三話 第四章~依頼の先の依頼、二日目~
放課後になり、俺は掃除当番の雪よりも一足先に、昨日山吹先輩と待ち合わせを約束した昇降口へと向かった。
靴を履き替え外に出たが、山吹先輩の姿はなく、俺の方が先に着いてしまったらしい。
周りを確認していると俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「柏木く~ん!」
声がした方を見ると、そこには山吹先輩ではなく雫さんの姿があった。
それどころか、萌さん、湖上さん、そして一文字先輩の姿もあり、山吹先輩を除く生徒会役員が全員集合していた。
ここで俺が四人の下へ行かなければ、四人の方から俺の下へ来るのは目に見えており、どっちみち変わらないので名前を呼ばれたこともあり俺の方から、四人の下へと赴いた。
「何ですか?揃いも揃って」
「そんなの決まってるじゃない。私は叶ちゃんが柏木くんに依頼をしたからだよ」
雪を然り気無く、数に入れていないのはわざとなのだろうか。
それに『私は』ということは、他の三人は異なる理由があるということだ。
三人の方へ目を向けると、順番にそれぞれが理由を話し出した。
「わ、私も同じです」
「ぎ、逆にそれ以外、理由はないんじゃない?」
湖上さんと萌さんは雫さんと同じ理由らしいが、俺から視線を外したうえ、言葉のはじめを二人揃って噛んでいた。
何か隠しているのが手にとるように分かる。
「私は、会長が『孝太もいるから一緒に行こう』と誘われたから来た」
一文字先輩だけはいつも通りで、これから何をするのかもきっとしらないのだろう。
何にせよ、山吹先輩からの依頼内容は分からないままだが、生徒会全員が関わっていると考えて良さそうだ。
そうなると呼び出した本人が、いないことが気になる。
「それで、その山吹先輩は?」
「叶ちゃんなら、もうすぐ来ると思うよ……あ、噂をすれば」
雫さんが下駄箱の方を見ながら言っていたので、俺もそちらを向くと雫さんの言葉通り、山吹先輩が上履きを履き替えているのが見えた。
視線を感じたのか山吹先輩はこちらを見て、俺と目が合うと手際が速くなり、俺の下へ駆け寄ってきた。
「すまん。呼び出しておいて、私の方が遅くなって」
開口一番に笑いながら謝っていたのは、申し訳ないと思ってはいるがそれほど待たせたわけではないと、わかったうえでの発言なのだろう。
「別に大丈夫ですよ。雪もまだ来てませんし」
山吹先輩の言葉に俺も決まり文句のような、テンプレート的な返事をした。
とはいえ、俺の言ったことは全て事実なので、この答えが適切だった。
「確かにストーカー娘の姿が見えないな……」
おそらく、山吹先輩の雪に対する呼び方は今後もこのまま変わらないのだと、確信した。
周りをぐるっと一度見ると、山吹先輩は俺に視線を戻すわけではなく、隣にいた雫さん達を見た。
「ところで、どうして会長達がいるんだ?」
「え?山吹先輩が呼んだんじゃないんでんすか?」
首を捻る山吹先輩に俺は首を捻った。
惚けているわけではなく、真面目に知らないといった顔をしている。
「アタシは呼んでないぞ。柏木が呼んだわけでもないんだよな?」
「はい」
山吹先輩の確認に答えると、俺達は同じタイミングで雫さん達四人へと向いた。
すると笑顔の雫さんが代表して、答えてくれた。
「さっき柏木くんには言ったじゃない。叶ちゃんがこっそり柏木くんに依頼したからだって」
「ですから、その言葉の意味がよくわからないんですけど……」
それに『こっそり』という単語も付け加えられているのも、少々気になる。
今の段階では山吹先輩からの依頼が、俺の考えていた生徒会からの依頼ではなく、山吹先輩個人の依頼ということしかわかっていない。
「そもそも、何で会長達はアタシが依頼したのを知ってるんだよ?」
口調から山吹先輩は少し苛立っており、腰に手をおき雫さんに問い質していた。
山吹先輩が雫さん達に言っていなかったのなら、知ってること自体がおかしいのは事実で、知られたくなかったのに知られたという感じだ。
「それはね。昨日柏木くん達が去った後すぐに『飲み物買ってくる』って言い残して、足早に生徒会室から出ていったから、何かあると睨んで跡をつけたからだよ」
「うっ……」
笑顔で丁寧に説明する雫さんに、山吹先輩の顔はひきつっていた。
自分ではバレていなかったつもりだったろうが、さすがにバレバレだと思う。
(山吹先輩は単純な人なんだなぁ……)
「そこで萌ちゃんや空ちゃんが、柏木くんと二人きりにするのは、まずいとのことで私達も行くことにしたの」
「え?それ提案したのって、会ちょ…んぐっ」
雫さんの言葉の途中で萌さんが何かを言いかけて口を塞がれたが、何となく雫さん達がここにいる理由が見えた。
つまりは二人きりになって、間違いか起こらないか生徒会として心配になったから、ということだろう。
だが過去の一件を克服していないのでそういったことは出来ないし、雪がいるので二人きりでもない。
何より山吹先輩とそういう間違いが起こるはずがない。
「雫さん。大丈夫ですよ」
「柏木くん。本当に分かってる?」
心配ないと伝えたはずなのだが、確認をとられてしまった。
「えぇ。分かってますよ」
自信をもって返事をしたのだが、雫さんはそのまましばらく疑いの目を向け続けてきた。
そんなに見続けられると、さすがに自信が無くなってきた。
「……まぁいいわ。私も自分の夫が……」
「誰が誰の夫ですか?」
雫さんがまたからかってきたかと思った矢先、俺の隣から声が聞こえたと思えば、そこには雪の姿があった。
最近、俺が気づかぬうちに雪の姿があることがたまにあるので、今回はそれほど驚かなかった。
こういう登場の時はいつも、ニコニコとしながら殺気を放っているので、穏やかに現れてくれないかとつくづく思う。
『いつからいたの(です)!?』
逆に慣れていない生徒会の面々は、本を読んでいる一文字先輩を除いて、皆驚いている。
そんな四人を気にもせず雪は、四人の言葉に平然と答えていた。
「山吹先輩が『どうして会長達がここにいるいるんだ?』って言ったあたりからです」
「ずっと前からいたのかよ!」
山吹先輩は雪の返しに声を大にして言ったが、その気持ちは分からなくもなく、山吹先輩のあの台詞は大分前半部分で、それも雪がいないか周りを見渡したすぐ後の台詞だ。
すると雪は『くすっ』と小さく笑い、言った。
「冗談ですよ。そんな驚かないでください」
「なんだ、冗談かよ……」
「本当は今さっき来たばかりですよ」
雪の言葉にほとんどの者が安堵していたが、俺と雫さんだけは違った。
