三話 第九章~スレ違いの行方~ 葵vision
前日の放課後、クロエさんの話を聞いた私たちの依頼に、今まで消していた可能性がまた浮上した。
それは孝太さんがクロエさんの恩人かもしれないということだ。
元々可能性はゼロではなかったが、『孝太さんであってほしくない』という私情も交ざって、半ば強引に孝太さんの可能性を消していた。
だが約束した以上、それが孝太さんだとしても最後までクロエさんのためにやり通さなければいけない。
そして現在、私はその決意と共に、いつものように孝太さんと雪さんを一緒に登校するために待っている。
当然光や薫もおり、私は起きてるのか寝てるのか分からない薫を放っておいて、光と会話をしていた。
「ねぇ、葵。昼休みに孝太さんとクロエさんを会わせる前に、朝のうちに孝太さんにクロエさんのこと聞いておかない?」
「うん。私もそう考えてた。気になってしょうがないもんね」
会話の内容は、今日これからのことだ。
光も私と同じ意見で孝太さんには、事前に訊いておいた方がいいとの判断らしい。
おそらく理由も私と同じで、今聞けば、結果がどうあれ昼休み前にクロエさんに教えることができるというものだろう。
早く伝えればその分、クロエさんも心の準備もできるはずだ。
もちろん先程述べたように、気になっているからというのもある。
すると光は、急に元気なく呟いた。
「そうだね……でも、クロエさんの探し人が柏木くんだったら、また強力なライバルが増えちゃうよ」
「ドジっ娘の後輩だもんね。孝太さんの性格からして、放っておけないタイプだろうし」
光の発言に頷きながら続けた私の言葉は、それこそ孝太さんであってほしくないという私情を意味している。
私まで落胆し、二人揃って俯きいてため息を漏らすと同時に孝太さんの家のドアが開き、私たちに語りかける声が聞こえてきた。
「ねぇねぇ。ライバルって誰のこと?」
「誰かと戦うんです?」
「いや、湖上。そこは普通に考えて『恋のライバル』ってことでしょ」
(……ん?)
しかし聞こえてきた声は、いつも聞いている孝太さんや雪さんのものではなかったが、声の主たちが誰かはわかった。
それでもその人物たちが孝太さんの家にいることには、素直に驚き、慌ててドアへと目を向けた。
そこには、会長さん、西口さん、湖上さんという先程声を発した三人と、黙って本を読んでいる一文字先輩の姿があった。
ずっと眠そうに目を瞑っていた薫も、生徒会四人の登場に今では目を見開いている。
「お姉……私、さっきまで眠さと闘ってたからこの状況、わからないんだけど。どうして生徒会の人たちがいるの?」
「薫。私はずっと起きてたけど、全く状況がわからないよ」
「右に同じく」
この状況を理解できない私たち三人は、目を半開きにして柏木家の玄関先を見つめながら、会話をした。
ここ数日、孝太さんたちが生徒会の依頼をあれこれ受けているが、孝太さんの家にいる理由がわからない。
加えて、昨日孝太さんは学校を休んだのだから、なおさら生徒会の人たちがいるのはおかしい。
「あの、なんで生徒会のみなさんがいるんですか?」
私たちを代表して、薫は沈黙を破り、率直に質問した。
それに対し、向こうは会長さんが口を開いた。
「みなさん。ごきげんよう」
会長さんから返ってきたのは、質問の答えではなく、制服のスカートの左右の縁を両手でつまみ上げ、足を交差し頭を下げるといった気品ある挨拶だった。
普段の会長さんならけっしてやらないような挨拶なので、質問を無視された私たちにとっては、イラつくだけだ。
「会長。三人が怒ってますよ」
会長さんの隣にいた西口さんが、いち早く私たちに気づき、呆れながら会長さんに注意をしてくれた。
どうやら、西口さんたちにとっても予想外の行動だったらしい。
「そうね。きっと放課後は私たちが、あんな顔になるんだろうね」
いつもなら、雫さんはここで笑いながら謝る場面なのだが、今回は何故か肩を落としている。
確か今日の放課後、会長さんたちは美嶺学園との会議があったはずだ。
会長さんの言葉からして、そのことが何故かよっぽど嫌なのだろう。
先程の挨拶ももしかしたら、お嬢様方と会う予行練習かもしれない。
だが仮にそうだとしても、私たちにはやはり関係ないので、質問にはちゃんと答えてほしい。
「あの。ブルーな気持ちになってるところ悪いですけど。みなさんがいる理由を、まだ聞いてないんですけど」
