第11章 殺人鬼は欲望を恣にす
【注意】
この小説には、
・グロテスクな表現
・身勝手な価値観
・異世界厨二バトル
が含まれています。苦手な方はご注意ください。
また、今作には実在の神話に出てくる神々と、よく似た名前のキャラクターが登場します。
ただ、実際の神話を基にはしておらず、あくまで名前を借りているだけです。ご了承くださいませ。
【前回のあらすじ】
バジ「魔獣を……姉様たちが、創った……⁉」
アルル「う、うん……」
バジ「つ、つまり…………あたしは、姉様の娘っ⁉」
アルル「バジ。本編の空気を汲んで?」
「『神』なんて大仰に言ってるけど…………本来の私たちは、単なる、自然の具現化だった。そうだね、ルキには、妖精って言った方が、理解が早いかな?」
言われて、ルキは正座するアルルを舐めるように見る。
輝く銀髪、紅蓮色の瞳。陶磁の如く白い肌に、矮躯には似合わぬ豊満な胸。
サイズ感さえ除けば、確かに、妖精という形容はピンとくる。
尤も、ルキの知る妖精は流行りのゲームに出てくるようなものくらいだが。
「『火山神』っていうのは、火山の力を司ってる、くらいの意味でね。私は、気づけば火山の中にいた。最初っからこんな姿で、最初っからこんな口調で、最初っから、私はアルル=グル=ボザードだったんだ。誰に決められるでもなく、ね」
語るアルルの指先に、微かに炎が灯る。
記憶の一つ一つを、炎に預けて覗き見ているように、手の平で炎が大きくなっていく。
「私たちは、『神』なんて立派なものじゃ、なかったんだよ」
「……で、でも、姉様は、この世界を創ったんですよね?」
堪え切れなくなったように、バジが口を挟んできた。
瞬間、しゅぅっ、と炎が立ち消える。熱の消えたアルルの隣へ、バジが縋るように這っていく。
「【神有界】、でしたっけ? とにかく、この世界を創るほどの力が、姉様には、あるんですよね? だって、だって姉様は……」
「……まぁ、あるっていうか、引き出されたっていうか」
私の能力は、もう少し違うところなんだよね。
ぽむっ、と自分の胸を弾きながら、アルルはシニカルな笑みを浮かべた。
「私の司る火山は、大地そのものと地続き…………だから、かな。身体は異常なまでに頑強だよ。多少の傷なら、瞬時に治癒できる。大地そのものと比肩し得るほどの、生命力にして存在力――――それが、私の能力、かな」
「ひはっ、そりゃ結構なことだ」
口元だけをにやけさせ、ルキが舌を出してみせる。
「要は、より一層殺しにくいってことだ。殺し甲斐があるに、越したことはねぇ」
「っ…………バカルキ、少し黙っててよ。怒んのを、ちょっと、抑えらんない……!」
「なら実のありそうな質問でもするか? アルル。んじゃお前の【火天炎上】はどうなるんだ? ありゃ、神様特有の異能とかじゃねぇのか?」
「元は違うよ。【火天炎上】は、元々私の武器、神族が一柱一つは持っている力の結晶『神器』の名前だったの。けど、壊されちゃってね…………辛うじて、体内にいくらか取り込んでたら、いつの間にか、こんな異能力みたいになっちゃっただけだよ」
「……ややこしい。能力だの『神器』だの、専門用語はかったるいな」
「私の知る中には、光を束ねて光線みたいに射出する、そんな『神器』もあったけどね」
「…………!」
「順繰りに話すよ、落ち着いて聴いててね――――えぇっと、そっか。まだ、私が生まれたところだっけ」
指折り数え、指差し確認をなにやら繰り返すアルル。
やがて、頭の中で話す算段が整ったのか、少しずつ唇を動かしていく。
「生まれたばかりの私たちは、本当に、なんでもなかったんだよ。妖精とか神とか、そんな区分さえ知らなかった。いや、存在しなかった。状況が変わったのは――――人間が、生まれてから」
人間が、私たちを『神』にしたんだよ。
淡々と、努めて感情を押し殺すようにアルルは言う。
