三話 第十章~雫の告白~
朝のホームルームが終わり、俺は急いで小林先生の下へと赴いた。
その理由は昼休みに雫さんと待ち合わせした屋上の鍵を、借りるためだ。
小林先生が隣のクラスの担任ということもあり、教室を出て数秒で職員室方向へ向かう小林先生の後ろ姿を捉えられた。
「小林せんせーい」
「……ん?なんだ柏木?」
名前を呼ぶと、小林先生は振り返りながら、声の主が俺だと判別し、立ち止まってくれた。
俺は慌てて駆け寄り、早速用件を話した。
「一つ、お願いがあるんですけど」
「言ってみろ。内容によっては見返りを求めるが」
それは教師の発言として、どうなのだろうか。
小林先生のことだから、きっと本気で言っているはずだ。
「……鍵を貸してほしいんです。屋上の」
一瞬言おうか迷ったが、残念ながらお願いする以外の選択肢はなかった。
「なんだ。そんなことか……これじゃあ、見返りを要求できないな」
そう言いながら苦笑を浮かべる小林先生は、ズボンのポケットから鍵を出し、俺に抛ってきた。
距離があったとはいえ、小林先生といい山吹先輩といい、急に投げるのは止めてほしい。
特に今回のように相手がお目当ての物を持っているか、分からないときは尚更だ。
なんとか反応し、俺がそれを取るのを確認すると、小林先生は俺に質問をした。
「だけど部室もあるのに、どうして今更必要なんだ?」
小林先生に俺が鍵を返した理由は、小林先生が言うように部室をもらってたまり場として必要がなくなったからだ。
なので小林先生がこの疑問を抱くのは仕方ない。
「雫さんと、大事な話があるんで、二人きりになれる場所が、どうしても必要だったんです」
「『雫さん』って……間宮のことか。珍しい組み合わせだな」
関心しながら言った小林先生のこの言葉に、引っかかりを感じた。
小林先生は知らないだろうが、意外に俺と雫さんの組み合わせは昨日を含めて何度かある。
可能性としては、俺が雫さんといる時間がそこそこ長く、一緒にいるのを楽しく思い始めたからかもしれない。
「案外そうでもないんですよ……ですからあの事を話そうと思って」
「柏木!お前、本気か?!」
小林先生はよほど俺の言葉に驚いたのか、あっという間に距離を詰めてき、周りの生徒に構わずに声を荒らげた。
そのせいで他の生徒が何事かと驚いている。
俺としてはあまり注目を集めさせてほしくない。
「本気ですよ。それから、こんなに近いと勘違いされますよ」
小声のため聞こえなかったが、周りの生徒達はこそこそと何かを話している。
「っ!勘違いするなよ!お前ら!」
周りの生徒からの視線を教えてあげると、瞬く間に小林先生の顔は真っ赤に染まり焦るあまり声を大にして、周りの生徒の誤解を解こうとしていた。
こういう時、いつもからかわれている俺としては、仕返しをしたくなる。
「……小林先生は、俺のこと嫌いなんですね……」
俺はわざと落ち込んだふりをすると、小林先生は俺に向き直り慌てた様子で訂正を始めた。
「なんで、そう捉える?!私はむしろお前のことが……って、何言わそうとしてるんだよ!」
別に何も言わそうとしていないのだが、予想していたよりも怒られた。
それに小林先生のこの慌てぶりは、今週の月曜日の放課後に俺と雪が生徒会室に行く前の会話の時と似ている。
だが、そこまで追い詰めるようなことを言った覚えはない。
「何も言わそうともしてませんよ。それにこんなシリアスな場面で、ふざけるわけないじゃないですか」
「……お前くらいだよ……私と言い争えるやつなんて」
小林先生は呆れながら言った。
この辺りが退き時だと思い、最後に俺は小林先生に伝えられることだけは伝えた。
「だったら相性もいいんでしょうね……それから、真面目な話。俺が雫さんに話そうと思ったのは、好意を寄せられていることに気づいたからです」
「……鈍感のお前にしては、よく気づけたな。つかやっぱりさっきは、ふざけてたんじゃねえか」
俺の言葉を聞いた小林先生は、笑いながら俺の額を指で小突きツッコミを入れた。
