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一話 第二章 ~始まる学園生活~

  この街へ引っ越してからは毎日部屋の片付けや、学校に必要な物の購入などをして過ごしていた。

  俺の家族分だけでなく、雪の分の荷物整理や必要な物の買い出しも増え、葵さん達の手伝いがなければ、転校のギリギリまでかかってしまっただろう。

  その牧瀬三姉妹は手伝うだけでなく、毎日飯も食べに来ていた。

  雪同様に気に入ってくれたのは俺自身凄く嬉しい。

  葵さんも毎日来るうちに段々雪と仲良くなっていき、自分から話しかけるようにもなっていた。

  そして俺も葵さんとの会話が増え、葵さんの趣味や水族館が好きなことなど、葵さんのことが分かってきた。

  ただ俺と話すときはまだ多少の緊張はするようではあったが、初めの頃よりも自然と会話ができていた。


  そして四月八日。

  この日、俺達が通うことになる山之神高校では午前中に二、三年生が始業式等を行い、午後からは新入生の入学式を行うらしい。

  転校する俺と雪は明日からの登校と言われているので、今日までが春休みだった。

  現在、時刻は午前七時。

  柏木家のリビングには俺と雪、そして制服姿の葵さんがいた。

  暦さんと薫ちゃんは未だ就寝中で、学校のある葵さんだけがうちに来て、俺や雪と一緒に朝食をとっていた。

「二人とも明日からなんですよね?」

「そうなんだよね。クラスも明日言われるみたいだし」

  葵さんの質問に雪が答えた。

  雪は俺と葵さんを二人きりにできないとの理由で、わざわざ早起きしていた。

  ある意味尊敬できる。

「そうなんですか。同じクラスに慣れると嬉しいです……味噌汁のおかわりいいですか?」

「もちろん」

  葵さんも俺達相手になら気を遣わずに接してくれる様になってきた。

  俺は葵さんからお椀を受け取り、キッチンへ向かった。

「まぁ、転校先に知り合いがいるかいないかで大分違うと思うしね。こうちゃん、私もおわかり」

「はいはい」

  向かう途中で、雪からもお椀を受け取った。

(俺の立場がまるで母親だ)