今来たばかりならば、山吹先輩が言ったことを知っているのはおかしいからだ。
俺は確認のために、雪にそのことを訊ねてみた。
「なぁ、雪。だとしたらどうして山吹先輩が言ったことを知ってるんだ?」
「あぁ。それは、スピーカーから聞こえ…何でもないよ!気にしないで」
「いや、気になるって!」
雪は『スピーカー』と口にしたが、『スピーカーから聞こえてきた』と言いかけたのは明白で、気にせずにはいられない事態に、思わず取り乱してしまった。
「つまりあれか?俺は何かを付けられていて、雪には俺の行動が丸わかりってことか?」
俺が意味のない自問自答を繰り返していると、雪が俺に声をかけた。
「こうちゃん。そんなわけないじゃない」
「……だ、だよな!」
怖すぎるがゆえ、俺は雪の言葉をそのまま受け入れ、考えることを放棄した。
ここで追求しなかったら先程の雪の言葉は謎のままだが、この際仕方なく、この事は忘れようと思う。
そんな俺に、珍しく雫さんが心配そうに同情する目を向けてきていたのが、せめてもの救いだった。
一刻も早く忘れるために、俺は話題を変え話を進めた。
「何がともあれ、これで揃いましたし、山吹先輩の依頼を教えてほしいんですけど」
俺がそう口にすると、山吹先輩はげんなりとした表情を見せた。
「こいつらには聞かれたくなかったんだよなぁ……」
山吹先輩の言う『こいつら』は当然生徒会メンバーのことで、すぐにでもいなくなってほしそうだが、雫さん達は立ち去ろうとは一切しなかった。
「叶ちゃん。今更だよ。観念して話しなよ」
「はぁ……しょうがねぇなぁ……」
山吹先輩は早々に諦め、俺達から視線を外すと、頭の後ろを掻きながら照れくさそうに口を開いた。
「その……あれだ。今日は母さんの誕生日でな……だから料理作るのとか手伝ってほしかったんだよ」
『……』
山吹先輩に言われた依頼内容に、俺達全員が言葉を失った。
てっきり恥ずかしい秘密とかが関係していると考えていたのだが、そんなことは全くなく、純粋な少女のお願いだった。
「な、なんか言えよ!」
この沈黙に堪えられず、山吹先輩は抗議してきた。
予想外すぎて何も言えなかったのだが、ようやく俺も口を開けた。
『何か言え』と言われたので、思いついた疑問を訊ねることにした。
「ご、ごめんなさい。でも、どうして生徒会の人達に言いたくなかったんですか?」
「……家に来てほしくなかったんだよ……」
小さな声で山吹先輩は答えたのだが、この様子からするに何か秘密にしたいことが依頼ではなく、家の方にあるのだと察した。
当然勘の良い雫さんも気づいたらしく、間髪入れずに言った。
「それは楽しみだなぁ。時間もないし早速行こうか」
その言葉に山吹先輩は大きく息を吐き捨て、一文字先輩は読んでいた本をカバンに仕舞った。
一方で俺は萌さんや湖上さんがいる以上、発作の危険もあったので、バレないよう薬を飲み込んだ。
そしてやっと、俺達はその場から動き出した。
移動中、会話題は明々後日に行われる美嶺学園との会議についてになっていた。
初めてということで、こういった時間に少しでも事前に情報を得ておきたかったので、俺から話を振った。
今のところ俺が知っていることと言えば、華凰院さんという人が生徒会メンバーと雪から敵視されているということだけだ。
「雫さん。それで会議って具体的に何の話をするんですか?」
「そうね……昨日も言ったけど、今回は合同行司の体育祭と文化祭についてかな。体育祭は競技について。文化祭は模擬店やステージ発表についてだよ」
雫さんの説明で、会議の内容自体はいたって普通ということが分かった。
特に今から何か対策をする必要性は感じられず、そこまで気にする必要はなさそうだ。
「でも毎年、体育祭だけでなく文化祭でも何かと勝負事になっちゃうのよね」
「そうそう。それも体育祭ではアタシらが、文化祭では向こうが勝つっていうお決まりパターンだし」
雫さんや山吹先輩からの補足説明ではあったが、ただの不満や愚痴だった。
他校と合同で行えば『自分の学校の方が優れている』と勝負に発展するのは分かるが、以前に俺達が対決したことを考えると、そういった単純な理由だけだとは思えない。
雫さんの場合、相手が気に入らなかったから挑発しそうだ。
「それの何が不満なんです?」
二人の不機嫌な態度を見て、雪が二人に訊ねた。
俺も気にはなったが、まともな答えが返ってこなそうだったので、訊くのは控えていたことだ。
「あいつら体育祭で勝ったアタシ達に『こういった野蛮な行事は、愚民に利がある』とか言いやがるんだぜ?」
「それに去年の文化祭では模擬店の売上で勝負したんだけど、向こうはお金にものを言わせて買っておきながら、『実力』とかぬかすし…」
雫さんの口がどんどん悪くなっていく。
ただ、話を聞いていて雫さんの怒る理由は理解できる。
相手はお嬢様学校で、もちろんお金もあり、質としては圧倒的にこちらよりも良いはずだ。
そうなれば魅力的に感じ、人を集めるのは当然向こうの模擬店になる。
もしかしたら俺は思い違いをしていて、挑発し勝負を持ちかけてきたのは、雫さんではなく向こうの学校かもしれない。
「お嬢様だからって、調子に乗るなって感じだよ」
「あの、それって私も悪く言われてます?」
雫さんの言葉に雪が苦笑いを浮かべて、聞き返した。
雪に悪意があって言ったわけではないだろうが、お嬢様である雪にとっては少し引っかかる言葉だったようだ。
「別に有明さんのことは、悪くいってないよ」
「ま、お前はお嬢様って感じはしないしな」
「なんか、バカにしてません?」
雪には悪いが二人の意見と俺も同じで、そこが雪の良いところの一つだと俺は思っている。
去年のクリスマスに一度、お嬢様が多く集まるパーティに雪のパートナー役として同席したが、他のお嬢様方はお高く止まっている印象で、親しみやすさでは雪が一番だった。
ここで湖上さんが話の流れで疑問を一つ、俺にぶつけた。
「でも、有明さんはどうして、この学校に転校してきたんです?普通なら美嶺学園に転校するんじゃないです?」
雪に関する質問だったが、手持ち無沙汰の俺に訊いてきた。
話していいものかと思ったが、隠しておく必要もないと判断し、湖上さんの疑問に答えた。
「まぁ、普通ならそうだけど。雪の転校は普通じゃないんだよ」
「どういうことです?」
「そこからは、私が話すわ!」
いつから聞いていたのか、突然雪が会話に入ってきた。
雪のことを話しているので、本人の口から言うのがいいと思い、俺は大人しく雪へと譲った。
