第12章 殺人鬼は寝床に苦心す
【前回のあらすじ】
神様がいっぱい
「納得いかないことがある」
ルキ=リビングデイが口を開いたのは、実に数時間振りのことだった。
日も暮れかかり、薄闇が辺りを覆い始めた時刻。
ルキにアルル、そして意気揚々と先陣を切るバジの一行が歩いていたのは、木々が鬱蒼と生い茂る森の中だった。
寄り添うように歩くアルルにも、ルキの表情は窺い知れない。
森の中は、背の高い樹木が陽を阻む所為か、既に真夜中と変わらないほどに暗かった。
「んー? なによバカルキ。棘っぽい声出しちゃって。耳が腐るからあと数年は黙っててくれてよかったんだけど」
「殺すぞクソガキ」
「こ、こらルキっ。物騒なこと言わないでよ。バジも、不必要に煽んないでっ」
「はぁい、姉様っ」
「返事だけはいいんだよね、君は…………。で? ルキ。納得いかないって、なにが?」
「現状だ」
ぐちぃっ
ぬかるんだ地面を踏みつけ、ルキは鋭く舌打ちする。
「なんで一週間、ずっと森の中にいるんだよ」
ばちゃっ、とルキは足に絡みつく泥を蹴り上げた。
泥の雫は、前方を歩くバジの服を汚す。
一週間。その時間に相応しく汚れ、色褪せた独特の巫女衣装に、泥は見る見る内に染み込んでいった。
「……あんた、なに言ってんのかなぁ」
「こっちの台詞だ。来る日も来る日も、水場の近くで野宿。それも、近くに村があったにも拘らず、だ。さっきだって、森に入る手前にでかい村があったじゃねぇか。おかげでロクに飯は食えねぇし、湿った土は寝心地最悪だし…………なにより――」
「だぁぁぁぁぁぁれの所為だと思ってんのかなぁあああああああこんのバカルキぃっ‼」
怒鳴り声を上げながら、バジは身を翻し、ルキへと一気に肉薄する。
互いに、どろどろに汚れた服の裾がこすれ合う。
相手の姿も、輪郭程度しか見えていない筈なのに、対峙する二人が睨み合う視線は槍のように鋭かった。
「……あぁ? なんだよ」
「あたしだって……あたしだって、たまには人間の使うような布団で寝たいわよっ! 人間の身体だと、水場じゃ寝づらいし服は重いし、歩きっ放しだと疲れるしっ! それにっ! 姉様にだってもっと快適な睡眠と休息が必よ――」
「あ、バジ。何度も言ってると思うけど、私、寝る必要もあんまりないよ? 寝るのも好きだけど」
「~~~~とにかくっ! あたしだってこんな陰気な森の中、もう懲り懲りなのよっ‼」
「ひははっ。癪だが意見は一致したな。よし、今からこの森を横へ突っ切って、最寄りの村へ――」
「だぁからあんたの所為でそれができないんでしょうがぁっ‼」
ぶんぶんと、バジがルキの胸倉を摑み、激しく前後に揺らす。
「あんた、あんたねぇっ! まさか忘れたのっ⁉ 旅を始めて二日目で、買い物に寄った村であんたが騒ぎ起こしたのをもう忘れたのかこの低能クソボケバカルキはぁっ‼」
「騒ぎ?」
きょとん、とルキは首を傾げる。それを見て、バジは一層強くルキの身体を揺らした。
「あんったがすれ違った女の子をいきなり刺し殺そうとしたからっ! 村中大パニックだったじゃないのよぉおっ! おまけにその子が村長の娘だとかなんとかで、あたしらまで村人から追われて……! あんたは死んでもいいし、ただの人間に姉様がどうこうされるとも思わなかったけど、でも! あたしは割と真剣に死を覚悟したわよっ⁉」
「壊されたって修復できんだろ」
「スレイム(本体)までぶっ壊される勢いだったわよっ! 覚えてないのバカなの死ねばっ⁉」
拾った枝のように、ぶんぶんとルキを揺らし続けるバジ。
三半規管の悲鳴に耐えかねたルキは、渋々と溜息のように言葉を吐き出す。
「悪かったよ、反省してる。次からはバレないように殺す」
「そうじゃないでしょうがぁああああああああああああああああああああっ‼」
ぼすぼすっ、とバジの拳がルキに叩き込まれる。
ますます強く、ルキは首を傾げた。
彼は彼なりに、考え、反省し、解決策を提示したつもりなのだ。
それのなにが不満なのか、ルキには分からなかった。
「バジの言う通りだよ、ルキ」
ふぅっ、と周囲が仄かに明るさを取り戻していく。