「ううん、正確には自然崇拝だったのかな。彼らに、私たちの姿が見えていたかどうかさえ、正直怪しいや。でも、うん、結果はおんなじかな。人間が崇め奉り、畏れ敬ったものは自然そのもの――――つまり、私たちだったんだ。人間が信仰するから、私たちは『神』に成った。数千年に及ぶ、私たちの怠惰の始まりだよ」
「た、怠惰、ですか……?」
「傲慢、かな? 強欲かも。暴食でもあったし、色欲でもあったね。で、今は嫉妬と憤怒…………あはは、七つの大罪コンプリートだ」
「民俗学の座学受けに来たんじゃねぇんだよ。端的に言え、アルル」
「茶化すのくらいは、許してよ。自分たちの恥部は、やっぱり、滔々と話すのは、ちょっと、さ…………」
ほんの小さく頬を膨らませ、すぐに、溜息のように中身を吐く。
訥々と、アルルは言葉を続けた。
「機械文明が発達するまでの、数千年。私たちは、人間たちから信仰を集め続けたんだよ。神話も神殿も、作られるがままに調子に乗って、本当は助けもしないし見てさえないのに、人間たちの求める『神様』を、演じてた…………嘘を、惰性で吐き続けてきた」
「嘘って…………姉様は別に、なにも言ってないんでしょう?」
「誤解を解こうとも、しなかったよ。都合が好かったし、心地も好かったから、放置してた…………それは、嘘を吐いているのと、なんにも変わらなかったんだよ」
「都合……に、心地……?」
「気持ち、かな。うん。気分が好かったんだよ」
捏ね繰り回した末に、それこそ都合のいい言葉を見つけたように、アルルは小さく指を鳴らした。
「理不尽に、不条理に、理由もなく当たり前みたいに、誰かから尊敬される。
崇拝される。
祀り上げられて奉られる。
偉いものだと、素晴らしいと、誰も彼もから褒めそやされる。
――――人類が生まれて数万年、私たち神族が浸かり続けてきたぬるま湯だよ。なにせ、なにもしなくていいんだもん。ただいるだけで、在るだけで、信仰してくれる。すごくすごく、気分が好かったんだよ。
――――だから」
だから、耐え切れなかったんだ。
アルルは再び俯き、苦々しげにそう吐き出した。
「耐え切れないって……なにに、ですか……?」
「ほんのここ一、二〇〇年のことだよ。機械文明が、情報社会が、著しく発達してきた。ずっと人間を見てきた私たちからすれば、ここ最近の人間は以前までとは別物で、別次元だよ。なにしろ人間は…………私たちを、必要としなくなった」
神は、死んだんだよ――――アルルは、唇をひん曲げて笑いながら、そう言った。
どこかで聞いた気がするその格言の、真に意味するところをルキは知らない。
だが、自分の元いた世界が、文字通りに『神も仏もない』世界だったのは、自明でさえあった。
ルキにとってみれば、神なんてゲームの一キャラクターに過ぎない。
神の実在などほぼ信じられず、信仰より仕事に邁進せねばならず、神についての問いには最大限の警戒を持って当たる。
思い返せば、そんな世界で生きてきた。
今や霞がかかったように朧な記憶を、ルキはぼんやりと思い返した。
「人間は神を捨てた――――だから神も、人間を、捨てたんだ」
飽きた玩具を捨てて、新しい玩具を買うように。
私たち神族は、【神有界】を創ったんだ。
アルルの声が、段々と低くなっていく。
噛み締めるように、ゆっくりと紡がれる言葉に、バジは息を呑んでいた。
「人間に見限りをつけた神族が、世界中の神族を強制的に召集したの。私も、抗えなくって、集められた。力を、行使させられた。この世界を創り上げるのに――――『火山神』としての力を、使っちゃったの……」
「ひははっ……さっすが、神様だな」
悲痛な面持ちで語るアルルは、周囲の雰囲気まで暗く浸食していく。
重苦しい空気に、しかしまるで構うことなく、ルキはからかうような声を上げた。
「なにせスケールが違う。世界そのものさえ、玩具扱いかい」
「人間を玩具扱いするあんたより、よっぽど健全だと思うけどね。バカルキ」
「…………どう、だろ」
「? 姉様?」
「……さっきも言ったけど、この世界の、【神有界】のなにもかもを創ったのは、私たち神族なんだよ。……その、システムもね」