痺れを切らした光が強めの口調で光さんたちに、もう一度問いかけた。
「そういえば、そんなこと訊かれてたね……私たちがいるのは、柏木くんのお見舞いにきたからだよ。それと『みんな』って言ってるけど、叶ちゃんはいないからね」
今度こそ会長さんは答えてくれたが、私たちの質問に答えるのすら面倒くさそうな顔で説明してきた。
そのわりには、山吹先輩がいないことの補足説明はしてくれている。
ただ、会長さんの説明に納得いってるかと言われたら、それは別の話だ。
「お見舞いって、こんな時間にですか?」
私が納得していなかったのは、この朝早い時間に、それも孝太さんが休んだのは昨日だったからだ。
なので次は私が雫さんたちに質問をした。
「……いや、見舞いに来てくれたのは昨日なんだよ」
『孝太さん!』
「柏木くん!」
私の質問に答えたのは、生徒会の誰でもなく遅れて家から出てきた孝太さんだった。
孝太さんの登場に私たち三人は反射的に、孝太さんの名前を呼んだ。
一日会えないことは前にも休日の都合であったが、今回はおそらく発作の影響で熱を出して孝太さんは学校を休んでいたので、心配していたぶん会えたのが嬉しかった。
「雪から聞いたよ……心配させてごめんね」
二言目には孝太さんは、軽く頭を下げ謝った。
「いえ、気にしないでください。私たちが勝手に心配してただけなので……それより、さっきの『昨日来たって』どういうことですか?」
孝太さんに謝られると照れくさくなり、話を戻した。
それにこれ以上その話をしたら、私や光が孝太さんのことを好きなのがバレてしまう。
話を戻したことに孝太さんは何も疑わず、答えてくれた。
「それなんだけどね。昨日の放課後に山吹先輩を含めて、見舞いに来てくれたんだ」
「まぁ、会長は抜け駆けして、一人で先に来てましたけど……」
補足するかのように、西口さんが孝太さんの説明の途中に口を挟んだ。
よほど根に持っていたのか、西口さんは睨みとはまた違う冷たい視線を会長さんに送っている。
「その件については、謝ったじゃない」
一方で雫さんは、頬を膨らませた不服そうな顔で言い返していた。
孝太さんはそんな二人のやり取りにを気にも留めず、話を続けた。
「それでその後、二時間くらい滞在して帰ったんだけど。それから一時間後にまた雫さんが来たんだよ」
「え?何しにまた来たんですか?」
普通なら忘れ物をしたという理由だろうが、相手が雫さんということもあり嫌な予感がしたため、念のため聞いておいた。
「『忘れ物をした』っていう口実で来て、ずっと居座り、最終的には泊まっていったの……」
『は?!……って!雪さんいたんですか?!』
「二人とも、今頃気づいたんだ……」
会長さんの行った孝太さんの家に泊まるという許し難い行為に驚いたが、それと同じくらいに、いつの間にか居て孝太さんにもたれかかっている雪さんに、私も薫も声を大にして驚いた。
どうやら光は雪さんの存在に気づいていたらしく、私と薫に対し苦笑いを浮かべている。
だが当の雪さんは失礼なことを言った私たちに、なんの反応を示さなかった。
それどころか、顔色は優れず昨日よりも目の下の隈がはっきりと濃くなっている。
「雪さん、どうしたんですか?もしかして、今日は雪さんが具合悪いんじゃ……」
「ハハハ……ただの寝不足だよ。こうやって、こうちゃんにベタベタしてたら回復するから」
私の心配を雪さんは笑って一蹴した。
フラフラになりながらもいつも通りの雪さんで、寝不足なら寝れば治るだろうに、孝太さんとくっついていたらそれこそ本当の治療法に思え、不思議と嫉妬よりも安心が勝った。
そこで次に頭に過ったのは、どうして二日連続で寝不足になったかだ。
前日は孝太さんを看病していてだったので仕方ないが、今日は明らかに会長さんが関係しているだろう。
「雪さん。どうして昨晩寝なかったんですか?」
「会長さんたちが泊まってたんだから、こうちゃんに手を出さないように見張ってないといけなかったんだよ」
訊いてみると、やはり読み通り雫さんが原因だった。
ただ、孝太さんの家に居れなかった私や光からすれば、雪さんの行為は有り難かった。
『お疲れ様です』
私と光は感謝の意を込めて、雪さんに労いの言葉をかけた。
雪さんのことだから、きっと孝太さんを守り抜いたことだろう。
すると、すっかり目を覚ました薫が、生徒会のみなさんに話しかけた。
「あの、薄々気づいてたんですけど。『会長さんたち』ってことは、他のみなさんも泊まったんですか?」