「今年の初め、突然こうちゃんは私をおいて転校することになったの」
「なんで、悲劇のヒロイン風に話すんです?」
大袈裟な動作を加えて語りだした雪に、生徒会メンバーは冷ややかな視線を送っていたが、雪は気にも止めず続けた。
「でもこうちゃんの意志は固く、愛を確かめ合ったはずの私がいくら止めても、聞いてはくれなかった」
「付き合ってないのに、確かめ合ったはずないよね?」
湖上さんの次は西口さんが冷静にツッコんだ。
雪は完全に自分の世界に入ってしまったらしく、何を言っても無駄だった。
「でも、『私達の愛は離れていても揺るがない』と自分に言い聞かせ、私は転校を受け入れました……」
生徒会メンバーは雪の様子に困惑しきり、俺に『わけがわからない』と目で伝えてきたので、仕方なく翻訳することにした。
「いつでも会いたくなったら会えるってことですね。距離はありましたが、海外ってわけではないですし」
俺の記憶が確かなら、雪を説得できた言葉はこれで間違いないはずだ。
すると翻訳を聞いた山吹先輩が俺に言った。
「頼んでおいてなんだが、よく冷静でいられるな?」
「付き合い長いですから」
俺達が話している横で、雪の話はようやく終わりへと差し掛かった。
「そして、こうちゃんが引っ越す日の朝、私は涙ながらにお別れを告げた…だけど、一時間が経ち、二時間が経ち…時間が経つにつれ、私の我慢は限界を迎え、三時間経つ頃には、私も転校を決意し親の許可を得ました」
三時間で転校を決意したのは、俺も初耳だった。
話し方に問題はあったが、それでも雪の寂しさは俺には十分に伝わってきた。
だが、生徒会メンバーは雪の話を聞き終え、見るからにひいている。
「つまり有明さんは、柏木くんが転校して寂しかったから、柏木くんについてきた、と?」
「はい!」
萌さんが確認をとると、雪は満面の笑みで返事をした。
「本当にストーカーじゃねぇか!」
「だから、それ止めてくださいよ」
山吹先輩が勢いよく言ったように、見ようによってはそう見えなくはない。
今回ばかりは、そう言われても仕方ないと思う。
「なんだか有明さんらしい理由だったわね……」
雫さんは雫さんで肩を落としてしている。
何か面白いことを期待していたようだが、雫さん的にはお気に召さなかったらしい。
俺としては十分に奇想天外な話だ。
「つか、こんな話してるうちに、もう着くんだが」
話が一段落ついたところで、気がつけば目的地の目の前まで迫っていたらしい。
山吹先輩は正面にそびえ立つマンションを見ながら言っていたので、つまりはこのマンションに山吹先輩の家があるのだろう。
そして、山吹先輩を先頭に俺達はそのマンションへ入った。
大体十階建てのマンションだったが、俺達は途中の四階でエレベーターを降りた。
そこから少し通路を歩いた所に、『山吹』と書かれた表札があり、その表札がかけられている部屋の前で、先頭を歩いていた山吹先輩は止まった。
鍵をカバンから取りだし、鍵を開けると、そのままドアを開いたのだが、内側からチェーンロックされていた。
「あいつら、帰ってたのか……」
「あいつら?」
山吹先輩の独り言が気になり、思わず呟いてしまった。
するとそれを聞いた湖上さんが、親切にも答えくれた。
「きっと、双子の妹さん達のことです」
「そうなんだ。どんな子達なの?」
「ん~……個性的な人達です」
山吹先輩に妹がいることを初めて知ったが、湖上さんの説明ではイマイチ想像ができなかった。
俺が湖上さんから話を聞いている傍ら、山吹先輩はインターフォンで中にいる妹さんと会話していた。
少し離れていたので、妹さんの声は聞こえなかったが、『開けてくれ』と山吹先輩が言っているのは聞こえた。
妹さんがドアを開けるまでの間に、俺は雫さんにも話を訊いてみることにした。
「雫さんからして、山吹先輩の妹さん達はどんな印象ですか?」
「会ったことないから、分かんないのよね」
「え?そうなんですか?」
湖上さんが知っていたから、雫さんも知っているものだとばかり考えていたが、検討違いだったようだ。
思い出してみれば、山吹先輩は生徒会メンバーを自宅に近づけるのを嫌がっていたので、知らない方が自然ではある。
そうなると、湖上さんが知っていた方が不自然だ。
「じゃあ、なんで湖上さんは?」
「それは、山吹先輩がうちのお店でバイトしてるからです。それで何度かお店に来たことがあるので、知ってるです」
「なるほど。そういうことか……っ!」
山吹先輩が湖上さんの家でバイトしてるとは、さすがに考えつかなかったが、納得のできる理由だった。
湖上さんとの会話を終えると同時に、心臓の動きが速くなり、呼吸がしづらくなり始めた。
湖上さんと話しすぎたせいか早くも発作の症状が出始め、俺はすぐに雪の肩を優しく叩き、雪を呼んだ。
「何?こうちゃん」
「雪。悪いけど、少しの間壁になってくれないか?」
「もしかして……」
呼び掛けに応じた雪にお願いをすると、事情を説明しなくても表情を見ただけで察してくれた。
「分かった。なるべく早くね」
「すまん」
雪にお詫びの言葉を言い、雪の後ろで皆に背中を向け、急いで薬を取りだし飲んだ。
先程の昇降口とは違い、マンションの通路という狭く密集した空間だったので、バレる危険性が高かった。
だが幸いなことに、生徒会メンバーは山吹先輩の妹さん達の登場に興味があり、俺の方を向いている人はいない。
薬を仕舞い、俺は何事も無かったかのように正面を向いた。
「雪。もういいぞ。ありがとな」
「何かあったら、いつでも言ってね」
雪に感謝をしつつ、俺もドアの方を見ると、間もなくしてそのドアは開かれた。
すると中から一人の少女が顔を出した。
「ひっ……」
そして次の瞬間には短い悲鳴とともに、家の中へ逃げていってしまった。
気のせいでなければ、逃げる前に俺は少女と目が合い、その直後に逃げ出していた。
もしかしたら、俺を怖がって逃げたのだろうか。
「あの、山吹先輩。俺、あの子のこと怖がらせてしまいした?」
俺が訊ねると、山吹先輩は申し訳なさそうな顔をして俺に言った。
「いや、お前が悪いわけじゃない。あいつは極度のビビりで、知らない人間がこんなに居たから、驚いただけだ」
取り敢えず、俺が何かをしたということではないようで安心すると、家の中からスタスタと少女が戻ってきた。
先程とは服装や髪型が何故か変わっており、山吹先輩は『ビビり』と言っていたが、俺達の前で仁王立ちし、更には口を開いた。
「我が半身を泣かしたのは、どの使者だ?」
『……』
少女から放たれた言葉に俺達は、度肝をぬかれた。
(これは、あれか?厨二か?)