「システム……」
「魔獣、だよ」
アルルは、今にも泣きそうな声で、しかしはっきりとした語調で言葉を続けた。
「魔獣によって人間の恐怖を煽って、神族への信仰を促すようにしたのは、他ならぬ、私たちだ。そのために、魔獣に人間を食べずにはいられないっていう、本能を植え付けたのも、私たちなんだよ」
「……姉様。あたし、は――」
「バジに謝んなきゃいけないのは…………そこ、だよ」
話の半分も理解できず、おろおろするばかりだったバジが、弾かれたように目を剥いた。
人間を食べずにはいられない本能。
それは、バジに欠落していたものだ。
バジが、群れから迫害され、差別的な扱いを受けてきた、その元凶。
「……私は、人間が好きなの。どうしようもなく、人間のことが愛おしい。絶対に、死なせたくないんだよ。私たちなんかが、殺していい存在じゃないんだ、人間は……!」
「…………」
「でも、それを主張した結果は、前に言った通りだよ。大敗北の負け戦。神族からは追放されて、今も追われる身…………でも、ただでやられた訳じゃない。一矢は、多分、どうしようもない形で報いたよ」
「…………」
「私は、魔獣を創り出している神族たちに、深刻なダメージを与えちゃったんだよ」
「……それじゃあ」
バジは、自分の頭がそんなによくないことを自覚している。
そんなバジでも――――今回は、否応なしに、理解できてしまった。
「あたしは…………あたしは、姉様の所為で、出来損ないの魔獣に生まれたって、そう言うんですか……?」
果たして。
アルルはその問いに――――こくん、と確かに頷いた。
「…………!」
「……昨日、ルキに質問された時に、不味いって、思ったんだ」
膨らんだ胸の奥、鼓動を打つ心臓に手を当てながら、アルルは言う。
「バジみたいな魔獣は、それなりに、見てきたんだよ。私の、我儘で生まれちゃった子たちだ。
……人間を殺す魔獣なら、普通の魔獣なら、倒すことだってできたんだ。
神族の我儘で生み出された彼らに、人間殺しを、これ以上犯させないように…………殺してあげることが、私の責任だって、そう、言い聞かせられた。
でも…………バジたちは、違うんだよ。
殺すことさえ、贖罪にならない。
救えないで、苦しんだ末に死んだ魔獣を、何体も、何体も見てきた……!」
「…………」
「バジを同行させたのは、せめてもの、罪滅ぼしのつもりだったの。バジを守ることで、責任を取りたかった…………ううん、少しでも、責任を減らしたかった。減ったような気に、なりたかった。だから…………でも」
ルキは、全部知ってるって、気づいちゃった。
私のこんな、汚い心の内も、全部。
まるで、それは懺悔だった。堰を切ったように、アルルの口からは言葉が溢れ出す。
当のルキは、しかしなにも語らず、変わらずに胡坐に頬杖をついている。
バジは、拳を固く握り締め、小さく、震えていた。
「そんなタイミングで、あんな『人罰』に襲われるし……結局、全然、守れてないし…………バジのことも、ルキのことも……。だから、うん、予想してたよりずっと早かったけど……潮時、なんだと思うの」
言うと、アルルはその場で緩慢に立ち上がった。
ほんの数分、話をしていただけなのに、頬はこけているようにさえ見える。
窶れ切った面持ちで、幽霊のように立ち上がると、ふらふらと、洞窟の外へ歩き出す。
「……どこへ行く気だ、アルル」
「……ありがとね、ルキ」
質問には答えず、まるで聞こえていないかのように、上の空でアルルは応じる。
「ルキが、あんなはっきりと言ってくれなかったら…………怠惰で卑怯な私は、また、黙ってたかもしれない。謝りもしないで、ずるずると、君たちを危険に晒していたかもしれない…………ごめんね。謝って、許されることじゃ、ないけどさ」
なにしろ、死にかけたんだから。
その言葉に掻き消されて、アルルには、届いていなかった。
血が滲むほどに力の込められた、痛いほどの歯軋りが。
