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三話 第六章~依頼の先の依頼、三日目~

 山吹先輩の依頼を終えた翌日の朝。

 昨日はなんとか、山吹先輩のお母さんが帰って来る前に準備を終えることができた。

 しかし、急いでいたあまり、山吹先輩の家に携帯電話を忘れてしまい、葵さんたちに変な誤解を与えてしまっていたのは申し訳ない。

 けれども誤解は解け、学校に着くと同時に山吹先輩が携帯を届けてくれた。

 その際に『着信が多かった』と言っていたが、ほとんど心配してくれていた葵さんや、いつもメールをくれる暦さんからだった。

 そんな中で、一つだけ別の名前があり、俺は急いでその人に電話をかけ直すため移動を開始した。

 移動した先は、体育館裏だ。

 他の生徒が登校中の朝のこの時間に、誰にも邪魔されずに電話ができるのはここくらいだ。

 部室の鍵も屋上の鍵も今は小林先生が持っているので、一人になれる場所は正直ない。

 屋上の鍵は部室をもらった際に返却し、部室の鍵は俺たちが校外で活動中の放課後に小林先生が部室に入り浸っているとの理由から、両方とも小林先生が所有している。

 なので仕方なく人目の少ない体育館裏にした。

 早速電話をかけようと携帯を操作したが、一度手を止め時差の計算を挟んだ。

 こちらが午前八時なので時差の十五時間を引くと、向こうは午後の五時なので電話をかけても、迷惑にならない時間だろう。

 確認が済み、止めていた手を再び動かし電話をかけた。

 幸いにもコールは鳴り電話は繋がった。

 約一分ほど呼び出し音が鳴り続くと、そこで向こうと通じた。

 雪や暦さんなどは、すぐに出てくれるのだが、彼女の場合はそれが出来ないので仕方ない。

「もしもし。桜さん?」

『その声は、孝太さまですか?良かった……電話が繋がって」

 どうやら昨日、電話に出なかったことで桜さんにも心配をかけてしまったようだ。

 葵さんたちに続き桜さんまでとなると、心苦しさが増す。

「すみません。心配かけて。昨日、知り合いの家に携帯忘れちゃってて」

『孝太さまって、意外とドジなんですね』

 電話の向こうで桜さんは、優しく笑っていた。

 俺がドジだったら、光さんと出かけた日に出会ったハーフの女の子は、何と表現すればいいのだろうか。

「たまたまですよ。それより、何か用事があったんですか?」

 ばつが悪くなり、俺は話題を変えた。

『用事がなければ、かけてはいけませんか?』

「いえ!そんなことは!」

 桜さんの一言に『ドキッ』と胸が高鳴った。

 落ち着かない状態で否定したせいで、焦っているのがバレバレだ。

『ふふ……何だか、今日の孝太さまはかわいいですね』

「……もしかして、からかってます?」

 段々と雫さんと話している気分になってきた。

 とはいっても、雫さんに比べたら全然優しい。

『そんなことありませんよ。電話に出てくれなくて、いじけていませんよ』

 俺も昨日のことはそれなりに気にしているのだが、桜さんから可愛らしく追い打ちをかけられた。

「用がないなら、電話切りますよ?」

『孝太さまは、そんな酷いことはしない人だとわかっていますよ』

 小さな抵抗をしたものの、見事に桜さんはそれを跳ね除けさせた。

 どうも俺は、桜さん相手になると弱い。

『でも、本当に孝太さまの声を聞きたくなっただけですよ』

「そう言われると、なんか照れますね……俺もゆっくり話したかったですけど。今から学校なんで」

『そうですよね。でも、声が聞けただけで嬉しかったです』

 一度残念がっていたが、後半の言葉はそれはそれで、嘘ではないのだと判断できた。

 元々時間の都合上、休日にしか話せないので、昨日電話に出られていても、向こうが忙しかったはずだ。

「なら、休日にでもまた」

『そうですね。それから、一つだけ報告があります。実は今わたくし、パソコンのキーボードの配置を椿に教えられながら、孝太さまにメールを送れるよう頑張っているんです』

「それは、楽しみだな」

 俺と桜さんが出会った以来、俺も彼女も今の自分を変えようと決意した。

 そして彼女はその決意を実行しているということだ。

 桜さんといい、葵さんといい、二人とも頑張っているのを見ていると、俺も多少無茶をしなくてはいけない気がする。

『楽しみにしていてください。近いうちに送りますから。それでは、また』

「はい。それじゃあ」

 いつもは相手が電話を切るのを待つが、桜さん相手には俺の方から電話を切るようにしている。

 今回も揺るぎなく、俺の方から電話を切った。

 桜さんと話すのは楽しく、いつも電話後は清々しい気持ちなのだが、今回ばかりは少し違う。

 変わろうと決意しながらいつも逃げ腰だった俺に、気合が入った。

 取り敢えず今俺が思い浮かぶ、一歩踏み出すための無茶は、係わることの多い生徒会の西口さんや湖上さんと普通に話せるようになることだ。

 丁度今日、湖上さんからの依頼もあることだし、頑張ってみると決心し、教室へと向かった。



 昼休みになり、俺はいつものメンバーである、雪と葵さんと光さんの四人で昼食をとっていた。

 場所は屋上ではなく、部室だ。

 部室ができた以上、屋上でこそこそとする必要もなくなった。

 どちらの場所にせよ、取り巻く環境は変わらず、みんな楽しそうにしている。

 だが今日に限っては、そんな状況が長くは続かなかった。

 食事を始めて数分ほど経つと、ドアを叩く音と共に和やかなムードが終了した。

「どうぞ」

「失礼するです。柏木くん、今大丈夫です?」

 俺がノック音に応えると、入ってきたのは湖上さんだった。

 みんなにはあらかじめ、湖上さんが来ることや湖上さんに依頼されたことは、朝の登校中に話していた。

 なので、特に誰も驚いたりはしていないが、来た瞬間不機嫌になったのは、顔を見ずともこの場の空気でわかった。

「大丈夫だけど……少し場所、変える?」

『ここでいいんじゃない?!』

 湖上さんがこの空気に耐えれないと思い、三人を一瞥し提案してみたが、それに答えたのは雪達三人だ。

 どうやら、移動した方が事態を悪くしてしまうらしい。

「わ、わかった。湖上さんも、それでいい?」

『だ、大丈夫です』

 三人の勢いに押し切られてしまい、俺と湖上さんは結局その場に止まった。

 ただ、このままここで話せば三人からの横槍が入るのは目に見えていたので、別の提案をすることにした。

「なら、そっちのソファーに座って」

「はいです」