会長さんのことが衝撃すぎて、頭の中が会長さんの件でいっぱいだったので、他の三人のことを忘れていた。
薫が訊いてくれたおかげで、他の生徒会メンバーのことを流さずにすみそうだ。
「はい。私は柏木くんと有明さんが一緒に住んでるって聞いて、王子様である柏木くんが心配になったから、一度家に帰って泊まる用意をして戻ってきたの。まぁ、既に会長はいたけど」
まず答えたのは西口さんだった。
正直、西口さんの言い分はよくわかる。
私も孝太さんたちが一線を越えないか不安ではあるので、孝太さんのことを好きな人からしたら、当然の行動なのかもしれない。
「私は昨日無理させたと思ったので、昨晩は監視の意味を含めて、泊まりにきたです」
次に答えた湖上さんの言い分も、同乗の余地はある。
おそらく孝太さんが無理をして起こした発作の症状だったのだろうが、発作のことを知らない湖上さんはお店を手伝わせたことで疲れさせてしまったと、責任を感じたのだろう。
実際は孝太さんと二人きりにさせた方が、孝太さんを追い詰める結果になるのだが、そのことは黙っておいた。
「……私は会長にメールをもらったから、泊まりに来た。それと孝太の家に来た順番としては、私は最後だった」
最後に答えた一文字先輩の理由は、一番普通だったのだが、人付き合いの無い一文字先輩が孝太さんにだけ心を開いている事実を踏まえると、素直に受け入れられない気持ちだ。
そうして一文字先輩はそれだけ言うと、視線を本に戻し、交代して今度は会長さんが口を開いた。
「ちなみに叶ちゃんにもメールは送ったんだけど、妹たちの面倒があるからって断られちゃった」
山吹先輩が断ったのは、きっと孝太さんの迷惑にならないようにするためでもあるだろう。
変人ぞろいの生徒会で、一番の常識人だと思える。
それに誘われて来たか、自ら来たかで、孝太さんに好意を寄せているかどうかは簡単にわかるが、孝太さんが苦笑いを浮かべていることから、その事を絶対に孝太さんは気づいていない。
全員の来た理由を話し終えると、薫が次なる疑問をぶつけた。
「それにしても、よく平日なのに親は許可してくれましたね」
すでに孝太さんがクロエさんの恩人なのかは二の次になり、私も光も昨晩の出来事に興味の対象が移行していた。
あくまで興味があるのは昨晩のことを知らない私たち三人だけで、雪さんに関しては毎朝の薫の様に半分眠っている。
「私は普段やることやってるからね。たまに言う我が儘くらい、許してくれるわよ」
『……たまに?』
会長さんが自信満々に言っていたが、生徒会のメンバーを含めて全員が、会長さんの言葉に疑問を抱いた。
ここまでの大人数が声を揃えるのも珍しい。
それほどまでに、会長さんは我が儘を言っているということだ。
「どうしたの?何か変なことでも?」
「いや、何でもないですよ。気にしないでください」
会長さんを敵に回すと大変なことになると判断し、孝太さんは早めの段階でフォローを入れた。
しかしそれでは納得いかないようで、会長さんは孝太さんに言及を続け、孝太さんは必死に宥め続けている。
可哀想だったが、会長さんの事は孝太さんに任せて、私たちは私たちで話を戻した。
「他のみなさんのところは、どうだったんですか?」
薫が改めて会長さん以外の生徒会メンバーに訊き返すと、一番初めに口を開いたのは先程と同じで西口さんだった。
自然と順番が決まったのだろう。
「まぁ。私のうちは、むしろお母さんまで積極的で。何故か急に柏木くんを息子にしたがっていたんだよね」
それは要するに結婚させたいとことになり、雪さんの同居に続いて親公認ということだ。
一見迷惑そうに話す西口さんだが、声は嬉しそうに弾んでいた。
(二人も親公認のライバルがいるなんて……だいぶリードされてるなぁ……)
そう考え、やや落ち込んでいる私をよそに、次は湖上さんが口を開いた。
「私も似たような感じです。お母さんに柏木くんのこと話したら、『あんな良い人は他にいないから、看病して好感度上げなさい』って言われたです」
(え?湖上さんも、親公認?)
親公認が二人だけではとどまらず、三人目の登場に驚いて小さく体をのけ反った。
すると隣にいた光が、私に聞こえるくらいの小さなため息を漏らした。
「なーんだ。みんなそうなんだ。私も誕生日の日にお母さんと、孝太さんの作ったティラミス食べながら孝太さんのこと話したら、湖上さんと同じ事言われたよ」
(光も?!)