溜息混じりに言うアルルが、手の平から小さな火の玉を放出していたのだ。
「それに、私は言ったでしょ? 大好きな人間には、誰一人として死んでほしくない。君だって例外じゃないけど、君以外だって例外じゃないんだ。妄りに人を殺すなんて、私からすれば噴飯ものだよ」
「…………」
「あんなことを繰り返す内は、危なっかしくて村になんか入れないよ。だから、その不満は自業自得。文句があるなら改心なさい」
「…………チッ」
「ぷっ。やーい怒られてやんのバカルキー。いい気味ー」
「……アルル。ちょっと席外せ。このガキと話すことがある。なぁに数秒あれば済む」
「はいはい分かったからナイフから手ぇ離しなさいな。バジも、いい加減しつこいよ?」
「はーい――――あっ、あそこっ」
何度注意されても、ルキへの悪態だけは直らないバジが、唐突に声を上げた。
明るく照らされた、彼女の視線の先。
そこには、一際大きな木の陰に隠れるように、小さな水溜まりができていた。
「ようっやく見つけたっ。姉様、今日の寝床はここですねっ」
一気に上機嫌になったバジは、とてとてと、小さな足で水場へと走っていく。
裾に泥が染み込むのも気にせず、しゃがみ込み、溜まった水を掬い上げる。
手の平の肌色が、くっきりと透けて見える水を吟味しつつ、バジはそっと、掬った水を口に当てた。
口の中で、くちゅくちゅと転がし、音を立てて嚥下する。
「…………うんっ、上々! 姉様、珍しいですよ。ここ、雨水とかじゃないです。湧き水ですよっ」
「えっ、本当? あはは、それなら嬉しいね。やっぱり、ただの水溜まりとかだとどうしても、ね」
バジとアルルは、顔を合わせて笑みをこぼした。
そのまま慣れた調子で、バジは泉の周りに小石を敷き始め、アルルは汚れた落ち葉を掃除し始める。
じっとりと、湿り気を含んだ土が顔を覗かせると、すぐさまそこに、葉っぱや木の枝を被せていく。
「……あんだけ文句言ってた癖に、結局今日もじめじめした場所が寝床かよ」
「うっさいなぁ。くっちゃべってる暇があるなら、さっさと食糧でも調達してきてよ。まっ、食べないと死ぬのはバカルキ、あんた一人だけだし、嫌だって言うなら無理強いはしないけど?」
「食糧、ねぇ……」
「木の実でもなんでも採ってくればいいじゃん。或いは、おっきな魔獣と遭遇して、その肉を頂いてくるとか。あぁ、最善はあんたが肉になってくれることだけど」
「それができりゃ、苦労はしねぇだろ」
深々と溜息を吐きながら、ルキは言う。
大きな魔獣と遭遇――――そう、それが問題で、不満だった。
「お前らと旅をし始めてから一週間、ただの一匹たりとも魔獣に出くわしてない。……由々しき事態だ。俺はもう、一週間以上なにも殺してないんだぞ」
手にした【邪血暴虐】の、象牙色の刃を揺らしながらルキは言う。
一週間。それは、【邪血暴虐】という武器にとっては長過ぎる期間だった。
中に溜めておいた血はすっかり涸れ果て、ただの装飾過多なナイフと化している。
「それが真っ当なんです」
細い枝を組み、焚火の準備を始めたアルルが言った。
「寧ろ、今までの君が異常だったんだよ。人が人を殺すなんて、バカげてる。なんの意味もないよ」
「……アルル。魔獣共は、お前を狙って嗾けられてる筈じゃなかったのか?」
「この前の、『人罰』の襲撃で、私を殺せたと思ったんじゃないかな? 結果としてあれ以来、一層こそこそと移動してるしね」
「…………」
「まぁさすがに楽観的な見方だけどね。多分すぐ、私が生きていることは察知されちゃう。けど、少しでも騙くらかせているなら、期せずして都合はいいよ。ルキ、君の更生にはね」
「……更生、ねぇ」
懐かしい言葉だった。だが、ルキはその言葉に縁があった訳ではない。
寧ろ、その更生が不可能だと断じられた過去がある分――――実感のない、縁遠い言葉に感じられた。
「『殺さない』っていう日常に、慣れるところから始めようか」
立ち上がり、つんと指でルキの胸板をつつきながら、アルルは言う。
「君の話じゃ、【神有界】で生まれて一二年間は、殺人を我慢できてたんでしょ? 殺さずに過ごすことだって、君はできるんだよ、きっと。ううん、必ずね。その殺したがりがなくなったら、私たちだって安心して村に入れるし、もう少し快適な寝床だって使えるかもよ?」