 湖上さんを雪達三人が囲んでいるテーブルから少し離れたソファーに座らせ、俺はその前で立ち、話を聞く姿勢をとった。

 まるでファンタジー世界の姫と従者を思い描かせるような構図だ。

 三人もさすがに空気を読んで、口出しはしてこなかったが、ちらちらとこちらを伺っている。

 気になっているのはわかったが、まずは話を聞かないことには始まらない。

「それで、湖上さん。昨日話していた『頼みたいこと』って?」

「その、柏木くんにうちのお店を手伝ってほしいんです。個人的なお願いで申し訳ないです」

 心のどこかでその可能性は踏まえていたので、それほど驚きはしなかった。

 それに『個人的』と言っているが、そんなこと言い出したら霧がなく、加えて湖上さんの頼みは私情ではないとも思う。

 一応理由は聞いておこうと考えたが、何より少しでも話しておきたかった。

「構わないよ。それで、どうしてお店の手伝いを?」

「それが、今日に限ってパートやバイトの方達が全員休みをとっちゃって、ピンチなんです」

 湖上さんの話はちゃんと聞いており、それでいてお店がピンチなのも理解はしたが、早速俺の方もピンチだ。

 こんなに早く発作の予兆が始まるとは思っていなかった。

「……まずいな」

「そうなんです!まずいんです」

 俺が呟いたことで微妙な会話のずれが生じた。

 幸いにも雪ですら気づいていないようだったので、気を引き締め、俺の方から話を合わせた。

「でも、全員が休むってわけじゃ、ないんだよね?」

「はいです。お母さんと私と山吹先輩がいるです」

「たった三人?!」

 発作が起こりそうで苦しかったが、驚かずにはいられなかった。

 お店の大きさや普段の来客数が分からなかったが、三人で困るということは小さな食堂ではなさそうだ。

「はいです。昨日聞いた時は、私も驚いたです。でも、柏木くんが頼りになるのはわかってたですから、そこまで慌てなかったです」

 頼りにされていて光栄なのだが、今の発作を我慢している俺は頼りにならないので申し訳ないと思う。

 せめて期待を裏切らない程度には、頑張りたい。

「力になれるように努力するよ。けど、協力できるのは俺と雪だけだから、五人にしか……」

「それは大丈夫です。柏木くん一人で数人分の戦力だと、思ってるです。むしろ柏木くんだけでもいいです」

 褒めてくれているが、最後の一言は今まで黙ってくれていた三人に対する挑発になってしまった。

「少し調子乗りすぎじゃない?まぁ。でも、こうちゃんが居るってことは、私も居るってことだから、その望みは叶わないけどね」

「私だって、孝太さんと二人きりになれる機会なんて、ほとんどないのに……」

「監視の意味も込めて、『くろえさん』の依頼が終わったら私達も行こうか?」

 雪はともかくとして、葵さんと光さんの機嫌が悪くなっている理由がイマイチわからない。

 それに光さんの口からは知らない名前がでた。

 薫ちゃんの言っていた『クゥちゃん』のことだと思うが、どうやら『黒江さん』というのが本名らしい。

 そんなことよりも、今は三人を怖がっている湖上さんをなんとかするべきだろう。

「湖上さん。落ち着いて。雪はいつものことだし。二人が怒ってる理由はわからないけど。そこまで怒ってないと思うし」

「だ、大丈夫です。ちょっと有明さんが怖かっただけです」

 怖がっている湖上さんがより小さく見え、気づいたら発作のことを気にせず、頭を撫でていた。

 そういえば、昨日湖上さんは雪の料理を味見して、気絶したんだった。

 そのことがトラウマになっているのだろう。

 ちなみに家に帰ってから残り物を全て食べた俺は、耐性があったのか気を失わずに完食できた。

 ここでふと思ったが、実際に料理を作らないにせよ、今の雪を飲食店で働かせていいのだろうか。

 湖上さんもそのあたりは分かっていて、頼んでいるはずだ。

「なんだか、私って道化師っていうか、損な役割というか……」

 俺の心配事など関係なしに、雪は雪で別のことで落ち込んでいた。

 雪の機嫌をこれ以上悪くなからないよう、原因である湖上さんを撫でる手を離すと、湖上さんは少し名残惜しそうな顔になった。

 子ども扱いされるのが嫌なはずで、頭を撫でること事態子供扱いしているようなものだと思うが、何故かそんな顔をしている。

「こ、孝太さん!そろそろ、昼休み終わりますよ」

「え?もう、そんな時間?」

「葵ちゃん。ナイス」

 確かに昼休みが終わるまで十分くらいしか残っていなかったが、雪の言葉を聞く限り、ただ雪をフォローしただけみたいだ。

「な、なら私はこれで失礼するです。放課後に、昨日と同じように昇降口に来てほしいです」

「了解」

「それじゃあ、またです」

 俺が発作で音を上げる前に、湖上さんの方が、居心地の悪さに音を上げた。

 逃げるように部屋から出て行った湖上さんを見届けると、発作のせいで疲れがどっと押し寄せ、先程まで湖上さんが座っていたソファーに腰をおろした。

「こうちゃん。今日は大丈夫そうだね?」

「あぁ」

 頑張った甲斐があり、雪にも発作のことはバレていないようだ。

 勘の鋭い雪のことだから、俺が頑張っているのを知って、気を遣っている可能性もあったが、今は素直にその言葉を受け止めておこう。

「さて、私達も教室に行こうか?」

『はい(うん)』

 みんなが弁当を片付ける中、俺も片付けるために立ち上がろうとしたが、軽い目眩を起こして立てなかった。

「ん?どうしたの?こうちゃん」

 片づけ終わった雪が、ソファーに座りっぱなしの俺に違和を感じ声をかけてきた。

「どうしたって何がだ?俺は別に普通だが」

「なんか、ソワソワしてない?もしかして……」

 平然を装ってみたものの、やはりこのままでは雪にバレそうだ。

 一応最後まで隠し通してみた。

「実は母さんからも着信あって、早くかけ直さないと後で面倒だから。それで。だから先に行っててよ」

「そういうことなら、仕方ないか。次の授業、遅れないようにね」

「わかってる」

 どうにか誤魔化せたようで、雪達三人も部室から出て行き、笑顔で見送ると、俺はそのままソファーで横になった。


 五分もあれば教室に戻れるので、三分ほど休むことにした。

「はぁ……はぁ……短時間話しただけなのに……薬飲まないときついな」

 一人になるとついつい弱音を吐いてしまう。

(ま、誰にも聞かれてないし、いっか)

 そんなことを想いながら、眠ってしまわないよう目を閉じた。

 俺一人だけの静かな室内で耳に入ってくるのは、俺の荒い呼吸とドアが開く音だけだった。

(……ん?ドアが開く音?)