『え?本当に、柏木くんと小林先生って付き合ってるの?』
『あんなこと恋人同士じゃないと、やんないよね?』
『だったら普通に、小林先生のこと許せないな~』
小林先生の行動を見て、周りの生徒達がまたしても、騒ぎ出した。
おまけに今度は俺にもはっきりと聞こえる大きさでだ。
「だから、違うといってるだろ!」
小林先生が必死に言い聞かせている姿を、俺は温かく見守った。
誤解を与えたのは小林先生なので、俺からは特に言えることはない。
「それじゃあ、小林先生。後は頑張ってくださいね」
他に用件もなく、次の授業の準備もしなくてはいけないので、これで失礼することにした。
それに楽しそうに他の生徒とスキンシップをとっている小林先生の邪魔もしたくない。
「教室に戻る前に、お前からもなんか言ってくれ!」
ほとんどが小林先生の自業自得だとは思うが、一応俺にもからかった責任はあるので、ここは責任をとって最後までからかわなければいけないだろう。
「……愛してますよ」
俺の発言直後、あからさまに廊下にいる周りの生徒達の騒めきが大きくなった。
さすがに自分でも大胆な事を言ったと思う。
「ふざけんなー!なんで爆弾発言を言い残してくんだよ!」
背中に小林先生の怒声を浴びながら、俺は教室へ戻った。
一時間目の授業が終わり、俺は三年生の教室へ行った。
理由は火曜日に山吹先輩の家へ行った際に、山吹先輩を除く生徒会メンバーの気を失わせた雪の料理を持ちかるために借りたタッパーを、山吹先輩に返すためだ。
その山吹先輩のクラスは分からなかったものの、何とかなるだろうと思い歩いていると、何とかなるだろうが今は会いたくない人が現れた。
多分だが三年のどこかのクラスで授業を終えた後の、小林先生だ。
絶対に一時間前のことを根にもっていて、見つかったら何かしら言われるだろう。
何とかバレないようにしようと思った矢先、呆気ないほど簡単に小林先生と目と目が合った。
「柏木。さっきはよくもやってくれたな。こっちから会いに行く手間が省けた」
そう言いながら小林先生は俺の下へ、すさまじい速さで駆け寄ってきた。
「だから、顔が近いですって。このままじゃ、キスしちゃいますよ?」
勢いがありすぎて、完全にさっきの二の舞だ。
二年生の次は三年生の生徒達が、俺達を見てヒソヒソと会話を始めた。
「お前といると、リズムが狂う……」
小林先生も距離の問題に気づくと、二度目ということもあり慌てずに俺から距離をとり、頭を抱えていた。
これ以上からかうと嫌われるかもしれないので、今回は真面目にふざけずに会話をしようと思った。
「まぁ、俺は小林先生といるのは、楽しいから好きですけど」
「……またからかってるのか?」
何故か小林先生は、俺の言葉を偽りだと判断した。
自分が思っていたよりも、からかいすぎていたようだ。
「今回は、本気ですよ。加減ってものは、わかってますから」
表情も引き締め、真剣な眼差しで訂正を図った。
すると小林先生は大きく目を開き固まったと思えば、小刻みに震えながら少しずつ後ずさりを始めた。
「ほ、ほ、本気だと?!……か、考えさせてくれー!」
そのセリフを言い残し、小林先生はあっという間に遠くへ走り去って行った。
何故急に逃げるように去り、加えて何を考えさせてほしいのかという、いくつかの謎を残された。
結局山吹先輩の教室も訊けず仕舞いだ。
「はぁ……出直すか……」
小林先生とのやり取りで、もやもやが残り、気が進まなくなったので、一旦諦めようと思い教室に戻ることにした。
その事をなんとなく呟き、来た道を戻ろうと振り向いた途端、誰かが俺の肩に手をおいた。
「はは……相変わらずだな。柏木」
顔を見ずとも、それが山吹先輩なことは声で分かり、もう一度振り返った。
「山吹先輩……なんで笑ってるんですか?」
振り向き、正面にあった山吹先輩の顔は笑っている。
何かは分からないが、またしてもやらかしてしまったようだ。
「そりゃあ、目の前で小林先生を口説いてたら、笑っちまうよ」