「まぁ、ルキのことが放っておけないのは、変わんないけど…………今回の件で、懲りてくれればいいんだけどね。バジのお陰で助かったけど、本当だったら、死んでたんだから…………あんまり、人を殺しちゃダメ、だよ?」
「……行っちまう気か」
「一緒に、いられないよ。いちゃ、いけないんだよ…………私は」
神は神でも。
疫病神だ。
その言葉に――――堪らず、バジは立ち上がった。
「っ、アルル姉さ――」
「勝手に行かれるのは、だから、不愉快なんだよ」
ぶつんっ、と鋭い音が鳴り響いた。
「――――っ⁉」
アルルが反射的に目を向けると――――その視線と、バジの視線とがかち合った。
バジの、切断された生首の視線と。
「っ…………バ、ジ……⁉」
一瞬遅れて、壊れた噴水のように、立ち尽くしたバジの胴体から血が噴き出す。
直立したままのバジの身体、その背後で。
「っつーか、そういう話をしたいんでもない。お前の気持ちなんざ知るか。お前の事情なんざ知るか。余計な話が長過ぎて、危うく寝ちまうところだった」
象牙色をした、丸い刃のナイフ【邪血暴虐】を握り。
胡坐を掻いたまま、血の刃を一文字に振るって。
バジの首級を断絶し、なおも平然と。
「無駄話は終わりだ。座れよ、アルル。本題に入ろうぜ」
ルキ=リビングデイは、獣のように笑っていた。
†
じゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅるじゅるるぅっ‼
背筋も凍るような、悍ましい音。
いっそ咀嚼音と表した方が、適当とさえ思える音を立てながら、【邪血暴虐】はバジの血を吸っていた。
断絶面から噴き出す血が、独りでに象牙色の刃へ吸い寄せられていく。
洞窟内を塗り潰していただろう大量の血が、残さず呑み干されていく。
ぢゅるんっ、と、最後の一滴が呑み込まれると同時に、バジの身体は膝をついた。
まるで座り込むように、背を硬直させたまま。そのすぐ足下に、血の気が失せた生首が転がっている。
血を武器とするナイフ【邪血暴虐】の、あまりに邪悪な食事風景。
その光景に、アルルは思わず、見入ってしまっていた。
凄絶な景色に、動くことさえできなかったのだ。
「バ、ジ……?」
ようやく口をついて出たのは、途切れ途切れになった固有名詞だった。
応えやしない、そう分かっている筈の名前だった。
殺したルキへの憤懣より、殺した事実への憤慨よりも、まず先に。
「っ、バジっ! バジぃっ‼」
ルキの笑みが飢えた肉食獣のそれなら、アルルの動きは、絵本に出てくる草食獣のそれだった。
倒れそうなバジの身体を、跳びながら捕まえる。力の限りに抱き締めて、言葉にならない声で叫んだ。
「……っ、ルキっ⁉ 君は、君は一体、なんのつもりで――」
「うるせぇな。知りたきゃそいつに訊け」
ルキは、言葉通り本当に眠かったのか、気怠そうな欠伸交じりに言った。
「そいつが言い出したことだ、お前が逃げそうになったら自分に任せろってな――――俺は頼まれて、その青写真に乗っかっただけだ」
「な、なにを――――をぉっ⁉」
頓狂な声を上げたのは、アルルにとってその動きが予想外だったからだ。
首を切られたバジの死体が、アルルのことを押し倒したのだ。
生っ白い細腕が、アルルの肩を地面に押し付ける。
少女以外の何者でもない、バジの風貌からは考えられないほどの力。
アルルとて筋力に自信がある訳ではないが、自分より一回りも小さい女の子の腕力に、組み伏せられる筈はないのに。
混乱が、困惑が、動作を一瞬遅らせる。
「……無駄、ですよ。逃がしません」
ぐぢゅり、と音がした。
バジの首、その切断面から、無数の管が飛び出してきたのだ。
脊柱に、太さも色も違う血管たち、見えないほどに細い神経たちが、まるで鞭のように撓り、転がった生首を捕まえる。
気味の悪い音を立てながら、首が持ち上がる。
切断面同士が、ぐじゅぐじゅとくっついていく。