「おい!柏木!大丈夫か?!」

 開かれると同時に室内に声が響いた。

 見ずともそれが、小林先生が心配して荒らげた声だとわかった。

 薄っすらと瞼を開け横目から見えた小林先生は、声と同じく心配そうな顔をしている。

「もちろん。大丈夫ですよ……少し、慌てすぎです」

 どうやら休息はここまでのようだ。

 俺は重い腰を上げ、背筋を伸ばし平気であることをアピールした。

「あんな荒い呼吸してて、大丈夫なわけないだろ?!どこか具合悪いのか?一体、何があったんだ?」

 小林先生に詰め寄られ、この事態に俺の方が戸惑っている。

 この慌てぶりは少し、異常だ。

「だから、大丈夫ですって。それにしても今日の小林先生、なんか優しいですね」

「発作を持ってるのは知ってたが、まさかそれか?次の時間休むか?それとも早退するか?次の時間の先生に私から伝えといてやるぞ」

 冗談を言ったのに、いつものような返しがない。

 俺の方こそ、小林先生のことが心配になってきた。

「いや、小林先生。伝えるも何も、次の時間、小林先生の授業ですよね」

「あ、あぁ。そうだったな」

 ようやく俺の声が届いたが、それでも落ち着きは取り戻していない。

 教師相手に失礼だと思ったが、俺は強く小林先生の肩を揺さぶった。

「小林先生!心配してくれるのは嬉しいですけど。らしくないですよ!見ての通り大したことないですから」

「そ、そうだな……すまん。らしくなかった……」

 なんとか小林先生はいつもの調子を取り戻しつつあった。

 俺自身も小林先生の異変に気を取られているうちに、発作の方も大分良くなっている。

「そうですよ。それで、何しに部室に来たんですか?」

「っ!」

 俺の質問に対し、小林先生は一度大きく目を見開いた。

 その理由としては、俺が小林先生に、俺の言葉を全く聞かず慌てていた理由を訊かなかったからだろう。

 だが今回の場合は、時間の無いこの状況で軽い気持ちで訊いてはいけない気がした。

「もしかして、何の用事もないのに来たんですか?」

「そんなわけないだろ。パソコンのマウスを取りに来たんだ」

 そう言って小林先生はいつもと同じ笑みを浮かべながら、テーブルに置いてあったマウスを手に取った。

 俺はそこでやっと安心できた。

「そうですか。それじゃ、行きますか。授業始まりますし」

「そうだな……それとありがとな。柏木」

「なんで、お礼言われてるんですか?」

 小林先生のことだから、俺の考えを見通してのことだろう。

 しかしそれはお礼を言われるようなことではない。

「なんでもねぇよ。まぁ、冗談言えるなら大丈夫そうだな」

 俺と小林先生はどうでもいい話をしながら、教室へ向かい、何事もなく午後の授業に臨んだ。



 そして放課後になり、俺は雪と二人で昇降口で湖上さんを待っていた。

 昨日と違う点といえば、他の生徒会メンバーが待ち伏せしていなかったことだ。

 雫さん達が今日の事を知らないのだろうが、人手が必要な今日こそいてほしかった。

「今日は、会長さん達がいない~」

 俺とは逆に雪はこの状況に喜んでいた。

 雪にとっては雫さんや萌さんとの仲は良くないので、嬉しいのだろう。

 それでも雪達の関係を一概に仲が悪いとも言えないが、今に始まったことでもないのであまり気にはならない。

「お待たせしたです」

「あ、湖上さん。山吹先輩は?」

 湖上さんが到着したが、もう一人この場にいるはずの山吹先輩の姿はなかった。

 そのことを雪は声を弾ませながら問いかけた。

「先輩は一度家に帰ってから来るそうです」

 そうなると取り敢えず三人で向かうことになりそうだ。

「え!それじゃあ、私とこうちゃんの二人きり?」

「いや、私もいるです」

 今来たばかりなのに、湖上さんの存在を視界から除去している。

 間を空けずに湖上さんが飛び跳ねて自分の存在をアピールしていた。

 小さくて見えないという古典的なボケをしているわけではなく、本当に映っていないのだと湖上さんはわかっていない。

「うん。そうだね。湖上さんの言う通りだ。て、ことで行こうか」

 湖上さんが哀れに思えて、これ以上見ていられなかった。

 強制的に話を終わらせ、二人の背中を強引に押して学校から出た。


 道に出てからは湖上さんの家を知らなかったため、湖上さんに先導してもらい歩いていた。

「もうすぐ着くです」

 歩き始めて二十分近く立ち、ようやく家が近づいてきたようだ。

 だが、このくらい歩くのなら自転車やバスを使って通学すればいいと思う。

 そのことを率直に質問した。

「湖上さん。こんなに歩くなら、どうして歩いて登校してるの?」

「……それ、訊いちゃうです?」

 湖上さんの顔が一瞬にして曇った。

 もしかして、訊いてはいけないことだったのだろうか。

「話したくなかったら、別に……」

「そういうことじゃないです。ただ少し恥ずかしいだけです……」

 俯く湖上さんの顔は暗かったが、少しだけ顔が赤くなっていた。

「自転車は合うのが小学生用のしかなくて、バスだと人混みで潰されちゃうです」

「な、なるほど」

 湖上さん特有の悩みすぎて、反応に困ってしまった。

 今後はよりいっそう、身長のことに触れるのは気を付けた方が良さそうだ。

「まぁ、湖上さん小さいからね」

 思わず、雪のデリカシーのない一言に、頭を抱えた。

 本人に悪気はないのだろうが、どういうことか雪は俺以外の人の気持ちには鈍いのかもしれない。

 そして、案の定怒られた。

「ちょっと!誰が小さいですって?!」

(……あれ?)