がっかりとしながら言った光の一言に、光までリードしていることを知った私は泣きそうになった。
孝太さんがこの街に来て、最初に出逢い、雪さんを除いたら一緒にいる時間が一番長いはずなのに、一番を遅れをとっている事実が発覚した。
私なんか、いまだに両親に孝太さんのことを話せていないうえ、会ってもらえてもいない。
人見知りを治すのは、自分のペースでいいとしても、恋愛はそうはいかないことを思い知った。
「……一応、私も言った方がいい?」
最後に残った一文字先輩が、薫の興味深々な視線で訊いてきたが、どうせ一文字先輩も同じ理由だろう。
「是非!」
答えた薫にいたっては、楽しみ始めている。
「私の親は『友達の家に泊まる』と言ったら、喜んでくれた。それが孝太だと教えたら、更に泣いてもくれた」
「あー……それは、良かったですね」
私や薫が予想していた理由と違い、薫は用意していた言葉も言えず、取り敢えずはその場で思いついた言葉を言ったようだ。
一文字先輩の人付き合いの無さを、親が心配しないはずもなく、それを茶化したり余計なことを言ったりはできない空気になった。
そもそも一文字先輩は孝太さんに好意を寄せているわけではないので、これ以上は気にする必要もないだろう。
「どうやら、そっちも話が終わったみたいだね」
いつの間にか宥められていた会長さんが、私たちの頃合いをみて、声をかけてきた。
雫さんからは見えないだろうが、その背後にいる孝太さんの表情は寝不足の雪さんと同じで疲れ切っている。
よほど宥めるのが大変だったようだ。
「それじゃあ、学校に向かおうか」
ぐったりしている孝太さんたちを追い込むような笑顔で、雫さんは提案し、私たちは孝太さんたちを気にかけながら学校へと向かった。
道中、通学中や通勤中の方々がいつも以上に、私たちに注目していた。
普段は孝太さんと雪さん、光、それから一応薫といった美男美女に囲まれて登校し、注目を集めている。
それなのに、今日は他に美少女揃いの生徒会のメンバーが四人もいて、人数も九人いれば、いつもより注目が集まるのも仕方ない。
ただでさえ人見知りの私が注目されることに慣れていないのに、今日はより一層酷だ。
それを裏付けるように、いつもは周りを気にしない光や薫もキョロキョロと周りを見て、共同不審になっている。
逆に注目されることが日課の孝太さんや生徒会の人たちは気にしていなく、雪さんもお嬢様だけあって人に見られるのには慣れているようで、私たちの様には一切動じていない。
それどころか、普通に会話をしており、私も気を紛らわせるために孝太さんに、今朝話しそびれたクロエさんのことを聞いておくことにした。
「あの、孝太さん」
「何?葵さん」
私が呼ぶと、寝不足の雪さんが歩くのを補助していて歩きづらそうなのにも関わらず、孝太さんはわざわざ私の方を向いてくれた。
「その、……昼休みなんですけど……」
言葉の続きである『会ってほしい人がいる』と言う前に、孝太さんは私に頭を下げてきた。
「ごめん!昼休みは先約あって、部室に行けそうもないんだ」
「そうなんですか……」
孝太さんの謝罪に私と光と薫は肩を落としもしたが、取り敢えず事前に確認がとれてよかった。
薫が居たことで、昼休みの前にクロエさんや宮本さんに、昼休みに会えなくなったことを伝えてもらえる。
元々、孝太さんがいない所で勝手に決めていたことなので、孝太さんを責めることは当然できない。
「ごめんね。昼休みは先約相手の私と二人きりなの」
放課後も孝太さんは会長さんたちのお願いで忙しいため、そうなると今、クロエさんについて聞くしかなかったのだが、それもまた叶わなくなった。
どこから聞いていたのかは分からないが、謝る気が全く感じられない謝罪と共に雫さんが介入してきた。
いちいちそれに反応し、対抗しようとする私も悪いのだが、雫さんの挑発は孝太さんに関わることがほとんどなので、つい気になってしまう。
気になるといえば、そのことに雪さんが無反応なこともだ。
「よく、雪さんが許してくれましたね」
「確かにみんなを、特に有明さんを説得するのは大変だったけど。何時間もかけたからね」
夜通しで雪さんと言い争っている姿が目に浮かぶようだ。
よほど大変だったのか、会長さんの表情からは哀愁が漂っている。
「もしかして、有明さんだけでなく、会長さんも寝てないんですか?」
話を聞いて、気になったのか光が会長さんに訊ねた。
雪さんが相手だと想定したら、数時間の範囲が一時間やそこらではないと思うのは私も同じだ。
それに全員が寝静まったら雪さんも寝ることができたと考えると、雪さんと会長さんは夜中まであれこれ言い合っていたのだろう。
