第9章 殺人鬼は暫し蚊帳の外と化す
【注意】
この小説には、
・グロテスクな表現
・身勝手な価値観
・異世界厨二バトル
が含まれています。苦手な方はご注意ください。
また、今作には実在の神話に出てくる神々と、よく似た名前のキャラクターが登場します。
ただ、実際の神話を基にはしておらず、あくまで名前を借りているだけです。ご了承くださいませ。
【前回のあらすじ】
殺人鬼 vs. 狂信者
薄灰色の煙が立ち込め、焦げた臭いに包まれた丘の上。
焦土の二文字がよく似合うそこに、ビヴリ=メサイエリは立ち尽くしていた。
【信仰宗狂】を背凭れにして、見た目だけは直立を保っている。
しかし、彼女の脚には最早まともに力は入らず、気を抜けばすぐ目の前の崖へ落ちてしまいそうだ。
視界は、水底を覗き込むように茫洋としている。
ビヴリは疲れたように溜息を吐いた。
「はぁ…………! がはっ、ごほっごぼ⁉」
突然苦しげに背を丸めると、ビヴリはだらだらと、口からなにかをこぼした。
鉄臭さと、酸っぱい臭いとが入り混じったそれは――――血だ。
べったりと汚れた口元を拭いもせず、ビヴリはぼたぼたと血を落とす。
その光景すら、当のビヴリにはほとんど見えていなかった。
「……っふふ、ふふふふ」
にも拘らず、ビヴリは不気味に笑う。
恍惚の滲んだ笑声が、夜の闇に静かに響いた。
「…………なに笑ってんのさ。気持ちが悪いよ、ビヴリ=メサイエリ」
凛とした声が、上空から降ってきた。
同時に、ぼやけた視界に明るさが差し込んでくる。
夜だということを差し引いったって、過剰なまでの光。
その光源は、そして声の主は、ゆっくりと、ビヴリの頭上から降りてきた。
半ば閉じられた目で、固く結ばれた唇で、ビヴリのことを睨んでいる。
「……あらぁ。ルバルド=サムリッグ様ではありませんかぁ……」
艶めかしい声で、ビヴリはその少年の名を呼んだ。
ルバルドと呼ばれた少年は――――酷く、美しかった。
ブロンドの金髪は短く整えられ、顔立ちは酷く均整が取れている。
作り物めいた美しさではあるが、それを不自然に感じさせないほど、彼は自然体で佇んでいた。
全身から眩い光を放つ彼の身体は、上等な布を幾枚も重ねた外套で包まれている。
僅かに覗く足元や肩口は、衣服の代わりに、びっしりと文字が書き込まれた巻物が覆っていた。
「今、ここにアルル=グル=ボザードがいた。そうだね」
「ふふっ、うふふふふ。随分と、お早い到着ですのね」
ぬらぁ、とビヴリは自力で立ち上がる。
骨があるのかも不安になるほど震える脚で、ビヴリは小さく歩いていく。
「まぁ、あの火柱は相当に、目立ちましたものねぇ。消すのに苦労しましたわぁ。全身を焼かれて死ぬのかと、ふふっ、思いましたわぁ……。けど、これも、――――っ⁉」
「うるさいよ、きみ」
ビヴリの声が、唐突に途切れた。
ルバルドが――――ビヴリの腹に、鋭く蹴りを入れていたのだ。
素足に書簡を巻いただけの足が、爪先が、ビヴリの脇腹にねじ込まれる。
口から血反吐を吐き散らし、ビヴリは崖の縁まで吹き飛んだ。
「が、はぁっ⁉ ごぼっ、ごぶふっ…………っはぁ、っかはぁっ⁉」
「へらへら笑うなよ――――鬱陶しいなぁ」
幾度も幾度も、ルバルドの足はビヴリへと叩き込まれる。
喉を、腹を、剥き出しの胸を、子宮を、股間を。
一発ごとに激烈な痛みが走る、人体の急所を的確に蹴り抜いていく。
ずる、ずると微かに動く身体が、もうすぐにでも崖から落ちそうな位置にまでずれていく。
見計らったように、ルバルドはビヴリの頭を摑んだ。
「ぁ……が……ぁっ……」