 しかしその怒声から発せられた声も話し方も湖上さんのものとは、異なるものだった。

 目を覆っていた手を慌ててどかすと、湖上さんの横にはほぼ同じ身長の女の子が腕を組み立っていた。

「誰?!」

 突然現れた謎の人物に雪も驚いている。

「湖上ですけど」

 俺達との温度差があり、彼女は落ち着いた口調で名乗った。

 さっき、怒声を飛ばしておきながら、それが嘘の様な態度だ。

「湖上ってことは、姉妹?」

「姉妹だなんて、そんな」

 俺が確認をとると、今度は凄く嬉しそうに言った。

 それも、いつの間にか俺の近くまで寄り、照れ隠しのよくある行為の相手を叩くという行動を俺に対してしている。

 見た目通り力は強くなかったので、痛くはない。

「えっと……これ、どういうこと?」

 この状況を全く理解できず同級生の方の湖上さんに訊ねると、湖上さんはかつてない程、呆れていた。

「その人、私のお母さんです……」

『お母さん?!』

 湖上さんの答えに俺と雪はそろって目を剥き、改めて彼女を見直した。

「どうも。空の母です」

『あ、どうも。柏木です』

「……いや、雪は有明だろ!」

 不測の事態にも関わらず、雪は相変わらずだ。

 初対面の相手には、ほぼ毎回そう名乗っているので、俺はツッコミ慣れたが、制服を着ていなかったら誤解される可能性の方が高い。

 正直な話、誤解されて困るが、迷惑ではない。

「あぁ。二人がそうなのね。話は空から聞いてるわ。優秀なイケメンに、そのストーカーの美少女。一目見てわかったわ」

「ここでもストーカー……」

 湖上さんというより、生徒会が抱いている雪のイメージがそれで固定されてしまっているいじょう、仕方ない。

 俺は俺でイケメンと言われるのは、こそばゆい気持ちだ。

「それで二人はお店を手伝ってくれるのよね?」

 細かいことは気にしない性格のようで、雪の事は完全に無視している。

 雪のことを気にかけつつ、俺は返事をした。

「えぇ。まぁ」

「よかった。それじゃあ、早速お店に入ってちょうだい」

「お店ってどこですか?」

「あそこよ」

 そう言い湖上さんのお母さんが指差した方に目を向けると、その先に建っていた建物は、チェーン経営しているファミレス店ほどの大きさだった。

 大きな字で『呼神亭』と書かれている。

 その裏には一軒家も見え、そちらが湖上さんの家なのだろう。

「結構、大きいですね」

「でしょ?昔は料亭だったんだけど、今は若い子にも来てもらいたいってことで、普通の料理屋なのよ」

 お店の大きさは料亭時代の名残らしい。

 店員も代理がきくバイトなのも、納得がいった。

 ただ、俺が思っていたよりも大きかったので、別の心配が浮上した。

「なるほど。あの、湖上さん……じゃなくて、娘さんにも訊いたんですけど、これだけの人数で足りるんですか?」

「大丈夫じゃないかな。詳しい話は一旦店に入ってからにしようか」

「わかりました」

 はっきりとした答えはもらえなかったが、取り敢えず湖上さんのお母さんの指示に従って、俺達は場所を変えた。


 店内に入ると、やはり中は広かった。

 外装は料亭の頃から変えなかったのだろうが、内装は料亭だった頃の面影はほとんど無いように思える。

 おそらく、和室や個室などがあったと思うが、全て円卓のテーブル席のみだった。

 更にはそんな席をセッティングしている山吹先輩の姿が既にあった。

 それも喫茶店のウェイターを彷彿とさせる服装だ。

 俺達が来たことにより、山吹先輩は手を止め、俺達の下へ駆け寄ってきた。

「おう。柏木。遅かったな」

「山吹先輩の足が速いんじゃないんですか?」

「まぁな。けどお前ほどじゃねぇよ」

 てっきり俺達より遅く山吹先輩は来ると思っていた。

 何より昨日一件のおかげで、山吹先輩との距離も大分縮まったと思う。

「あら?叶ちゃんとの仲もいいのね。それなら、安心だわ」

「ちょっと待ってください。おばさ……」

「あぁん?」

 山吹先輩が『おばさん』と言いかけた瞬間、見た目に似合わずに鋭い眼光で山吹先輩を睨みつけた。

 この人に関しては湖上さんに比べて禁句が多く、それを言った場合の反応も湖上さんとは異なり、気性が荒くなる。

「じゃなくて海さん」

「なぁに?」

 山吹先輩が言い直すと、にっこりと笑い聞き返した。

 先程の顔を知っているので、笑顔になったぶん怖くなっただけだ。

 俺達も山吹先輩に倣って『海さん』と呼んだ方がいいのだろう。

「アタシと柏木が仲良いと安心できるってのは、どうこいうことです?」

「フロア担当の二人なんだから、仲が良いに越したことないでしょ」

「え!柏木くんって、フロアをやるんです?」

 そのことに一番大きな反応を示したのは、意外にも俺達に依頼してきた湖上さんだった。

 どうやら詳しい話は何も聞かされていないみたいだ。

 三人の会話を聞いていた俺と雪だったが、ここで雪が俺に耳打ちしてきた。

「ねぇ、こうちゃん。『フロア』って何?」

「簡単に言えば接客だよ。料理は作らない仕事ってこと。まぁファミレスとかだと、パフェを作るのもフロアの仕事って所もあるけどな」

「へぇ~。君、なかなか詳しいね。バイトとかしてたの?」

 海さんに俺達の会話を聞かれてしまっていたらしい。

 こそこそと話していたので怪しまれて、聞き耳を立てられたのだろう。

「ファミレスなら、去年の冬休みに」

「ふ~ん。思っていたよりも戦力になるかもね」

 こんな形で海さんからの期待を得られるとは予想していなかった。

 俺が俄然やる気が出てきたなかで、他の三人は気のせいか不服そうだ。

 もしかしたら、俺が料理できるというイメージがあるせいかもしれない。

「なんで、三人揃ってそんな顔してるの?」

「それは柏木くんが料理、上手いからです」

 やはり俺が考えていた通りのことを、海さんの問いに湖上さんが答えた。

「いやいや、俺のは自炊レベルですし。それに素人が作っちゃダメでしょ」

「そうね。彼の言う通りよ。加えてうちには代々、調理場は男子禁制というルールがあるしね」

 そういうことなら、尚更仕方ない。

 三人も分かってくれたようで、言葉を飲み込んでくれた。

「ということで、担当だけど。フロアはさっきの二人。私が料理を作って、空はその手伝いね。有明ちゃんは皿洗い」

「えー。私、こうちゃんと別ですか?」

 雪にとっては不満しかないのだろうが、この配分にもそれなりの理由があるのだろう。

「うちのお店そこまで客足が多くないし、それに今日は平日だからね」

 海さんの述べた理由は、なんとも悲しい理由だった。

 客の入りが少ないから、俺と山吹先輩のみで大丈夫とのことだ。

「それでなんだけど、有明ちゃんはこのエプロン着けてちょうだい」

「ありがとうございます」

 一応、汚さないためのエプロンは用意されているようで、近くのテーブルに置かれていたピンクのエプロンを雪は受け取った。

「で、柏木ちゃんの方なんだけど。こっちに来てちょうだい」

「は、はい」

 名前の呼ばれ方に同様を隠せぬまま、俺は海さんに連れられ更衣室に向かった。


 更衣室に着いて早々、海さんはいくつも並ぶロッカーの中から、名前が入っておらずおそらく誰も使っていないロッカーを開けた。

「それで、柏木ちゃんには、これを着てもらいたいの」

「は、はぁ」

 ロッカーからだし俺に渡した服は、山吹先輩と同じタイプの制服だった。

 だが山吹先輩のものとは、シャツも異なり男性もので、下もスカートではなく当然ズボンだ。

 なので俺が曖昧な返事になってしまったのは、服が原因ではなくやはり名前の呼ばれ方にある。

 こんなに抵抗があるのは、初めて雪に『こうちゃん』と呼ばれた時以来だ。

 だが今ではすっかり慣れてしまったので、この呼ばれ方もそのうち慣れるだろう。

「それじゃあ、着替えたらさっきの所に来てね。それとこのロッカー使っていいから」

「わかりました」

 そう言い残し、海さんはすたすたと小幅で歩き去っていった。

 着替える前に一度薬を飲んでおこうかとも考えたが、飲まずに着替えた。

 手こずることなく着替えることはできたものの、更衣室にあった鏡で全身を見たが、新鮮すぎて自分だという実感がない。

「まぁ、似合ってないことはないか……」

 確認も済んだので、俺はみんなの所へ戻った。

「すみません。お待たせして」

 挨拶しながらフロアに入ると、みんなの注目が一斉に俺へと向いた。

「うん。似合ってるわね」

「こうちゃん、カッコいいよ」

「すっかり着こなしてるです」

 それぞれが俺を褒める様な感想を言う中で、山吹先輩の感想は他の人とは少し変わっていた。

「なんか店員というより、執事みたいだな」

「それよ!」

 山吹先輩が感想を言うと、突然海さんが大声をだした。

 海さんが発した言葉の意味としては、山吹先輩の言葉に同意するものだったが、それだけではなさそうな気がする。

「ねぇ、柏木ちゃん。お客様への接客なんだけど、女性が来たら『お客様』じゃなくて『お嬢様』って呼んでみてちょうだい。それ以外は前にバイトしていた時と同じ感じで、執事風にお願いできるかしら?」