  母親といえば、葵さんの両親もようやく今日帰ってくるみたいだ。

  本当は昨日には帰ってくる予定だったが、トラブルで帰りが一日先延ばしになったらしい。

「まぁでも心配なのは私よりこうちゃんだよね」

「え?なんで?」

  味噌汁を注いでいると急に俺の話になった。

  二人の会話をなんとなく聞いていたが、心配されるような点は無かった気がする。

  クラスメイトなどの同い年の娘と関わることは、改めて言うほどではない。

  前の学校でも常に気を遣ってはいたからだ。

  なので今のところ心配事を挙げるなら、兄弟校である美嶺学園というお嬢様が通う女子校との合同行事になる。

  その美嶺学園に、俺が通う山之神高校は大きな学園の一つとして含まれ、学園としても機能している。

  いくつも兄弟校があるなかで、美嶺学園と山之神高校は設立場所も近く文化祭も合同行事のとして行われるらしい。

  その時に普段よりも同い年の女の子と関わる機会が増えるので、数少ない機会とはいえ発作のことが心配だ。

「女子率が高いからだよ」

  雪は手元に置いてあった学校のパンフレットを、俺に見せながら答えた。

  俺が考えていたことと、全く違った。

  人口の三割未満しか男性がいないので、事前に『他の学校より女子が多い』と言われても、八割が女子だと予想していた。

「言っても八割くらいだろ?」

「あの……九割以上女子です」

  俺の予想に対して、葵さんが申し訳なさそうに言った。

  一瞬だったが、俺の時間が止まった。

「まさか、そんな」

「いえ、本当です」

  冷徹にも葵さんは真実をつきつけてくる。

  瞬時に頭の中で計算され、一クラス約四十人編成ということは一クラス四人ということになる。

  だが、男子は少ないため二クラスに集中させ、分けているらしいので、計算よりも同じクラスの男子は多いことになる。

  しかし、それでも多いとは言えない。

「嘘だと言ってよ葵さん!」

  泣きそうなのを我慢して、俺は葵さんに詰め寄った。

  そんな俺に葵さんは戸惑いながら、哀れみの視線を送ってきた。

「説明されなかったんですか?」

「他より女子が多いとしか聞かされなかった…」

  俺が真実を述べると、葵さんの視線は哀れみから同情へと変わった。

「孝太さん……ファイトです」

  葵さんは言葉に困っての一言だったのかもしれないが、その励ましを聞いて考えが変わった。

  俺のトラウマを克服するには、環境としては申し分ない。

  間接的にだが、葵さんのおかげで気合いが入った。

「こうちゃん、頑張んないで!」

  そんな俺に水をさすかのように雪が言った。

「何でだよ!過去のトラウマを克服しようとしてるのに」

「こうちゃん、イケメンだから女の子にモテちゃうじゃない!」

  俺が反論すると、雪は更に言い返してきた。

  それも怒ってだ。

「なんでキレてるんだよ?!……第一、彼女なんか今までいなかったんだぞ?付き合い長いお前ならわかるだろ?」

  雪が言うようにこの街に来てからは、街を歩くと何かしら言われるようにはなったが、それはモテてるわけではないと思っている。

  俺の中ではカッコいいとモテるは別物だ。

「はぁ……葵ちゃんはどう思う?」

「雪さんの気持ちを察します」

  二人とも、俺の意見を聞くなり完全に呆れていた。

  何故呆れられているのか疑問に思いながら、二人の許へ味噌汁を持っていった。

  ようやく自分の席に戻ったところで、時計が目に入った。

「それより、時間大丈夫?」

「あ、そろそろ時間ですね……ごちそうさまでした」

  俺が訊ねると、葵さんは慌てて味噌汁を飲み、カバンを取って立ち上がった。

「では、いってきます」

『いってらっしゃい』

  葵さんが挨拶をし部屋から出ていくのを、俺と雪は二人で見送った。

  よく考えたらここは俺の家だったが、すっかり馴染んでいた。


  時刻は午前十一時を過ぎ、家事なども一段落し雪と一緒にのんびりしていると、制服に身を包んだ薫ちゃんがやってきた。

  家のドアを開けると同時に、くるっと一回転してみせた。

「じゃじゃーん!どう?孝太さん」

  これから入学式ということで、お披露目に来たらしい。

「似合ってるよ。可愛いじゃん」

「本当に!」

  素直に感想を述べると薫ちゃんは喜んでいたが、俺と一緒に玄関に来た雪は、薫ちゃんのことを睨み付けていた。

  今は雪に触れない方がいいと思い、薫ちゃんとの会話を続けた。

「でもどうして俺なんかに?」

「なんとなく、見てほしいなって思ったんですよ」

  それを聞いた瞬間、雪から殺気が放たれたのは、見ずとも分かった。

  もはや、嫉妬の域を越えている。

「ねぇ、こうちゃん……私の制服姿も見てくれるよね?」

  明日になれば必然的に見ることにはなるが、雪の言っているのは、今日中にということなのは、鈍いと言われた俺でも分かった。

  雪が笑顔で俺の肩を掴んで訊いてきたが、その力は強かった。

「あ、当たり前だろ」

  これ以上怒らせないためにも応えはしたが、声は震えていた。

「楽しみにしててね」

  雪は最後にプレッシャーをかけてきた。

  薫ちゃんもその様子を見て、顔を引き攣っている。

「じゃあ私、準備残ってるんで帰りますね!それでは」

  恐怖のあまり薫ちゃんは帰ろうと振り返った。

  だが足は進めずに立ち止まったままだ。

「あれ?お姉?」

「え?」

  背伸びして薫ちゃんの後ろを覗き込むと、薫ちゃんの目の前に葵さんが立っていた。

  薫ちゃんの影で隠れて今まで見えなかったみたいだ。

  声をかけてくれればよかったものの、葵さんは息を整えるのに精一杯だった。

  最初見たときに、息を整える姿が俺の発作の時の姿と重なって見えてしまったが、すぐにその考えを捨てた。

「孝太さん……大変です……」

「どうしたの?!葵さん」

  まだ、息が整っていなかったが葵さんは喋りだした。

  何事かと心配になり声を荒らげて訊いてしまった。

「同じでした……」

「何が?」

  葵さんも慌てていて、主語を飛ばしている。

  『ふぅ』と大きく息を吐き出し、やっと落ち着けたようだ。

「孝太さんと、クラス同じでした」

「本当に?なんかひと安心って感じだ……ちなみに雪は?」

  葵さんの言葉を聞いて、心の持ちようが楽になった。