「ふふふ……漆黒の姫と名高い我を謁見し、声すら失ったか」
ここに来る道中の雪の様に、俺達を無視して自分の世界に入り浸っている。
この状況で一つだけ確信できたのは、今目の前にいる少女は先程の少女とは別人ということだ。
顔が瓜二つで初めは気づかなかったが、湖上さんは『双子』と言っており、山吹先輩が言っていた事とは大きく異なる。
「まぁ、それも仕方のな……」
喋りっぱなしの少女の口を止めるべく、山吹先輩は無言で少女の頭を叩いた。
目論み通り口は止まったが、少女は瞳を潤わせ、声を震わせながら言った。
「姉上~。痛いよぉ……」
泣くのを我慢し、頭の叩かれた箇所を強く押さえつけている。
少女からは厨二の面影は全く感じられず、妹が姉に叱られている姿にしか見えなかった。
「客人の前では止めろ。こっちが恥ずかしい。それより挨拶しろ」
「我が名は漆黒の姫……」
厨二前回で名乗ろうとした途端、またしても山吹先輩の鉄拳が脳天へ落ちた。
少女の我慢も限界を迎え、ついに泣き出してしまった。
「うぅ……ぐすっ……山吹……願です」
願ちゃんは涙を拭いながらまともな挨拶をしてくれたが、さすがに可哀想に思えてきた。
「ね、願ちゃん……大丈夫?」
泣き声が聞こえたのか、奥にある部屋の扉からひょこっと顔だけを出し最初に出てきた少女が、遠くから心配している。
「こいつが悪いんだから仕方無い。それよりお前も挨拶しろ」
「や、山吹……の、希……です」
距離が遠い上、臆病な性格で声まで震えてしまっているので、聞き取りづらかったが、辛うじて『山吹希』と名前を聞くことはできた。
名前だけ名乗るとまた隠れてしまい、願ちゃんも泣きべそをかきながら頭をさすり、奥の部屋へと入っていった。
(臆病と厨二病か……)
「少し時間食っちまったけど、入ってくれ。くれぐれも奥の部屋とトイレ以外は入らないでくれ」
「りょうかーい。お邪魔しまーす」
家の主である山吹先輩を抜かし、早速雫さんが上がり、それに続いて他の人達も中に入っていき、最後に入ったのは自ずと俺になった。
通された奥の部屋はリビングとキッチンになったおり、すでに部屋にいた山吹先輩の妹さん達は、キッチンの方で仲良くケーキ作りをしていた。
集中しているからか、二人とも俺達の存在に怯えたり、厨二を出したりはしていなかった。
そして依頼者の山吹先輩はというと、部屋に入ってすぐ冷蔵庫の中身を確認しに行き、数秒で俺達の下へ戻ってきた。
「さて、一文字は椅子にでも座って本でも読んでてくれ」
「助かる」
半ば強引に連れてこられた一文字先輩ではあったが、俺が構えない以上、山吹先輩の許可がなくても読書していたであろう。
一文字先輩はカバンから恋愛小説をだし、言われた通りに椅子に座って読み始めた。
昨日、恋について知りたがっていたから、恋につて勉強中ということのようだ。
「それで、会長と西口と湖上は買い出しを頼む。今からメモに買ってきて欲しいものを書くから」
「えー!今来たばかりだよ!それに柏木くんと一緒じゃないの?」
メモを書き出した山吹先輩に、雫さんは不満を口にした。
何処と無く、萌さんや湖上さんも同様に不服そうだ。
「しょうがないだろ。会長達が勝手についてきたんだから。元々、柏木達で事足りたんだよ」
言い終えると同時に山吹先輩は、雫さんへ書き終わったメモを渡した。
「うぅ~…叶ちゃんのいけず!こうなったら、二人とも。早く済ませちゃおう!」
『はい(です)!』
雫さんが鼓舞すると、二人はそれに共鳴するように勢いのいい返事をし、そのまま三人は出ていった。
三人の背中を見送った後、俺は山吹先輩に質問をした。
「一文字先輩みたいに何もさせなくても、よかったんじゃないですか?」
依頼されたのは俺や雪なので、雫さん達に手伝わせる必要はなかったと思う。
「あの会長が大人しくしてるとは思えなかったんだよ」
「それは確かに、何となく分かります」
家を荒らすことはないにせよ、山吹先輩にはデメリットしかないようなことをしてきそうではある。
俺も雪もその光景が簡単に想像でき、苦笑しつつ頷いた。
「それで二人には料理を手伝ってもらいたい。希以外、大食いだかし、折角の祝い事だから、大量に作ってほしい」
女子高生の発言とは思えないような、まるで子持ちの主婦を相手にしている気分だ。
「なんか山吹先輩って逞しいですね」
「まぁ母子家庭で母親が仕事で忙しくて、家事したり妹の世話したりしてきたからな」
山吹先輩の仕切りを見て純粋に褒めただけだったが、彼女の気が強いルーツまでわかった。
雫さんが前に言っていたように学校では自由気ままだが、家では真逆だ。
「バイトしてるのって、家計の負担を減らすためとか?」
可能性の話を訊いてみると、山吹先輩は笑って一蹴した。
「ハハ。そんなんじゃねぇよ。ただのお小遣い稼ぎだ」
「何かお金のかかる趣味とかあるんですか?」
「え?べ、別に、そんなのねぇよ」
普通の質問だと思うのだが、山吹先輩は分かりやすいくらいに動揺している。
肯定と捉えていいのだろうが、嘘をついているからして、もしかして山吹先輩が雫さん達を家に呼びたくなかったことと、関係しているのかもしれない。
そうと分かれば、余計な詮索はせずに話を戻した。
「そうですか。でしたら、そろそろ始めますか?」
「あ、あぁ。そうだな。けどその前にカバン置いてくるから、少し待っててくれ」
そう言って山吹先輩は一度リビングから出ていき、読書中の一文字先輩を含めて三人が残された。
すると山吹先輩がいなくなったのを見計らって、ケーキを作っていた妹さんの一人が俺達の下へと歩み寄ってきた。
「汝等二人、姉上とはどういった関係だ?」
近寄ってきたのは厨二病の願ちゃんの方だった。
希ちゃんが近寄ってくることは無いと思っていたので、声を聞く前から願ちゃんだと予想はしていた。
現に希ちゃんの方は、そわそわしながらこちらをチラチラと見ている。
「そうだなぁ……何だかんだで仲の良い先輩後輩かな?」
「つまりは、そちらで魔法書を閲覧しているウィッチ達のような、同胞ではないのだな?」
「えっと……まぁ」
いちいち頭の中で変換しなくてはいけないので、会話と会話に僅かだが時間がかかる。
それも合っているかも定かではない。
今回の場合は『一文字先輩達と違って、俺達が生徒会ではないのか』と、確認されているのだと解釈した。
俺が肯定すると、願ちゃんは考え込むように視線を落とした。
「ふむ……さっき叩かれて痛かったし、これぐらいやり返してもいいかな……」
どうやら俺の解釈は合っていたらしく、俺が頷いた後、素を丸出しで独り言を呟きだし、山吹先輩に仕返しすることを宣言していた。
仕返しを決心すると、不適な笑みを浮かべながら顔を上げ、改めて俺達二人に言った。
「ならば汝等には、口にするのを禁忌とされた。姉上の秘密を授けよう」
「ねぇ、こうちゃん。この子、何て言ってるの?さっきは普通に話してたのに」
今回雪は解読出来なかったようで、俺に助けを求めてきた。
そんな雪の言葉に願ちゃんは反応し、『ふふふ』と微笑している。
「我が人間界の言葉で交えるわけなかろう」
どうやら先程の独り言は、無自覚のうちに口から出ていたらしい。
そもそも日本語で話してる時点で、人間界の言葉だと思うのだが、言うだけ無駄だろう。
一旦、願ちゃんは措いといて、まずは雪にさっきの言葉の説明をする必要がありそうだ。
「雪。さっきこの子は、口封じされていた山吹先輩の秘密を俺達に教えるって言ったんだ」
「なるほどねぇ……でも普通に喋ってるのこうちゃんも聞いたよね?」
正直、雪からのこの質問は困った。
頷くことは簡単だったが、そうすれば願ちゃんをいじめてるみたいになってしまう。
ここは、雪に大人の対応をしてもらう他ない。
「聞いたけど、あれはこの子のうっかりだよ。元々魔界の言葉を使う彼女が、人間である俺達と話すのに上位魔法を通して話してたんだ」