 凄く楽しそうに海さんは、俺にお願いしてきた。

 やはり何かよからぬことを思いついていたようだ。

「そういうコンセプトのお店じゃないですよね!」

 店員が執事に扮し、お客さんを主に見立てて接客するなんて、海さんからの要求はメイド喫茶ならぬ執事喫茶だ。

 第一、『前にバイトしていた時と同じ感じで執事風』と言われても、本物の執事自体見たことない。

 雪の家にはメイドしかおらず、桜さんの家もメイドしかいなかったはずだ。

 見本がいないというのもあるが、何より恥ずかしい。

「ふふふ……経営戦略よ。みんなだって見たいわよね?」

「いや……アタシは別に……」

『はい(です)』

 山吹先輩の声を打ち消して、他の二人が喜々として返事をした。

 二人がそう答えるのは、わかっていた。

「ほらほら、やってみなさいよ。みんなだって見たがってるわよ」

「いや、でも……」

「一回だけでいいから。それで受けなかったら、止めていいから。ね?」

 押しに弱い俺に言葉で責めてきたのは海さんだけだったが、雪と湖上さんも無言のプレッシャーを放っている。

 こうなってしまったら、俺は首を縦に振るしかない。

「……あぁ!もう!わかりましたよ!でも、受けなかったらそこで止めますからね」

 頷いてしまったものは仕方ないが、顔が熱い。

「期待してるわ。そうと決まれば、もうお店開けるから。二人とも後はよろしくね」

 そう言って海さんは一度外に出て、店前の立札を『開店中』に変えると、雪と湖上さんを連れて奥にある厨房へと向かって行った。

「あれ?私達厨房にいるから、こうちゃんの姿見えなくない?」

「なんか騙された気分です」

 二人はその場の乗りだけで執事の件を賛同したらしく、文句を言いながら店の奥へ連行された。

 その場に残ったのは俺と山吹先輩のみとなり、まだお客さんが来ていなかったので、山吹先輩の方から会話を始めた。

「なぁ、柏木」

「なんですか?今、心の準備で忙しいんですけど」

 会話をして気を紛らわせるのも悪くはないのだが、今の俺は他に発作のこともあったので、会話ともなるといっぱいいっぱいだ。

「それは悪かったな。けどアタシの気のせいかもしれないが、お前の様子がおかしいと思ったんだ」

「え?」

「たまにお前の様子がおかしいと感じる時があるんだ。そういう時と同じ感じが今の、いや今日のお前からしてるんだが、アタシの気のせいか?」

 まさか山吹先輩にまで感づかれているとは、思いもしていなかった。

 こういう時に限って、こういう話になるのは、さすがに気が滅入る。

 まだ確信に変わっていないので、誤魔化すことはできるだろう。

「それは気のせいですよ。俺はいつもこんな感じです」

「そうか。すまん。変なこと言った。それより、うちの妹達が今日ここに夕飯を食いに来るらしくてな」

 この話題になって緊張が走ったのは俺だけのようだ。

 俺が否定すると、山吹先輩は簡単に話題を変え、それに対していつもの調子で話せるよう、気持ちを切り替えた。

「それは、楽しみ……じゃないかも」

 言葉の途中で俺が今から執事に扮すること思い出した。

 出来れば知り合いには見られたくない。

「まぁ、気持ちは察するよ。けど、あの二人はお前に会いたがってたぞ」

 その気持ちは普通に嬉しいので、出来る事なら一番初めの客に来てほしくなく、更には執事に扮するのが受けずに、その状態を解除した状態でが望ましい。

「だったら、なるべく遅くに来てほしいですね。それにしてもお客さん来ないですね」

「まぁ、まだ四時だし。それに平日だしな」

 そんな話をしていた矢先、『カラン』とお店のドアが開く音がした。

「噂をすればだな。よし柏木、初陣だ。いってこい」

「はいはい」

 最初は『見たくない』と言いかけていた山吹先輩だったが、いざその時が来ると現状を楽しみ始めたので、早々に助けてもらうことを諦めた。

『はぁ……講義疲れたね』

『昼食食べれてないから、お腹空いちゃったよ』

 出入り口付近に近づくと、お客さんの声が聞こえてきた。

 声は若い女性のもので、『講義』という単語を口にしたことから大学生だろう。

 早速やらなくてはいけないのだが、手を抜いたら何度もやらされること間違いないので、全力ではやってみる。

 お客さんの姿が見えると、予想していた通り若い女性が二人いた。

 俺がお客さんの姿が見えたということは、向こうにも俺の姿が見えたということで、俺の姿が見えるとほぼ同時に会話を中断し、俺を凝視している。

 普通ならここでの第一声は『いらっしゃいませ』なのだろうが、『お帰りなさいませ』と言うべきなのだろう。

 一回きりの我慢だと思い、開き直ってその言葉を口にした。

「お帰りなさいませ。お嬢様方』

 下げていた頭を上げると、お客さん二人の目は開ききっていたが、それでも踏み込んでしまったので続けた。

「本日のお食事は、お二人でよろしいでしょうか?」

『……は、はい』

 俺から見たら、お客さん二人は完全に戸惑っている。

「それでは席にご案内いたしますね。こちらへ」

 俺がお客さんを席に案内すると、それを見て山吹先輩が声を出さずに笑っているのが目に入った。

 やはり受けていないのだろう。

 他にお客さんも来ていないとのことで、適当な二人席に案内した。

 ファミレスの場合案内する前に喫煙のことも聞いておくのだが、このお店は全面的に禁煙なのでそのへんの心配はなかった。

「お嬢様。こちらの席へ」

 席に通し、まず片方の椅子を引き一人を座らせ、同様にもう一人も座らせた。

 二人ともすっかり黙りきってしまっている。

「ご注文が決まり次第、お呼びください。すぐに駆けつけますので」

 一通りの接客を終え、もう一度頭を下げ、お冷を持ってきた山吹先輩と入れ替わるようにして、俺は下がった。


 取り敢えずお客さん達が黙り続け不評だったことを、海さんに報告しに行った。

「海さん。やっぱり、受けませんでしたよ」

「本当に?おかしいなぁ」

 調理場には入らないよう、入口のギリギリから話しかけると、下準備をしながら答えてくれた。

 ちなみに雪はまだ注文もないので、凄く暇そうにしている。

「えぇ。きっとそうですよ」

「柏木。残念ながら、そんなことないぞ」

 後ろから戻ってきた山吹先輩の声が聞こえ、俺の意見を否定した。

「いやいや。山吹先輩も見てましたよね?完全に引かれてたじゃないですか」

「逆だ。どうやらお前に見惚れていたらしい。アタシが水を届けたら、お前のこと根掘り葉掘り訊かれたよ」