「きみの役割は、『火山神』アルル=グル=ボザードの抹殺だ。僕が、きみにそう命じたんだ。違うか? ねぇ?」
小柄な体躯に似合わぬ力で、ルバルドはビヴリを軽々と持ち上げた。
指は頭蓋にめり込まんばかりに強く握られて――――親指だけが、ビヴリの左眼に宛がわれていた。
ぬるり、と湿った感触が指の腹を舐める。
「あの女は、こともあろうに神族より人間を優先するような奴だ。僕たち神族の、恥晒しだ。冒涜者だ。裏切り者で、最低な女だ。――――だからこそ、だからこそきみに命じたんだ。きみたち『人罰』に。あの女は、君たちがどんな人間だろうと、人間だから殺さない――――その、筈だったのに!」
瞬間、ルバルドの親指が過剰に輝きを増した。
まるで小さな星のように光る指が、ビヴリの眼球を、ずぶり、と貫く。
水晶体が、角膜が、網膜が、音もなく焼かれながら消えていった。
「っ、あぁぁぁぁっ……⁉」
「うるさいって、言ってるだろっ⁉」
まともな悲鳴さえ上げられないビヴリを、ルバルドはそのまま後ろへ投げ捨てる。
丘の真ん中で、息も絶え絶えに蹲るビヴリに、ルバルドは更に舌打ちを投げた。
「【信仰宗狂】っていう、強力な対神族用決戦兵器まで授けたんだ。この僕の肉片を使って作り上げた、傑作だよ? それを、まるで活かし切れていない。使いこなせれば、今のアルル=グル=ボザードなんて一瞬で消し炭未満にできるのに!」
「ぃ、ぁ…………も、ぅし、ゎけ、ぁりま――」
「黙れよっ! あぁじれったい鬱陶しいっ! 見ろよっ! こう、やるんだよっ!」
怒声を張り上げると、ルバルドは高々と手を掲げる。
豪奢な衣装がはだけ、古びた巻物に覆われた腕が露わになる。
その巻物が、弾かれたように輪を描き、腕を囲むように広がった。
露出した、陶磁の如く白い腕。その肌から、指から、爪先から、眩い光が噴き出した。
「穿て――」
呟くと、光は指先に集中し、五つの球となった。
太陽のように、見れば目が潰れかねない眩さ。
やがて、光球は指先を離れ、丘をぐるりと囲むように散りばめられた。
その一つ一つが膨れ上がり――――巨大な光の柱となる。
「――『神の雷雨』」
その瞬間――――丘は寸断され、崖下は消失し、地形は一瞬にして変形した。
「…………⁉」
眼球を抉られた痛みも忘れ、ビヴリは目を剥いていた。
気づけば、ルバルドの腕には元通り、巻物が巻き付いている。
その所為か、彼が肌から発する光量はだいぶ絞られ、周囲は夕刻程度の照らされ方しかされていない。
それでも、否応なしに分かった。分からされた。
平野と地続きだった丘は、道を砕かれ、聳え立つ巨大な岩塊と化していた。
崖下に臨む森は消え失せ、樹も岩も命もない、真っ新な荒野になっていた。
大袈裟でなく、間違いなく地図を塗り替えなければならないほどの所業。
それを、ルバルドは汗一つ掻かず、平然とやってのけたのだ。
「……ふ、ふふ、うふふふふふふふふふふふ――」
「なにが、可笑しいんだっ⁉ ビヴリ=メサイエリっ‼」
ぶわぁっ、と全身の巻物が音を立て、ルバルドの身体から弾かれる。
全身の肌を晒したルバルドを、もう直視できない。
強過ぎる光は、傍にいるだけで肌を焦がす。直視すれば、失明はまず避けられないだろう。
なのに、ビヴリは構うことなく、ルバルドの方を見ていた。
刻一刻と潰れ逝く眼で。
既に潰された眼で。
影すら残っていないルバルド=サムリッグの姿を、視界に収めていた。
「……偽物にしては、まぁ、神々しいですわね。それなりに」
「…………っ!」
「あら、勘違いはしないでほしいですわ。私、これでもあなたのことを褒めているのですわ。【信仰宗狂】然り、あなたがまだ口にしていない、その代償についても、然りですわ」