「こ、こうちゃん?」
俺にまで厨二病が感染したと思い、雪は困惑している。
俺自身もやっていて恥ずかしいので、早く俺の意図に気づいてほしい。
「そして独り言を話すのに魔力を消費するのは勿体無いから、魔法を解除するべきなんだが、山吹先輩に仕返しできる嬉しさにその作業を忘れて、独り言を喋ってしまったんだよ」
「な、なんだ。そういうことか!」
恥ずかしさのあまり途中から涙目になっていたが、そのおかげで雪も俺の意図に気づいてくれて、俺の台詞にのってくれた。
再度願ちゃんを見ると俺を見つめており、その瞳はキラキラと輝いている。
「ね、願の設定より凄い……」
(この子、素だと一人称は自分の名前なのか)
素が出ていたうえ、『設定』と口走ってしまっていて、俺と雪は暖かな笑顔で見ることしかできなかった。
「師匠!いえ、マスター!貴方の名前は?」
目を輝かせながら詰め寄られた。
「えっと。柏木孝太だけど……」
「おお!それがマスターの真名。マスター。弟子として早速、姉上の秘密をお教えします」
いつの間にか俺の弟子になっていて、今すぐにでもあの厨二発言を撤回したい気分だ。
それに山吹先輩の秘密を知りたいわけでもなかったので、断ろうとしたがその前に、向こうが口を開いてしまった。
「実は姉上はああ見えて、可愛いものに目がなく、部屋中はぬいぐるみだらけで、バイトもそれらを買うためにして……ひぐっ!」
後半に差し掛かったところで、カバンを置きに行っていた山吹先輩が音もなく戻ってきて、また願ちゃんの頭を叩いた。
その衝撃で願ちゃんから、人間が発したら危ないような声が聞こえた。
「お前なぁ~……」
拳を握り怒りを露にする山吹先輩に、願ちゃんもそして何故か遠くから見守っていた希ちゃんまで怖がっていた。
「ちょっと来い!説教だ!」
「姉上~勘弁を~。マスター。助けて」
(俺を巻き込むな……)
襟元を掴まれ、力任せに室外へ連れていかれそうになり、願ちゃんは俺に助けを懇願してきたのだが、俺にできることは少しでも説教を軽くしてあげることくらいだ。
「あの、山吹先輩」
俺が名前を呼ぶと山吹先輩は立ち止まり、そのまま怒りすぎないようお願いしようとすると、それより先に山吹先輩が口を開いた。
「……会長達には、言うなよ……」
その表情は前髪で目が隠れてよく分からなかったが、頬を見る限り真っ赤になっていて、恥ずかしがっているのが一目瞭然だ。
「似合わないのは自分でも承知してる…それに会長に知られたら、いじられるの間違いなしだから、黙ってたんだ」
山吹先輩が雫さん達を連れてきたくなかった理由が明かされた。
『他の部屋に入るな』と念押ししていたのも、自分の部屋を見られたくなかったからだと、いうこともわかった。
だが一つだけ納得できないことがある。
「山吹先輩。俺も雪も、雫さん達には黙っておきますけど。俺は山吹先輩がそういう可愛いものが似合わないとは、思いませんよ」
「は?!柏木!お前、正気か?」
俺の言葉に山吹先輩は並々ならぬ反応を示した。
「正気ですよ。山吹先輩だって可愛い女の子なんですから。そういう趣味があたっていいじゃないですか」
「お前、先輩に可愛いはないだろ!」
心なしか、山吹先輩の顔の赤みが増したように感じた。
確かに、恥ずかしがって精神的に追い込まれている年上の女性に、言うべき言葉ではなかったかもしれない。
「すみません。つい」
俺が素直に謝ると、山吹先輩は呆れきった顔になった。
「ついって……お前がモテる理由が何となくわかったよ」
「それ、誤解だと思うんですけど……」
何やら有らぬ誤解をされてしまったみたいだ。
俺みたいなやつがモテるわけがない。
「ま、ともかく、会長達には黙っててくれ。それと悪いが少しだけ待っててくれ」
結局、よっぽど恥ずかしかったのか、俺が言いたいことを言う前に願ちゃんを連行していった。
「姉上、止めてー!マスター!助けてー!」
願ちゃんの叫びは、距離が離れているはずなのに、どんどんと大きくなっている。
その場に残された俺と雪の視線は、読書している一文字先輩ではなく、自然に希ちゃんへと向けると、希ちゃんの瞳はますます潤んだ。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさーい」
そして、彼女もまた部屋から出ていってしまった。
「ねぇ、こうちゃん。私達、何も言ってないよね?」
「そうだな。初対面の人間だけの空間に放置されて、怖くなったんだろう」
謝られた理由は謎だったが、俺と雪は戸惑いを隠せなかった。
残されたのは、俺と雪と一文字先輩だけとなり、何も出来ないので仕方なく待つことにした。
それから一時間近くが経ち、ようやく山吹先輩は戻ってきた。
「すまん。待たせちまったな」
「本当ですよ!もう」
雪の言葉とは裏腹に、その表情は笑っていた。
思い出すだけで照れるのだが、雪にとって幸せな時間は家で俺と二人きりで何気無い会話をしている時らしく、一文字先輩は読書をしていたので、その環境に近いものがあっため、雪は上機嫌だった。
「山吹先輩。妹さん達は?」
戻ってきたのは山吹先輩のみで、妹二人はいなかったので気になり、質問してみた。
すると、申し訳なさそうに山吹先輩が答えた。
「それが少々怒りすぎて、一人は精神的に立ち直れず、もう一人はケアしている」
「それ、少々じゃないですよ!」
ツッコミを入れずにはいられなかった。
俺のツッコミを無視し、山吹先輩は続けた。
「それで問題が一つ発生した。作りかけのケーキも私達が作らなきゃいけなくなった」
深刻そうにしていたが、そこまで大したことではないと思う。
「ともかく、作りかけの物を見てみろ」
俺と雪は、首を傾げながらキッチンへ移動し、作りかけのケーキを見た。
『は?!』
それを見た俺達は、大きな声を出してしまった。
そこにあった物は、まだ作り始めて間もなかったのだが、それよりも量に驚いた。
材料からして、ウエディングケーキほどの大きさが作れる。
「だから言っただろ。大食いだって」
流石にこの量を大食いと片付けてしまっては、悪い気がする。
加えて料理も食べるのだから凄い量だ。
「そしてこれが作る料理のリストだ。ちなみに、リミットは二時間三十分後の七時。それから三十分後に母さんが帰ってくる」
渡されたそのリストを見て、書かれていた料理の数々に俺達は絶望を余儀なくされた。
十品以上もの料理を、たった三人で作らなくてはいけないのだからだ。
「『俺達だけで事足りる』って言ってましたけど、この量は無理ですって」
「一時間無駄にするとは思わなかったからな。それにお前達なら気合いで何とかしてくれると、思ったんだよ」
一時間無駄にしてなくても、この量は難しく、気合いでどうこうなる問題でもない。
料理の出来ない雪でさえも、この危機的状況を把握している。
「生徒会の役職、会計なのに時間の計算できないんですか?!」
「そんなことより、早く作業を始めろ」
雪のツッコミを無視し、それどころか雪を叱った。
「あの、料理の種類を減らすのはダメですか?」
今思いつく最善の策を提案してみると、山吹先輩の顔が曇った。
「そうしたいのは山々なんだが、母さんに何を食べたいか訊いた時に、答えてくれた料理なんだ。忙しいうえに四十歳という節目の年だから、作ってあげたいんだ」
山吹先輩の想いを聞いて、俺達はその想いを無下には出来ずに、何も言えずにいた。
だがその時、希望の光が見えた。
「は、話は聞かせてもらったわ。…叶ちゃん」
声が聞こえたリビングの扉前を見ると、そこには買い物から戻ってきた雫さん達三人の姿があった。
ただ、よっぽど急いで帰ってきたのか、三人とも息が上がっていて格好はついていない。
「お前ら、よく一時間で買い物できたな」
(一体何を買いにいかせたんだ?)