  今朝、雪が言っていたように知り合いが同じクラスにいるのは心強い。

  それに加え、俺の事情を詳しく知っている雪も一緒だと更に安心できる。

「違うクラスでした……」

  何も悪くないのに、葵さんが申し訳なさそうにして言った。

  同じクラスに転校生が同時に振り分けられることの方がま稀だ。

  自分でも淡い期待だったと思う。

「えー!私だけ仲間はずれ?!こうちゃんと離れるのやだなぁ……」

  当然ながら、雪はショックを受け落ち込んでいる。

「まぁ、しょうがないさ。それに家では、ずっと一緒だろ」

「うぅ……そうだね……家では独占できるもんね」

  俺が慰めると、雪も前向きになってくれた。

  雪はああ言っているが、前の学校と同じく校内でも独占しそうだ。

「孝太さんと一緒で私も安心しました。ところでなんで薫がいるの?」

  一段落ついたところで、葵さんの興味は薫ちゃんへ向いた。

  どうやら薫ちゃんの存在に今更ながら気づいたみたいだ。

「孝太さんに制服見せにきたんだよ。それより時間ないから私行くね」

「うん。気をつけて」

  それだけ言い、薫ちゃんは走って一旦自宅へ帰っていった。

  薫ちゃんが行った後は入れ替わるように、暦さんが来ていつもの様に昼食をとり、明日の支度をした。

  葵さんと暦さんは長居はせずに、家の片付けがあるとのことで昼食を終えると帰っていた。

  その後夜中になるまでは、特にイベントは起きなかった。

  そして、もうすぐ日を跨ごうとしている時間帯になり、後は寝るだけだったが、部屋をノックする音が聞こえた。

「ねぇ、こうちゃん。今大丈夫?」

「あぁ、入っていいぞ」

  雪が俺の部屋へ訪ねてきた。

  部屋へ通すと、ベッドに座っている俺の横に来て同じように座った。

「いよいよ明日だね……」

  不安のせいなのかは分からないが、緊張しているのは伝わった。

「雪は大丈夫か?」

「私は大丈夫だよ……けど、こうちゃんは?」

  心配して訊いてみたが、雪にとっては俺の方が心配らしい。

  既に過去とのケリをつけている雪には要らぬ心配だったみたいだ。

「多分……な」

  正直、自信がなかったので曖昧な返事しかできなかった。

「私は味方だから……ずっと隣にいるよ」

  雪は俺の気持ちを察してか、俺の肩に頭を預けながら優しい言葉をかけてくれた。

  俺は雪の気遣いが嬉しく、微笑みながら礼を言った。

「ありがとな……それから、何で制服着てるんだ?」

  俺は入ってきた瞬間からずっと気になっていたが、雪は夜中なのに制服を着ていた。

  シリアスな雰囲気だから黙っていたが、さすがにそのことを見過ごすのは限界だ。

  区切りも良かったので、一応訊いてみた。

「もちろん、一番に見てもらいたかったからだよ!どう?似合う?」

  雪は喋りながら勢いよくベッドから立ち上がり、薫ちゃんが昼にやったように一回転してみせた。

  その仕草で、約束していたことを思い出した。

「似合ってるぞ……さっきまでのシリアスな空気が嘘みたいなほど」

「本当に?可愛い?」

  薫ちゃんとは違って、更に詰め寄って感想を求めてきた。

「可愛い可愛い」

「なんか感情こもってない……」

  少し面倒だと思ってしまったのが仇となり、雪が目を細目不機嫌になった。

  そうなった方が面倒なので、先程のことを誤魔化すためにテンションを高くして訂正した。

「いや、そんなことないぞ!」

「本当に?」

「あぁ!」

  少し大袈裟だったかもしれないが、雪は嬉しそうに笑っていた。

  結局大袈裟にしたせいで雪のスイッチが入り、俺は何度も『可愛い』と言わされた。

  解放されて布団に入れたのは二時半だった。


  目覚まし時計をセットしていたが、鳴るよりも早く目が覚めた。

  眼を擦りながら、体を起こして時計を見た。

「ふわぁぁ……今何時だ?……ってまだ五時半かよ。三時間しか寝てないのか……」

  背を伸ばし気合いを入れ、ジャージへ着替えた。

  日課のランニングをし、シャワーを浴び、朝食と弁当を作る。

  これが毎朝の行程だった。

  料理を作り終えたところで、二階にある自室からまだ下りてきていない雪に声を大きくして訊いた。

「雪、起きてるか~?」

「起きてるよー」

  返事があったので、起こす手間が省けた。

  雪も昨晩は遅くまで起きていたので、四時間程しか寝ていないはずだ。

  起きれないかとも思ったが、杞憂に終わった。

  返事があったことで朝食をテーブルに並べようとしたら、返事から間もなく身仕度を終えた雪が二階から下りてきた。

「おはよう」

「おはよう、雪。制服やっぱ似合ってるな」

  昨晩は自棄になって褒めていたが、改めて見るとその姿は新鮮で可愛かった。

「ちょっ!そういう不意討ちやめてよ」

「昨日は散々言わせといて」

  顔を赤くし照れている雪に対して、呆れながら言った。

  別に不意をついた覚えはない。

「昨晩とは状況が違うじゃん!顔洗ってくる!」

  顔を赤くしたまま雪は洗面所へ行った。

「さてと、俺も着替えるか……」

  雪が戻ってくるまで時間がかかりそうだったので、朝食前に俺も着替えておくことにした。

  部屋へ戻り、早速新しい制服の袖に腕を通した。

  前の学校と同様にブレザータイプだったため着やすかったが、どうにも初めて着るせいか違和感がある。

  着替え終わり、リビングへ戻るとすでに雪は席についていた。

「ごめん。待たせちゃって」

「大丈夫だよ。こうちゃん、カッコいいよ」

「あ、ありがとう」

  雪に褒められて、俺も照れてしまった。

  どうやら先程のお返しらしい。

  俺が照れているのを見て雪はニヤニヤとしている。

  これ以上何か言っても泥沼に填まりそうだったので、諦めて雪の隣に座った。

  朝食を食べ始めてしばらくすると、雪がポツリと言葉を漏らした。

「今日からは朝食も二人だけだね。なんか広く感じるっていうか」

  昨日まで五人で食べていたことを考えると、広く感じるのは分からなくもない。

  だが今の状況が本来の形で、今後はこれがスタンダードになる。

  それに広いと感じるのはそれだけが理由ではなく、俺が着替える前に朝食を並べた時はお互い向き合うようにしたはずだが、着替えから戻ってくると雪は自分と隣り合うように俺の朝食を移動していた。

