一話 エピローグ 『表』
目を覚ますと窓の外は暗く、カーテンを閉めていないため月明かりが部屋中を照らしている。
まだ怠さは残るとのの身体も大分楽になり熱もひいたようだ。
俺の横ではソファーにもたれるように、床に座った雪が眠っている。
俺の右手を握りしめたままだ。
最後の記憶では、葵さん達が仲直りし、意識を失う寸前に雪が俺の手を握ってくれたのは覚えている。
ただ、葵さん達に何を言ったかは全く覚えていない。
雪が手を握りっぱなしということは、ずっと俺に付き添ってくれたんだろう。
「ありがとう」
雪を起こさないように小声でお礼を言い、ソッと握っていた手を放した。
そしてそのまま雪を抱き抱え、二階にある雪の部屋へ向かった。
(普段から鍛えといて良かった)
全快ではなかったが、何とか雪を部屋に辿り着いた。
女の子の部屋に勝手に入るのは悪いがこの状況のため致し方ない。
(そういえば、雪の部屋に入るのって初めてだな)
いざ入ると中は、家事が一切できないわりには整理整頓はしっかりされてある。
同じ家なのに俺の部屋と大分部屋の香りが違う。
流石女の子の部屋というべきだろう。
雪をベッドに寝かし、そのまま部屋から出ようとした時、勉強机の側の壁に写真が大量に貼られているのが目に入った。
近くでよく見ると全部、俺の写真だ。
俺だけ写っているのもあれば、雪と二人で撮ったのもある。
中には撮った覚えのないものあった。
(明らかに目線があってないな……)
今日一番の衝撃だ。
部屋を出ると同時に一つの決意をした。
『見なかったことにしよう』
雪をちゃんとベッドに寝かせた後、大量の汗をかいて気持ち悪かったのでシャワーを浴び、その後は自室に行き冷蔵庫に入っていた缶ジュースを飲みながら一息ついた。
(あ!時計、玄関に置きっぱなしだったな)
ジュースを一口で飲み干し、玄関へ向かうと財布や携帯と一緒に置きっぱなしになっていた。
携帯には着信を知らせるライトが点滅している。
(今日、携帯全然見てなかったな……取り敢えず部屋に戻ってから見るか)
置きっぱなしの私物を回収し、再び部屋へと戻った。
買った時計はクローゼットの中に保管し、携帯を片手にベッドに倒れ込んだ。
電話はかかってきておらず、新着のメールだけが届いているようだった。
メールボックスには百通以上のメールが届いており、すクロールしてどれを見ても暦さんの名前が表示されている。
(これは読むの大変そうだな……)
内容はいつもと同じで報告や雑談、質問等だ。
一定のペースで読んでいると暦さん以外の名前が一件混じっていた。
送り主の名前は『霧山椿』。
(メールなんて珍しいな)
気になりメールをすぐに開いた。
『最近、姉様に電話してないらしいですね。引っ越したばかりで忙しいのはわかりますけど、姉様が寂しがってるのでたまには電話してください』
メールの文面からも、皮肉というかトゲのある口調が受け取れる。
『了解。色々片付いたら連絡いれる』
簡単な内容で返信を送っておいた。
(相変わらず嫌われてるなぁ)
そしてまた、暦さんのメールへ戻った。
(やっと見終わった)
気がつくと外は明るくなっており、完全に朝だ。
いつもなら日課のランニングに行きたいが、怠さがまだ残っているので今日は止めておくことにした。
一応、届いたメールには返信もしておいたので、後は家事をするくらいだろう。
おそらく雪は昨晩から何も食べてないだろうから料理を作り置きし、数日分の洗濯、リビングの掃除を終わらせたが一時間程しか経っていない。
(特にやることもないし、寝るか)
昨日の疲れもあり眠るのに時間はかからなかった。
次に目を覚ますと日が沈みかけていた。
(十時間以上、眠ってたのか)
横にはガッチリとホールドしている雪が眠っている。
あの日雪が隣で寝たのを許した一件以降、毎晩俺が眠った後にわざとか寝惚けてか…いや、多分意図的に俺のベッドに潜り込んで寝ている。
『今日だけ』と決めたはずなのに、雪の寝顔に負け起こせずにいる。
といっても、まだ二日間だけなのだが、この調子だと今後も続きそうだ。
無意識に抱きついているのだろうが、この状況はかなりまずい。
体温も上昇中だ。
「雪~」
「ん……ん~……こうちゃん……」
打開すべく呼び掛けて起こしてみると、すんなり起きてくれた。
「その、放してくれると助かるんだが」
「え?……あ、ごめん!」
意外にも雪の顔も赤くなっている。
相変わらず不意打ちの弱さが出ていた。
二人揃って起き上がり、ベッドに座る形をとった。
お互い顔を見られない状態だ。
少々気まずくなったので、俺の方から話をふることにした。
「その、なんだ…昨日はありがとな。ずっと側で看ててくれて」
「ううん。私こそ部屋に運んでもらったうえに、ご飯も用意してくれて」
「それこそ、いつものことだろ」
「嘘。まだ体調悪いのにやってくれたことくらいお見通しだよ」
思わず心臓が高鳴った。
(今日の雪、いつもに増して可愛くないか?)