山吹先輩は雫さん達の下へ行き、買い物袋を雫さんから預かりながら言った。
「ふふ……愛の力よ」
雫さんがそう言うと、雪は俺の手を強く握り締め、憎悪を含んだ瞳で雫さんを見つめていた。
「雪。どうした?」
「何でもない。少し嫌な予感がしただけ」
それだけ言うと、表情は戻り手を放した。
何にせよ、このタイミングで三人が帰ってきたのは有り難かった。
「三人とも、話を聞いてたなら手伝ってくれないか?」
「もちろん。それで私達は何をすればいいの?」
代表して雫さんが承諾すると、今度は雫さんが山吹先輩に質問した。
「そうだな…柏木達は、何かいい案はないか?」
完全に蚊帳の外だった俺達にここで、案を求められた。
人数が増えたのなら、効率重視にすべきだと考えており、一応案はある。
「二人一組になって、料理を作るのはどうですか?」
「柏木がそう言うなら、そうするよ」
検討もせずに呆気なく、俺の案が採用された。
提案しておきながら反射的に聞き返してしまった。
「え?いいんですか?」
「元々、お前達二人に依頼したんだ。だったらそれに従うさ」
俺の考えでは、キッチンの広さや一度に作れる料理の数のことを踏まえると、全員が一斉に料理は出来ないので、スピード重視ならば二人一組が一番だ。
だが、その俺の考えを知らずに山吹先輩は頼ってくれているので、提案したからには、成功させなくてはいけない。
「分かりました。雫さんは、お菓子は作れるんですよね?」
「そうだよ。よく覚えてたね」
料理対決の時、雫さんが言った何気無い一言を覚えていて良かった。
確認もとれたので、勝手ながら俺から組み合わせを指定させてもらうことにした。
「なら、雫さんは俺とケーキ作ってください」
「やったー!柏木くんと一緒だ。初めての~共同作業~」
謎のリズムで自作の歌を口ずさみ喜ぶ雫さんに対して、雪と萌さんと湖上さんの三人は不満があるようで、すぐに反対意見を述べてきた。
「こうちゃん!何で、私じゃなくて会長さんを選んだの?!私だって料理できないのに」
「私だって自炊程度でそこまで、自信ないよ」
「私も一緒に柏木くんと作りたいです」
湖上さん以外まともな反論だったが、俺だって依怙贔屓で雫さんを選んでるわけではない。
「みんなの気持ちも分かるけど、お菓子作りは雫さんが一番だろうし、包丁すら握ったことないんだったら、料理できる人がついていた方がいいと思ったんだよ」
「それなら、湖上でもいいんじゃねぇか?」
山吹先輩の言うように『料理できる』という点では、湖上さんで良かったのだが、湖上さんには別のことを頼みたかった。
「湖上さんは俺よりも上手いんで、リストにあった料理の方が向いてると思うんです」
「なるほどな…ということらしいんで、三人とも我慢してくれ」
『……はーい』
渋々ではあったが、山吹先輩のおかげで何とか三人は聞き入れてくれたので、時間も惜しかったので残りの組み合わせも発表した。
「それで続きだけど、雪は湖上さんと組んでくれ。『苦手』と言っている雪だが、日頃の練習のおかげで味付け以外なら問題ないと思っている。だから、料理を教わるって意味でも湖上さんとやってほしい」
「こうちゃんが、そう言うならそうるすよ!なんか自信もついたし」
雪は了承してくれたが、湖上さんと雪を組ませた理由は他にもう一つあった。
それは雪と言い合いにならず、平和に行える人物だからだ。
今まで俺が知るなかで、雪が湖上さんと口喧嘩をしたことはなく、無駄な時間を割かずに済む。
「湖上さんも、それでいいかな?」
「はいです!私も柏木くんのお願いなら何でも聞くです」
湖上さんからの同意もとれて、残るは二人だけだったが、この二人に関しては心配は無用のようだ。
「じゃあ、アタシは西口とだな?」
「まぁ平均的なバランスを考えたら、そうなりますね」
俺が言うまでもなく、二人は自然と組んでくれたところで、ついに料理を始められた。
料理を始めてから、目の前にあることで全員が精一杯になり余計な会話がなく、一時間半が経過した。
俺自身も周りが見えておらず、他のグループがどこまで進んでいるのか把握できていないことに気づき、残るところクリームを塗ったり、フルーツをトッピングしたりするだけとなったケーキを前に、一度四人の方を向いた。
だがそこにいたのは、煮込んでいる鍋を見ていた雪と、サラダを盛り付けている萌さんの姿しかなかった。
取り敢えず、手を持て余していた雪に話を訊いてみることにした。
「なぁ、雪。山吹先輩と湖上さんは?」
「二人なら、妹さん達の様子を見に行ったよ」
そういえば、あれからずっと双子の姿を見ていなかった。
さすがに心配になり、二人と面識のある湖上さんを連れて、様子を見に行ったのだろう。
「そっか。それで雪達はどこまで進んだんだ」
「湖上さんのおかげで、もう終わってるよ。今は湖上さんの提案で余った食材使って料理中」
俺が思っていたよりも、遥かに進んでいて驚いた。
もしかしたら、萌さんの方も大詰めかもしれない。
「西口さん達はどう?」
「私達の方も、このお肉を炒めたら終わりです」
俺が雪と話している間に、サラダの盛り付けも終わっており、最後の料理を作っていた。
案外、山吹先輩が言っていたように、気合いでどうにかなった。
現状では一番進んでいないのは俺達となったが、一時間もあれば終わるだろう。
俺は自分達の調理スペースに置かれたそびえ立つケーキを改めて見て、ため息を吐いた。
俺と雫さんの二人がかりでギリギリ間に合うはずたが、大きすぎてため息を漏らさずにはいられなかった。
「さてと、雫さん。仕上げやりますよ」
「任せて。ここからは私も大活躍だよ!」
早速、俺達はクリームを塗り始めたのだが、まるで塗装業者の気分を味わっていた。
俺達が塗り始めたのと同じくして、近くで雪の『せっかくだから、一文字先輩に味見してもらおう』という声が聞こえ、尻目から雪が一文字先輩の下へ向かう姿が見えた。
作業が終わったのを羨ましく思いつつ、俺も塗装業に専念していると、突然雫さんの手が止まった。
「どうしたんですか?」
「……ちょっと、待ってて」
そう言うなり雫さんは持っていたクリームとヘラを置き、俺達のカバンがまとめて置いてある場所へと向かい、カバンを漁りだした。
仕方無く、戻ってくるまで一人で作業することになった。
その間に妹さん達の下へ行っていた二人が戻ってきた。
「作業任せっきりで悪かなったな」
「いえ、もう終わりますし大丈夫ですよ。それより妹さん達は大丈夫でしたか?」