  なので正面には誰も居らず、それも原因の一つになっているが、言うほど気にはならなかった。

「まぁ葵さん達の両親が帰ってきたらしいからね。そのうち挨拶に行かないと……後、うちの両親も一応たまには居るからな」

「あ、そうだった。こっちに来てから一度も会ってないから忘れてた」

  雪の言う通り、両親共にここへ来てからまともに休みが無く、雪だけでなく葵さん達とも会っていない。

  一応二人分の夕食を置いておくと、屡々無くなっているので生存は確認済みだ。

  それに何度か俺は遭遇もしている。

「夜遅くに着替えとか取りに帰ってきているぞ。いつも通り仕事が忙しくて、二人とも泊まり込みだけどな」

  母さんが忙しいのは俺のせいでもあるので、想うところはある。

「寂しいの?」

  顔を曇らせた俺に雪が心配して声をかけてくれた。

  理由は違えど心遣いには感謝した。

「雪がいるから寂しくないよ」

「にゃっ?!」

  驚きのあまり、猫のような声を出していた。

  普通に答えたつもりだったが、雪へのダメージは大きかったみたいだ。

  その後雪はなんとか落ち着き、どうでもいいような会話をしつつ朝食をとり、七時半を過ぎた頃には支度も終わっていた。

  本来なら登校時間は八時半だったが、初日の今日に限っては二人とも早く来いと言われていた。

  時間も丁度よかったので、点いていたテレビを消して立ち上がった。

「じゃあ、そろそろ行くか」

「そうだね」

  俺達がリビングを出たときチャイムが鳴った。

「朝早くから誰だろ?」

  一度雪と顔を見合わせてからドアを開けると、葵さんと薫ちゃんが玄関先にいた。

「おはようございます」

  目を剥いている俺達に、礼儀よく葵さんは挨拶をした。

  どことなく、いつもと雰囲気が違って見えた。

「おはよう……じゃなくて二人ともどうしたの?朝早くに」

  葵さんの挨拶に一応返したが、状況を飲み込めないでいた。

「一緒に学校行こうと思いまして…迷惑でしたか?」

  本人は無自覚なのだろうが、相変わらず反則的な上目使いで訊いてきた。

「迷惑じゃないけど、今日に限っては早く行かなきゃいけないから逆に苦労かけたんじゃ?」

  以上の理由から俺と雪で話し合って、葵さん達と行くのは明日からにしようとしていた。

  事前に一声かけておけばよかった。

「いえ、そんなことないです。一緒に行きたいのは私達の願望なのでこれくらい」

  葵さんの言葉を聞いて、反射的に薫ちゃんを見てしまった。

  前に薫ちゃんは『朝が弱い』と言っていたが、正にその通りで目は半開きなうえ、うとうとと今にでも寝てしまいそうだ。

  葵さんの言ったことが、霞みかけてきた。

  葵さんも俺や雪の目線の先に気づき、フォローを入れた。

「それに職員室の場所とか、案内も必要だと思いますし」

  それは正直助かる。

  一度行っただけでじっくりと校舎を見たわけではないので、職員室までの道のりは迷っていたかもしれない。

「助かるよ。ありがとう。葵ちゃん」

  俺の代わりに雪がお礼を言い、そのまま四人で学校へ向かうことになった。


  約十分ほど歩いたら学校へ到着した。

  苦にならない距離なので、これから通うのに問題はなさそうだ。

  俺達は昇降口を通り、校内に入って廊下を歩いていたが、ここまで来るのに全く生徒の姿が見えなかった。

「やっぱまだほとんど来てないな」

「そうですね。私もこの時間に来たのは初めてですし」

  廊下には俺達の声と足音だけが聞こえた。

「それじゃあ、私はここで。頑張ってくださいね」

  職員室へ向かって歩いているうちに、薫ちゃんは学年が違うため、教室の都合上途中で別れた。

  広い校内を歩き続けているうちに、ふと思ったことがあった。

「それにしても大きい学校だよなぁ…雪の家といい勝負だな」

「え?!」

  俺の発言を聞いた葵さんはかなり驚いている。

  俺が言っているのは有明家の家の面積とこの校舎の目席を比較しての感想だ。

  雪の家に行く度に迷子になる可能性は十分にあり、実際に何度かなったこともあり、その都度雪や家政婦さんに助けられた。

  更には豪邸すぎて、隣にある俺の家が犬小屋の様に見えてしまっていた。

「でも第二校舎を含めたら、この学校の方が広いよ」

「そっか。けれど土地面積は有明家に軍配だな」

  雪は謙虚にそう言っているが、庭を含めたら雪の家が圧勝だ。

  今思えば隣の家といっても、庭が広すぎてテーマパークの隣に家があるような感じだった。

  それでも家自体は、現在の葵さん宅と同じように密接に近い距離ではあった。

  俺達にとっては日常的な光景だったが、話を驚いたまま聞いていた。

  そんな事を思い出しているうちに職員室の前まで来ていた。

  葵さんがいなかったら、本当に迷っていたかもしれない。

「私は教室に行くので、また後で」

「ありがとう葵ちゃん」

「それじゃあ、また」

  教室に向かう葵さんに、それぞれお礼を言った俺達は職員室に入った。

『失礼します』

  まだ先生達もあまり来ていないのか、職員室内に人は少なかった。

  ドアの前に居る俺達の方へ、若い女性教諭が二人が向かってきた。

「この二人が転校生ね…写真で見るより美男美女だな」

  前へ来るなり、一人が俺達の顔を間近でジロジロと観察しながら言った。

「えっと……」

「小林先生、二人が困っているじゃないですか」

  いきなりの発言に困惑気味の俺達に気づいた、もう一人の教師がすかさずフォローしてくれた。

「おっとこれはすまないな。私は小林舞だ。有明のクラスの担任で授業は数学を教えている。柏木のクラスも教えてるからよろしく頼む」

  堂々としているというよりも、男勝りで大雑把な印象を受けた。

  自己紹介を終えると手を差し出されので、無意識に俺も雪も握手を交わした。

  小林先生に続き、もう一人の教師も自己紹介を始めた。

「同じく教師の小田切夢です。柏木くんのクラスの担任で担当科目は現代文です。これからよろしくお願いしますね」

  小林先生とは対照的に礼儀正しく、きっちりとした性格に思えた。

  小田切先生が自己紹介を済ませると、小林先生が突っかかった。

「お前、堅すぎだろ。だから今まで彼氏の一人もできないんだよ……」

「先輩が緩すぎるだけです。それと彼氏は関係ないと思いますけど!」

  突然俺達の前で二人はケンカを始めた。

  これはいわゆる凸凹コンビというやつで、ケンカしているが実は仲良しなのだろう。

「あの、少し落ち着いてください…」

  見るに見兼ねて雪が割って入った。

「これはすまないな。ほったらかしにして。いつものことだから慣れてくれ」

  謝ってくれたのはいいが、最後の発言は無責任なものだった。

  自分達がケンカをしないという、選択肢はないらしい。

  雪はこの微妙な空気に気を遣って、話を変えた。

「それで、こちらも自己紹介とかした方いいですよね?」

「大方、前の学校の成績表とかでわかってるから必要ないよ。まぁホームルームではしてもらうけど」

  小林先生は手元にあった、雪に関する資料をヒラヒラとさせながら答えた。

  それが成績表の類いなのだろう。

  雪の質問が答えられると、小田切先生が俺の資料を見ながら言った。

「それにしても、二人とも同じ時期に同じ地域への転校なんて、凄い偶然ですよね」

  財閥の力恐るべしだ。

  どこまで知っているか分からないが、察するに詳しい事情は知らされていないみたいだった。

「そうだな」

  一方で同意した小林先生は、口ぶりと視線から大体の事は知っているといった感じだ。

「逆に私から質問だが、柏木は恋愛対象に年上は入ってるか?」

  同意してすぐ、何の前触れもなしに突然わけのわからないことを質問された。

  小林先生が意外と食えない人だと分かったが、この質問の意図がさっぱりだ。

  恋愛対象を聞いて、一緒に住んでいる俺達が健全な関係であることを証明するつもりなのか、はたまた興味があったから訊いただけなか、見当がつかなかった。

  取り敢えずここは、素直に答えることにした。

「そうですね。もちろん入りますよ。魅力的に感じますし、今現在だと三十までなら大丈夫です」

「ほう。なら私も入るのか?」

  小林先生がわざとらしく、俺に詰め寄ってきた。

  どうやら、場を和ませるための冗談だったみたいだ。

『ストーーップ!』

  そんな冗談を雪と小田切先生は、まじめに受け止めてしまい、小林先生の悪ふざけを止めにかかった。

  二人の勢いに俺と小林先生は目を丸くした。

「先輩、場をわきまえてください!」

「こうちゃん、美人だからってデレデレするのはダメだよ!」

  小田切先生は教師として同業者の小林先生を叱り、雪は嫉妬して俺を怒った。

  ただ、小田切先生の言い方では『学校でなければ、大丈夫』とも聞こえる。

  冗談が通じてないせいか、本気でアプローチをかけていると思っているのかもしれない。

  怒られると、二人に聞こえないように俺の耳元で小林先生が囁いた。

「柏木、お前苦労してるな」

  明らかに同情されているのだろうが、雪はある意味俺のために言ってくれているので、そこまで苦労はしていない。

  むしろ苦労しているのは、小林先生の方ではないかと思った。

「いえ、そこまでは。小林先生こそ大変そうですね」

「分かってくれるか?」

  小林先生が嬉しそうに聞き返してきた。

  本当に苦労しているらしい。

  二人でこそこそしていると小田切先生がわざとらしい咳払いをした。

「先輩のせいで話が脱線しちゃいましたね」

 少し刺のある言い方からして、聞こえていたみたいだ。

「まぁ、慣れない環境だろうけど、こちらもちゃんとサポートするからな」

  ばつが悪そうに、俺と雪の肩に手を置いて、ぎこちない笑顔で小林先生が言った。

(逃げたな)