「……まぁそりゃ、こんな湿っぽい場所は、いい加減勘弁だが。っつーか、なんで毎度毎度水辺で――――ゎぷっ⁉」
「そんなの決まってんでしょ? 分っかんないの? バカなの死ねばー?」
辛辣な言葉と共に、べったりと濡れた布が酷く軽い調子で投げかけられる。
次いで、バジのけらけらと笑う声が耳朶を叩いた。
ルキは顔に投げつけられた布を剥ぎ取る。
泥や血でべとべとに汚れ、本来より重量の増したそれは――――バジの纏う、薄布を幾枚も重ねた巫女装束だった。
バジは一糸纏わぬ姿を晒し、泉の傍に立っていた。
「あんたみたいに、頭ん中が殺しでいっぱいなド変態と違って、健全な女子たちは毎日沐浴が必要なんですー。ねっ、姉様っ」
「あぁ、うん、その意見には賛成なんだけど……」
「? どしました?」
きょとん、と首を傾げてバジはアルルを見る。
痩せ過ぎた印象の否めない、未成熟な肢体。
それでも胸は仄かに膨らみを持っているし、微かに赤味がかった肌は、健康的な色と裏腹に背徳感を強めていく。
仮にも、曲がりなりにも、バジの視線の先には、男性であるルキがいるのだ。
位置関係的に板挟みとなったアルルは、二人の間でおろおろと目を回す。
アルルの心中、荒立った波に気づかないバジは、からかうように笑い声を上げた。
「あ、バーカールーキー? なーにあたしの裸なんか凝視しちゃってんのー? 女の子の、ちっちゃな女の子の、しかも死体の裸だよー? それとも人殺し大好きなあんたには丁度よかったりー?」
「貧相で裂き甲斐のない身体だと思ってただけだ。勘違いすんな」
「……ちぇっ。つまんない反応――――ね~ぇっさまぁっ♪」
「わひゃぁっ⁉」
小さく呟いたかと思えば、バジは、不意にアルルへと抱きついていった。
背後を取られたアルルは、あられもない悲鳴を上げる。
バジはそんなアルルに構うことなく、薄い服の上からアルルの柔らかな双丘を鷲掴んだ。
「姉様も、一緒に水浴びしましょうよぉ。ほーら、服なんて脱いで脱いでー」
「ちょっ⁉ ま、待って待ってバジ! っていうかなんで手馴れてんのっ⁉」
「この一週間、観察とイメトレは欠かしませんでしたよっ!」
「ルキより君の方が変態だと思うんだけどっ⁉」
「むぅ。そんなこと言う姉様は、こうだーっ‼」
「きゃぁああああああっ⁉ だ、だめだめだめだってぇっ! まだ、まだルキが、ルキが近くにぃぃ……」
「いいぞバジ。なんだかんだで最近、こいつの服を剥げたことがなかったからな。胸は無理だったが、腹とか臍とか股間とかなら、ナイフが通るかも――」
「前言撤回やっぱりルキの方が変態ぃいいいいいいいっ‼」
押し倒されながらも、それをしげしげと眺めるルキを、アルルはげしげしと蹴りまくる。
「あぁ、なんだろこれ……姉様を、あの姉様をあたしが嬲り者にしてる…………ハマりそう、かも」
「バジーっ⁉ 戻ってきてバジーっ‼ いつものバジに戻ってーっ‼」
「おいバジ。独り占めすんな。アルルは俺の獲物だろ」
「人を物扱いしないでよ二人ともっ! っていうかルキは最低限どっか行ってよぉっ‼」
まとわりついてくるバジと、それを見下ろすばかりのルキ。
そんな二人に、まさか【火天炎上】を使う訳にもいかず、かといってこのまま現状を放置すればまずいことは、アルルにも分かった。
必死になって、ルキを蹴る力を強める。目には涙さえ浮かべて、顔を紅潮させて。
「どっか行けって、別にどこ行く理由もな――」
「食糧っ! 食糧でも取ってきてよっ! ルキの食べ物がなんもないんだからぁっ‼」
「一日や二日くらいは我ま――」
「いいから――――さっさとどっか行ってぇええええええええええええええっ‼」
すっかり日も暮れて、夕闇に閉ざされた森の中。
アルルの悲痛な訴えは、木々に木霊してよく響き渡っていた。
久しぶりの更新です! お待たせしました!
知らない間にブクマがいっぱい増えてる……すごく嬉しいです!
ありがとうございます‼‼
【次回予告】
一人となったルキの元へ、あの人物が接触します。