「きんせんい、って奴を、めちゃくちゃ編み込んでます。細いまんまですけど、今のあたしの腕は、さっきまでの一〇倍は力を出せます。……姉様が休んでいる間に…………ルキに、教わったんです。人間の、身体の仕組みって奴を」
やがて、完全に首が繋がり、バジは元の姿を取り戻していた。
アルルを絶対に逃がさぬよう、地面に押さえつけたまま、バジは、再び鋭く歯軋りを鳴らした。
「ば、バジ……? なにを……」
「姉様…………――――ふんぬっ‼」
「あ痛ぁっ⁉」
少女らしからぬ気合の叫び。
直後、バジは般若の相貌で、アルルの額へ思い切り頭突きしていた。
「い、痛いってバジ……あうぅ、目が、ちかちかする……」
「あたしの心だって痛かったんですから、お相子です。姉様」
ぐ、と。
バジの腕に、一層強い力が込められる。
アルルの腕の下、均された地面にぴきりと亀裂が入った。
「なに、勝手に逃げようとしてんですか。姉様。それでも、姉様は姉様ですか?」
「…………逃げる、って……そういうんじゃ、ないよ。私は、ただ――」
「言い訳は聞きません。姉様は、そう言って逃げてるだけなんですもん。あたしからも、あのバカルキからも、全部」
「…………でも、バジは今まで」
「知りませんよそんなの。あたしが、人間を喰いたいと思えないのが姉様の所為? 同族から爪弾きにされたのも、姉様の所為? はっ、それがなんだって言うんです?」
「な、なんだってって……だって、私の所為で」
「姉様はもう、ちゃんとあたしを助けてくれたじゃないですか」
ぴんっ、とアルルの額が指で弾かれる。
いつの間にか手を放していたバジは、両腕をだらりと下げていた。
眼から溢れ出てくる透明な液体を、どうするべきなのか、バジは知らなかったから。
滂沱の如く流れる涙が、そのままアルルの腹へと沁みていく。
「あの最悪な、同族の群れからあたしを連れ出してくれた。……あたしは、本当に姉様には感謝してるんです。姉様があたしを欠陥品にしてくれなかったら、あたしは、姉様に助けてもらえなかった」
「っ、でも、でも昨日は、私が君を、守れなくって――」
「あたしを助けてくれても、それでもまだ、気が済まないって言うんなら――――何度だって、あたしのことを、助けてください。アルル姉様」
肩を、首を、脚の付け根を撫でながら、バジは、くしゃくしゃの笑みを浮かべて言った。
「姉様が悔やんでいる分、救えなかった分、心残りの分だけ全部、あたしにぶつけてください。あたしがピンチになったら、助けてください。あたしは、仮令何回死んでも、どんなに傷ついても、すぐに治して、姉様に助けられます。姉様が助けたいって思う分だけ、姉様に救われます」
「……そ、んなの……なんの、解決にも……っ、第一、私の傍にいたんじゃ、バジはいつまでも危険な――」
「あたしが、姉様の傍にいたいんです。危険なら、姉様に助けてもらいます。あたしが、それを望んでいるんです」
「…………」
「姉様には、もう助けてもらっちゃいましたから――――次は、あたしが姉様を助ける番ですね」
「……………………でも」
言っても、そこから先に言葉は続かなかった。
押し問答が始まった時には、既に結末は見えていたのだ。
火山が誕生してから数億年、人間はサルからの分岐より見てきたアルルだ。
目を見れば、相手の本気の度合いくらいは察することができる。
バジの目は、身震いするほどに真っ直ぐだった。
折れることなどまるで知らず、どんな逆境も跳ね返す目だった。
「…………いい、の……?」
一種の諦観が、安堵の中心に僅か滲む。
不安が、じわりと胸の奥を取り囲んでいく。
また過ちの繰り返しにならないか。自分が再び、怠惰な選択をしようとしているのではと、黒々とした気持ちが抑え切れない。
湧出するそれを、バジは、一言で払った。
「何度だって助けられますから――――何度だって、助けてくださいね。アルル姉様」
小さく、でも確かに。
こくん、と力強く頷いて。
アルルは――――燃え盛った手の平を、バジめがけて突き出した。
「えっ?」
ばぎぃっ!