「ただ、柏木は注意しろよ」

「え?何をです?」

  突然小林先生に真面目な顔で忠告され、戸惑った。

  そんな俺の質問に小林先生は、小田切先生が持っていた資料を奪い、その資料と俺の顔を交互に見ながら答えた。

「ただでさえカッコいいのに、調査書とかによると勉強も運動もできる。それに他の共学校よりも女子が多い学校だ。それなりに覚悟は必要だぞ」

  女子が多い点では発作に関して気を付けなければいけないことは、前から覚悟はしていた。

  だが、小林先生が言っているのはそのこではないのだろう。

  発作を持っていることを知っていても、原因を学校側には言っていなかったので、知らないはずだ。

  そうなると、何に覚悟がいるのか全く分からない。

「あの、それのどこが気を付けるポイントなんですか?」

「ここまで言って分からないのか?!」

  小林先生の声が室内に響き渡り、他の先生達はこちらを一瞥してしきたが、すぐに自分の仕事に戻っていた。

  それにしても、少し大袈裟に驚きすぎな気がする。

「こうちゃん昔から、こういうことに関しては鈍いですから」

  雪が苦笑いしつつ説明していた。

  むしろ、あの情報だけで分かる方が凄いと俺は思う。

「ずばり訊くが、お前モテるだろ?」

  ようやく俺が理解できない理由が、理解できた。

  苦手な恋愛系の話のようだ。

  そして、他の人達から何度もされている質問だったので、思わずため息を吐いた。

「またそれですか……中学生の最初の頃はある程度でしたけど……彼女とかはいませんでしたし、モテはしてませんよ」

  『また』と言っても、小林先生からされたのは初めてだったので答えたが、つい中学の話までしてしまった。

「それは意外だな……有明、本当か?」

  何故か小林先生は雪に確認をとっていた。

「えぇ……まぁ」

  雪はソワソワとしながら頷いていた。

  中学生の頃の話は俺達にとって自然と禁句になっていたので、それを俺が発言したことを心配いているのだろう。

  「これくらいなら大丈夫だ……」

  安心させるよう雪に囁くように言うと、雪も落ち着いてくれた。

  今度は俺と雪がこそこそ話していることに、小田切先生が首を捻っていた。

  話を大きくされたくなかったので、小田切先生自身の話に変えることにし。

「でも、それを言うなら小田切先生も意外ですよね。見た目可愛くて、しっかりしてるのに彼氏いないなんて」

「ちょっと!柏木君?!」

  俺の発言に顔を赤くして照れている小田切先生は、かなりテンパっている。

「柏木、やるな!面白いやつだな。」

  何故か小林先生には気に入られた様で、俺の背中を叩きながら笑っている。

  隣で雪が頬を膨らませていたのは見なかったことにした。

  気を紛らせるように顔を赤くしたまま小田切先生が、授業の流れや設備の使用方法など一通りの説明をした。

  必死すぎて俺達三人は何も言えないまま、時間が過ぎた。

  説明はもう少し欲しかったが、あっという間に時間になってしまった。

「それじゃ、時間だし教室に行くか。有明ついてこい」

「はい。それじゃ、こうちゃん。また」

 二人は俺より一足先に、職員室から出た。

  「それでは私達も行きますか」

  職員室から出ていく小林先生と雪を見送ると、説明を終えた後席を少しだけ外していた小田切先生が戻ってきた。

  自分のデスクから出席簿を取りに行っていたみたいだ。

「はい」

  返事をし、俺達も職員室を後にした。

  教室の場所がわからないため、小田切先生の後ろをついていった。

「緊張してます?」

  職員室から少し離れると、前を向いたまま小田切先生が話しかけてきた。

「まぁ多少は」

「そうですよね。でも意外とどうにかなっちゃうものですよ」

  俺が答えると、小田切先生は一度足を止め振り返り、微笑みながら励ましてくれた。

  優しいその表情に体温が上がってしまった。

  小田切先生も未だに、ほんのりと顔が赤いままだ。

  数秒間見つめ合い、先に小田切先生が音を上げ、視線を戻し歩き出した。

  そして今度は俺から話しかけた。

「てっきり、理屈っぽく励ましてくれると思ってました」

  小田切先生が抽象的に言ってきたのが意外で、嫌みではなく素直な感想として述べた。

「人間関係は理屈の部分って少ないですからね」

「……同感です」

  返ってきた言葉に俺も想うところがあった。

  友情や恋愛といったものも、理屈ではない。

  そして、怒りや妬みもまた感情的な部分が作用する。

  それで傷ついた人を俺は知っている。

  顔には出さなかったが、複雑な思いだった。

  そんな話をしているうちに教室の目の前までやってきた。

「ここがあなたのクラスの二年二組です。ちゃんと明日からは自分でこられるようにね」

「そりゃ当然ですよ」

  一応、歩きながら道は覚えていたので、多分問題ない。

「それじゃあ呼んだら入ってきてね」

「わかりました」

  そう言って、俺を廊下に残し小田切先生は教室へ入っていった。

  周りを見ていると少し離れていたが、隣の一組の教室前の廊下に雪がいた。

  雪もこちらに気づくなり手を振ってきた。

『喜べ!うちのクラスに美少女がやってきた!有明入ってこい!』

(小林先生飛ばしてんな……)

  この声量だと、遠くの教室まで聞こえているだろう。

  小林先生の紹介で雪は苦笑いのまま入っていった。

『うわぁぁぁ!』

  雪が入った瞬間向こうのクラスから、歓喜が聞こえてきた。

  朝のテンションで、そこまで上げられるのは凄いと思った。

  あっという間に雪への質問攻めが始まっている。

  向こうのクラスのインパクトは強かったがこちらのクラスは小田切先生ってこともあり、落ち着いて紹介されていた。

『一組は大盛り上がりの様ですけど、みなさんも知っての通り二組にも転校生が来ます。こちらは男子なので肩身が狭くならないようサポートしてくださいね』

  ただでさえ男子は数少ないからこその、小田切先生の優しい気遣いもしっかりなされていた。

  小林先生だったら、きっとこうは言われないのだろう。

『まぁ男子少ないし別にいいんじゃないの?』

『そうだな。女子だったら俺達の肩身が狭くなってたな』

  男子の反応は意外と良好的だった。

『イケメンかな?』

『期待するだけ無駄だって少女漫画じゃないんだし』

『でも期待しちゃわない?』

  女子からは無駄にプレッシャーをかけられた。

  どこの学校でもやはり転校生は珍しいのか、教室はザワザワとしている。

『それじゃあ柏木君、入ってきて』

  小林先生の声が聞こえ恐る恐るドアを開き、教室へ足を踏み入れた。

  その瞬間先程までの賑やかさが静寂へ変わった。

  そのまま教卓の横で足を止め、教室中を見渡した。

  教室内の座席は縦に六列あり一列七席、そのうち男子は俺を含め七人。

  葵さんは俺の右手側三列目の一番後ろの席に座っていた。

  葵さんと一瞬目が合ったが、気づくと全員の視線が俺へと集中している。

  凄く注目されているが、思ったより緊張はなかった。

  街を歩いた時に騒がれることが多く、慣れてしまったわけではなく、小田切先生の励ましのおかげだ。

  それにしても何故か誰もしゃべらない。

  隣は雪が入った瞬間盛り上がったのに、こちらは何のリアクションがなく、少し気まずい。

「あれ?えっと、柏木君、自己紹介して」

  どうやら小田切先生もリアクションの無さに驚いている。

  取り敢えず小田切先生に言われたので、無難な自己紹介をした。

「はじめまして。柏木孝太と申します。まだ一通りの説明しか聞いてないので、何かと分からないことが多く、迷惑かけるかもしれませんがよろしくお願いします」

  最後に一礼してお終わらせた。

  だがクラスは静まり返ったまま、拍手すらなかった。

(もしかして、歓迎されてない?)