「……きみ、勘付いて」
「いいえぇ、ですから勘違いをしないでほしいのですわ。私は、あなたを責めなどしませんもの。寧ろ、感謝をしているのですわ。今、この瞬間も」
いえ、あなたにではありませんが。
正確には――――我が『神』に対して、ですが。
ぞくぞくと、恍惚に背を震わせながらビヴリは言う。
だらしなく開いた口から、血反吐混じりの涎が垂れていく。
涙のように、かつて眼球だったものを零しつつ、ビヴリは続けた。
「この痛み、この苦痛、己の命が削られていく感覚…………っはははぁっ! 最っ高ですわぁ……! あぁ、あぁあぁ親愛なる我が『神』よ! あなた様は私に、あなた様の手指でしかないこんな私に、ここまでの寵愛を注いでくださるのですねぇ! えぇ、えぇ、分かっておりますわぁ…………私、必ずやこの苦難を、乗り越えてみせますわぁ。『神』の御心がままに――――あなた様のご期待に、応えてみせますわぁ……!」
言うと、ビヴリは自らの指を、左眼窩に突っ込んだ。
無造作に、潰れた眼球を引き抜く。
血管が、神経が、ぶちぶちと音を立てて千切れていく。
自らの視界を司っていたそれを、まるでごみのように打ち捨てる。
にたぁっ、と、鎌のように唇をひん曲げて、彼女は言う。
「さぁ、私の天命、続きを、執行しなければ、ですわぁ。『神』を信じぬ愚か者に罰を、『神』を騙る似非者に罰を、『神』を知らぬ戯け者に罰を。勿論――――あなたも、その対象ですわ、『光明神』ルバルド=サムリッグ。精々今の内に、我が『神』に媚び諂い、しっぽを振って言うことを聴いておくことですわね」
そうしていれば、気紛れで。
あなたの元にも、奇跡が訪れるかも、分かりませんわ。
ふらつく足で、ビヴリはどこへともなく歩いていく。
崖に足をかけても、まるで気づいていないかのようにそのまま踏み出して――――【信仰宗狂】の巨体と共に、落ちていった。
――――辺りは、すっかり夜本来の暗さを取り戻していた。
全身を巻物で覆い、衣装で身体をすっぽりと隠したルバルドが、舌打ち混じりに崖下を覗き込む。
「……本当、『人罰』の連中は御し難いし、度し難い。なにを考えているのか、分かったものじゃない。中でもビヴリは……破綻、の一言だ。実際に僕たちを目の当たりにして、それでも妄想の『神』にしがみつくとはね。まったく…………愚かしい」
がららぁ……、と、ルバルドの後ろで、抉れた崖が僅かに崩れた。
土砂災害でも起きたかのような、石の堆積量。それを、ルバルドは忌々しそうに眺めていた。
まるで、仇でも見るような険しい目で。
「……僕の能力は、普段は【死飼文書】で抑えている。だから、今の『神の雷雨』だって、本気で放った訳じゃない。…………けど」
崩れるだけか。壊れるだけか。
消えさえしてくれないのか。
ルバルドは奥歯を噛み締め、拳を震わせた。
「神族の仲間を捨て、人間なんて脆弱な生き物を選んだあなたを…………僕は、許せない。絶対に許さない。絶対、絶対にだ――」
がりがりと、美しいブロンドの髪を掻き毟る。
血走った目に浮かぶ記憶を、丹念にすり潰して壊すように、強く、強く。
ぶちぃっ、と、凄まじい音を立てて、髪が一本、引き千切られた。
「――『火山神』アルル=グル=ボザード。僕はあなたのことを、許さない。どんな手段を使っても、どんな犠牲を払っても、この世界がどうなってしまおうと――――僕は、あなたに復讐してやる」
第二の敵、参戦。
割と現時点で力の差が圧倒的なのですが……どう引っ繰り返そうか、これ。
【次回予告】
Q.懺悔と告白の違いを述べよ
A.次回のは懺悔だと思います