「そうだよー。夜中の十二時くらいまで説得して、その後は雑談して有明さんが寝るのを待ってたんだけど……」
「残念ながら、寝なかったです。夜中に柏木くんと二人きりにはなれなかったです」
会長さんの言葉の続きを話したのは、湖上さんだった。
湖上さんまで寝ていないのが明らかになり、よく見ると薄くだが目の下に隈ができていた。
「湖上先輩って夜更かしできたんですか?!」
「あー!今、後輩なのに、『子供』って思ったです!」
失礼なことを言って驚いていた薫に対し、湖上さんは薫を指差して地団駄を踏んだ。
その姿がより、子供らしさを強調していることに本人は気づいていないのだろう。
失礼ながら、私も薫と同じことを思ってしまったことは黙っておいた。
「まぁ、湖上のことは私も驚いたけど……」
「ひ、酷いです!」
西口さんも湖上さんに容赦なく切りかかると、湖上さんは声を荒らげ、ついには涙目になってしまった。
今にも泣きそうな湖上さんは、咄嗟に孝太さんに助けを求め見つめていた。
おそらく唯一自分の味方になってくれると思ったのだろう。
孝太さんはそんな湖上さんからの視線に気づくと、雪さんの補助をしながら、片手で湖上さんの頭をなでた。
「えへへ~です~」
たったそれだけの行為で、湖上さんはすっかり上機嫌になった。
普通なら頭を撫でられて機嫌が良くなるのは子供らしいのだが、孝太さんに撫でられているということで、こればかりは子供ではなく恋する女の子の顔だ。
「空ちゃん、ずるい!柏木くん。私も撫でて」
そんな二人を見て、我が儘でいったら子供らしさ一番の会長さんまで参加し始めた。
雪さんを含めた、孝太さんたち四人を一旦放っておいて、西口さんが先程の言葉の続きを話しだした。
「でも柏木くんの家に居るって思ったら、どうにかして二人きりになりたいからね」
西口さんの言っていることは、よくわかる。
私と光は同意をして首を縦に振り、薫は新しい質問を西口さんに訊ねた。
「ということは、西口先輩も寝てないんですか?」
「当然、寝てないよ。全員、有明さんの部屋で雑談しつつ監視されてたからね」
まさか揃いも揃って、徹夜していたとは思わなかった。
会長さんや西口さんは、顔に疲れが一切出ていなかったので、話を聞くまでは西口さんは寝ていたとばかり思っていた。
疲れを感じさせていないのは、ずっと本を読んでいる一文字先輩も同様だ。
ただ、おそらく孝太さんに恋愛感情を抱いていない一文字先輩が、徹夜する意味があるのだろうか。
「あ、あの。一文字先輩。先輩もずっと起きてたんですか?」
一文字先輩と話すのはまだ慣れてなく、人見知りがでつつも疑問に思ったことを訊いてみた。
すると一文字先輩は、顔は本を向いたままだったが、視線は私に向けられた。
「……私は遅かったけど、寝た。正確にはいつの間にか眠ってた」
ここでもし『起きていた』と言っていたら、一文字先輩のことを見直さなければいけなかった。
だが実際は私の望んでいた答えだったので、一先ずは安心だ。
しかし安心していた私とは対照的に西口さんの顔は、焦りを感じさせるような優れないものだった。
「……先輩って、どの話題の時に寝たんですか?確か柏木くんのアルバムを見てる時も、一緒に見てませんでしたよね?」
「私はずっと、本を読んだりしてたから。あなたたちがどんな話をしてたか、わからない」
西口さんが何を気にして訊いたのか分からないが、一文字先輩は相変わらずの理由で話題に入っていなかったようだ。
一文字先輩の話した理由に納得したようで、西口さんも『ふぅ』と息を吐き出し、胸を撫で下ろしていた。
「そうですよね……一文字先輩が喋らないから、昨日の夜に一文字先輩が有明さんの部屋に居た記憶がなかったんですよね。アハハ……」
西口さんが笑い流して、この話もここで終わったと思った矢先、意外なことに一文字先輩が自ら口を開いた。
「あなたの記憶は正しい。私は確かにあの娘の部屋にはいなかった」
「……え?」
笑うのを止め、気のない声を出したのは西口さんだった。
私も声は出さなかったが、一文字先輩の言葉の意味が理解できず驚いていた。
「……」
しかし謎を残したまま、話すことは話したと言わんばかりの態度で、一文字先輩は読書に戻った。
いくらなんでも必要最低限過ぎる。
「ちょっと!先輩!話、まだ終わってませんよ!それで昨晩何処にいたんですか?」
西口さんは慌てて一文字先輩に詰め寄ると、読書を邪魔されて嫌そうな顔をしつつも答えてくれた。
「……孝太の部屋。本読んだり話したりで楽しい時間だった」
『は?!』