「口説いてませんって!どうしたら、そう聞こえるんですか?!」
山吹先輩が笑っている理由は分かったが、納得はいかない。
「普通にそう聞こえるよ。周りを見てみろ」
確かに小林先生が去った今も、周りの生徒達は俺を見て小声で何かを話している。
山吹先輩が言うように、俺以外は本当に告白したと思いこんでいるようだ。
今なら一時間前の小林先生の気持ちが嫌というほどわかる。
(後で、小林先生にお詫びしなきゃだな……)
ただ取り敢えず今は、誤解を解くことが先だろう。
小林先生の前例を見ているからか、それとも誤解されている相手が小林先生で嫌ではなかったからかは分からないが、先生の様に慌てることはなかった。
「さすがにこんな大勢の前で告白する勇気ないですよ。友達とか一緒に居て楽しい人って、山吹先輩にもいますよね?」
一応山吹先輩に言っている体だったが、周りにも聞こえるくらいの大きさで言った。
「ま、お前のことだから、そんなことだろうと思ってたがな」
どうやら山吹先輩は初めから俺が告白したとは、思っていなかったらしい。
そう考えると、少し意地悪をされた気分だ。
『なーんだ。やっぱりそうだよね』
『小林先生とじゃ、年の差もあるもんね』
一方で周りの生徒達の誤解は、発言からして解けたと思っていいだろう。
「それで柏木。お前何でこんな所にいるんだ?」
誤解が解け、山吹先輩がしてきた質問のおかげで、忘れていた本来の目的を思い出せた。
「そうでした。俺、山吹先輩に用があったんです」
「ん?会長じゃなくてアタシにか?」
意外だったのか山吹先輩は目を丸くしていた。
これだけでも、生徒会にとっては俺と雫さんの組み合わせが慣れ親しんだものだと分かる。
小林先生の意見とは百八十度違う。
それでも用事があるのは、山吹先輩だ。
「はい。この間借りたタッパーを返しにきたんです」
そう言いながら俺は、手にぶらさげていたタッパーの入っている紙袋を山吹先輩に渡した。
「あぁ、そういうことか。一応訊くが、それに入っていた有明の料理はどうしたんだ?」
四人も気絶させた料理の行方を気になってか、受け取りながら訊ねてきた。
タッパーを借りる際に、俺が食べることを伝えたはずだが、さすがにあの料理を食べるなんてことを信じられなかったのだろう。
「もちろん全部食べましたよ。あいつが、俺のために作ってくれたものですから」
「やはり、優しいな。だがそれが原因で、昨日は熱を出したんじゃないのか?」
原因は間違いなく発作なのだが、不思議と雪の料理が原因に思えてきた。
雪の料理に慣れてきたとはいえ、はたして生徒会四人を倒した料理をお咎めなしで乗り越えられるだろうか。
「ま、まさか。悪い冗談はやめてくださいよ」
苦笑しながら俺は山吹先輩の言葉や、自分の疑問を否定した。
過ぎたこととはいえ、仮に雪の料理が俺の発作と同等の症状を引き起こしたと思うだけで怖い。
「可能性の話だ。ア、アタシなりにも、お前のことが心配だったんだよ」
山吹先輩が俺から視線逸らして言ったことで、山吹先輩には珍しく照れているのが理解できた。
それにより俺まで、照れてしまった。
「あ、ありがとうございます……心配してくれて」
「お、おう……」
お互い照れているせいで、その後の言葉が思い浮かばず、目も合わせられないまま二人の間に独特な甘い空気が漂っていた。
好意を示されたわけでもないのに、気まずい。
「そ、それじゃあ。用も済んだんで、俺はこれで」
この空気を打開すべく選んだ方法は、逃げることだ。
雫さんや初瀬川先輩に遭遇したら、それこそ面倒なことになりかねない。
「あ、あぁ。わかった。それと、アタシから小林先生に、さっきのは誤解だと伝えておいてやるよ」
「え?いいんですか?……でもどうして急にそんな提案を?」
面倒見がよかったりと、山吹先輩が優しいことは知っているが、どうして誤解を解く提案をしてくれたのかは、分からなかった。
「次の授業の担当が小林先生だからな……それに妹達といい、お前には世話になってるしな」
