プロローグ
【注意】
この小説には、
・グロテスクな表現
・身勝手な価値観
・異世界厨二バトル
が含まれています。苦手な方はご注意ください。
また、今作には実在の神話に出てくる神々と、よく似た名前のキャラクターが登場します。
ただ、実際の神話を基にはしておらず、あくまで名前を借りているだけです。ご了承くださいませ。
その雄叫びは、低く鋭い地鳴りにも似ていた。
「う、うわぁっ⁉」
口々に悲鳴を上げ、人々は逃げ惑う。
石を積み上げただけ、木を組み上げただけ、屋根には萱を乗せただけ。粗末な家々が次々に薙ぎ倒され、濃い砂埃を巻き上げる。簡素で薄い服を纏った村人たちが、勢いに押されて軽々と吹き飛んだ。
それは――――非常に分かりやすい、異形だった。
見た目は、巨大な犬だ。
黒々とした毛は荒く毛羽立ち、艶の代わりに血を化粧のように纏っている。脚だけでも、人間の背丈を軽々超える巨体を持ち、鋭い爪は踏み出す度に地面を抉った。
そして、その犬は首を二つ持ち。
目を、各々の顔に三つずつ有し。
尾のあるべき場所からは、無数の大蛇を生やしていた。
「ひ、ひぃぃぃっ!」「た、助け」「嫌だぁっ‼」「し、死にたくな」「誰か、誰か助」「やめっ、やめろぉっ!」「ぎゃああぁっ‼」「うわぁっ⁉」「お、お願いだ! 助けて」「神様神様神様神様」「許しで」「く、喰わないでく」
ぐちゃぁっ。ぼぎっ。ぐぎんっ。ぱきっ。ぴちゃっ。
牙が、口の周りが、瞬く間に赤黒く染まっていく。
双頭の犬は、人々の恐怖を、懇願を、生への欲求を嘲笑うかのように、顎を動かした。
その度に、肉が咀嚼され、骨が砕かれ、臓物が雨のように降り注いだ。
地面を濡らした死肉まで、犬はざらざらする舌で丹念に舐め取る。
牙で貫いたままの死骸を、執拗に喉へと押し通す。
逃げる村人たちを、どこまでも、どこまでも追い詰める。
背に廃墟と化した村を置いて、犬は、六つの眼を煌めかせた。
「…………!」
村の端に、人々は寄り集まっていた。
最早悲鳴さえ上がらない。身を寄せ合い、目を固く瞑り、静かに震えている。
そんな人間たちを見て、犬は、べろりと二枚の舌を同時に這わせた。
怯えて逃げることをも忘れた餌めがけて――――犬が、二つの頭で突っ込んでいく。
「GYAHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――」
心の底から嬉しそうな、歓喜の嬌声。
村人たちが、生きたまま噛み砕かれる最期に身構えた――――その時。
「うるせぇぞ駄犬。餌を、許可してやった覚えはない」
絶叫が、雷鳴の如く轟いた。
村人が恐る恐る目を開ける。自分たちめがけて迫ってきていた犬の双頭が、苦悶の叫びを上げながら天を仰いでいたのだ。
びちゃっ、びちゃっと粘ついた液が降り注ぐ。青紫色のそれは吐き気を催す臭いで、村人は一斉に顔を伏せた。
その瞬間、それは見えた。
双頭の巨大犬の前に立つ、一人の男の姿が。
「ルオトロース、だったか。ひははっ。汚ぇ色した血だなぁ。犬の血だったら赤茶色の筈なんだがなぁ」
奇妙な、男だった。
着ている服からして、まず滑稽だった。継ぎ接ぎだらけの格好は、布を直接肌に縫い付けているようにさえ見える。
それを覆い隠すように、煤けた外套を羽織っている。材質は、穀物を入れる藁袋に酷似している。
ただ、色だけが嫌な感じに黒かった。
握り締めているものは、ナイフ、のようにも見える。
やけに赤く、装飾の多い柄。刃は象牙色が美しいものの、おおよそなにかを『切る』形をしていない。
丸みさえ帯びた形状は、精々が『刺す』程度しかできないだろう。