「仰る通りだよ……流石だな雪は」
隠すのも諦め、素直に自白した。
以前に『こうちゃんのことなら何でもお見通し』的なことも言っていたのを思い出したからだ。
「まぁね……でもお姫様抱っこは嬉しかったなぁ」
雪が恍惚な表情をうかべる一方で、俺は半ば呆れていた。
(前言撤回だ。やっぱりいつもの雪だな……)
「……その発言からするに、部屋に運んだ時起きてたのかよ」
「ごめんね。自分で歩けば良かったんだけど、欲望が勝っちゃって」
「ったく……」
呆れてかける言葉が見つからない。
「でも、女の子の部屋を物色してたからお互い様だよ」
写真を見ただけとはいえ、雪の言う通りだ。
(てか、忘れようとしたのに思い出してしまった)
雪が起きていたとなると言い逃れもできない。
「えっと、ごめん!……そうだ!お腹空かないか?そろそろ夕飯にしないとな」
俺は逃げるようにキッチンへ向かったが、雪もその後をついてきて、料理する俺を間近で監察し始めた。
こんなこと今までにない経験なので、やはり怒っているのだろうか。
「あの……雪さん、どうしたの?」
「その……こうちゃんに負担かけてばかりだから、こうちゃんの料理してるとこ見て、覚えようかなって」
恐る恐る、雪に尋ねてみたが俺の思い過ごしだったようだ。
てっきり料理中に何かしてくるんじゃないかと考えていた。
だがそうとなれば、話は別だ。
俺できることは最大限強力しようと思う。
「なら、俺が昔ノートに書いたレシピ貸すよ。今は覚えて使ってないから、それ参考にするといいよ」
「ありがとう。こうちゃん」
俺も昔は探り探りで、ネットや本などを参考にし自分なりにレシピを考えていた頃が懐かしく思えた。
折角なので少し雪にも手伝ってもらい、その日の夕飯は完成した。
料理を作っているうちに気まずさ等もなくなり、食事の時はすっかりいつもと変わらない光景だった。
食事後は雪は宿題があるからと自室へ戻り、俺も自室に戻って本日二度目の暦さんのメールのイッキ読みだ。
一応、寝るというメールを送っていたので一時間に一通ほどのペースでしかきておらず、朝方ほど苦戦はしなそうだ。
こうして、俺の短い休日は幕を閉じた。
いつもの待ち合わせの時間に家を出ると葵さんと薫ちゃんに加え、光さんの姿があった。
「お、おはようごじゃいます!」
「お、おはよう……」
葵さんの挨拶は明らかに声が裏返っているのに加え、噛んでいる。
光さんも俯き気味で二人ともいつもと全然違う。
「おはようです。孝太さん、雪さん」
いつもは眠そうにしている薫ちゃんなのに、今日は朝からテンションが高い。
(二人どころか三人とも違う!)
俺と雪は状況がのみ込めず混乱しかけている。
取り敢えず、無難に薫ちゃんから理由を訊こう。
「おはよう。今日は眠くないの?」
「そりゃ眠気なんか覚めますよ!学校に行こうと思ったら光ちゃんが居たんですから」
理由を聞いてようやく、状況を理解できた。
薫ちゃんは当然光さんのことを知っているが、葵さんと光さんとの間にあったことを何も知らない。
その状態で遠くに居ると思っている人が急に目の前に現れたら、誰でも驚く。
そのせいで眠気が覚めたといことか。
雪も気づいたらしいが、葵さんと光さんの方がまだ残っている。
「でも同じ学校にいて気づかないことってあるんだね。それよりお姉も光ちゃんも急に顔を赤くしてどうしたの?」
薫ちゃんの反応を見るかぎり、俺達が来てから二人はおかしくなったらしい。
(原因は俺達か?)