感謝される様な事をした覚えはなかったが、この厚意に甘えることにした。
「なら、よろしくお願いします」
感謝の意を込めて頭を軽く下げたことで視線も下がり、俺の視線は山吹先輩の足へと向いた。
すると山吹先輩のスカートから出ている足が日本ではなく、四本に見えた。
そこでようやく、山吹先輩の後ろに誰かがいることに気づいた。
今まで気づけなかったということは、山吹先輩よりも身長が低い人になる。
だが、女子としては身長が高い方の山吹先輩よりも、身長が低い人となるとその数は多い。
それでもこんな事をする人の目星はついている。
顔を上げると、山吹先輩に気づかれないよう背伸びをし、人差し指を唇に当て静かにするよう懇願している雫さんの姿が見えた。
わざわざ隠れる必要があるのだろうか。
「……雫さん。何してるんですか?」
「なんで言っちゃうかな~」
秘密にしてろとのことだったが、居る事を言ったので当然雫さんに怒られた。
だが俺としては、これから助けてくれる山吹先輩に知らせるのが義務だと思った。
「会長!いつからいたんだ?!」
山吹先輩の立場からしたら、突然背後から声がしたかと思えば、いつの間にか至近距離に雫さんが居たことになるので、驚くのは当然だ。
雫さんの方を山吹先輩が振り向いた途端、雫さんが山吹先輩の左右の頬を両手で引っ張った。
「はひふんは?!」
痛くないよう加減して引っ張てはいるようだが、山吹先輩は不機嫌そうな顔をしている。
山吹先輩は『なにすんだ』と言い怒っていたが、それは雫さんも同様だった。
「最後まで隠れて会話を聞いていようと思ったけど、バレたら仕方ないよね……叶ちゃん。私は見損なったよ」
つねっていた頬をから手を放した雫さんが、腕を組み目を瞑って、俺達の周りを囲う様に歩きながら言った。
どこかのお偉いさんの様な姿だ。
「一体何を見損なったと?」
雫さんの態度に呆れながら、山吹先輩は歩き回っている雫さんを視線でおい訊ねた。
「いつも『私は柏木には、なびかないから』的な雰囲気を出してるくせに、さっきの叶ちゃんらしくない照れた反応は何?」
「いや、それは……」
何か弁明をしようとした山吹先輩だったが、雫さんはそれを聞こうとはせず、自分の意見を一方的に発言した。
「それに自分の好感度を上げるために、柏木くんを助けるのは分かるけど。自分の考えや気持ちを素直に言う叶ちゃんが、妹達を隠れみのに使うなんてがっかりだよ」
ずっと放置されている俺からしたら、雫さんの考えすぎな気がする。
第一、山吹先輩が俺に好意を寄せているわけがない。
「会長。妄想しすぎだ。ほら、柏木。そろそろ時間だから教室に戻れ」
やはり山吹先輩も、雫さんの考えを否定した。
おまけに俺のことも気にかけてくれた。
ただ山吹先輩は顔を俯かせていたので、雫さんに対して怒っているのだろう。
こういう時は、本人の言う通りにした方がいいのは分かっている。
「わかりました。では、今度こそ失礼します」
俺は二人に会釈をし、山吹先輩に言われた通りにその場を後にした。
『何も柏木の前で言うことないだろ!』
『叶ちゃん。逆ギレはみっともないよ~?』
俺がまだそこまで遠ざかっていないのに、二人が言い争う声が聞こえてきた。
できることなら、俺がいなくなってからにしてほしい。
いったい何の話をしているのだろうか。
気にもなったが、俺が間に入ったらややこしくなりそうだったので、ここは触れずにおこうと思い、振り返りはしなかった。
そして俺にとって本日の二大イベントの一つである、雫さんに俺の過去を話すために、俺は授業が終わりすぐ一人で屋上に移動した。
屋上に来るのも一週間ぶりだ。
たったの一週間なのに、屋上からの風景が懐かしく思える。
雫さんが来るまでは、小林先生に教えてもらったこの景色を眺め、心を落ち着かせようと落下防止の柵に寄り掛かろうとしたと同時に、突然屋上のドアが開いた。
「お待たせ。柏木くん」