「やっぱり、私の目に狂いはなかったわ」

 これはもしかしなくても、続行の流れだ。

 発作が起こらないよう我慢もしているので今すぐ止めたい。

『あの!すみません』

 厨房へ集中していた俺達を呼ぶ声が、フロアから聞こえてきた。

 注文が決まったのだろう。

「さ、柏木。執事モードで接客してこいよ」

「こうちゃん。モテない程度に頑張って」

「後で私達にも、執事で接してほしいです」

 山吹先輩が注文を訊きに行ってもいいはずなのに、俺が行くのは半強制的に決定していた。

 お客さんを待たせるわけにもいかないので、大人しく注文を取りに向かった。

「お待たせいたしました。ご注文、お決まりでしょうか?」

「えっと、これとこれください」

 俺が話しかけると、緊張しているのか引いているのか分からなかったが、声を浮つかせながらメニューを指した。

「かしこまりました。早急にお持ちいたします」

 結局俺は、この二人のお客さんの相手を執事に扮したまま、最後までやり終えた。

 たった一組相手しただけで、凄く疲労が溜まった。

「お疲れ。柏木。次も頑張れよ」

「次もあるんですよね。まぁ、お客さん少ないって言ってましたし……」

 一時の休息中、山吹先輩と会話していると、何の前触れもなくお店のドアが再び開いた。

『ここでしょ!イケメンの執事が相手してくれるお店って』

『あの子じゃない?本当にカッコいい』

 そのようなことを言っているお客さんが一人二人ではなく、何人も入ってきた。

 先程のお客さん方から情報が広まったのだろうが、それに広がるまでの時間が短すぎる。

「山吹先輩。平日だし、お客さん多くないって言ってませんでした?」

「お前のせいだろ!いや、海さんのせいか!取り敢えず、接客だ」

 急なこの状況に俺も山吹先輩も、焦っていた。

 きっと海さんはこれを狙っていたのだろう。

 まだ二人で対応できるが、このままだと確実に手に負えなくなる。

 それでもお客さんの要望もあり、執事だけは止められなかった。

 だが今朝から薬を飲まなかったため、発作も酷くなる一方で、ほとんど余裕はない。

「柏木!お客さんを席に案内してくれ」

「わかりました」

 自然と俺達は料理の注文とそれを運ぶのが山吹先輩の役割となり、それ以外は俺がすることとなった。

 おそらく海さんは忙しくなって、ウハウハだろう。

 そんなことを考えつつ、俺はまた接客へと赴いた。

「お待たせいたしました。お帰りなさいませ。お嬢様方。ただいま、席にごあんな……い……」

「ほんとに、柏木くんが執事やってる」

 ろくに顔も見ず頭を下げたのが仇となった。

 頭を上げると、雫さんを始めとする残りの生徒会メンバーがそこにはいた。

「でも、柏木くんって王子様だから、執事より主側だと思うんだ。柏木くんの命令なら何でも聞いちゃうよ」

「執事なんて初めて見た。孝太って執事だったの?」

 三人が目の前にいることを嫌でも思い知らされると、俺が笑顔のまま何も言えなかった。

 一つわかることは、『面倒なことになった』ということだ。

「柏木。早く案内しろ……って、なんで会長達がいんだよ?!」

「叶ちゃんは、客にそんな態度とるの?」

 雫さんが見事に性質の悪い客だった。

 山吹先輩も一応店員として笑顔ではあるものの、苛立っている。

「失礼しました。お席にご案内しますので、こちらへ」

「えー!柏木くんが案内するんじゃないの?」

「当店はとても多忙なので、仕方ないじゃないですか」

 不満を口にする雫さんに、山吹先輩が反論すると、次は俺に耳打ちをしてきた。

「柏木。会長達は取り敢えずアタシが連れて行く。お前は次のお客さんを頼む」

「ありがとうございます」

 忙しいのに雫さん達に構っていたらきりがないのを見越して、山吹先輩が提案してくれた。

 俺は迷わずその提案を飲んだ。

「あー叶ちゃん。柏木くんに顔近づけてる。有明さんに言っちゃおうかな?」

「はいはい。行きますよ。お客様」

 山吹先輩は雫さんを全く相手にせず、三人を強引に連れて行った。

 四人の背中を見ていると、早速次のお客さんが来た。

「お帰りなさいませ。お嬢様方」

 またしても顔を見る前に、二人いると判断しお辞儀をした。

「マスター!頭を上げてください!」

「『お嬢様』って柏木さん。ど、どうしたんです?」

 頭を下げながら、俺は泣きそうになった。

 出来る事なら、頭を上げたくない。

 声からして確実に願ちゃんと希ちゃんだ。

 事情を説明する手もあったが、変に誤魔化すのも恥ずかしかったので、願ちゃんの厨二病を踏まえて二人なら分かってくれると思い、続けた。

「お嬢様方がお食事に来られるのは、お姉さまから聞いておりました。席にご案内いたしますね」

「まさかマスター。漆黒の姫の従者に転生したのか?!」

「か、柏木さん……素敵です」

 読み通り二人には変に動揺しなくて、正解だった。

 希ちゃんの感想はともかくとして、言ったように二人を席へ案内した。

「お、お前ら来たのか」

「姉上!マスターが我に使える暗黒騎士へと転生している」

 雫さん達の相手をしてくれていら山吹先輩が、俺達の下へと近づいてくると、願ちゃんは興奮気味で山吹先輩に報告を始めた。

 一方で願ちゃんの後ろに隠れ気味だった希ちゃんは、願ちゃんが山吹先輩の方へと行ったため、代わりに俺の後ろに隠れた。

 希ちゃんが家族以外で何故か俺にだけ気を許してくれている。

「ひ、人がいっぱい……」

 そして案の定と言うべきか、人が多くて怯えてしまっていた。

 よくこのお店に来る双子にとっては、今日の客の入りは予想外の出来事だったのだろう。

「大丈夫ですよ。何かあったら、呼んでください。守りますから」

「……か、柏木さん」

 目を潤ませながら俺を見上げる希ちゃんに、中学生にも関わらずときめいてしまった。

「あー。執事が女の子口説いてる」

 口説いてはいないが、些細な変化を見逃さないのは流石雫さんだ。

 おそらく、発作のせいで体調が悪いのもきづかれているだろう。

 それでも普通に接してくれている雫さんではあるが、雫さんのせいで周りのお客さんもこちらに注目してしまい、希ちゃんはまた震えだした。

 なんとかこの状況を打開しようと試みた。

「口説いてるわけではありませんよ。第一、主と執事では恋愛関係になれませんから……しかし、それでもそのような関係になってくださる主がいるのでしたら、どんなに幸せなことか」