しかし、最もおかしいのは、異常なのは、そんな見た目ではない。
既に村の人間を大勢喰い殺し、なおも喰い続けようとしている双頭の犬に――――否。
この魔獣に、正面から立ち向かうことがそもそも、異業だった。
「GUUUUU…………!」
「唸んな、臭い息を撒き散らすんじゃねぇよ。っつーか、とっととそれ返――」
「GRUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
男が催促するように手を伸ばした瞬間――――巨犬・ルオトロースは男めがけて吶喊した。
六つの眼球の内、二つに深々とナイフが刺さっている。
男が投擲したことは、明らかだった――――故に、ルオトロースは牙での攻撃を避けたのだ。
大地をも抉る爪で、ほぐすように裂いてやろうと。
勢いよく、男のいる位置を踏み抜いて――
「啼け――――【邪血暴虐】」
――ルオトロースの前足が、縦にぱっくりと裂けた。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA⁉」
思わず、二つの口から悲鳴がこぼれる。
どろどろと、肉がみっちりと詰まった断面。その隙間に、男は悠然と立っていた。
あの、象牙色のナイフを高々と掲げて。
瞬間――――切り口から噴き出した青い血を、男は全身に浴びていた。
「ひはははっ。なんだよ――――こんなもん、かぁっ⁉」
男が、目を剥いた。
ぎこっ、と唇を吊り上げ、歪な笑顔を作り出す。瞳孔まで開いた目でルオトロースを見据えると、男はそのまま走り出した。
ぶちぶちぶちぃっ、と。
男の駆けるのに合わせて、ルオトロースの前足が、根元から千切れていく。
「GIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII⁉」
ぶちんっ、と最後の皮一枚が、千切れる音がした。
ルオトロースの前足が一本、胴体から完全に切り離される。そのまま、四足を三足に変えられた巨体が均衡を崩し、ぐらぁ、とその身を傾かせた。
倒れる、その先に。
「――――」
逃げ遅れ、ただ戸惑い。
呆然とする他なかった、少年が。
為す術もなく、その圧倒的な質量に。
潰されて、息絶えるのを。
待って――――
「くっぉのバカルキぃいいいいいいいいいいいいいいいいいっ‼」
少年の腕を、摑む手があった。
手、だけだった。
本来ならすぐ近くにいる筈の、手の主。しかし、少年の目にそれは映らない。
数十メートルは伸びているであろう腕だけが、少年のことを摑み上げたのだ。
「え……えぇ……⁉」
「こっちぃっ、来ぉおおおおおおおおおおおおおおおおいっ!」
ぐぢゅぐぢゅと、内部から音を響かせて腕が縮んでいく。
少年は、束の間空中を浮遊した。
気が付けば、ずざざぁっ、と地面に身体をこすっていて、身体が擦り傷まみれになってようやく動きは止まった。
一拍遅れて、ルオトロースの巨体が倒れ、土埃が巻き起こる。
緩慢に身体を起こした少年の目に映ったのは――――自分の傍らで、ぎゃんぎゃんと姦しく怒鳴っている少女だった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁ――――っ、バッカルキぃっ! こんな規模で腕伸ばすのは疲れるんだって、何度言えば分かんのよバカなの死ねばっ⁉」
「チッ、うるせぇなバジ。放っときゃよかったろ、そんなガキ一匹」
「姉様を悲しませる訳にいかないのよ。だから、あなたがもっと気をつけなさい!」
「そんな余裕が、あったら、なぁっ‼」
ルキと呼ばれた男は、少女の怒りなど無視して再び突っ込んでいく。
倒れ伏したルオトロースは、しかし、戦意を失ってはいない。