俺が屋上に来てたから一分も経たないうちに雫さんが訪れ、真っ直ぐ俺の隣まで進み、寄り添う様にして雫さんもまた柵に寄り掛かった。
思っていたよりも雫さんの到着が早く、改めて心の準備をする時間はなかったので変に緊張している。
葵さんや暦さんに話した時は、突発的に話そうと思ったので、緊張は不思議となかった。
だが今回はこの街に来てから話すのは三回目で、それも前もって話すことを決めていたので、緊張もしないと思っていたのだが実際はそう都合よくいかなかったようだ。
顔には出さないようにしていたが、手が汗ばんでいるのが分かる。
「……ねぇ。柏木くん。珍しく緊張してるでしょ?」
雫さんの前では隠すだけ無駄だったらしい。
「よくわかりましたね」
「昨日も言ったでしょ?好きな人の異変は見逃さないって」
改めて告白されたことで、もう逃げられないことを悟った。
諦めと決心は一見違うようだが、同じなのかもしれない。
「……雫さん。俺も昨日言ったように、今から大事な話をします」
「そういう約束だったもんね。横やりを入れないで、黙って聞くよ」
雫さんは聞く準備ができたようで、目を閉じ伸び伸びと屋上に吹く風を気持ちよさそうに、あびていた。
俺としてはそのままリラックスした態勢で聞いてほしかった。
「……雫さんの気持ちは素直に嬉しいです。けど今の俺には恋人をつくることとか、考えられないんですよ」
「もしかして私、フラれてるのかな?」
横やりを入れないと言っていた雫さんだったが、早々に口を挟んできた。
閉じていた瞳を薄っすらと開け、その瞳は潤み悲しさを表している。
「いや、フるフラない以前の問題なんです。過去とケリを着けて、トラウマを克服しない限り、前を向けないんです」
俺は少しでも強気に振る舞うために、作り笑顔を浮かべながら話した。
容量の悪い話し方にも関わらず、雫さんはあれ以降再び目を閉じ、まるで子守歌を聴くようにして、俺の話に耳を傾けている。
そんな雫さんを見て、暗さを見せないよう、声のトーンを上げた。
「ここでちょっと、昔話をしますね。中学生の頃、俺はある同級生の女の子に告白されて、俺はそれを受けなかったんです。その後にその子と少しいざこざがありまして、話をするためにその子に家に行ったんです」
今回は雪には何も言わずに話しているので、雪の事は秘密にした。
なにも雪の過去まで喋ることはない。
「そして話し合って和解できたんですけど、その子に出されたお茶の中に即効性の睡眠薬が入ってまして……それに気づかず飲んだあげく、気づいたら拘束されててレイプされたんすよ」
葵さんに話した時、丁度この話に差し掛かった時の葵さんの表情は暗く、電話越しとはいえ暦さんもあの時の口調からして同じだったはずだ。
ただ、今隣にいる雫さんは同情などせず、変わらぬ表情で聞き続けていた。
「で、そのことがきっかけで、俺は女性と話すだけで発作が起きるようになっちゃって。情けないですよね……ハハハ」
笑ってはみたものの、自分を騙すのは意外と心が痛む。
「……柏木くん。そこはふざけるとこじゃないよ」
「痛っ」
ここでようやく口を開いた雫さんからのお言葉は、説教だった。
同時に俺の頬を抓り、心だけでなく物理的に頬にまで痛みが走った。
「こんな時まで気を遣わないで。こんなんじゃ気は紛れないと思うけど……私の前では辛い顔したっていいんだよ?」
そう言って、雫さんの手は俺の頬から、俺の手へ移し優しく握りしめた。
その行為はまるで雪が俺を慰める行為と同じだ。
「雫さん。ありがとうございます。けど、俺は人前じゃ辛い顔を見せるのは極力避けたいんですよ」
雫さんの言葉は嬉しかったが、俺には俺の想いがある。
「……私と同じだね」
「え?」
そして意外にも雫さんは俺の言葉に同意した。
先程とはうってかわって、雫さんの表情に曇りが見える。
「柏木くんの気持ちはよく分かるから、これ以上無粋なことは言わないよ。それより、いくつか質問していいかな?」
俺も雫さんの異変を見逃さなかったが、俺と違って本人がそれに触れられることを避けたいじょう、訊くことはできない。