西口さんだけでなく、孝太さんの片手を取り合っていた会長さんと湖上さん、更にはほぼ寝ていた雪さんまでもが反応した。
当然、私と光も一緒に驚き声を大にした。
「ねぇ!哉ちゃん。それ以上は、何もしてないよね?!」
「そもそも、何が目的で柏木くんの部屋に行ったんですか?!」
間髪入れない、会長さんと西口さんからの怒涛の質問責めに、嫌そうな顔継続中の一文字先輩は一歩も退かずに平然と冷ややかな視線を送っていた。
もしかしたら、読書の邪魔をずっとされていて、怒っているのではないだろうか。
「会長が言う『それ以上』が何なのかは分からない。だけど私が寝るまでは、他に何もしていない」
『ほっ』
薫以外全員が肩の重荷が外れ、安堵の息を小さく吐いた。
「それと、私が孝太の部屋に行ったのは、孝太に誘われたから」
安心できたのは束の間、瞬時に孝太さんへと視線が集まった。
最初は男女の営み的なことを想像してしまったが、過去とのケリを着けれていない孝太さんに限ってそれはないはずだ。
雪さんや光も孝太さんの過去のことを知っているので、変に動揺はしなかったが、逆に過去を知らない四人は激しく動揺していた。
「か、か、柏木くん。な、何で私を誘ってくれなかったの?私ならいつでも……」
会長さんはいつもの会長さんらしいことを言っていたが、虚勢をはって精一杯平静を装うとしているのが分かる。
ひょっとしたら、会長さんは案外私と同じでそういうことに免疫がないのかもしれない。
「会長。朝から何言ってるんですか!さっき、何も無かったって言ってたじゃないですか!」
その会長さんに、西口さんは叱っていたが、顔を赤くしているので、きっと会長さんと同じことを考えているのだろう。
「でも、でも!柏木くんは一文字先輩を誘ったです……」
「孝太さん。やる~」
さらに湖上さんは西口さんに言い返して自らを精神的に追い込み、薫にいたっては茶化していた。
この状況がカオスすぎて、無知の残酷さを思い知った。
「はぁ……落ち着いてください」
四人を見兼ねて孝太さんが口をだした。
孝太さんが呆れるのも無理はない。
私も理由は気になっていたので、黙って耳を傾けた。
「俺が誘ったっていうのは、せっかく泊まりに来たのにずっと一人で本を読んでる先輩にも、楽しんでほしかったから、俺の部屋にある本を読ませただけですよ」
孝太さんは、恥ずかしそうに視線を空へと向け言った。
なんとも孝太さんらしい理由だ。
「……孝太。それ本当?」
誰もが孝太さんの言葉を信じていると思ったが、ただ一人、意外にも一文字先輩が孝太さんに訊き返した。
それもあの一文字先輩が申し訳なさそうにしてだ。
孝太さんのことだから、きっとこういう顔をされるのが嫌で理由は話していなかったのだろう。
「その……まぁ、本当ではありますけど……気にしないでください!俺が好きでやったことですから」
私の考えを裏付けるように、孝太さんは慌てながら必死に言葉を紡いで、一文字先輩に答えていた。
慌てぶりからして、よほど照れくさかったのだろう。
余計なことを訊いてしまったのかもしれないが、一文字先輩の表情は少しだけ喜んでいるように思えた。
「孝太、ありがとう……まだ読みたい本がいっぱいあったから、また泊まってもいい?」
一文字先輩の言葉と、その表情を見て、一文字先輩が喜んでいるのは気のせいではないことが分かった。
こんなにも穏やかな表情を見せる一文字先輩は初めてだ。
それは生徒会の面々も例外ではないようで、当人たちを除いて全員が目を丸くしている。
「はい。もちろんですよ」
孝太さんは孝太さんで、私たちに構わず笑顔で会話していた。
一文字先輩が心を開いている孝太さんにとっては、今の一文字先輩こそ見慣れた姿なのだろう。
「次は孝太のベッドを独占して寝ないように気をつける」
『……なんですと(です)?!』
唖然として二人のやり取りをみていたのだが、一文字先輩の一言で私たちの沈黙は破られた。
全員の驚嘆し発した言葉が奇跡的に同じだったことよりも、一文字先輩が孝太さんのベッドで寝たことの方が驚きが大きい。
「うわっ。びっくりしたー……」
私たちの驚く声に、孝太さんが呑気に驚いていた。
この様子では、何に驚いているのかわかっていなさそうだ。
「こうちゃん!なんで一文字先輩がこうちゃんのベッドで寝てるの?!」
「雪。何で怒ってるの?」
勢いのままに雪さんは孝太さんに詰め寄った。
孝太さんの言葉を無視するほど、切羽詰まっているらしい。
「怒ってないよ?それでどうして、先輩がこうちゃんのベッドで寝てたの?」
最初は声を荒らげていた雪さんだったが、冷酷なまでの笑顔に豹変し孝太さんへ更に詰め寄った。