だとしたら、一昨日のことでだろう。
「べ、別に普通だよ!そ、それに光ちゃんじゃなくて光さんか光先輩って呼びなさい」
「い、いいよ、昔のままで。その方がしっくりくるし」
「じゃあそうするね」
(葵さん、さりげなく話を逸らしたな……それにしても楽しそうだな)
もしかしたから、一昨日のことでまだ少しわだかまりがあるのではないかとも思いもしたが、そんなことはなかった。
となると、さっきの二人の様子がおかしかったことで考えられる理由は一つしかない。
『二人がうちに寄った時に俺が何か変なことを言った』だ。
記憶が抜けているうえに意識が朦朧としていたことを踏まえると、そられしか残っていない。
(過ぎてしまったことだ。気にしてもしょうがない)
潔く諦め、三人のやり取りを微笑ましく眺めていると、雪が俺の腕に自分の腕を絡めてきた。
よくやってくるので抵抗はそれほどなかったが、雪の表情は険しいものだった。
「雪、どうした?」
「こうちゃんは知らなくていいよ。さ、早く行こ」
言われるがまま少々不機嫌な雪に引っ張られ学校へ向かった。
「あ、待ってください」
三人も俺達の移動に気づき、後を追う形で騒々しい登校になった。
「ちょっ!雪、そろそろ放して……」
校門をくぐる少し前から周りからの視線が痛い。
最初は葵さんと光さんも放してあげるよう言ってくれたが、振り向いた雪の笑顔に恐怖を覚え三人とも俺達から数歩引いて歩いている。
「それでは下駄箱あっちなんで、私はここで失礼します」
昇降口に着いてすぐに、逃げるように薫ちゃんが去っていく。
(薫ちゃんに話しておきたいことあったのに!)
何とか脱出を試みる。
「薫ちゃんに話あるから、放してくれないか?」
「薫ちゃんなら良いよ」
「へ?」
思いの外呆気なく解放された。
「早く戻ってきてね」
「あ、あぁ」
拍子抜けしつつ、薫ちゃんの後を急いで追った。
「薫ちゃん、待って」
「あれ?孝太さん、どうしたんです?」
まだ上履きに履き替えているところで助かった。
校舎内に入られると追いかけるのが大変だからだ。
「放課後、俺達の教室に来て」
「いいですけど……どうしてですか?」
「理由はその時話すから」
「はい……」
用件を手短に伝え、雪の元へ戻った。
どうやら、雪だけでなく二人も待ってくれていた。
「別に待ってなくて良かったんだけど……」
私用で待たせるのは心苦しい。
「教室同じですから、どっちにしろあまり変わりませんから」
「そっか」
「行きましょうか」
靴の履き替えがあったので、昇降口以降は雪も腕を組むのを止めてくれた。
廊下を歩いていて気づいたが、いつもよりこの時間に登校している生徒が多い。
「なんか今日、人多いよね?」
雪も同じことを思ったらしく、歩きながら辺りを見渡している。
「多分、テストの上位者の結果が貼り出されるからじゃない」
すっかり学校のシステムを忘れていた。
「でもテストの結果だろ?そんなに気になるものか?」
「この学校変わってて、順位によって色んな特権与えられるのよ」
学校法人がよく許可したと思う。
「定番なものだと学食の食券だったり、所属している部活動の部費が上がったりとか。生徒会への勧誘もあったかな」
「へぇ~」
生徒が積極的に勉強に励むには良い環境とも捉えられる。
もしかしたらこの学校について、俺や雪は知らないことがまだまだあるのかもしれない。
新たに知る学校の一面に触れつつ教室の前へついた。
教室の違う雪とはここでお別れだ。
「こうちゃん、気をつけてね!」
「お、おう」
ものを言わせない迫力で雪に注意され、俺も圧倒され頷くこたしかできなかった。
何に気をつければいいのか、さっぱり分からない。
「葵ちゃん、坂田さん、私の目は誤魔化せないからね」
『は、はい』
俺から見たら普通の笑顔だが見る人が見れば恐怖を与える、雪特有の笑顔だ。
案の定、二人とも縮み上がっている。
三人の間に何かあったのだろうが、今朝雪に言われたように詮索するのは止めておこう。
笑顔のまま雪は自分の教室へと入っていった。
「それじゃあ、俺達も……」
「あの孝太さん。教室に入る前に屋上行きませんか?」
「別に構わないけど」
時間にもまだ余裕がある。
何より屋上を使うということは何か大事な話があるのだろう。
そうなると断る理由もない。
俺達三人は屋上へ向かった。
「私、屋上初めて来た~」
(初めて屋上に来る人は同じリアクションするのか)