「あぁ。もう少ししたら、こっちに来るってさ」
作業をしていて、会話には入れなかったが、妹さん達の無事を確認できて安心した。
それにしてしても雫さんは何をしているのだろうか。
雫さんの動向が気になっていると、戻ってきたばかりの湖上さんが俺の方へと寄ってきた。
「あの、柏木くん。その作業しながらでいいんで、聞いてほしいです」
「ん?どうしたの?」
本来なら作業を止めて話を聞きたかったが、本人も止めなくていいと言っていたので、御言葉に甘えて作業しつつ、返事をした。
「明日ですけど、柏木くんに依頼したいことができたです。ダメです?」
それを聞いたとき一瞬だけ悩んだ。
葵さん達の手伝いをしたい気持ちがあったため、数秒答えるのに時間が空いてしまった。
向こうの件は葵さん達に任せると、決めていたので葵さん達を手伝えないのは申し訳ないが、俺は俺で湖上さんのお願いを聞くことにした。
「……いいよ。それで依頼って?」
「明日、うちの店を手伝ってほしいです。今忙しそうなので、詳しいことは明日の昼休みに話すです」
「そうしてくれると助かる。それと昼休みは部室にいるから」
「わかったです。よろしくです」
一旦手を止め、俺は湖上さんを見ると、湖上さんは軽く頭を下げ雪の下へ戻っていった。
ついでに雫さんを見ると、俺に背を向け何やらこそこそとしていた。
「雫さん。こっち手伝ってくださいよ…」
雫さんに声をかけ、再び作業に戻ろうとしたとき、雫さんが俺の携帯を持っているのが見えた。
「っていうか、人の携帯で何やってるんですか?」
「電話きてたからつい」
俺が雫さんに問い詰めると、雫さんは舌をだし、わざとらしく可愛い顔をつくった。
「ついって……何、可愛く言ってるんですか。それより早く代わって、向こうを手伝ってください」
「はーい。それじゃあ、旦那に代わるね」
呆れながら雫さんの下へ行き、携帯を渡すよう手を差し出し催促すると、電話の相手にとんでもないことを言って携帯を俺に渡すと、逃げるようにキッチンへ戻っていった。
相手に呆れられて切られていないか心配だったが、電話は繋がったままだ。
「もしもし。どちら様?」
『葵です』
電話の主は葵さんで、丁度葵さん達のことを考えており、それでいて湖上さんの件を伝えておきたかったので、こちらからかける手間が省けた。
それに葵さん達の方も、少し気になっていた。
「あ、葵さんか。ゴメンね。雫さんが」
『いえ、別に。それで今大丈夫ですか?』
少しだが電話をする余裕はあった。
取り敢えず、雫さんのことを謝ったのだが、いつもと淡々とした口調で語っていた。
「うん。大丈夫だけど……葵さん。怒ってる?」
『怒ってませんよ。時間もないんで早速本題に入りますね』
これは電話越しだったが、確実に怒っているのはわかった。
雫さんが何か言ったのだろう。
『今、私たちは人探ししてるんですけど、孝太さんならどうやって探しますか?』
今になって葵さん達が何をやっているのかを、聞いていないことに気づいた。
どうやら人探しをしているようだが、質問からして行き詰まっているのだろうか。
「うーん……そうだなぁ……俺だったら、その人を目撃した辺りの店とかで、聞き込むかな」
『それだ!』
葵さん達の力になればと、質問に答えると、葵さんと話していたはずなのに光さんの声に変わった。
「え?光さん?」
『気にしないでください。それより、ありがとうございました。そっちも忙しかったんじゃ?』
「まぁそこそこね。でも、葵さんたちの力になれて嬉しいよ……」
俺は一度、みんなのいるキッチンを見てから答えた。
雪がみんなに味見を勧めている光景が目にはいり、次にその横にそびえ立っているケーキが目にはいる。
いつの間にか妹さん達も、戻ってきていた。
葵さんには俺が作業中だったのが筒抜けだったようで、気を遣われてしまった。
そんななかで、俺は湖上さんに依頼された件を話すことにした。
昨日葵さん達に『空いている日は手伝う』と言っていたので、少し心苦しい。
「それと実は言い難いんだけど……」
「湖上?!」
俺が葵さんに言おうとしていた途中で、突然山吹先輩の声が響き渡った。
振り向くと、山吹先輩と雪達が慌てていた。
「ごめん。葵さん。ちょっと待ってて……」
ただ事ではないと思い、葵さんに断りを入れ、葵さんからの返答を聞く前に携帯をその場に置くと、急いでキッチンへ赴いた。
「どうしたんですか?!」
キッチンへ着き、目に飛び込んできたのは倒れている湖上さんだった。
「湖上が急に泡を噴いて倒れたんだ!」
「え?!……息はあるんで、気を失ってるだけみたいですけど……」
俺は慌てて湖上さんの口と鼻の前に手をかざした。
幸いなことに呼吸はしており、ついでに脈も確かめたがこれも正常だった。
湖上さんに触ったことで発作の危険もあったが、一先ずは大丈夫みたいだ。
安心したのは束の間、再び悲劇は起きた。
「西口!」
続けざまに今度は萌さんが倒れ、湖上さんにしたことと同じように、呼吸と脈を調べた。
「湖上さんみたいに、気を失ってますね……」
萌さんも異常はなく、ただ気を失っていただけだった。
「一体、何が起きているのだ?」
この状況を妹さん達は俺達よりも怖がっており、特に希ちゃんは声すら失って震えることしかできていない。
「って、静かだったから気づかなかったが、一文字も倒れてるじゃねぇか!」
山吹先輩の声に反応し一文字先輩を見ると、本を持ったまま椅子から転げ落ちていた。
次から次へと人が倒れていく状況のなか、もしやと思い一文字先輩は山吹先輩に任せ、雫さんに近づき『雫さん』と呼び掛けたが、反応はない。
「……雫さんも、笑顔のまま、気を失ってますよ!」
それも他の人と違って立ったままだったので、リビングに抱えていき横にして寝かせた。
そこから倒れる人はおらず、何が起こったのか考え始めた時、雪が言葉を発した。
「この様子からするに失敗しちゃったか……」
山吹先輩も願ちゃんも雪のその言葉を聞いた途端に、顔が青ざめてしまったが、中でも一番の反応をしたのはやはり希ちゃんだった。
「ご、ごめんなさい。許してください。殺さないで……」
希ちゃんの発言は明らかに誤解をしてのもので、雪が殺戮を行っていると思い込んでしまっている。
そのまま雪から距離をとろうと後退りする希ちゃんだったが、下がり続けるとコンロにぶつかってしまい、西口さんの作った出来立ての料理を被ることになってしまう。
(間に合え!)