ここは大人しく雫さんの質問とやらに答えるべきだろう。
俺の話もまだ途中だったので、質問というのは説明不足だった部分の追及のはずだ。
「いいですよ。それで質問ってなんですか?」
承諾すると、雫さんは俺の手を放した。
「凄く重大な事なんだけど、柏木くんは私と居て大丈夫なの?発作が起きるんじゃ……」
雫さんが最初に訊いてきたのは、質問というよりは心配事だった。
話が途中だったために、雫さんは今の俺も女性全般が苦手だと勘違いしている。
だから手を放したようだ。
「大丈夫ですよ。さっきのは去年までの話で、今は一部を除いた同い年の女の子だけです」
俺は自分の言葉を証明するために、今度は俺の方から雫さんの手を握った。
「そういうことは先に言ってよ。本気で心配したんだから」
安心すると雫さんは、俺の手を握り返してきた。
それもさっきよりも強くだ。
「先に言うも何も、雫さんが頬を抓って、話を遮ったんじゃないですか。『横やりを入れない』って言ってたのに」
「それは、柏木くんが笑ったりしたのが原因だと思うけどな」
「俺の気持ちが分かる的なこと言ってたくせに、そういうこと言いますか……って揚げ足を取り合うのは、やめましょう」
本気で言い合っていたわけではないが、これほど時間を無駄にする責任のなすりつけはないと、言った後に気づいた。
雫さんと言い合っても終わりは見えないし、正直どちらが原因かなんてどうでもいい。
「そうだね……話を戻そうか」
雫さんも俺の意見に賛同してくれ、程無くし言い合いは終わった。
「それでさっき、疑問が増えたんだけどさ。萌ちゃんや空ちゃん。それに有明さんや葵ちゃんや巨乳ちゃんも、クラスの娘達も、同い年の女の子だよね?普段はどうやって対処してるの?」
これも当然思い浮かぶ疑問だ。
質問に答えるため、俺は制服の内ポケットに常備しているピルケースを取り出し雫さんに見せた。
「精神安定剤……つまりは薬ですよ。一日四回まで、発作の症状が起こる前に飲んでるんです。ちなみに先日熱を出したのは、薬を飲まなかった影響です」
「なるほどね~。前に生徒会室で隠れて食べていたラムネ菓子ってのも、薬だったんだね」
おそらく雫さんが言っているのは、対決した時のことだ。
その事を覚えていたのには驚きだが、考えてみれば隠れてラムネ菓子を食べていたら不思議に思い、印象に残っていたかもしれない。
「正解です。もっともあの時みたいに至近距離で何十分も関わっていたら、薬の効き目も短いですが、ほとんど関わらなければ、一錠で何時間ももつんですよ」
母さんが作っている薬を自慢するように、一度カタカタと音を立ててピルケースを振り、それが済むと見せ終わったので内ポケットに戻した。
「とまぁ、そんな感じで薬を使ってなんとかしてます。ただ雪と葵さんと光さんは別です」
「『一部を除いた』っていうのが、その三人なんだね。でも、どうして三人は平気なの?」
それは俺も最近まで気になっていたことだ。
だがそんな疑問も二つの共通点を見つけてしまえば、なんてことはなかった。
一つは三人とも過去に何かしら辛い思い出や出来事を抱えていたこと。
ただこの事を話せば、三人の事情も雫さんに話す必要性もでてくるので、一つ目の理由は話さず二つ目のみ話した。
「俺の……こんな弱い部分を受け入れてくれたからです。それも俺の身体が汚れてても軽蔑しないで」
加えて雪だけは、一緒に居る時間が長かったことも関係しているが、その事を言う必要はないだろう。
それに同い年ではないが、暦さんや偶然聞いた小林先生も話した後も変わらず、むしろ積極的に関わってくれている。
他にも桜さんや椿ちゃんといった、話してから仲良くなった人もいる。
「それはきっと、そんなことが気にならないくらいに、柏木くんが魅力的だからだよ。現に私だって軽蔑はしてないもん」
俺を慰めてくれたのか分からないが、雫さんは言葉をかけながら距離を詰め、俺の肩に頭をのせてきた。