 言っていて死にたくなるほど恥ずかしくなった。

 ほとんどが俺の好きな本『闇の泉』の引用で、唯一そのことに気づいたのはずっと読書していた一文字先輩だけだろう。

『なら私がなります!』

 そして他のお客さんはというと、ほぼ全員が立ち上がり同じセリフを口にした。

 まさかここまで反応されるとは思わなかった。

「幸福の極みです。ですが、今はお食事をお楽しみください」

『はい』

 お願いすると、お客さん方は全員食事に戻った。

 ここまで同じように好意を示す反応をされると、自分で自分のことが、わからなくなる。

「流石柏木くんね。ピンチを乗り切るなんて」

「ピンチにしたのは、どこの誰ですか」

 他人事のように語る雫さんに呆れてしまった。

 一旦雫さんとの会話はここで止め、改めて双子を席に案内した。

 案内し終えると、ここで双子とも一旦別れ、店員としての仕事に取り組んだ。


 一時間ほど経つと、忙しさは倍以上に膨れ上がった。

 先程までは高校生や大学生が多かったのだが、午後六時を回ると仕事終わりの成人女性も多く来るようになってきた。

 閉店時間は午後九時なので、多忙と発作の両面で身体が心配だ。

 厨房も忙しいだろうから、猫の手も借りたい気分になり、ずっと居座っている雫さん達に手伝わせようと思った。

 そうと決まれば、早速雫さん達の席へ向かった。

「あの雫さん。暇なら手伝ってください」

「えー。私、柏木くんのこと見てたい」

 もの凄く嫌そうな顔をしている。

 あくまでお願いだったので、無理強いはしない。

 とはいっても、やはり人手はほしかった。

「まぁ、嫌なら別にいいですけど。それで西口さん……いや、萌さん手伝ってくれない?」

 俺が萌さんを下の名前で呼ぶときは、二人きりの時だけだ。

 しかし今はそれほど切羽詰まっている状態だった。

「はい。喜んで」

 そして萌さんは『命令なら何でも聞く』という言葉通り、二つ返事で了承してくれた。

 だが、この短い会話だけで、急激に発作の症状が悪化した。

「ありがとう」

 俺は短くお礼を言うと、後は山吹先輩に萌さんのことを任せた。

「山吹先輩。西口さんには料理を運ぶのを中心に教えてあげてください。その間、接客は俺が頑張るんで」

「そうだな。西口は初めてだし、それがいいだろう。なるべく早く教えるからその間、よろしくな」

 山吹先輩は一度、海さんに報告するために店の奥へ連れて行った。

 それから約三十分ほど、ほとんど俺が一人でフロアの仕事をしていたが、何とか対応することはできた。

 たまたま客足が減ったのだとすれば、幸運だ。

 しかし二人が戻って来て程なくし、その幸運は去って行った。

 お客さんが入り、出入り口付近へと赴くと、そこに居たのは人探しをしていたはずの葵さん達と、暦さんの四人だ。

 教訓を生かし、挨拶をする前に顔を見といて良かった。

「本当に来たんだ。それに暦さんまで」

 昼休みに光さんが来ると言っていたので、葵さん達が来るのは覚悟していたが、暦さんが来るのは想定外だ。

「結構、噂広まってるよ~。イケメンの店員がいるって~。もしかしたらと思って、葵ちゃ達に聞いてみたら、ビンゴだったので来ちゃった~」

 不幸中の幸いは、今回のみ執事をやらなくて済む。

 俺が暦さんと話していると、辺りを見渡しながら次は薫ちゃんが話しかけてきた。

「それにしても、混んでますね。雪さんもいないですし」

「まぁ混んでるのはともかく。雪は厨房で皿洗いしてるよ」

 俺の執事に扮した接客が原因で混んでいるとは、口が裂けても言えなかった。

「なるほど。それから、孝太さん。何だか顔色悪くないですか?」

「そんなことないよ」

 山吹先輩に続いて、何も知らないはずの薫ちゃんにも発作のことで、指摘された。

 今回も否定はしたものの、他の三人は薄々気づき始めただろう。

「それより席に案内するよ」

『……』

 三人とも何か言いたそうだったが、発言を遮るようにして俺は四人を空いている席に案内した。

「注文が決まったら、俺か山吹先輩を呼んでね」

 四人にそれだけ言い残し、俺は他のお客さんの接客へと向かった。

「お呼びでしょうか?お嬢様方」

『お嬢様?!』

 俺の背後で来たばかりの四人が、声を荒らげた。

 そういえば、四人に説明を怠っていた。

「ここの店長の湖上のお母さんの指示で、あいつは今お客さんの執事ってわけだ」

 俺が別のお客さんの注文を取っていたので、代わりに山吹先輩が説明してくれた。

「え~。私達にはそんなことしてくれなかったよ~」

「三人とも落ち込まないでよ。きっと孝太さん恥ずかしかっただけだって」