バジの細い首の、すぐ横。歪な衝突音が響き、耳が奥からじくじくと痛んだ。
アルルの、轟々と燃え盛る炎を宿した手が。
赤黒い血の刃を、握り砕き、焼き焦がしていたのだ。
「……ひはっ」
象牙色の刃を、ぶんっ、と不要なのに血振るいして、ルキは生温く笑った。
彼が繰り出した血の刃は、砕けた破片から蒸発して消えていく。
ほんの刹那、アルルたちの周囲が赤黒く変色したようにも見えたが、そんな錯覚ごと、アルルの炎は焼失させる。
「早速、有言実行か。おいバジ、話が違うぞ。俺がお前の策に乗ったら、俺は今後、お前の身体を好きにしていい。そういう条件だっただろうが」
「……別に、好きにすれば、いいんじゃないかな。できるものなら」
最後に残った一欠片を、爆炎と共に一条の煙に変えて。
アルルは、鋭い瞳でルキのことを睨んでいた。
「けど、もう決めたよ。バジのことは、私が絶対に守る。助けられなかった責任と、助けた責任、その両方を、意地でも取ってやる」
「…………ひははっ。都合のいい話だな。まぁ別に、お前の人生だ。お前の考え方だ。俺がその内、殺して壊す脳髄だ。好きにすりゃいいさ。生きている間はな」
「……やっぱ、君は懲りも諦めも、してはくれないんだね」
「する訳ねぇだろ。寧ろ、余計に腹が減ってきたような気分だ」
言いながら、ルキは緩慢に立ち上がる。
そのまま、二人へ近づくように、ゆったりと歩いていく。
アルルは、バジを庇うように前へ出て、膝立ちの状態で手を広げた。
ルキの手に握られた【邪血暴虐】が、ちゃりんっ、と飾り紐を鳴らす。
「……殺させないよ。バジのことは、私が守る」
「分ぁってるよ、そんなこと」
面倒臭そうに言うと、ルキはがりがりと首筋を掻き毟りながら続ける。
「だから、好きにすりゃいい。フルコースで言うなら、お前らは主菜とデザートだ。いきなりご馳走から頂いちまうのもいいが、せっかく前菜が、自分から味をアピールしてきたんだ。美味い獲物は、いくらあっても困らねぇからな」
「……? ルキ、君はなにを言って――」
「教えろよ。アルル。だから、本題の話さ」
ルキは、ずいと顔をアルルへと近づけた。
互いの吐息が混じり合う距離。
そんな中で、脅迫のつもりでさえないだろう、ごくごく自然な動作で、ルキは【邪血暴虐】の刃を、アルルの首筋に添えていた。
アルルの額に、冷や汗が伝う。
ルキの、目を見たからだ。
まじまじと、この青年の目を見る機会など、思い返せばアルルにはなかった。
無意識で、それを避けていた節さえある。
人間でありながら、人間を殺すルキのことが、理解できなくて。
それでも人間を守りたくて、人間であるルキをも守りたくて、傍に置いたのに。
その澄み切った目を凝視したのは、この瞬間が初めてだった。
ともすれば、バジのそれより真っ直ぐで、鋭くて、情熱的でさえあって。
身震いするほどに澱みなく正直な瞳に、思わず、アルルは魅入られた。
「ル、キ……!」
「昨日、俺らを襲ってきたあの女は、ビヴリ=メサイエリは、一体何者だ?」
獣のように、尖った歯を煌めかせて。
純真な子供みたいに、目を輝かせて。
ルキは、凄絶な笑みを浮かべながら、アルルへ問うた。
「お前の言ってた『人罰』っていうのが、俺の殺したい獲物で、合ってるのか?」
書いてて思ったこと。
あれ? これバジの方がヒロイン力高くね?
アルルとバジ、どちらがよりヒロインっぽいですかね?
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【次回予告】
※次は幕間になります。
本編はもう少々お待ちくださいませ。