  葵さんは、拍手しかけてたが空気を読んで止めていた。

  この状況に小田切先生も少しあたふたとしている。

  その時、一人の女子生徒が急に立ち上がり言った。

「イ、イ、イケメンきたーーー!」

  その一言を筆頭に静寂が吹き飛んだ。

『キャーーーーー!』

  女子からは明らかに歓喜の声、男子からは人それぞれの反応が見てとれた。

  声量は隣のクラスを明らかに越えていた。

「皆、落ち着いて!……まったく……」

  小田切先生の注意もまともに聞けない状態だった。

  まさかここまでとは思っていなかった。

「じゃあ、柏木君は後ろの空いている席ね」

  どうやら先生は注意を諦めたようだ。

  指定された席は一番右の後ろの席だった。

  窓側の一番後ろで、葵さんの席とは間に一席あるが、距離は近かった。

  クラス中の視線を集めながら、指定された席に着席した。


「じゃあこれでホームルーム終わりね。授業はちゃんとしなさいよ」

  まだ騒々しさを残しつつだったがホームルームは終わり、小田切先生が教室から出ていった。

  まともに話を聞いていたのは、葵さんくらいだろう。

  小田切先生が出ていくと同時に、前の席の男子が声をかけてきた。

「よう。俺は遠藤翔っていうんだ。気軽に翔と呼んでくれ」

  口振りから少し軽率そうなイメージだが悪いやつじゃなさそうだ。

  イメージとは違い、細身で女顔に加えて声まで女子の様だったため口調に多少違和感もあったが、時間が経てばなくなるだろう。

「自己紹介したから分かるだろうが念のため、柏木孝太だ。俺のことも孝太でいい。よろしく」

「それにしてもお前すげぇよ」

  俺が挨拶を済ますと、いきなりほめ誉められた。

「何がだ?」

  心当たりもなかったので翔に訊くと、翔は周りを見渡しながら言った。

「イケメンでしかも優男タイプだしな。女子共がギラギラした目付きでお前を見てるよ」

「怖くて見る勇気がないんだが……」

  視線は確かに感じてはいたが、そんな形相で見られているとは思わなかった。

「俺が話しかけてなきゃ、今頃女子が群がってただろうな」

  言われてみればそうかもしれない。

  俺の事情を知らないので助けたつもりはないのだろうが、一応お礼は言っておいた。

「すまないな。いきなり世話になった」

「何かあったらいつでも話しかけてくれ」

  俺達の会話が一段落ついた瞬間、女子が一斉に駆け寄ってきた。

「質問いい?」

  一人の女子生徒の言葉を皮切りに、俺が答える間もなく『彼女とかいるの?』、『好みのタイプは?』などなど恋愛に関するものを中心とした質問攻めが始まった。

  こんなに同い年の女の子に話しかけられるのは、まるで拷問だ。

  大勢に押し寄せられ俺が戸惑っていると、翔の助け船がきた。

「そんなにいっぺんに質問するから、困ってるだろうが」

  実際は女子に囲まれて困ってたが、勢いが収まるならなんでもよかったが、女子の勢いはと止まらなかった。

「遠藤は黙ってて、あんたじゃなくて柏木君に話しかけてるんだから」

「てか、遠藤邪魔。そこにいられるとまともに柏木君の顔見れないんだけど」

「うっ……」

  翔が倒れた。

  翔の扱いが何となく、わかった気がした。

  だが状況は良くない。

  俺の心臓の鼓動も速くなり始め、呼吸も荒くなりつつある。

  助けを求めようにも、葵さんはおどおどしているし、翔はまだ倒れていた。

  こうなると質問に答えるしかないみたいだ。

  半ば諦め、少々緊張はするが覚悟は決めた。

「えっと……彼女はいないよ。その……タイプというか理想は、自分を理解してくれて、一緒に居てくれるって人…かな」

  答えたのはいいが、まともに視線も合わせず、挙動も怪しい。

「なんか、俺と話すときとキャラ違うよな?」

  どこから復活していたのか知らないが、翔が俺の言動を指摘してきた。

  それにより女子達も不思議がり始めた。

「言われてみれば……」

  翔の余計な一言でピンチは続いた。

「その……こんなに押し寄せられると、緊張するというか……」

「あー、なるほど」

  女子に言ったつもりが、真っ先に反応したのは翔だった。

「だから、最初のうちは一人一人話しかけてほしいかな」

  本音は誰も話しかけないでほしかったが、そんなことはもちろん言えない。

  それに避けてるだけでは、何も解決しないことは自分が一番分かっている。

「一人ずつなら、今は俺のターンだ。さぁ解散解散」

  翔は俺の気持ちを察してか、女子達を遠ざけてくれた。

  女子から何か言われた時は弱いのに、無駄に強気だ。

「翔、何度もありがとう」

「気にするなって……イケメンがちやほやされてるのを見たくなかっただけだよ」

  男にしては珍しく、モテ願望があるとも捉えられるが、礼を言われたことに照れているのだろう。

  翔のためにも、翔の言葉に乗ることにした。

「お前、モテないだろ……」

「ばっ!モテまくりだわ!」

  凄く慌てている様子から、モテないことには変わらないらしい。

  可哀想になり、ここで話をやめてあげた。

「それよりとっとと移動しよう」

「……まぁ時間も時間だしそうするか。新入生との対面式だろ?面倒だよなぁ。新入生だって絶対望んでないよ」

  本日の午前中は新入生との対面式になるらしい。

  言い換えれば、歓迎会だ。

  学校紹介を主に行われるみたいなので、俺からしたら有り難い。

  ただ、長時間の話は鬱屈だ。

「お前が決めるな。よく考えたら俺も新入生みたいなもんだし」

「確かにな……そういえば隣のクラスにも、転校生きてたよな」

  翔が思い出したかのように訊ねてきた。

  隣のクラスもなかなかの騒ぎではあったが、このクラスの騒ぎも大きく、忘れていたのだろう。

「あぁ……雪のことか」

「雪って?」

  考えてみれば、小林先生は大声で紹介していたが、名字でしか呼んでいない。

  名前で言っても、翔は知らなくて当然だ。

「その転校生の名前だよ。有明雪、俺とは幼馴染みだ」

「マジかよ!例の美少女が?」

  驚くのも無理はないが、翔だけが声を上げたせいか、周りから変に視線が集中した。

「確かに可愛いな。まぁそれより体育館の場所分からないから案内お願い……」

「こうしちゃいられねぇ!孝太、すまない。転校生の顔を拝んでくる」

  居心地が悪くなり、適当に流して移動しようとしたが、翔は俺の言葉を遮り立ち上がった。

(向こうももう移動してるだろ)