初めて屋上に来た光さんはやたらとテンションが高い。
「ちょっと、光!」
「あ、ごめん葵。初めてだから興奮しちゃって」
「その気持ちは分かるけど、今は優先することあるでしょ」
葵さんが光さんを叱っている画がシュールだ。
周りを気にせず前に進んでいく光さんを葵さんが光さんを宥めるのが、二人の自然な在り方なのかもしれない。
言い方を変えれば、人見知りで前に出ることが苦手な葵さんを光さんが引っ張り、光さんのやりすぎなところを葵さんがフォローするということか。
「ごめんなさい。放ったらかしにして」
「気にしないで。それより何か話があるんでしょ?」
「はい。孝太さん……」
『ありがとうございました!』
二人が息ピッタリに発したのはお礼の言葉だった。
「えっと……どういたしまて」
改めてこういう形でお礼を言われると照れてしまう。
「まともにお礼、言えてなかったので……本当にありがとうございます」
葵さんの言ってるのは一昨日のことだ。
こうやって礼を言われると、少しは役に立ったのだと実感する。
「まぁ、二人が仲直りできて俺も良かったと思うよ。話はそれだけ?」
「そのもう一つあって、部活動のことで」
そのことなら、もう解決しているという前提で話を進めることにした。
「それなら、放課後薫ちゃん呼んどいたから」
「え?」
(あれ?違ったかな?)
「出しにいくんでしょ?申請」
「そうですけど、でもどうして分かったんですか?!」
やはり俺の考えていた通りだ。
「話したいことっていうのは、五人目の部員が光さんってことでしょ?」
「柏木くんってやっぱりエスパー?!」
こんなやり取り、前にもあった気がする。
「だって部活動の話してるのに光さんがいるってことは、関係者になったってことにならない?」
「それだけですか?」
葵さんもそれだけの理由では納得できないようだ。
光さんは納得しかけているが。
「いや、他にもあるよ。光さんがどこの部活にも入っていないことは、気になって小林先生から聞いてたんだよ」
「き、気になって?!」
光さんの顔が一瞬で真っ赤になりあたふたと急に落ち着きがなくなった。
(変な誤解してないか?)
「えっと……先週の体育の時間に男子は体力作りでマラソンしたんだけど、思いの外課題の距離が早く終わっちゃって、一人で暇をもて余しつつ休んでたら、女子の方の授業が目に入ったんだ。そこで光さんの運動神経の良さが気になったんだよ」
「なんだ……そういうことか」
「昔から運動は得意だったからね」
事情を説明すると光さんも落ち着いてくれた。
というより、肩を落としている。
(それより葵さん『運動は』って)
たまに天然で酷いことを言うが本人に自覚なし。
光さんも気づいていない。
このことは俺の胸の内に閉まっておこう。
「それで部活何かしてるのかなって思って聞いたんだよ」
「なんか孝太さんの掌の上って感じです」
葵さんが頬を脹らませて弱冠いじけている。
「でも、結果的に二人が仲直りして葵さんが光さんを誘ったからこそだよ。部長」
「……」
まさかの、無視。
というよりは気がついていない様子。
「葵さん、聞いてる?」
「え!私のことですか!」
「だって葵さんが言い出したことだし、申請願の一番最初の名前も葵さんだしね」
「無理です!私なんか……てっきり孝太さんがやってくれるとばかり」
でも葵さんの目標である人見知りをなくすためにも必要なことだ。
「葵さんがやらなきゃダメなんだよ」
「私もそう思う。葵を中心に集まった人たちだもん葵が束ねなきゃ」
「光……」
(光さん良いこと言うなぁ)
雪に関しては少し例外だが口を挟まないでおく。
「そうだよね……もう逃げちゃダメだよね」
「葵!」
「孝太さん、私やります」
「うん」
一昨日の件が葵さんをまた成長させたのだろう。
これなら案外、早く治せるかもしれない。
「葵、カッコいい~」
と、突然聞いたことのない甘い声で葵さんに抱きつく光さん。
光さんのキャラがどんどん分からなくなっていく気がする。
「光、止めて!」
必死に抵抗する葵さんだったが、光さんは一向に止める気配がない。
俺も思わず和んでしまい、止めることをすっかり忘れている。
だがこのムードは予鈴により壊された。
「二人ともそろそろ行こうか」
「そうだね」
予鈴を聞き、光さんはやっと解放した。
「朝から疲れた……」
俺達は葵さんの愚痴と光さんへの説教を聞きながら屋上を後にした。
当然、これから起こることを知るはずもなく。