 暦さんと薫ちゃんは、執事の話題で盛り上がっていたが、葵さんと光さんは一言も話していなかった。

 見ずとも、二人が俺を心配する視線を送っているのは分かる。

 暦さんも薫ちゃんに知られないよう、いつも通りを装っているのだろう。

 頑張ることを決めたいじょう、三人には甘えずに、一人踏ん張ることにした。



 それから二時間。

 発作も徐々に酷くなっていき、曖昧な記憶と意識の中で閉店時間まで無事に仕事を全うすることができた。

 なるべく知り合いのいる席には発作のことを悟られないために近寄らなかったが、閉店後に残ったのは、よりにもよって生徒会のメンバーと山吹先輩の妹達、そして葵さん達四人というフルメンバーだ。

 正直、発作の方の限界は近く、最後までもつか不安だった。

 そこに調理場にいた三人が合流した。

「お疲れさま。いつもより客足も多くて、助かったわ」

「疲れたです……」

「こうちゃん。会いたかったよー!」

 湖上さんもさすがの海さんも疲れが見えたが、雪は俺を見た瞬間に抱き着いてきた。

 いつもなら、『場をわきまえてくれ』などと言って離れようとするのだが、そんな気力は残っていなかった。

 それに雪の抱擁が、今は心地よい。

「うそ?!こうちゃんが、私を受け入れて……こうちゃん?」

 体が密着したことで、熱い体温と速い鼓動が雪にバレてしまい、嬉しそうだった雪の顔が一瞬にして深刻なものに変わったのが見えた。

「雪ちゃん。離れようね~」

 暦さんが雪を引き離そうとすると、珍しく雪はそれ抵抗しなかった。

 そのことに雪を知る人物全員が、雪に注目し驚いている。

「それにしても、本当柏木ちゃんのおかげだよ。また手伝ってくれる?」

 逆に今日雪と初対面の海さんは、普通に会話を続けていた。

「お呼びとあれば、いつでも駆けつけますよ」

 俺は俺で不思議と冗談が言えた。

 仕事中はもうダメかとも思ったが、考えてみれば西口さんと出掛けた日よりも症状は軽い。

「執事が板についてきたわね。期待してるわ。それじゃ、着替えて来てちょうだい」

「はい」

 海さんの指示に従い、雪が不安そうに見つめる中、俺は一人で更衣室へ行った。

 そして更衣室に入りドアを閉めると、視界が揺らぎ次の瞬間には天井を見ていた。

(……倒れたのか?)

 現状を理解すると同時に、床に接している体の側面から痛みを薄っすらと感じたが、痛みすら上手く伝わらなかった。

 今まで気を張っていたことで発作の症状を抑え込めていたのだろう。

 一人になった瞬間、気が緩み、一気に押し寄せてきたみたいだ。

(まだだ……家に帰るまでが、何とやらだ)

 身体に鞭をいれフラフラの状態でなんとか立ち上がり、力が入らずおぼつかない手つきで着替えた。

 光さんの時より症状が軽いと思っていたが、全然そんなことかった。

 むしろ、あの時よりも辛い。

 それでもこのままだと迷惑や心配をかけるだけなので、最大限に平常時を装いみんなの下へ戻った。

「ごめん……待たせた?」

 俺が戻ると既に全員が、帰宅の準備を終えていた。

「ううん。大丈夫だよ。さ、帰ろうか」

「そうだな」

 答えた雪の声が先程よりも遠く聞こえる。

 ただ、雪の提案は有り難かった。

「湖上さん。海さん……お疲れさまでした」

 俺は湖上さん親子に向き直り、挨拶を述べた。

「はいです。今日は本当にありがとうです」

「お疲れ様。いつでも空のこともらってちょうだいね」

「ハハ……ありがとうございます」

 二人からの労いの言葉に俺が返すと、湖上さんがパタパタと腕を上げ下げしながら、慌てて店の奥へと消えていった。

「孝太く~ん。どういうことかな~?」

「まさか、柏木くんが湖上を?!」

「……え?俺、今なんか言いました?」

 暦さんと萌さんが何か怒っているようだが、自分が何を言ったのか覚えていなかった。

 それどころか、言葉を発したのかも定かではない。

 発作の影響だとしたら、こんな症状は初めてだ。

「もう。こうちゃんったら。それじゃあ、そろそろ失礼しますね。行こう!こうちゃん」

「雪……」

 俺の異変を見逃さない雪は、先程の俺の言葉が冗談ではないと判断し、俺の手を引き早急にお店を出た。

「あ、待ってください」

 帰る方向が同じ葵さん達も慌てて、その後に続いたのは、聞こえてきた声でなんとなくだがわかった。


 そのまま歩くのが精一杯だったので、雪に手を引かれるがまま、後ろを振り返ることもなく、ただ帰路を辿った。

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