第二十一話 雨
「一雨きそうだな。」
早朝から続いた準備作業は朝日が昇り切る前には余裕を
持って終えている。
町の入り口といってよい位置からほど近い街道沿いに
あった民家の前に簡単なバリケードを作ってレコーダーを設置した。
何事もなければ今頃は長時間再生可能なレコーダーから、
セルカさんから吹き込んでもらったメッセージが延々と
流されているはずであり、手違いがなければゼンなる
ヒトがあの道の前を通過する際に、民家の中へと誘導して
くれるはずだ。
民家の中には、これまたセルカさんに書いてもらった
手紙を配置しており、ついでにいくつかの仕掛けをしておいた。
準備は万端と言いたいところだが、そもそも待ち人がこの日、
この時に必ず来ると断言できるわけですらないので、詰めが
甘いと言われればその通りだ。
レコーダーに記録された会話内容を根拠に、20日近い
時間を準備にあててきたが、彼らが今日この場にこない
理由や可能性はいくらでもあり、全てが無駄になる可能性
だってあるのだ。
ジワリと手のひらに汗がにじむ。
オレ達は今、町を見下ろす小高い丘の上に来ている。
町に面する斜面が崖のように険しく切り立っており、
緩やかな斜面までぐるりと迂回しなければ辿り着くことは
難しいだろう。
市街地近くまでの直線距離は3キロほどしか離れていない
のだが、この地形のため、馬車を使ったとしてもここまで
辿り着くには1時間以上の時間がかかるはずだ。
その一方で雨風を遮るものがなにもない事が欠点ではあるが
この身の安全には代えられない。
万一の場合には、このまま逃亡する用意もできているので、
仮にオレ達を探してどうにかしようというような動きが
あった場合にはさっさと身を隠すつもりだった。
ちなみにセルカさんから書いてもらったゼンなるヒトへの
メッセージを大まかに要約すると以下のようなものである。
一つ。オレ達はあなた達と敵対する意思はないこと。
一つ。オレ達は毒のようなものの影響を受けず、地上で
生活することができる能力があること。
一つ。条件付きであるがその能力は他者に与えることが
できること。
一つ。オレ達はいくつかの問題を抱えており、あなた達から
の助けを欲していること。
そして、いくつかの条件で互いに折り合いをつけることが
できたのならば、助け合うことができるであろう、ということを
記してもらっている。
「来ましたね。やはり一人のようです。」
セルカさんからの指さす方向に視線を向けると、街道の彼方から
四足の鳥のような生き物に騎乗したヒトが市街地の方へとまっすぐに
に向かってきている。
十中八九、先日のゼノというヒトだろう。
分の悪い賭けではないとは思っていたが、こうしてその姿を見つけ
ホッと胸を撫で下ろした。
「ルートも予想通りのようです。この様子ですと、あと10分程で
到着しそうですね。」
上々といって良いだろう。
オレ達の位置は下から見えにくい場所にあるはずだったが、念のため
周りの草丈の高さまで腰を落として観察を続ける。
ゴロゴロという遠雷の音が聞こえた。
「本格的に降りそうだ。セルカさん、ここはオレが見ておくよ。」
何も二人で雨に濡れることもない。
そういって木陰にでも入るように促したが、セルカさんは首を縦に
は振らなかった。
結局、オレのほうが折れて二人で見届けることにする。
「止まりました。どうやら気づいたようですね。」
「ああ。家の方に向かって・・・よし!入った。」
思わずガッツポーズを取ってしまったが、むしろここからが本番だ。
ポタリと一滴の雨が頬を濡らした。
メッセージが書かれた紙片のほかに、つい最近まで誰かが暮らしていた
かのように民家の中には生活の痕跡をこれでもかといった形で残してある。
齧りかけの歯形のついた食べ物に、スープを啜った跡が残る皿、
火種の燻る竈に、いまだに暖かな水が鍋にかけられている。
窓からは人の手の入った畑が見える。
成長の早い野菜の種を1日毎に一列ずつ植えられており、少しずつ
上背の異なる苗へと育っている。
最低でも10日程続けて畑の世話をしなければこのような状態にならないと
一目でわかりそうなものである。
この地上で文字通り生きることができるということを言葉だけでは
信じてもらえない可能性に備えた小細工のようなものである。
そしてどうやら効果はあったようだ。
ゼンと思われるヒトは家から出てくると畑へと足を運び、苗の傍に
しゃがみこんでしきりに何かを調べているように見える。
「信じてもらえたのでしょうか?」
「どうかな。今のところは、まずい動きはなさそうだけどね。」
畑を見て納得したかのように一つ頷き、再び家の中へと戻っていく姿が見える。
ちなみにメッセージに書き置いたいくつかの条件の一つとして、今回は顔合わせは
しないということと、こちらの所在を探るような挙動をしないようにと記してある。
今のところこの条件は忠実に守られているようだ。
「出てきた。」
「こちらを探るような動きもありませんね。」
市街地の方へと真っすぐに駆け去る姿を目で追う。
雨は次第に激しくなり全身を濡らすが、高揚感からか寒さや冷たさは感じない。
セルカさんも同様のようで、まだ、この場から動くつもりはないようだ。
「戻ってきましたね。」
「ああ、しかも一人だ。」
これも条件の一つとして、オレ達のことはまだ他の者に伝えないようにと、
記しておいたのだが、一人で戻ってきたところを見ると、どうやらこの条件も
守るつもりであるように見える。或いは条件を守るつもりがあるようにみせて
いるのだとも言えるのかもしれないが。
シトシトと雨の降る中、セルカさんと二人でだんだんと小さくなっていく影を見送る。
その日はすぐにでも民家に入って確認したい気持ちを堪えて帰路に着いた。
そしてその夜、セルカさんが熱を出した。