体を密着させることで本音であることを証明してくれたのだろう。
だがそんな甘い時間も、雫さんの質問ですぐに終わった。
「……ねぇ、この事って他に誰が知ってるの?」
話の流れとは多少ずれている質問だと思ったが、意味もなく訊くはずもない。
「俺が直接話したのは、雪と葵さんと暦さんです。それでたまたま知ったって人は、光さんと小林先生です。後俺が発作持ちってことだけを知ってる人はそこそこいます」
直接話した人物には桜さんと椿ちゃんもいるのだが、二人のことは当然話しはしない。
「ふーん。そっか……私で六人目か……えい!」
何かに納得すると、雫さんは突然俺に抱き着いてきた。
場所といい、突然のタイミングといいあの時の様だ。
「柏木くん。最初に抱き着いた場所もここだったよね……だけど今回は理由が違うの」
「理由……ですか?」
あの時は雫さんと大事な話をしているのを覗き見していた雪や葵さん達を、からかうためだった。
今回そうではないことは、雫さんの声で十分に伝わっていた。
「うん。今回は好きな人を肌に感じて、決意したことを宣言するためだよ」
「……ちょっと、雫さん?!」
雫さんの言葉に照れる暇も与えられないうちに、俺の顔の真横に背伸びをして自分の顔をもってきた。
丁度、俺の耳元で囁くようにだ。
ついでに抱きしめる力も強くなった。
「柏木くん。何も言わずに黙って聞いて」
「は、はい」
困惑しながら返事をすると、小さく息を吐いて言葉を続けた。
「実は私ね。ここに呼ばれた時、告白受けてもらえるんじゃないかって期待してたんだ。けど聞かされた話は期待してたのとは、全然違ったんだけどね」
「……なんか、すみません」
雫さんの気持ちを考えると、申し訳なくなり、『黙って聞いて』と言われたが謝った。
それでも先程の様に無駄な言い合いに進展することはなく、雫さんは静かな声で続きを話してくれた。
「謝らないで。どちらかと言ったら、柏木くんが自分の秘密話してくれて嬉しかった……それに他の娘達が一線を越えない理由もわかったしね」
(他の娘達が?)
俺の話しかしていなのに、雪や暦さんの気持ちがわかったというのは、どういうことだろうか。
この疑問を訊ねる前に雫さんの方から語りだした。
「みんな、柏木くんが過去とケリを着けるのを待ってる。そうじゃなきゃ、柏木くんを苦しめると考えてるから……確かに普通はそう考えるけど、私は違うよ……」
「っ?!」
完全に不意を衝かれた。
気が付けば、雫さんの顔は目の前に移動し、一瞬だけだったが俺の唇を雫さんの唇で塞がれていた。
そして次の瞬間には、雫さんの顔は俺の胸に顔が見えないよう、ピッタリとくっつけられ、その体温は明らかに熱くなっている。
「びっくりした?初めてだったから、ドキドキが止まらないよ……」
目を丸くしている俺に雫さんは、照れながら訊いてきた。
純情なくせに大胆な行動にでたもんだ。
「びくっりしたっていうよりは、キスされたわけが理解ができてないです……」
もちろん驚き、表情にも出ていたが、不思議と冷静ではいられた。
それどころか照れた雫さんを可愛いと思う余裕さえある。
ただ、そんな冷静な頭で考えても、俺が言ったようにどうして口づけされたのか、分からなかった。
「……これが私の決意ってこと。みんなと違って、私は積極的に一線を越えようと試みるよ。柏木くんにとっては、ショック療法みたいな感じかな。まぁ私の勇気次第なんだけどね」
「お手柔らかにお願いしますね」
今後雫さんには、雪よりも激しく迫られそうだ。
正直、雫さんの宣言は不安でもあるし、俺自身過去にケリを着けれるまで雫さんに迫られる度に拒み続けるだろう。
それでも雫さんの宣言も一つの可能性であるいじょう、変わりたいと願う俺は雫さんのためにも否定しないことを選んだ。
「そ、それじゃあ、早速……こっちの、は、初めても……」
「ちょっと!なんでいきなり制服、脱ごうとしてるんですか?!」
いくらなんでも早速過ぎる。
雫さんが制服を脱ごうとボタンを外し始めたあたりから、俺は慌てて両目を片手で塞いだ。