「おい!ちょっと!」

  走り去っていく翔を呼び止めた声は、届いていなかった。

「あの柏木君、良かったら私が案内しようか?」

  一人残された俺を背後から呼ぶ声が聞こえた。

  振り向くと女子生徒が一名いた。

  確か隣の席の娘だったのは覚えていたが、それ以外は名前を含めて知らなかった。

「えっと……その……」

「ちょっと、光。抜け駆けはズルいじゃない!」

  返答に困っていると他の女子生徒が助けてくれた。

  助けたというよりは、奪い合いの引き金だった。

「えー!じゃあ、私が教えるよ!」

「いやいや、ここはうちでしょ」

  次から次へと立候補者が増えるばかりだったで、収拾がつかなくなる前に、切り札を使うことにした。

「えっとじゃあ……君にお願いしていいかな?」

  俺が指名したのはもちろん、葵さんだ。

  立候補こそしてなかったが、葵さんを選ぶという選択肢しかなかった。

「なんだ牧瀬さんか」

「でも、牧瀬さんなら大丈夫か」

  どうやら反感を買わずに済んだらしい。

  ただ、信頼があって『大丈夫』と言われている感じではなかった。

「ごめん、葵さん。迷惑かけて」

「大丈夫です。それより早く行きましょ」

  葵さんも居心地が悪かったのか、早々に二人揃って教師を出た。


  俺達は二人で廊下を歩いていたが、すれ違う人達は俺だけを物珍しい目で見てきている。

「それにしても、孝太さん凄い人気でしたね」

  珍しく葵さんから話を振ってきた。

「転校生とかはあんなもんじゃないのかな?」

  人気というよりも、興味本意で近づいてる人が多いと俺は思っていた。

「孝太さん、カッコいいですから。でも、大丈夫でしたか?あんなに囲まれて」

  心配そうに訊ねてくれる葵さんを見て、葵さんの優しさが染みた。

「正直、危なかったよ……もう少しで発作を起こすとこだったよ」

「発作……ですか?」

  俺の発言に葵さんは目を見開いた。

  気が緩んだからかうっかり、葵さんに口を滑らせてしまった。

  今は二人きりなので、この際話しておくことにした。

  結局はいずれ話すことにもなるだろうし、タイミング的にも丁度よかった。

「過去にあったことのせいで……ね」

「もしかして、同い年の女の子が苦手なのって」

  葵さんの言葉に、俺は黙って頷いた。

「そうだったんですか……その過去にあったことって一体なんですか?……あ、無理に話さなくていいです」

  葵さんの気になる気持ちはわかる。

  でも、まだ心の準備ができてなかった。

  そして、葵さんが最後に気遣ってくれたのは、自分自身が過去に何か辛いことがあったからだと、俺は解釈した。

「ごめん。……でも近いうちに話すよ。葵さんが変わろうとしているのに、俺だけ逃げてちゃダメだろ」

「わかりました。でも……私が変わろうとしてるってどうして知ってるんですか?」

  葵さんが不思議そうに訊ねてきた。

  知っているというよりは、憶測でしかなかった。

「葵さんの目と俺の目、そして過去の雪の目…全部同じに感じたんだ。この状況に不満を持っていて、何か切っ掛けがほしいという、闇の中に希望を見ているみたいな感じ……まぁ、思い込みかも知れないけど」

  俺が言い終えると、葵さんは立ち止まった。

  それにつられ、数歩前で俺も立ち止まり、葵さんの方へと振り向いた。

  立ち止まると葵さんは数秒間俯き、何かを決心したかのように顔を上げ、俺を真っ直ぐと見てきた。

「いえ、思い込みなんかじゃありません。さっきだって『牧瀬さんなら大丈夫か』って言われたのは、人付き合いが苦手な私たがら、孝太さんに好意を持たれない、そういう皮肉なんです。言っている本人には自覚ないと思いますけど」

「葵さん……」

  改めて、この娘は俺と同じ様に苦しんでいるのだと感じた。

  そして、葵さんはただ人付き合いが苦手ではないのだと物語っていた。

  葵さんは再び歩き出し、俺を追い抜いて先を行った。

「それと、さっきの一言で決心がつきました。放課後教室に残ってもらえますか?話したいことがあります」

  わざわざ二人きりになるため、放課後に残ってくれということは、葵さんが抱えているものを俺に話そうとしているのだろう。

  葵さんも過去に何かあったという解釈は、間違っていなかったみたいだ。

「それって……」

「着きましたよ。クラス毎なんで、早く合流しましょう」

「あ、あぁ」

  俺の言葉は最後まで言わせてもらえなかった。

  ただ彼女は過去と向き合おうとしていることは察し、今朝のいつもと違う雰囲気は、過去のことを打ち明けようとしてくれていたからだと分かった。

  結局、何も聞けずに俺達のクラスが並んでいる場所へと向かった。


  モヤモヤしたまま迎えた式は、学園長の挨拶から始まった。

  ここの校長ではなく、美嶺学園の学園長が学園としての実質トップなので、わざわざ来てくれたみたいだ。

  その後は生徒会長の挨拶、校則や部活動の紹介が行われた。

  もっとも部活動の紹介が二時間近くかかっていたのは、この学校の部活動の多さが原因だった。

  転校生である俺もしっかりと聞いておかなくてはいけないのだろうが、全然入ってこない。

  それは先程の葵さんの決意を目の当たりにしたからだ。

「おい、孝太ってば」

「ん?あぁ……なんだ?」

  翔に名前を呼ばれ、現実へと戻された。

「さっきからボーッとしてどうさたんだよ?何回呼んでも返事ないし」

  近くに居る翔の言葉すら聞こえない程、悩んでいたみたいだ。

「すまない……少し考え事をしていた」

「考え事?……あぁ部活動何入るかとかか?」

「まぁ、そんなところだ……それで、何か用があったんじゃないのか?」

  本当のことは言えず、曖昧な返事をし話をすり替えた。

「お前ボーッとしてたから気づいてないだろうけど、先輩後輩関係なく皆お前をチラチラ見てるぞ」

「そんなことかよ。転校生が珍しいんだろ?」

  思いの外、内容がショボくてがっかりした。

  でも言われてみれば、確かに視線は感じる。

「悔しいが……お前がカッコいいからだろ……」

  翔は唇を噛み締めながら、周りを見始めた。

  俺も尻目から周りを見ると、多くの視線を集めているのが分かった。

  俺が注目を集めている事実を受け止めると、自分の正直な気持ちが見えた。

(元々自分を変えたくて転校してきたはずなのに、向き合うのが怖くてずっと逃げてたなんて、だらしないな)

