第13章 殺人鬼は狂気と会合す
【前回のあらすじ】
バジ「やっとお風呂に入れるんですから、男子禁制ですよ。しっしっ」
アルル「ば、バジ。そんな、虫みたいにルキを追っ払わないの」
ルキ「今回のお前ら、出番から弾かれてるけどな」
――殺すための実験を、邪魔された。
バジに剥かれ、胸まで半ば露わにしていたアルルに追い払われたルキは、現状をそんな風に受け止めていた。
「…………チッ」
ざくぅっ、とナイフの刃が樹の幹に突き刺さる。
その刃先で貫かれ、悲鳴も上げずに虫が一匹、死んでいた。
名前は、ルキも知らない。以前、【神無界】で見たカミキリムシに似ているが、それにしては色が毒々しく赤い。
串刺しになった虫の死骸を放り、森での徘徊を続ける。
腹の奥がざわざわとむず痒い。臓物の中で、虫が蠢いているかのようだった。
「……二つ、訂正があるんだよなぁ。アルルの認識には」
近くの茂みを、前触れもなく切りつける。
ぎゃんっ、と悲鳴を上げて、小さな塊が駆け出した。
うさぎに似た、四足の動物。しかし、頭から生えている耳は、片方が千切れ、血を流していた。
――あぁ、苛立たしい。渇くばっかりだ。
胸を押さえながら、ルキは嘆息する。
アルルは、【神有界】に生まれてから一二年間は人を殺さないでいられたと、ルキを評した――――が、事実は違う、とルキは頭を掻き毟った。
正確には、人を殺していないだけだ。
虫や動物なんかは、事あるごとに殺していた。
【神有界】にも犬や猫といった動物は存在していたが、見つければ溜まった殺意を発散すべく、無残に殺害していた。
殺意を我慢できていたのではない。誤魔化していただけだ。
そして、もう一つ――
「感覚が、あいつはどっかずれてやがる。自分を追ってこなくなったから、だからなんだ? そんなの関係なく、遭遇するのが魔獣って存在だろうが」
樹も茂みも、近くになかった。発作的に、ルキは足元の石を蹴り飛ばしていた。
アルルに嗾けられた、神族の先兵だけが魔獣ではない。
森にも空にも湖にも、どこにだって魔獣はいるのだ。
そしていつだって、人間を襲おうと目を光らせている。
食欲という、なによりも純粋な本能によって。
「今まで、魔獣を殺せなかった日は三日と続かなかった。それが、一週間…………さすがに、異常だろ。まるで、わざと襲ってこないみたいな――」
相手は神族。魔獣の創り主。この世界の創造主たち。
意図的に特定の人物を襲わせることが可能なら、逆も可能だろう。
しかし、とルキは首を捻る。神族が、そんなことをする理由が分からないのだ。
「アルルを殺したい。それは、神族も俺もおんなじだろ? なのに、どうだ? 神族が魔獣に、アルルを襲わせないようにしているんだとしたら、それは目的と真逆の手段を取っていることになる。そんなことに、意味があるのか? …………ったく。あぁムカつく。お誂え向きに一人で歩いてやってんのに、なんにも現れねぇし……っつーか一人でぶつぶつと、やべぇだろこれ――」
「まったくだよ。ずっと喋っているものだから、話しかける機宜を計りかねるよ」
――獲物だっ!