咄嗟に俺はリビングから駆け出し、コンロの方へと向かった。
そして希ちゃんがぶつかると、料理の乗ったフライパンの持ち手部分を下げる形になり、料理が宙へ舞ったが、希ちゃんに料理が降り注ぐ前に俺は希ちゃんの手を掴むことに成功した。
そのまま引き寄せ、抱きしめると、その勢いで回転し俺が背中で料理を受けた。
「っ!」
熱さのあまり一瞬、苦悶の表情を浮かべたが、シャツを通してだったので耐えることはできた。
(ブレザー脱いどいてよかった……)
料理前に汚すといけないと思い、ブレザーを脱いだのは正解だった。
「こうちゃん。大丈夫?!」
慌てて雪が俺に近づいてきて、心配を口にした。
悪くても火傷程度で済むので、大袈裟に心配しすぎだと思う。
「大丈夫だよ。それより、希ちゃんは大丈夫?」
「は、はい……」
「なら、良かった」
希ちゃんを守れたことが分かったので、俺は希ちゃんを解放し、床に散る料理を片付け始めた。
すると希ちゃんは何度もペコペコと頭を下げて謝りだした。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
雪の心配といい、希ちゃんの謝罪といい、少し大袈裟すぎる。
だが気にかけてもらえるのは、悪い気はしない。
「事故だから謝らなくていいよ」
希ちゃんを慰め、片付けに戻ると、何も言わずに希ちゃんがしゃがんで手伝ってくれた。
「ありがとう」
「せ、せめて、これくらいは……」
この時初めて希ちゃんと会話が成立できた。
「こうちゃん。私も手伝うよ」
「ひぃっ!」
雪が希ちゃんの隣に座ると、悲鳴をあげて俺の腕にぶるぶると震えながら抱きついてきた。
もしかしたら、まだ雪のことを誤解したままなのかもしれない。
山吹先輩と願ちゃんも雪から距離をとっていた。
雪が恐怖を与えている以上、ここは俺から説明しなくてはいけないようだ。
「あの状況で雪のあの発言は、雪が四人を殺ろうとしたと思えなくもないですけど……」
「みんな、そんなこと思ってたの?!」
雪の驚きに全員が頷くと、雪は肩を落とした。
ここは雪のためにも早く誤解を解かなければいけない。
「倒れた四人に共通するのは、俺の知る限り雪が味見させた人達ってことです。つまり雪が言った『失敗』っていうのは、暗殺じゃなくて料理ですよ」
「なんだ……そうだったのかよ……普段のお前の素行から、殺っちまったとばかり思ってたよ」
「酷いです!けど、こうちゃんに手を出そうとしたら……」
せっかくみんな安心しきってたのに、妹さん達がまた怖がってしまった。
ただ、山吹先輩は普通の状態で、山吹先輩も俺達が片付けているのを手伝い始めてくれた。
「何にせよ。一品減ったが、大惨事にならなくて良かったよ」
山吹先輩が安堵の表情を浮かべながら話すも、残念そうにしいてるのを俺は見逃さなかった。
片付けの手を止め、俺は立ち上がり自分のブレザーを取りに行き、そのままブレザーを羽織り、準備を始めた。
「柏木?」
そんな俺の行動に山吹先輩は首を捻り、それにつられて他の三人も首を捻った。
事情を説明していなかったので、これから俺がしようとしていることを説明した。
「今から、俺が食材買って来ます」
「は?!今からって……」
驚くのは無理ないが、時間を計算したうえでの提案だ。
時間もないので、山吹先輩の言葉を遮らせてもらい続けた
「走れば間に合うはずです。なので、いない間やってもらいたいことがあります。まず、願ちゃんと希ちゃんはケーキの仕上げを頼みたい」
「心得た」
「は、はい……」
元々ケーキ作りは二人の仕事だったので、仕上げはこの二人しかいない。
それに山吹先輩と雪には頼んでおきたいことが、別にあった。
二人は快く了承してくれたので、次は山吹先輩の番だ。
「山吹先輩には、片付けを続けてもらって、終わったら四人を看ていてください」
「アタシはそれだけか?」
確かに二人と比べたら味気なく、不服そうにしている山吹先輩だったが、俺のお願いはそれだけではない。
俺は首を横に振り、説明を加えた。
「いえ。山吹先輩には俺が帰ってきたら、料理を作ってもらいたいんです」
「まぁ、アタシと西口で作った料理だから、アタシがやるのは当然か。任せとけ」
山吹先輩も納得し、引き受けてくれたので、残るは雪だけだ。
「それと、山吹先輩。タッパーってありますか?」
「あるが。何に使うんだ?」
「そのタッパーですけど、貸してもらえませんか?後日、洗って返すんで」
「あぁ。構わないけど」
山吹先輩は不思議そうにしながら、棚からタッパーを取り出し、渡してくれた。
俺はそれを受け取ると、更に雪へと流すように渡した。
「雪はさっき作った料理を、これに入れといてくれ」
「うん。けど、失敗作だし棄てればいいんじゃ?」
その通りではあるのだが、これに関してはあくまで俺個人の望みだった。
「成功しても失敗しても、お前の料理は食べたいんだよ」
数週間前までの俺は、こんな台詞口にすることはなかったが、雪に料理を教えるようになり、雪が落ち込んだ姿を見て、価値観が変わった。
「うん。わかった!」
雪は嬉しそうに頷くと、タッパーを俺から受け取った。
「それじゃあ、いってきます」
みんなに伝え終わったところで、財布を確認し、山吹家を後にした。
三十分後、俺は無事買い物を終え、山吹先輩の隣で一緒に料理を作っていた。
買い物は山吹先輩の家から近い駅前のお店で済ませたので、走っていたこともあり時間はかからなかった。
駅前をそれも帰宅ラッシュのこの時間帯に、全力で走り抜けるのは恥ずかしくはあったが、そのおかげで一番懸念していた声をかけられるというのは、避けることができた。
結果として、三十分以内に終えれたのは想定していたよりも早い。
それでも休みもなく、現在に至っている。
ケーキの方はほぼ完成しており、残るはフルーツをトッピングするだけだ。
雪はというと、一番最初に暇をもて余していたそうで、俺が戻ってきた時は山吹先輩と一緒に雫さん達を看ていて、今は四人を起こしている。
一文字先輩と湖上さんは目を覚まし、意識がはっきりするまで休んでいた。
そんななか、俺と山吹先輩が間に合うよう作っていると、山吹先輩がふと話しかけてきた。
「なぁ、柏木。何でお前はここまでしてくれるんだ?」
山吹先輩からの質問はいたってシンプルなものだった。
なので、俺も素直に返す。
「依頼したのは山吹先輩じゃないですか」
「そうじゃなくてだな。私が言いたいのは、普通ここまでしないってことだ。あの場合、一品減るのは仕方ないことなのに、わざわざ走ってまで買いに行った理由が知りたいんだ」
俺の答えに山吹先輩は満足しておらず、改めて質問内容を言ってくれたのだが、俺としては最初の質問と同じ答えだった。
「ですから、山吹先輩が依頼したからですよ。『全部作ってあげたい』って言ってたじゃないですか。もっとも依頼とか抜きにしても、山吹先輩のためなら頑張りますけどね」
俺が答え直すと、山吹先輩は普段の豪快な笑い方ではなく、優しく微笑むように笑った。
「ふっ……そうか。お前は優しいんだか、バカなんだか」
「どちらかと言ったらバカですかね」
俺がおどけて返すと、山吹先輩は顔を下に向け、俺にギリギリ聞こえるような声で呟いた。
「お前は優しいんだよ……」
その言葉に俺は照れて、しばらくの間、山吹先輩の顔を見ることができなくなった。
この時の会話が、俺と山吹先輩を結んだ初めての絆となり、山吹叶という女の子を本当の意味で知ることができた。
そして山吹先輩からの依頼は、俺自身も得るものが多かった。