「……本を持ったまま座って寝てたから、俺がベッドに寝かせたんだよ」
「それで、こうちゃんは何処で寝たの?」
雪さんの問で肝心なことを忘れていることに気づいた。
「いや、俺は寝てないよ。午前中に散々寝たし。だから溜まっていた家事をしてたんだよ」
しかし気づけたところで、意味はなかった。
孝太さんが恋愛関係に鈍感なおかげで、心配することは何もなかったようだ。
「こうちゃん。洗濯はしてないよね?」
「雪が積極的にやりがってる事だから、もちろんやってないぞ」
雪さんには何か洗濯に関する心配事が生じた様子だったが、孝太さんの言葉にガッツポーズをとっていたからして、問題はなかったらしい。
何を心配していたのか少しは気になっていたが、それよりも次に孝太さんが発した一言に興味は移った。
「そもそも、雪は一文字先輩のこと責められないだろ」
「え?なんで?」
「だって、たまに雪は俺のベッドに潜り込んで、一緒に寝てるじゃん」
孝太さんがそう言った瞬間、場の空気は一瞬にして凍り付いた。
今まで雪さんの孝太さんに対する過度な愛情表現は許してこれたのだが、今回ばかりは胸の中に黒い何かが芽生えた。
次の瞬間には、無意識に声を発していた。
「ねぇ。雪さん……それが本当なら一大事ですよね?」
「あ、葵ちゃん。目が死んでるよ!……って他のみんなも同じ目で見てる!こうちゃん。怖いよ~」
みんな私と気持ちが同じみたいだ。
確かにみんなの目は、ヤンデレ時の雪さんのようになっており、いつもとは立場が逆転している。
更にはそれを煽るかのように雪さんは怖がり、孝太さんの手を掴んだ。
「え?おい!雪!」
そして雪さんは孝太さんの声に耳を傾けずに、孝太さんの手を引いて、その場から逃げ去って行った。
「せめて柏木くんだけは、置いていってー!」
当然雫さんの叫びも雪さんには届かず、雪さんのことは諦めて私たちも学校へ向かった。
そして昼休みになり、私と光は部室に居た。
時間が経ったことで雪さんに対する黒い感情は、すっかり無くなってはいる。
考えてみれば、ベッドに潜り込んだところで、孝太さんのトラウマを呼び覚ますようなことを、雪さんがするはずもない。
きっと寝ぼけていたと思えば、そのことについては納得がいく。
だが私と光の気持ちは、晴れてはいなかった。
理由はクロエさんの恩人が孝太さんなのかについて、一切訊けていなかったからだ。
のんびり登校していたせいで、学校に着いたのは遅刻にならないギリギリだった。
そのため学校に先に着いていた孝太さんには訊けず仕舞い。
朝のホームルームが終わってから一時間目の間、何故か孝太さんは小林先生の下へ行っており訊けなかった。
一時間目が終わってからは、タッパーを返すとかで、今度は山吹先輩の所へ行っていた。
そして三時間目が体育だったため、前後の休み時間は着替えと移動で時間を費やし、今に至る。
「……クロエさんのこと、どうしようか?」
「確認取るだけなのに、ここまで苦労するとは思ってなかったよ……」
一応放課後まで時間は残されているので、確認を取る機会はまだあるが、ため息を吐かずにはいられなかった。
ここまで上手くいかなければ、残りの休み時間もダメな気がしてならない。
最悪、授業中に訊くこともあり得るだろう。
私たち二人がため息雑じりに落ち込んでいると、部室のドアが開いた。
「はぁ……二人も元気ないんだね」
そう言いながら、雪さんもため息を吐きつつ部室に入ってきた。
今朝の事はまだ気にはなっていたが、疲れきっている雪さんが心配だ。
「雪さんも、寝不足で辛そうですね」
「いや、実はそれだけじゃないんだよね……」
労いの言葉をかけると、雪さんはソファーに寝そべり、目を瞑りながら呟いた。
「今日の放課後にあるはずだった会議なんだけどさ。我が儘なお嬢様方の都合で、私たちが午後の授業を欠席して向こうの学校に行かなきゃいけなくなったの」
「それは大変ですね」
うんざりとした表情で愚痴を漏らす雪さんに、同情し愛想笑いを浮かべた。
「全く。だからお嬢様は、好きじゃないのよね」
(雪さんも、一応はお嬢様なんだけど……)
とはいっても雪さんは、私たちに近い存在なので、雪さんの言うところの『お嬢様』とはかけ離れている。
「というこで、私は午後に備えて少し寝るから、昼休みが終わる前に起こしてほしいんだけど」
「あ、わかりました」
「ありがとう」
雪さんのお願いを快く引き受けると、雪さんはあっという間に寝てしまった。
私たちは私たちで、昼食をとろうとお弁当に手をかけた時、先程の雪さんの言葉が頭に過り、その手を一旦止めた。
「……ん?どうしたの?葵」