その動きは、おおよそ理性で考えられたものではなかった。
懐から得物を、【邪血暴虐】を抜き身で取り出し、象牙色の刃を突き出す。
脚は関節を無視してでたらめに動き、半ば転がるようにしてそこへと向かっていった。
声のした方向へ。
言葉を発した方角へ。
目を見開き、血走らせ。
鉄の味がする息を吐きながら。
思い切り、力の限り、刃の切っ先を捻じ込んだ。
「――――っ‼」
「……聞いていた通りだ。いや、それ以上かな。酷いね、きみは。業が、深過ぎる」
ルキが声の主を視認したのは、それを突き刺した直後だった――――否。
突き刺そうと振るったナイフの刃先が、肌のすぐ手前で、止められた直後だった。
「――――っ‼」
だが、関係がない。
突いても効かないなら切りつける。
刃を捻じ込む。滑らせる。
目にも止まらぬ速度でのナイフ捌きが、相手の纏う衣服を剥いでいった。
美しい、金髪の少年だ。
陶磁のように白い肌。薄く輝いて見えるそれは、何度切りつけても傷一つつかない。
そして、奇妙なことに。
少年の身体には、びっしりと文字の書かれた巻物が、巻き付いていた。
「――――ひは、ははぁっ‼」
それも、関係はなかった。
ルキは狂喜を叫びつつ、凶器を振るう。
久し振りの、一週間振りの獲物に、舌舐めずりして。
少年の身体に、己の凶器を捻じ込みたくて。
滾る欲望を、一心にぶつけて――
「だけど、その業の深さが好都合だ。あの女の絶望に、好いスパイスになる……さぁ」
すぅ、と少年の指が持ち上がる。
自分を指差してくる指を、根元から切りつけても――――やはり、傷一つつかなくて。
「さぁ、話をしようか。ルキ=リビングデイ――――いや、前人未到前代未聞の大量殺人鬼、十時鴇次くん?」
唱えた少年は。
光る指先を掲げ――――刹那、光は光線と化し、ルキへと射出された。
†
一秒間に地球を七周半できる――――直進しかしないという大前提を無視した上でだが、しかし、最も分かりやすい表現であろう。
真空中において、光は実に秒速三〇万キロメートルの速度で走る。
対して、人間の神経伝達速度は、たったの秒速一〇〇メートル程度。
瞳に映した光景を脳で処理し、実際に『見た』と認識するまでに、どんなに速くても〇・一秒は要してしまう。
その間に、光は三万キロメートルもの距離を疾走できる。
だから、目の前で凶器と化した光が放たれた瞬間に、『避ける』という選択肢は消滅している。否、最初から存在さえしていない。
光線の射出を、『見る』までに〇・一秒。それを脳が危険だと判断するまで、さらに〇・一秒。『避けろ』という指令を出すまでにまた〇・一秒。その指令を、手足が、身体が実行するまでに、またさらに〇・一秒。
積み重なった〇・四秒は、一二万キロメートルという途方もない数字を、光に叩き出させてしまう。
「…………!」
だから。
額に脂汗を浮かべ、乾いた唇を半開きにしたルキが。
怪我も穴もなくその場に停止しているのは――――彼の類稀なる殺人嗜好をもってしてのことではなく、一切なんの関係もなく。
ひとえに、光線を放った少年が、意図的に指先をずらしたからだった。
「……あぁ。そういえば、自己紹介がまだだったっけ」
はにかむ少年の、視線の先。ルキの背後で、どさっ、と重い音が響いた。
巨木の枝が一本、根元から寸断されていた。
まるで最初からその形だったかのように、美しささえ覚える断面を、その枝は晒していた。
「僕は『光明神』ルバルド=サムリッグ。見ての通り、僕は光を操る神族だ。っふふふ。きみは、覚えがあるんじゃないかな? 計り知れない熱量の破壊光線…………きみは以前、惨敗を喫している筈だけど」
にやにやと表情を歪めつつ、少年――――ルバルドは五指をゆっくりと開いていく。
破壊光線。そんな戯けた単語が似合う相手が、ルキは一人しか思い当たらなかった。
「……あの女か。つまり、てめぇがあの女を嗾けてきたってことか……!」
「嗾けたなんて、人聞き悪いなぁ。たまたま、だよ。彼女――――ビヴリ=メサイエリがきみたちを見つけたのは、たまたまさ。まぁ尤も、僕がきみに接触できたのは、偶然じゃないけどね」
「…………」
「彼女の対神族用決戦兵器【信仰宗狂】は、僕の肉片を加工して造ったものだ。きみや、連れの女の子かな? 何度も殴られただろう? あの十字架で。その破片が、君たちには残っている。その気配を探れば、どこにいるか突き止めるのは容易いさ」
「……どうでもいい。そんなことよりも――」
「交渉に来たんだって、何度も言った筈だよ?」
柔らかな口調だった。
しかし、言葉と同時に、ルバルドの右手、五本の指先が五つとも、煌々と輝き出した。