  これを機に葵さんが打ち明けるなら、俺も打ち明ける。

  それで嫌われるかもしれないし、克服するのに協力してくれるかもしれない。

  どうなるかはわからなかったが、取り敢えず目の前のことからだ。

  俺の意思が決まり色々と吹っ切れた。


  そして、式が終わり昼休みになった。

  式の後半はしっかりと集中して聞くことができた。何故成立しているのか謎の部活動も数多くあったが、ツッコむだけ無駄だろう。

  「で、いい部活はあったか?」

  翔が俺の目の前に弁当を広げながら、話しかけてきた。

「これといってはなかったかな。てか、お前一緒に食べる友達いないのか?」

「目の前にいるだろ」

  当然の如く、俺を指差してきた。

「俺に気を遣わなくても大丈夫だぞ?」

  転校生の俺に気遣っているのだろうか。

  だが葵さんがいるので、気遣いは不要であった。

  その葵さんは一人で購買のパンを食べ始めていた。

「クラス替えで、仲良いやつがいないんだよ」

  俺を気遣っているわけでは、ないようだ。

  ならば、遠慮なく俺は席を外せる。

「なるほどな……ちょっと隣のクラスに行ってくる」

  これは式の最中から決めていたことだ。

  葵さんに過去を話すことは、雪の許可も必要になるからだ。

「何で隣のクラス……は!まさか美少女の幼馴染みに会いに行くんじゃ?!」

  転校初日の俺が行く用事なんて、それしかない。

  いちいち、リアクションが大きいので行動がクラス中にバレてしまって、クラス全体から注目されている。

「そのまさかだよ。少し話があってな」

  俺が席を立とうとしたとき、教室のドアが開いた。

  そこには雪が立っており、真っ直ぐ俺へと向かってきて発した。

「こうちゃん!私のお弁当知らない?!」

(弁当忘れたのかよ!)

  でもこちらから行く手間が省けた。

  クラス全員、隣のクラスの美少女転校生の登場に驚いていた。

「残念ながら知らない…っていうか忘れるなよ。それと、俺も雪に話したいことがあったんだ」

「?」

  首を捻っている雪の背中を押し、一旦教室を出て人気の少ない廊下へ出た。

「で、話って何?」

  いつもの雪なら二人きりになれて喜んでいる場面だが、俺の真剣な眼差しで雪も真面目に訊いてきた。

「葵さんに俺の過去を話そうと思うんだ」

  俺が話すと雪の目線は下へ向いた。

「……そっか……私は大丈夫だよ。過去とのケリは着けられてるし」

「ありがとう」

  ケリを着けていると言っても、雪としても辛い過去の思い出には変わりない。

  俺と同じかそれ以上に雪も傷ついていたはずだ。

「一つだけ訊いていい?何で葵さんに話そうと思ったの?」

  雪も葵さんになら話してもいいと、思っていたのだろう。

「実は葵さんから『話したいことがある』って切り出されたんだ。だから俺も変わる切っ掛けとして話しておきたいと思った」

「そっか……」

  午前中に俺が出した結論に雪は納得してくれたみたいだ。

「それでいつ話すの?」

「今日の放課後。いつまでも、ウジウジしてられないだろ?」

「随分急だね……でもこうちゃんらしいよ。じゃあ私は先に帰ってるね」

  雪の言うように急ではある。

  だが心の準備がないほうが、逃げずにすむ。

  それを踏まえての俺らしいなのだろう。

「そうしてくれると助かる」

  俺からの話はここで終わった。

  このことに関しては、放課後を待つだけになった。

  後は、雪の弁当をどうにかするだけだ。

「それから教室に来てくれ」

「どうして?」

「弁当、渡すからだよ」

  真面目な話を終えた俺達は教室へ戻った。

  俺は自分の弁当を持ち、出入口付近にいる雪の許へ引き返した。

「はい、これ」

  その弁当を雪へと渡した。

「これ、こうちゃんのでしょ?悪いよ」

「気にするな、中身は変わらない。それに緊張のせいか食欲がなくてな」

  嘘はついていない。

  それに、発作が起こりかけたせいか、気分もまだ優れてはいなかった。

「なら遠慮なく。ありがとう、こうちゃん」

  弁当を受け取り礼を言うと、雪は自分の教室へと帰っていった。

  自分の席へと戻ろうとした時、教室中の視線が再び俺へと集まっているのに気づいた。

  よく考えてみれば二名を除き、俺と雪の関係性を知る者がいない。

  不思議がるのは当然だったが、敢えて何事もなかったかのように過ごした。

「て、ことで翔。弁当わけてくれ」

「いや、ちょっと待てよ。色々説明あるだろ!」

  俺が笑顔で手を出すと、全力でツッコまれた。

  翔や葵さんにに限っては、説明は必要ないと思っていた。

「説明って…雪に弁当あげた、俺の弁当なくなる、わけてくれ。オッケー?」

「そこじゃねぇよ!中身が一緒ってところだよ」

  面倒ながらも分かりやすく片言で説明したが、翔が言っているのは、その部分ではなかったみたいだ。

「あまり大きい声で騒ぐから、クラス全員がお前に注目してるぞ」

「いや、明らかにお前に注目してるんだよ!」

  誤魔化そうとはしたものの、やはり上手くいかなかった。

  俺は諦めて、翔やクラスメイトの疑問を解決してあげた。

「雪と幼馴染みで、弁当を作ってあげていることが、そんなに重罪か?」

『えーーーー?!』

  俺、翔、そして葵さんを除くクラス全員の声がハモった。

「なんかムカつくから弁当はやらん!」

  翔が何故かいじけている。

  そのまま、一人で弁当を食べ始めた。

『幼馴染みって?』

  クラス中の女子が俺へと詰め寄ってきた。

  仕方なく俺は幼馴染みの件と、弁当の件だけは話した。

  一緒に住んでいることを話したら、もっと面倒な事態になるのが目に見えていたので、そのことは黙っていた。

  結局昼休みは説明するだけで終わってしまい、その後の午後の授業は難なくこなした。


  そして放課後になった。

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