寧ろ、眼の色が変わるほどに昂ぶり、憤っていた。
動いたのは――――尾のあるべき場所に生える、無数の蛇たちだった。
「「「「「SHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA‼」」」」」
幾重にも威嚇音を発しながら、蛇が口からなにかを吐き出した。
紫色の液体。薄く煙を上げながら、それはルキめがけ、高速で飛来する。
――毒か。
「っ、とぉっ!」
上体を逸らし、ルキはそれをかわす。
直後、瞬時に鼻をつまむ。突き刺さるような刺激臭。毒だと、直感したのが正解だったと確信する。
「っ、ちょ、バカルキこのバカっ! あんたが避けたら――」
バジと呼ばれた少女が、思わず吠える。
ルキがかわした、毒液の行く先。
そこには、多くの村人たちが寄り集まっていた。
「う、うわぁああああああああああああああああああああああああ――」
「【火天炎上】――――『炎崖絶壁』っ‼」
村人の悲鳴が、別の轟音によって掻き消される。
それは、炎の壁だった。
村人たちとルオトロースを隔てるように、巨大な炎の壁が出現していたのだ。
轟々と燃え盛るそれは、毒液を残さず焼却し、ただの汚い煙に変えていた。
「ね、姉様っ! アルル姉様ぁっ!」
「いひひっ。もう大丈夫だからね、ドナヘイ村のみんな。私が――――守ったげる」
炎の壁の中心には、一人の少女が立っていた。
薄い生地で作られた、簡素な貫頭衣。
ありふれた格好だが、炎で黄金色に煌めく銀髪、紅蓮色の瞳、大きく膨らんだ胸と、極めて特徴的な姿をしている。
そしてなにより、一度見れば忘れられないほどに可愛らしく、美しかった。
炎の精が如く佇む少女に、村人は全員、目を奪われていた。
「き……奇跡、だ…………まるで、まるで神様だ。我々を、助けてくれた……!」
「あー……やめてよ。そんな風に言われるのはちょっと、さ」
アルルと呼ばれた少女は、困ったようにはにかんで手を振った。
そのまま、呆れたような溜息を吐き、そっと、前方を指で示す。
炎の壁の、その隙間から見えるのは――
「ひはっ、ひははははははははははははぁっ! いいなぁ、いいぞぉっ! でかくてごついのは生命力があるっ! 解体し甲斐があるっ! 殺し甲斐があるんだよなぁっ‼ ひははっ、ひははははははははははははははははははははははははぁっ‼」
ルオトロースは、既に虫の息だった。
全身を散々に切り刻まれ、立つこともままならず。
それでもなお、ルキは、それを切ることを止めない。
やがて――――耐え切れなかったように、ルオトロースの双頭が落ちた。
まるで断頭台のように落ちてきた――――青紫の、鋭い刃によって。
噴水みたいに青黒い血を流す、ルオトロースの死骸。
その上に立ち、踏み躙り、ルキは、返り血を清々しい表情で浴びていた。
遠くで、バジが顔を引き攣らせている。
そんな有様を見て、アルルが、背後の村人たちに苦笑いを見せた。
「……あれをさ、君たち、神様とか呼びたい?」
「…………ぅぷっ……!」
†
ルキ=リビングデイ。
彼はかつて殺人鬼として生き、一〇〇〇人を殺した罪で、首を吊られ、処刑された。
そしてこの世界に転生したのだ――――殺人鬼としての狂気を、残したままで。
いきなりの厨二バトルでした。
人間以外で、しかも意思疎通の取れないキャラは書くのが難しいですね……。まぁ早々に退場してもらうのですが。
【次回予告】
ルキ=リビングデイ。
アルル=グル=ボザード。
バジ。
奇妙な取り合わせのこの三人は、如何にして出会ったのか。
ちょっと長くなりますが、まずは三人の邂逅エピソードです。