりが照らしかけてくる。
ふと、光の方へ目を向けると、木の根元にアルルが立っていた。
彼女の周りには、小さな火の玉が大量に浮かんでいる。
漂うこともなく佇むそれらが、照明の代わりを果たしていた。
「折角バジの体調も治ってきて、寝たところなんだから。物騒にうるさくしないでよ? ふぅ……まさか、あんな暑さに弱いと思わなかったよ。気をつけなきゃ」
「…………」
「……? ルキ?」
無邪気に首を傾げるアルルを見下ろしつつ、ルキは、ゆっくりと口を開いた。
「アルル。あそこ」
「へ? なに――」
でたらめに指差した先へ、アルルの視線が移る――――その瞬間。
ルキは足場である枝を蹴りつけ、一直線に地面へと降りた。
手には、【邪血暴虐】の刃を構えながら。
「死ね」「っ⁉」
短い叫びに、しかしアルルは素早く反応した。
咄嗟に腕を交差させ、ナイフの刃を受け止めたのだ。
一週間、幾度となく刺し貫こうとした肌は、しかし今回も、予定調和の如く傷つかない。
アルルは、俯いてぶるぶると肩を震わせた。
「ル~キ~……! 君はぁ……何度言えば分かんのかなぁ無駄だってさぁ……!」
「…………」
「何度も言うけれど、君が私を切れたのは呪符があったからなんだよ? 腐っても、私は神族。人間なんかに殺されたりは――」
「……………………ひははっ」
と。
アルルが睨みつける最中、ルキは、清々しい顔で笑った。
突然の笑顔に、アルルも面食らってしまう。
怒るのも忘れている間に、ルキは【邪血暴虐】を引き、だらん、と腕を垂らしていた。
「??? る、ルキ? どうした、の?」
「ひはははっ。いや、別に。……やっぱ、俺はごちゃごちゃ考えるタイプじゃねぇわ。今回ので、それがよぉっく分かった」
「? えっと、なにかあったの?」
「だから、別にって――」
悪戯小僧のように、ルキが笑いながら応えようとした、その時。
瞬間――――凄まじい地響きが、森全体を隈なく揺らした。
「っ⁉」「き、ゃぁっ⁉」
突如として揺れた足元に、アルルは悲鳴を上げる。
その真っ只中、真っ先に目を剥いたのは、ルキだった。
脳裏に、最前のルバルドの言葉が蘇ってくる。澱んだ声音さえ、いやに鮮明に。
――――……もうすぐさ。
――――今、舞台を整えているところなんだ。
――――直に、狼煙が上がる。それが、合図だ――
「っ、姉様っ! 無事ですかっ⁉」
「バジっ! な、なにが起きたのっ⁉」
「もう見ましたっ! た、大変ですっ! 姉様、急いでくださいっ‼」
どこで寝ていたのか、巫女装束をぐちゃぐちゃに着崩したバジが走ってきた。
息を切らしたバジは、それでも必死に、喉を振り絞って叫んだ。
「む、村が――――森の入り口にあった村が、襲われてますっ! た、多分、この前のイカレ女にっ! え、えと、あの、なんて言うかもうめちゃくちゃで――」
「っ……【火天炎上】――――『火翼炎理』っ!」
高らかに叫ぶと、アルルの背中に炎の翼が出現した。
羽の一枚一枚に至るまで、全てが橙の炎で構成された翼。
それを羽ばたかせると、周囲を熱風が襲い、アルルの身体がふわりと宙に浮いた。
「っ、神族たちったら、『人罰』なんか使ってなにを企んで――――っ、とにかく急いで――」
「ほら。速く連れてけよ」
おもむろに、ルキが手を差し出してくる。
空いた手には【邪血暴虐】が握られ、象牙色の刃が煌めいている。
それを見て、アルルは一瞬、表情を曇らせた。
「……ルキ。言っとくけど、殺しは許さないよ。仮令相手が『人罰』であっても」
「ひははっ。だったら、お前が阻んでみろよ。できるならな」
「…………っ、さっさと、行くよっ! バジも、摑まってっ!」
「あうぅぅ……あぁもぉっ! 暑いのは懲り懲りだったのにぃっ‼」
アルルは、ルキとバジの手を次々に摑む。
二人を抱えたまま――――アルルは不死鳥の如く、炎の翼をはためかせた。
森の木々を超えた高度まで上がったところで、それは、見えた。
村を蹂躙する、巨大な光の柱たちが。
【次回予告】
いざ、蹂躙された村へ。
ラストバトルの幕が上がります……!