「ねぇ。光。雪さんが午後居ないってことはさ……孝太さんもいないんじゃない?」
雪さんが代表で会議に出るのは、孝太さんのおまけ扱いだったはずだ。
つまり孝太さんも会議に出るので、午後はいないことになり、クロエさんのことで確認もとれなくなる。
「あ!確かに」
光もそれに気づくと、箸を置き、食べるのを止めた。
おそらく孝太さんは会長さんと何か大事な話をしているから、二人きりになっているので、それを邪魔するのはさすがにできない。
こうなってしまえば、手詰まりだ。
私と光が何かいい方法がないかと腕を組み頭を悩ましていると、それを邪魔するかのように廊下で誰かが走っている足音が響き渡った。
その耳障りな音に気を取られそうになっていると、その音が徐々にこちへ近づいてくることに気づいた。
「お姉~!たいへーん!」
まだ部室のドアが開いてもいないのに、廊下から薫の声が聞こえてきた。
恥ずかしさのあまり私は頭を抱え、光は隣で笑っている。
(ここへ向かう途中も言っていなければいいが)
私の心配など知るはずもない薫は、勢いよく部室のドアを開けた。
「お姉!ビッグニュース!大事件だよ!」
「……うん。わかってる。薫の声は部室まで聞こえてたよ……」
「うそ?!」
薫が目を剥いて驚いているということは、本人に大声をだしていた自覚が無かったらしい。
呆れもしたが、それほどに大変なことが起こったようだ。
「本当だよ。それと、雪さん寝てるから、声抑えて」
「あ……ごめん」
ソファーで寝ている雪さんに気づき、薫は今更ながら声を潜めた。
ただ雪さんは、薫がここまで大きな音を出していたのに全く起きる気配がない。
「それで、何が大変なの?」
薫に注意できたので、改めて話を戻し、訊ねた。
「実は昨日、クゥちゃんが探している恩人の写真を入手したらしいの」
「え!」
薫の言葉に私は耳を疑った。
光にいたっては、声を大にして驚いていた。
「驚くのは分かるけど。光、声が大きい」
「ごめんごめん」
注意はしたものの、私も本当は声を出して驚きたかったが、薫に注意した手前、それはできなかった。
この事が意味するのは捜索において大きな進展であり、取り敢えずこれで孝太さんに訊く必要もなくなったということだ。
「……で、どういう人だったの?」
「それが、まだ写真を見てないんだよね。私もさっき聞いたから……」
前もって聞いていたら薫も慌てることはなかったはずだ。
クロエさんのことだから、入手できたことが嬉しくて、報告するのを忘れていた可能性がある。
「ということで、お姉たちと一緒に見ようと思って来たの。ね?クゥちゃん……あれ?クゥちゃん?めぐちゃん?」
一人で来たはずなのに、薫は後ろを同意を求め後ろを振り向き、いない二人をキョロキョロと探し始めた。
「もしかして、走ってきたから、おいてきちゃったかな……絶対、クゥちゃん。転んでるよ」
薫の独り言で、薫の不思議な行動に納得がいった。
どうやら元々は三人で来ていたが、薫が暴走して二人が遅れていることに気づかなかったということだろう。
二人が来るまで、しばらく待つと、息を切らしたクロエさんと彼女に肩を貸す宮本さんがやってきた。
「すみません。遅くなって」
「いや、それはいいんだけど……戦争にでも行ってきたの?」
たかが教室からこの部室まで移動しただけなのに、どういう移動をすればここまでボロボロになれるのだろうか。
さすがに薫も、この状況には驚いたらしく物騒な例えをしていた。
「二十回以上、転んだだけだから、気にしないで」
(ドジっ娘に加えて不幸って……)
普段なら『気にしないで』と言われても気になるのだが、今に限っては写真の方が気になって仕方ない。
「……まぁ、気にしないでおくよ。ところでクゥちゃん。そんな状態で悪いんだけど、例の写真見せてくれない?」
「うん。ちょっと待ってね」
クロエさんは薫に言われると、肩を貸してもらっていた宮本さんから離れ、ポケットから携帯を取り出し、操作し始めた。
「でも、どうやって入手したの?」
写真が見せられるまでの間、少しだけ時間があったため光がクロエさんに訊ね、それに対しクロエさんは携帯を操作しながら答えた。
「お母さんが持ってたんです。同僚の息子さんらしくて……ありました。これです」
入手経緯を聞かなければよかったと、心底思った。
私たちの一週間はまるで無駄骨だ。
私は少し落ち込みながら、みんなといっせいにクロエさんがテーブルに置いた携帯を覗き込んだ。
『あ!』
雪さんが近くで寝ているにも関わらず、私まで大声を出した。
何故ならそこに写っていたのは、紛れもなく孝太さんと孝太さんを抱きしめる孝太さんのお母さんだったからだ。