「だ、大丈夫!柏木くん……わ、私も、は、はじ、初めてだから」
「いや、俺は初めてではないんですけどね」
雫さんにそうテンパられると、こちらも調子が狂う。
まさか自虐のツッコミをするはめになるとは、思ってもいなかった。
「それから、今はその時ではないと思いますよ?」
「……へ?」
「間宮。流石に教師としてそれ以上は見過ごせないな」
俺が忠告すると同時に小林先生が雫さんの両肩に手を置き、強引に俺から引き離した。
雫さんからしたら背後から忍び寄られていたので、俺と違って気づいてはいなく、大分驚いていた。
逆に俺は手で隠していたとはいえ、偶然指の隙間から見えてしまった。
断じて指の隙間から雫さんの制服を脱ぐ姿を見ようとしたわけではない。
ただ、止めてもらえて、助かった。
「まぁ、今後もし学校でやる時は私も交ぜろ」
「それは助かります。私、初めてだから知識が乏しくて」
「実は私も、この年でまだだから助かるよ」
『ははは』
俺の意思を完全に無視して、二人で勝手に話を進めている。
小林先生に関しては、言ってることが滅茶苦茶だ。
何より二人とも笑っているが、俺にとっては笑いごとではない。
今の俺のままだったら、きっとあの時のことを思い出して、相手が同い年の娘じゃなくても発作が起こるだろうし、雪も黙っているはずがない。
この際、二人の話を聞かなかったことにして、こっそりこの場から立ち去ろうと思った。
「……まぁ、待て。柏木。何も今すぐに襲うってわけじゃないんだ」
歩き出して数歩で、小林先生に呼び止められた。
どうやらさっきの話が本気でないことを願う。
「それじゃあ、何故止めたんですか?そもそも何でここにいるんです?」
俺は観念して立ち止まり、小林先生と会話することにした。
「用が二つほどあるからだ。一つは先程、急にお前から逃げたことだ。あれを告白と感じた私が悪かった」
山吹先輩の言う通り、告白と思われていたらしい。
「いや、謝るのはこっちですよ。すみません。想いを伝えるのって難しいですね」
取り敢えず、俺の方からも小林先生に謝ることはできた。
これで俺が抱えている多々ある問題の内、一つは解決した。
「そうだな。今の段階でお前が誰かに告白するなんてあり得ないのは、頭では分かってるんだがな……」
雫さんが告白した時に言っていたことも、同じようなことを言われた。
言葉を自分が都合の良いように、つい受け止めてしまったといったところだろう。
小林先生は笑いながらそれを言い終えると、パンと手を叩き一拍いれた。
「さてそれで二つ目だが、お前らには今から支度をしてもらって、美嶺学園に向かってもらいたい。もちろん他の生徒会役員や有明も一緒に」
話からするに、二つ目の方が本題みたいだ。
それも内容からして、のんびりと話している場合ではないかもしれない。
「えっと……それって会議の場所が変わったってことですか?」
俺と美嶺学園との繋がりが、放課後にある会議しかない。
当日にそれも今からとなると、随分急な話だ。
「その通りだ。向こうの都合でな。午後の授業は公欠扱いになるから、気にせずすぐに準備をしてくれ。昼休みが終わる頃に迎えの車が来る」
言葉の途中から小林先生は俺と雫さんの背中を押し、出入り口へと導いた。
おそらく昼食をとる時間を考えて、小林先生は急かしているのだろう。
だが雫さんとじっくり話すつもりでいたので、昼食は用意していなかった。
それは昨晩うちに泊まった雫さんも同様にだ。
なので急ぐ必要性は感じられない。
「まだ時間もありますし、もっとゆっくりしてもいいんじゃ……ねぇ?雫さん……雫さん?」
雫さんに同意を求めて問いかけると、雫さんは難しい顔をして何かを考えていた。
「……先手を打たれたか……時間がないし、柏木くん着いて来て」
「え?」
数分前の告白が嘘だったかのように、いつもの雫さんに戻っている。
何が何だか分からず、説明もされないまま雫さんに手を引かれ、俺と雫さんは屋上を後にした。