眩いばかりのそれが、彼の言う破壊光線の素なのだと、ルキは直感する。
生存本能が、背筋をぞくりと冷やした。目前の命の危機が、微かに脚を揺らす。
唇が震え、細い息がこぼれ出る。
「武器を収めなよ、まずは。言っただろう? 交渉、だよ」
気が付けば、ルバルドの顔から表情は消えていた。
金色の瞳が鋭く尖り、指先の光が、痛々しく点滅する。
目を焼かんばかりのそれに舌打ちし、ルキはそっと、【邪血暴虐】を懐にしまった。
「……交渉ってのは、なんのつもりだ」
「へぇ。少しは利口じゃないか。敵わない相手くらいは分かるんだね」
「俺はな、参ってんだよ」
深々と溜息を吐くと、ルキは疲れた目でルバルドを見据えた。
ルキにしては珍しい、相手の様子を窺うような目。
慣れない動作に瞼をひくつかせつつ、ルキは愚痴のようにこぼした。
「俺はあいつを、アルルを殺したいんだ。だが、それを邪魔してくる神族やら『人罰』やら魔獣やら、前菜共がうじゃうじゃいるって言うじゃねぇか。だったらそいつらも頂いちまおうって、三人同行してるっつーのに……今の今まで、お前らなにやってたんだよ。本当にアルルの奴を殺す気が――」
「……あぁ、きみは知らないんだっけ。そんな意図は、こちらにはないんだよ」
「……なに?」
「殺そうとは、していないのさ。というか、殺しちゃいけない」
ルバルドの声の調子が、急に変わった。
淡々と、感情の読み取れない声を吐き出してくる。
その小さな変貌に、ルキは背筋がうそ寒くなるのを感じた。
「【神有界】は、僕たち神族がゼロから創った世界だからね。僕たちそのものが、世界の構成要素になっている。神族が一柱でも死ねば、この世界がどうなるか、誰にも分らないのさ。最悪、崩壊しかねない」
「…………ふぅん」
「……軽い反応だね。本当に分かっているのやら」
「さてな。世界がどうとか、俺の知ったことじゃない。……そう言うお前はどうなんだよ」
「……なに?」
「魔獣も『人罰』も、一向に来なかった。来なさ過ぎた。ありゃまさか、アルルの回復を待ってたのか? 死なないように、調整していたとでも言うつもりか? …………違うよなぁ、どうも噛み合わない。お前の態度と、実際の行動の噛み合わせが悪い。ルバルド、とか言ったか? なぁ、お前には本当に、アルルを殺すつもりが――」
「っ、当然に、決まっているだろうっ‼」
――――瞬間、空間が捻れた。
「っ⁉」
思わず、ルキは腕で目を覆い隠す。
ルバルドの身体から、僅かに【死飼文書】と呼ばれた巻物が浮かび上がる。
ルバルドの、白い肌が露わになると――――あまりにも眩い光が、周囲へと漏れ出したのだ。
ちりちりと、なにかの焦げる音がする。煙い嫌な臭いが、鼻腔を突いてきた。
「あいつは、あの女は、僕たちを裏切ったんだっ! 神族を捨て、あろうことか人間なんかのために動いたっ! 僕たち神族に、信仰だけ捧げていればいい人間如きにだっ! 僕は――――あの女を、絶対に許さないっ!」
「…………!」
それは、突然だった。
メキメキと音を立てて、ルバルドの背後の木がへし折れ、倒れてきた。
あと数ミリで、ルバルドの身体に触れるという――――その瞬間。
「っ、邪魔だ!」
叫びと共に、巨木は一瞬で消え失せた。
蒸発したかのように、跡形もなく。
この世から、存在そのものが消失した。
「…………っ⁉」
「……【死飼文書】は、絶対の防御兵装にして、僕の力を抑え込むための枷だ。こうでもしないと僕は、歩いているだけで万物を滅ぼしかねないからね」
さぁ、話は終わりだ。
ルバルドは、再び【死飼文書】を全身にきつく巻き付けると、わざとらしく手を広げてそう言った。
「……どう、いう――」
「僕の力は、分かっただろう? どちらにつくのが得策か、も。……もうすぐさ。今、舞台を整えているところなんだ。直に、狼煙が上がる。それが、合図だ」
再び、ルバルドは目深にローブを被った。
それだけで、森は最前以上の暗さを取り戻し、ルキの視界を黒一色に染め上げる。
どこから聞こえるのかさえ、最早分からなくなった声が響く。
「あの女を殺すか、それともあの女に与するか――――返事はその時、行動で示してくれればいい。交渉は終わりさ、判断材料は充分にあげたからね。…………まぁ正直、合図にさえ、気づいてくれればいい。あとはもう、僕としてはどっちでも構わないんだよ――」
それじゃあね、と、か細い声が聞こえ、気配までもが完全に消えた。
微かな月明かりが、景色に輪郭を持たせていく。
その頃にはもう、ルバルド=サムリッグの姿はどこにもなかった。
【次回予告】
ドキドキワクワク(成分がやや少なめの)お風呂回です!